第5話〜ヤスオ
カジノでディーラーとして働いていく場合、
仕事に関するステップというのは
大きく分けて2種類しかない。
そのままディーラーとして働いていくか、
黒服→責任者→店長という管理側に回っていくかだ。
海外においてもおそらくそれは同じだろう。
ピットクルー、ピットボス、フロアマネージャーと呼び方が違うだけだ。
もちろん日本のケチなアングラカジノと
海外のホテルに併設されるようなカジノでは
規模についてはまるで異なるが。
二十歳を少しばかり過ぎてディーラーになった僕は
二十代の半ばになった頃、ディーラーのチーフになり
やがて黒服になって、すぐに責任者になった。
年齢的にはかなり若い部類だったと思うけれど
まだバブル経済の余熱が残っていた時代で
カジノのほとんどが開ければ儲かっていたから
まぁ誰でも良かったような側面はある。
当然業務内容は体の良い何でも屋のようなもので
接客やディーラーの管理だけでなく
新人の教育などもやらされていた。
「自分が楽をしたかったら後輩育てろ」
そんなことをオーナーには言われたこともあって
僕はディーラーの教育に関しては
相当熱心かつ厳しかったように思う。
当時のディーラーには歩合給のようなものがあって
個人成績の1%ほどがボーナスでもらえる時代だった。
好成績を上げれば20万近くもらえることもあったし、
あくまでも個人の成績だけが基準だったから
どのディーラーをテーブルにつけるか、という部分においても
それなりに神経を使う必要があった。
ディーラーの成績には好不調の波があるし
多少ではあるけれど技術的な部分も反映される。
店の数字を考えたら大きく張る客を相手にする時は
腕が確かで好調な者を使いたくなる。
極端なことを言えば、自分を使いたいくらいなのだが
「全然テーブルに入れてもらえない」
「良客の時に入れてほしい」
といった不満が出ないようにしないといけないし
当然店全体として結果も残さないといけない。
そんなジレンマを常に抱えながら仕事をしていた。
この手の問題には明確な基準を作れればいいのだが
なかなかそういうわけにもいかない。
中には客やサブディーラーとの相性まで気にする者もいるのだ。
さすがにそれは認めなかったが。
ただ、少し自分が損な役回りを引き受けるくらいでないと
下の人間はついてこない、ということは実感として理解できた。
技術的にも実績の面でも自分の方が上だからと言って
自分ばかり大きく張る客の相手をするわけにはいかない。
少し成績の振るわない者にもチャンスを与えなければならないのだが
自信を失いかけているケースもある。
そんな時は、控え室でそっとささやく。
「マイナス食ったらケツ持ってやるから気合入れて行ってこいよ」
要はマイナスしたら僕の成績に付けておいてやるからということだ。
プラスの場合は本人の成績になる。
マイナスしたらどうしようというプレッシャーを
これによって軽減させてやろうというつもりだ。
もともとハウス側に分のある勝負だから
普通にやればプラスにはなるのだけれど
結果的に裏目に出て、自分の成績が悪くなることはもちろんあった。
それを覚悟しないと駄目なんだろうなというのが僕の実感だったのだ。
そんな切り盛りをしながら
開店前に出てきて新人の育成もやっていた。
ルールやディールの仕方を仕込んで
どうにか客の前に出られる水準まで持っていく。
デビューの時はほぼ100%の割合で失敗するし
成績もろくなことにならない。
僕は、研修生が一人前になるまでの
およそ一ヶ月ほどの成績も、自分につけていた。
成績のことまで研修生が考えていたら
まともなディールなどできるはずが無いからだ。
僕は個人成績だけでなく、
店全体の収益からの配当もいくらかはもらっていたのだが、
実のところ、マイナスなんか被らずに
自分のディーラーとしての成績だけで歩合をもらっていた方が多かったので
どこか損をしている気分にはいつもなっていた。
(それが損ではなくて「評判を買っていた」ことに気づいたのは
もっと後のことだった)
そして、僕が教えた研修生の中に
ヤスオがいた。
ヤスオは店の名義人の弟分のような存在で
何でもさせるから使ってくれということで店に雇われていた。
高校を入学後わずか一ヶ月で退学してしまったらしく
どこに行っても何をしても続かない性格だったらしい。
ただ、愛嬌があって気の利く男だったから
名義人だけではなく、みんなに可愛がられていた。
ヤスオは入って数ヶ月の間は
キッチンとシキテンのような使われ方をしていたのだが
カジノの水は思いのほか合ったようで
真面目に出勤し、こまごまと働いていた。
「俺なんかがこれだけ稼ごうと思ったら
選り好みなんてしてられないっす」
寒空の下で震えながらシキテンに出るヤスオをねぎらうと
ヤスオはそういって前歯の欠けた口を開けて笑った。
確かにそれはそうだった。
中卒で二十歳そこそこの小僧が
月に50万以上稼ごうと思ったら
まともな仕事なんか絶対に無い。
そういう意味ではヤスオも大人になっていたのだろう。
そのうち、店に研修生として新人を入れる事になった時、
僕が何気なく
「ヤスオ、お前もディーラーやってみるか?」
と言ったら飛びついてきたのだ。
「俺もやってみたいっす」
以前から興味があったのか、
目を輝かせて答えたヤスオを含めて僕は研修を始めたが、
九九もろくにできないヤスオが思わぬ掘り出し物であることに
数日後には気づいた。
ディーラーになるためにまず覚えなくてはならないのは
ゲームのルールとチップやカードの扱いだ。
メンタルや経験が必要になってくるのはその先の話なのだ。
ヤスオは兄貴分に連れられて他のカジノに遊びに行っていたらしく
ルールに関しては大筋で理解していたのだが
手先も並外れて器用だった。
チップを拾い集めるスピード、
それを4枚や5枚ずつにカットする技術、
左右の手で20枚ごとに分割する正確さ、
どれをとっても群を抜いて早く身につけた。
唯一コミッションの計算だけは理解が遅かったが
(ヤスオは「%」という概念を知らなかったのだ)
$10から$1000までのコミッションを
計算ではなく丸暗記して付けるという荒業で乗り切った。
だから、デビューも研修生の中で一番初めだった。
まだ早いかなという思いもあったのだが、ヤスオ本人が
「大丈夫ですから入れてください、お願いします」
としがみ付かんばかりに言うので
ある日、まだ場面が盛り上がっていない時間帯を狙って入れてみたのだ。
予想通りではあったが、ちょっとしたミスからパニックを起こし
大きなミスをやらかして途中で交代させる羽目になった。
店もそのシュートでは大幅なマイナスを食らった。
ヤスオはしょげ返っていたけれど
僕にとっては覚悟の上のことだったので
「みんな通る道だから」
と言って済ませた。
ヤスオもすぐに立ち直り、
翌日以降、場慣れするにつれて目覚しい成長を遂げていき、
半年もする頃には欠かせない戦力になっていた。
言うまでも無いことだが、
こういったアングラの世界においては
人の移り変わりは、早く激しい。
ちょっとした待遇の違いや人間関係のもつれ、
あるいは摘発の噂だけでも
従業員は簡単に店を辞め、他へ流れていく。
誰だって金は欲しいし
誰だって捕まりたくはない。
忠誠心など求めても無駄だし
信頼がそこにあったとしても、前提とはできない世界だ。
お互いにそれを承知の上での関係だと言っても良いだろう。
そんな世界において、ヤスオのように
兄貴分にくっついている人間というのは貴重な存在だ。
少なくとも裏切ったりする可能性はかなり低い。
それに、腹も据わっているし根性もある。
アングラの世界で生きていくのに一番必要なのは
要領の良さでも、能書きを並べることでもなく、覚悟を持つことだ。
ヤカラ同然の客を相手にして
まったく怯まずに自分の仕事をこなすことを、
あるいは突然大勢の捜査員に突入されることを覚悟しておくことを、
ディーラーや黒服に求めるのは
実のところなかなか難しいのだけれど
ヤスオに関しては何の心配も無かった。
「昔の社長(兄貴分のことだ)の方がよっぽど怖かったっすよ」
金回りが良くなったのか、いつの間にか差し歯を入れたヤスオは
そんなことを小声で言って笑った。
そしてしばらく後、月初めの幹部ミーティングの席上で
「ヤスオにいろいろ教えてやってくれ」
名義人からそんなことを頼まれた時に僕は
「だったらいっそ黒服にしたらどうですか?」
と言ってみた。
黒服の仕事を教えておいた方が
本人にとってもプラスだろうという気持ちがあったし
僕自身が楽になるという思いもあったのだ。
果たしてその意見は採用され
僕は今度は黒服の仕事を一から仕込むことになった。
黒服の仕事のうち、フロアの仕事を教えるのは簡単なことだ。
ディーラーであれば毎日見ているわけだからある程度の知識はある。
ヤスオもルーティンワークは全く問題は無かった。
問題になるのは個々の客との距離の取り方だ。
客商売であればだいたいそうだけれど
客には気難しい者もいれば気さくな者もいる。
生理的な好悪の感情ももちろんそこには存在する。
さらに、カジノに来る客には
勝ち負けという要因も絡んでくる。
普段気さくな客でも、負ければ不機嫌になることだってある。
その辺の空気を読み取れずに同じ接客だけしていては
有能な黒服とは言えない。
キャラクターの違いも要因の一つだ。
僕とヤスオではキャラクターも違えば立場も違う。
当然同じ言葉を使っても与える印象は異なってくる。
それはマニュアル化できない部分だし
ヤスオ自身が掴んでいかなければならないことだった。
僕がそのためにできるのは
一つの例を示すことだけなのだ。
最初のうちは見よう見真似で
言われたことだけこなすのに精一杯だったヤスオも
だんだんと自分のスタイルのようなものを見つけたようだった。
もともと愛嬌のある男だったし、
客に馬鹿にされたり顎で使われることを苦にもしていなかった。
「客の顔を見たら札だと思うようにしてるんすよ。
あ、諭吉がなんか言ってるよ、みたいな」
ヤスオは半ば本気のような顔でそう言っていた。
もちろん僕にも多かれ少なかれそういう面はあるけれど
ヤスオの割り切り方は徹底していた。
ガジリへの応対など、僕が感心するくらいだった。
もちろん失敗も数多くしてくれた。
どこで聞いてきたのか、客がチップを買う時に
「はいっ、喜んで!」
などと返して
「てめぇ、居酒屋じゃねぇんだぞ!」
と怒鳴られた挙句、僕まで土下座させられたこともあった。
(言うまでも無く、客がチップを買うというのは
負けているからチップを買うのであり、
店側は表立って喜んではならない)
僕は土下座しながら笑いをかみ殺すのに必死だったけれど。
そして1年ほど過ぎただろうか、
ヤスオがほぼ仕事を身につけたと思った頃、
僕はヤスオにもう一つだけ、大事な事を教えておくことにした。
カジノの運営において
ある一定以上の立場にある者が
必ず意識しておかなければならないこと。
それは不正行為、イカサマだ。
もちろん店が客を殺すために仕組むイカサマもあるが
そのために教えるのではない。
客が、あるいは従業員の中の不心得者が
店から金を抜くために仕掛けるイカサマを防ぐために教えるのだ。
店側であろうが客側であろうが
イカサマの手口としては共通している部分がかなりある。
それを防止するためにチェックすべき点を
僕は自分の知る限りヤスオに教えた。
「おかしいな、と思ったら客の視線の先を見ろ」
「一箇所から見るな、立ち位置はまめに変えろ」
場合によっては目の前でやって見せてやったりもした。
ちゃんとシャッフルしているように見せかけて
カードを組み上げるやり方を
ヤスオは目を丸くしながら見ていた。
「やるために教えるんじゃないからな。
やられないために教えるんだからな」
ヤスオは頷いていたけれど
店が暇な時間にその手口を練習している姿を見て
僕は少しだけ不安になった。
覚えたら使いたくなるのが人情だからだ。
とはいえ、店でヤスオがそれを披露する機会は絶対に無かったし
この世界で生きていったなら
僕が教えなくても、いつかヤスオはそれを知っただろう。
何より、それを教えておかないわけにはいかないのだ。
やがてヤスオはその練習を止めたが、
それがその技術を身につけたからなのかは
僕は確認しなかった。
尋ねたところで意味は無いし
言わなければならないことは言ってある。
数ヵ月後、二号店を出す話が持ち上がり
僕はそちらに動くことになった。
ヤスオは一号店の名義人の弟分だから、そのままだ。
そして新しい店の切り盛りに忙殺され、
僕はかすかに感じた不安を忘れていった。
しばらくして、一号店の名義人とオーナーが揉めて
名義人は名義を外れいなくなったという話を聞いた。
ということはヤスオもいなくなったということだ。
ヤスオのことを少しだけ惜しむ気持ちもあったけれど
自分の店だけで手一杯だったし
上同士の揉め事に首を突っ込むほど物好きでもなかったから
僕はその話を自分の中だけで完結させた。
数年後。
僕のいた店に面接にやってきたディーラーがいた。
通常、この業界で面接に持ってくる履歴書に書いてあるのは
連絡先とかつて在籍した店だけだ。
学歴も職歴も、賞罰も一切記載されない。
こちらも尋ねない。
唯一、執行猶予中ではないかどうかだけは確認するが
他の事は尋ねても意味が無いのだ。
そのディーラーの履歴書には
かつて僕とヤスオが一緒に働いた店の名前が記されていた。
僕は見覚えが無かったから、おそらく僕がいなくなった後だろう。
「ヤスオんとこのディーラーか」
つぶやくように僕が言うと
そのディーラーが僕に尋ねてきた。
「ヤスオさん知り合いなんですか?」
「知り合いっていうか・・一緒に働いてたよ。
弟子って言ったら大袈裟だけど。
あいつと連絡取ってるの?」
少し懐かしく思って僕がそう言うと、そのディーラーは
とんでもないという表情で首を横に振った。
「いや、ヤスオさんはもうタテの人ですよ。
僕なんかじゃついていけないです」
その言葉を聞いて、僕は衝撃を受けた。
タテの人、ということは
店がイカサマを仕掛けて客を殺すということだ。
一号店でそういうことをすることは考えられなかったから
おそらくヤスオは一号店を辞めた後に
イカサマを武器にする店に行ったということだ。
短期間で荒稼ぎして、しばらくほとぼりを冷まし
別の街で同じように食い荒らす。
ヤスオはそういう道を選んだのだ。
その時点で、僕はヤスオを懐かしむ気持ちは消えた。
ただ、二度と交わることが無くなったことを
自分に言い聞かせるだけだった。
従業員同士が組んで不正をしようとする時に
一番利用するのが昔の知り合い関係だ。
中国の故事を持ち出すまでも無く、
そんな連中と不用意に関わるのは
自分の首を絞めるようなものなのだ。
「まるでスターウォーズみたいなもんだな。
ダークサイドに堕ちちゃったんだ」
僕は冗談半分にそのディーラーに言ったけれど
現実は映画とは違った。
実はヤスオは数年後、とある北の街で
一酸化炭素中毒によって変死を遂げる。
報道では、部屋で使っていた石油ストーブの燃焼不良だとされていた。
イカサマがばれれば殺されかねない世界だから
そういう死に方よりはましだったのかもしれない。
問題は、それが判明した時期だった。
ヤスオは死亡してから2ヶ月以上過ぎてから
近隣の住民によって発見されたのだ。
部屋の外にまで異臭が漏れて、発覚したらしい。
寒い季節だったことが発見を遅らせたとも言える。
けれど・・。
その間、誰一人として
ヤスオに連絡する者はいなかったのだろうか。
映画の中のダークサイダーにさえ
仲間がいると言うのに。
僕は冷たい人間だから
イカサマ師が死のうが生きようが
何の感慨も抱かない。
博打で破滅した人間が首をくくっても
自責の念に駆られたりもしない。
そんなセンチメンタリズムを持っていて
長い間生き抜けるような世界ではない。
けれど、ヤスオが死んだ事実ではなく
死んだことが気づかれなかった事実には
なぜか、酷く感傷的になった。