第8話〜ニシダ
カジノ業界に長くいると、いろんなオーナーがいる。
積極的に店に出てくる人もいれば、
「任せてるから好きにやれ」といって
ほとんど顔を出さない人もいる。
ただたいていの場合、顔は出さなくても
自分の腹心というか目付け役のような役割を担った部下を
キャッシャー(場合によっては黒服)として置くことになる。
もちろんそれ自体は一向に構わないというか
大金を動かすわけだから当然だとも思う。
信用は積み重ねるものであって、
いきなり完全な信用を得られるものではない。
そもそも見ず知らずの人間にそういう場を仕切らせるという時点で、
相当の信用を置かないと出来ることではない。
ただし職制上、現場の仕切りに関しては
目付け役と言えどもこちらの指示に従ってもらう。
現場に素人があれこれ口を挟めば、
おかしくなるのは歴史を紐解けば枚挙に暇がないのだ。
ところがそれを快く思わない人間も当然いる。
なまじっか客としてカジノ業界を知っていて、
最初から色眼鏡でこちらを見てきたり、
自分の考え方が絶対だと思い込んでいるのだ。
これは何もカジノ業界に限った話ではなく、
どこの組織にもいるタイプなのであろうが。
僕はこういうタイプと、上手くやっていくのは
決して下手ではない。
対人スキルで言えば初歩に近いし、
目的は共通しているからだ。
目的が共通しているのだから、
なだめたりすかしたりしながら協調路線を採っていき、
味方につけてしまえば仕事は格段にしやすくなる。
そこまでが勝負なのだ。
ところが僕も人間だから、どうしても相性というか
上手く協調できないことがある。
多くの場合、とにかくこちらのことを
頭から疑ってかかってくるタイプが多い。
チェックというか、粗探しが趣味のようなタイプだ。
ニシダもそんなタイプの男だった。
オーナーはずいぶんこちらを評価してくれていたのだが、
目付け役としてキャッシャーに入ってきたニシダは
何というか、現場の人間を目の敵にしていた。
全く畑違いの道を真面目に歩んできた人は
カジノ業界にいるような、水商売的人間を毛嫌いする傾向がある。
それはある意味仕方がない。
というか、業界にいる人間にも責任はかなりある。
髪型、アクセサリー、ファッション・・・
普通の会社では考えられないような外見の人間が
黒服として大威張りで働いていたりする。
金髪で、口髭を蓄え、ごつい指輪と鼻ピアスを着け、
真っ黒なシャツと原色のネクタイをした男が
店の幹部だったりするのだ。
最初はニシダもそれで目の敵にするのかと思っていたが、
少しずつ話していくうちに、どうもそうではないらしい。
カジノ業界を多少は知っているようなのだ。
ということは昔痛い目にあったのか・・・
僕は何となくそう思っていた。
それにしてもこのニシダという男はやりにくい男だった。
小姑のようにあれこれ口を挟んでくるのだ。
「仕切り方はこちらの権限でやらせてくれ、
結果が不満なら切ってくれていいから」
僕は何度もニシダにそう言って衝突した。
もともとそういう話だし、それが嫌なら
ニシダ自身が仕切ってやればいいのだ。
それでも店は動いていくものだし、
動いていけば数字にこだわらざるを得なくなる。
小うるさいことを言われても、
結果さえ残せば文句は言われない。
というか結果を残す以外に
ニシダのような男を黙らせる方法はない。
最初のうちはいきなり結果なんて出ないから、
ずいぶん嫌味を言われたりした。
オーナーサイドへの見込みとして
初期投資の回収には2ヶ月見て欲しいと言ったのだが、
「こんな調子で2ヶ月で利益出せるの?」
などとしょっちゅう言われたりした。
悔しくてもそれは仕方がないと割り切ってはいたが、
現場の黒服にもそんな嫌味を言うものだから
現場からの不満はずいぶんあったように思う。
2ヶ月でどうにか回収の目処がついた時には
正直安堵の気持ちがあった。
「いやー、どうなるかと心配してたけど
結果が出て良かったねー。」
などと嫌味ったらしくニシダに言われた時は、
流石にカチンときたけれど。
そんな男だから、何も起きないわけがない。
事件が起きたのは3ヶ月目の終わり頃のことだった。
ようやく純益の領域に入った月に起きた事件。
初期投資は回収できたわけだから、
その月から純益になるわけだが、
そんな時に限って数字が伸びない。
平均を取ればカジノの抜け率というのは
だいたい15〜20%くらいはあるものなのだが、
その月は10%ちょっとしかなくて
ニシダにはネチネチと責められた。
「ディーラーが弱いねぇ。
強いディーラーがいればもっと上がるのにねぇ」
知らん顔で受け流したが、腸は煮えくり返っていた。
間の悪いことに、その月も残りわずかという時期に店が連敗した。
それ自体は致し方の無いことだ。
勝つことばかりではもちろんない。
もちろんその月の経費分は上がっているし
特に異常な数字というわけでは無いのだから
少しでも利益が出れば、
それで良しとしてもらわなければならない。
そんな時に、オーナーから連絡があった。
出勤前でまだ寝ている時間帯だったが、
今すぐ出て来いと言う。
何事だろうと思って、指定された場所へ向かう。
そこへ着くと、オーナーとニシダがいた。
挨拶をしてもオーナーは腕組みをしながら不機嫌そうに黙っている。
するとニシダがある紙を見せながら、僕に言った。
「いやね、あまりに店が弱いから、
俺なりに数字を集計してみたんだよ。
そしたらあまりにひどい結果が出てきたから
これはオーナーに報告しないといけないと思ってさ」
そんなにひどい結果ではないはずだ。
僕は釈然としない思いで、ニシダの弁を聞く。
カジノの経営に過大な期待を持っている人は決して少なくないが、
このオーナーはそんなことはなかったはずだ。
やはり欲が出てきて不満になってしまったのだろうか。
だとしたら、その誤解は解かなければならないだろう。
特に不正が無いのであれば、
これはこれで納得してもらわなければ現場はやってられない。
僕がそう言おうとした時に、オーナーが口を開く。
「君はさ、店を始める時に俺に何て言った?
2ヶ月見てもらえれば結果は必ず出します、
数字を見てもらえれば分かると思います、
そう言ったよな?」
勝負事だから「絶対」とか「必ず」ということを
僕が言うはずは無いのだが、確かに似たようなことは口にした。
でも実際にその通りの結果は出したはずだ。
怪訝な気分でオーナーを見つめる。
オーナーはさらに話を続ける。
「君が言うように、2ヶ月で最初に投資した分は回収できた。
でも今月の数字がこれじゃ、また赤字に逆戻りじゃないか」
「え?赤字?」
僕は思わずそう聞き返した。
赤字と言うことは無いはずだ。
「そうだよ、だって抜け率がマイナスってことは
全く抜けてないっていうことだろ?
なら今月の経費は丸々赤字だってことじゃないか。
これで不正は無いからなんて言われても誰が信用するんだ?
とりあえず店に置いてある記録は全部チェックし直すから」
僕は耳を疑った。
抜け率がマイナス?
ということは客がチップを買った額よりも
換金して帰った額の方が大きいということになる。
お買い上げの総額が3億であれば3億以上アウトがあるなんて
幾らなんでもあり得ない。
それにオーナーの口調から考えると、
僕は「ヨコ」を疑われているのだ。
体が熱くなり、拳がいつの間にか固く握り締められる。
僕は流石に黙っていられなくなった。
「抜け率がマイナスっていうことは無いはずですが。
僕の計算では10%くらいは抜けているはずです」
するとニシダが口を挟む。
いかにもオーナーの忠臣といった顔つきだ。
「いいや、俺は毎日数字を拾ってパソコンで管理してるんだ。
今月の抜け率は明らかにマイナスだ。
ほら、見てごらんよ。動かぬ証拠がここにあるから」
そう言ってニシダが差し出した紙を見る。
エクセルで集計されたと思しき表がプリントアウトされている。
その日その日のイン、アウト、サービス、台毎のトータルに加えて
右端に、パーセンテージが記されている。
一番下段にある数字は確かに赤く、マイナス数%になっている。
そんなはずは、そう思ってその日ごとの数字を眺める。
僕も同じ作業を毎日やっているから、
大体の数字は頭に入っている。
イン、アウト、トータル・・・
僕の記憶と明らかにずれている数字はなさそうだ。
ならば何故抜け率がマイナスになるのだろうか。
僕はインのトータルとアウトのトータルの数字を拾い、
電卓で抜け率をその場で計算した。
・・・10・3%。
僕が思い描いていた数字と大体同じになった。
「あの、これ数字がおかしいです。
今計算してもこの数字にはなりません」
その言葉を聞いて、オーナーの表情が少し変わる。
「どういうこと?ニシダの計算がおかしいってこと?」
ニシダの顔が紅潮する。
「そんなはず無いよ。エクセルで計算してるんだから。
コンピューターが間違うわけ無いじゃないか」
ニシダの主張には耳を貸さずに、僕はオーナーに言う。
「いいですか?インのトータルが○○、
アウトのトータルが△△ですよ?
この時点で明らかにインの方が多いですよね?
そしたら抜け率がマイナスってことには絶対になりませんよ」
オーナーはしばらく表を見ていたが、すぐに理解した。
ニシダも横から見ていたが、自分のミスにようやく気づいたようだ。
「あれ?本当だ。おかしいな。
じゃなんでマイナスになったんだ?」
僕はしばらく表をチェックしていて、ようやく気づいた。
その日その日で、抜け率を右端に集計してあるのだが、
その数字は日によって黒字の時もあるし赤字の時もある。
これ自体は当然のことだ。
店が負けることだってもちろんある。
ところが一番下の集計は、横の計算ではなくて
縦の平均の数字なのだ。
つまり30%と10%と5%をそのまま足して
3で割っているようなものなのだ。
分母が等しければそれでも正しい数字は出るが、
インの数字はその日によって当然違う。
パーセンテージをそのまま平均するということは
1/2と3/4と3/5を足して7/11として、3で割るようなものだ。
正しい数字になるわけが無い。
さらに、店がマイナスした日と言うのは追加のインが伸びないから
必然的に抜け率のマイナスも大きくなる。
100万のインで、アウトが200万だったら
単純なマイナスは100万だが、
抜け率にするとマイナス100%になるのだ。
普段の抜け率が10%そこそこだとすると、
こんなマイナスの抜け率をそのまま平均を取られたら
マイナスの抜け率にならない方がおかしい。
僕の説明を聞き終わると、オーナーはニシダを怒鳴りつけた。
「馬鹿野郎、いい加減な仕事しやがって」
そして僕に向かって照れ臭そうに謝罪の言葉を口にする。
「悪かったな、いきなり呼び出して。
俺もちゃんと見れば良かったんだけど、
赤い数字見たら頭に来ちまってさ」
オーナーに怒鳴られて縮こまっていたニシダも頭を下げる。
先ほどとは打って変わって僕に媚びるようなその態度からは、
僕への謝罪の気持ちよりはオーナーへの恐怖を感じさせる。
ここで僕は逡巡する。
声を荒げてニシダの責任を追及し、外してくれと言ってみようか。
この鬱陶しい小姑のような男を外すには、
今が最大にして唯一のチャンスかもしれないのだ。
けれど僕はその考えをしまい込み、別の作戦を取ることにする。
「いえいえ、とんでもないです。
今月は少しもたついたもので、オーナーやニシダさんにも
ご心配かけて申し訳ないです。
今月の残りはもちろん、来月は頑張りますので、
ニシダさん、今後もいろいろアドバイスをお願いいたします」
こう言えばニシダの顔も立って、
少しは目の敵にされないようになるだろうとか
こっちの味方にしてしまおうとかいう打算が
僕の心に無かったわけではない。
けれど、何よりも僕が思っていたのは、
ニシダのような男と同じレベルに降りたくないということだった。
安心したように別の話をし出すニシダを見ながら感じた感覚は、
ただの自己満足ではないと、
実のところ、僕は、今でも信じているのだ。