第7話〜ユウキ
アンダーグラウンドの世界に入って、十数年その世界にいた。
言うまでも無く、働いたのは歌舞伎町だけではない。
もちろん一番長く働いたのは歌舞伎町だけれど
都内繁華街であれば赤坂、六本木、渋谷、池袋、上野、錦糸町・・・
ほとんどの街に働きに行ったかもしれない。
そしてそれぞれの街で、僕は何とか生き残ろうとしてきたのだ。
あれは・・・渋谷の店で店長をやった時のことだった。
都内であればどこでも似たような客層だと
あるいは読者諸氏は思っているかもしれない。
昔と違って下町も山の手も、
文化的な差は無いように思えるだろうし。
けれど、歴然と違いは存在する。
渋谷であれば、やはり客層は全体的に若い。
客単価も六本木や歌舞伎町に比べれば小さい。
薄利多売に近い経営スタイルになるので、
イベントやサービスの設定も、それに合わせて
変えていかないと生き残れない。
最初のうち、そのアジャストに苦労した。
辛抱を重ねて、試行錯誤を繰り返して、
ようやく利益を出せるようになった頃、
その客が来店した。
一見して20代のその客は、
かなりごつい身体をしていて、
格闘家のような雰囲気を醸し出していた。
正面からの顔は見えなかったが、
サングラスをかけていたから
どの道その時には判別できなかっただろう。
組関係者ではないかと警戒した黒服が、
会員規約書に、同意の署名を丁重に求める。
彼は「ユウキタクヤ」と記入した。
ベテランディーラーが僕に耳打ちする。
「あれ、結構使いますけど、盆面は悪いですよ。」
ベテランディーラーにもなると、
ある程度客の顔も覚えていて、
こちらが知らない客でも知っていたりすることがある。
「不良じゃないの?」
僕が尋ねると
「違うと思いますけど、親が不良だって聞きました。」
その答えを聞いて、一瞬迷う。
できれば不良絡みは受けたくは無い。
けれどそのディーラーの言葉を聞いて
受けることを決心した。
「盆面は悪いですけど、不良は出てこないですよ。」
そしてユウキはゲームに参加しだした。
確かに相当金は使う。
ベットの平均を取れば10点くらいだったが、
見に回るゲームを除けば、20点くらいはあるだろう。
ただ、盆面は相当悪い。
他にそこそこ張る客がいる時はおとなしいのだが、
いなくなると我が物顔で、周囲を威圧したり
ディーラーに悪態をついたりする。
図体が大きい分、その迫力は相当なものだった。
初回の来店時は結局30万くらいの負けだったが、
「もうこねぇよ」
と吐き捨てて、店を出て行った。
まぁ来なければ来ないで仕方が無い。
そこまでして繋ぎ止めたい客ではなかった。
ところがその後も
ユウキはちょくちょく来店するようになったのだ。
週に1〜2回来店するようになったユウキは、
勝ったり負けたりを繰り返しながら、
そこそこの額を使っていくようになった。
ただし、悪態を付くのは変わらなかったし、
一度大負けして、トイレのドアを思い切り蹴飛ばして
大きな穴を開けてしまった。
仕方が無いので、ドアに薄い金属製の板を張り付けて
補強する工事を頼まなければいけなかった。
彼が落とす金額を考えれば、
それほど大きな出費ではなかったが。
ある日、店のディーラーが足りない日があった。
もともとギリギリの人数で回していたのだが、
病欠が出てしまったのだ。
接客業の管理業務をされている方であれば
誰しもが経験することだと思うが
欠員が出た、そんな時に限って忙しい。
折悪しく、ユウキも来店していた。
仕方が無いので、僕もディーラーとして
テーブルに入る準備だけしていた。
誰をディーラーとしてテーブルにつけるかは
黒服の中で担当を決めておくのだが、
その日の担当に
「俺も使っていいから」
と言っておいたのだ。
この場合、店長だとかいった役職は無関係である。
テーブルを滞りなく回して
結果を出すことが全てなのだ。
するとしばらくしてディーラーに入れと言う。
ユウキが遊んでいるテーブルが少し大きくマイナスして、
ディーラーを代えたいと言うのだ。
もちろん否やは無い。
テーブルに着き、挨拶をして座る。
ユウキがチップを300点くらい積み上げている。
ディーラーが代わったところで、
何かが変わるという保証などないのだが、
客が勝手に意識してくれる場合もあるのだ。
その時のユウキも、そうだった。
どこかでリズムを狂わせてしまった彼は、
あれほどあったチップを
全て溶かしてしまっただけでなく、
さらに買い足す羽目にまでなっていた。
もちろん悪態はつきっ放しだ。
チップを買い足す度に、僕に向かって
「なぁ、お前、嬉しいやろ。
なぁ、嬉しいって言ってみいや」
などとしきりに挑発する。
その悪態を殊勝な顔だけして聞き流しながら、
僕はユウキの顔に見覚えがあることに気づいた。
どこで見ただろうか、必死で記憶を辿る。
テーブルから出た後も、
結城が悪態を付きながら帰った後も、
僕はずっと考えていた。
記憶が蘇ったのは、朝になって新聞が届く頃だった。
新聞を見ながら、ある記事に目が留まる。
僕の大学のラグビー部の記事だった。
ラグビーと言う競技が好きだった僕は、
毎年母校の戦いぶりに注目していた。
その年の戦いを報じる記事を見て、
僕の記憶は、不意に蘇ったのだ。
あいつ、うちのラグビー部だったヤツじゃないか。
数年前、僕の母校で
素質あふれる選手として、ずいぶん騒がれた選手に
結城は良く似ていたのだ。
名前は・・・ヤマオカ、そうヤマオカユウキだったはずだ。
そこで僕は確信を持った。
あの体格、ユウキという名前、年のころ・・・
間違いないはずだ。
そして僕の記憶はさらに蘇る。
ヤマオカの選手時代、確か彼はキャプテンだったはずだ。
ところがレイプ騒動を起こし、
キャプテンを交代させられるという
前代未聞のスキャンダルを起こしていたのだ。
あの盆面を思い起こすと、
その報道は真実だったかもしれない。
そしてヤマオカは、どこかのテレビ局に入社したはずだ。
テレビ局の待遇であれば、
独身ならあれくらいは遊べるだろう。
けれど僕はそれを誰にも言わなかった。
言ったところで、何のメリットも無い。
有名人を入れるというのは、噂になったりで
それだけで目立つと言うリスクがあるのだ。
そして次回にユウキが来店し、帰る時に
僕は店の外で彼に言った。
「ユウキさん、うちは今後はちょっと受けられないですよ」
結城は血相を変えた。
「何でやねん。おまえふざけとんのか」
もちろん納得するとは思っていなかったが、
通行人に聞こえないように小声で言う。
「ヤマオカさんですよね。W大のラグビー部だった。
うちはひっそり商売したいんで、
有名人はできれば遠慮してほしいんですよ」
赤くなったユウキが今度は黙りこくった。
「お前、根も葉もないこと言いふらすなや」
彼はそう言い捨てて、それ以降顔を見せる事は無くなった。
ところが1年ほど経過した頃、
あるニュースが報道された。
”元W大ラグビー部主将のテレビ局社員、
バカラ賭博で逮捕、一ヶ月の休職処分後、依願退職へ”
数ヶ月前に摘発されたあるカジノで
ユウキは客として遊んでいて、そのまま摘発されたのだ。
大学の先輩のコネで入社して、好き放題やっていたユウキを
今度は庇う者もなく、退職に追い込まれたのだろう。
今、彼はどこで何をしているのだろうか。
もちろん僕にはそれを知る由もない。
ラグビーよりも、仕事よりも
彼を引き付けたバカラというギャンブル。
彼の運命は、どこで縺れて、
わずか数枚のカードに託されたのだろうか。