第3話〜ハラダ
ハラダとの出会いは、ある意味では
カジノが非合法であることがきっかけだったのかもしれない。
ハラダは、僕が仕切り役として働いていた店のオーナーだった。
金の為にやるアングラ商売とは言え、
欲の皮ばかり突っ張っていて、
従業員など使い捨ての部品のように扱う人間も数多い
(逆にオーナーなど金蔓にしか考えておらず、平気で裏切る人間も数多い)中で
信頼を置ける数少ない人物だったと思う。
実は、出会った当時、ハラダは店に居つく金貸しだった。
と言っても、長年それで食ってきたわけでもなく
ちょっとしたことで転がり込んだ金を上手く回そうとして
その時僕が働いていた店のオーナーと同郷だった縁もあって
言葉巧みに勧められるまま金貸しに手を出し
専属の金貸しとして、店にもいつも来ていたのだ。
客としては時間潰しの為に小さな張りで遊ぶ程度で
店のソファで新聞を読んでいる姿の方が印象に残っていた。
トイチ(10日で1割の利息だ)でやっている、とのことだったが
厳しい追い込みが出来るようなタイプには見えず
博打場で金に詰まった人間に金を貸しては
そのまま逃げられてしまうことも多かったようだ。
博打場で凌ぐ金貸しにとって絶対に必要なのは
「ババを掴まない」
ということだ。
大体において、博打場で高利の金を借りてまで打とうという人間は
その段階で、まともな人間ではない。
簡単に処分できる財産など間違いなく無いし、
そもそもが普通の金利では借りられないから
高利貸しに手を出すのだ。
もちろん貸す方もそれは分かっていて貸す。
だからこそ3ヶ月で元本が2倍になるような金利を取るのだ。
その代わり、その人間が
他から借りてでも、他の借金を踏み倒しても
自分にだけは返す、
ように仕向けなくてはならない。
担保など取れることは少ないから
恐怖や面倒を避けたい意識を、担保として利用する。
つまり、踏み倒したら怖いな、と思わせなくてはならないのだ。
だから、高利貸しはわざと強面の格好をするし、
周りにそう見えるように振舞う。
わざと自分の部下を大声で怒鳴り倒して(手を出すこともある)
「借金を踏み倒して、あるいは支払いが遅れて
こいつが職場に乗り込んできたらイヤだな・・」
などと思わせようとさえするのだ。
そういう意味ではハラダは金貸しが務まるようなタイプではなかった。
ちょっと訛りがある喋り方、小柄な体格、偉ぶらない物腰・・
むしろ一番先に踏み倒されそうなタイプとすら言えたかもしれない。
案の定、と言うべきか、ハラダはやがて金貸しに見切りをつけ、
僕がいた店のオーナーに再び勧められるまま
(この辺りもお人好しの片鱗が見える)
カジノの経営に手を出そうとしていた。
ある日、オーナーが僕に
誰か仕切りを任せることのできるヤツはいないか
と言ってきて、ハラダがカジノ経営に手を出すことが分かったのだけれど
僕はしばらく探すふりだけして断った。
オーナーの知人の店の仕切り役、ということであれば
迂闊な人選をするわけにはいかなかったからだ。
ところが僕が働いていた店は、ある日パクられてしまう。
(悪運が強いことに、僕は非番だった)
結果的に店自体が無くなってしまったのだが
すぐにオーナーが電話をしてきた。
「おお、お前か?今すぐ新宿に出てこれるか?」
自分で電話してきておいて「お前か?」もないものだが、
店自体が無くなってしまったのだから、
捕まってしまった仲間に
差し入れや弁護士の手配をつけてしまえばこっちは暇だ。
「儲かったもんだから、また別で開けるつもりかな・・・」
などと思いながら、僕は待ち合わせの飲食店に出かけた。
到着して席に案内されると、そこにいたのはオーナーとハラダだった。
その時点で、僕は薄々用件に気付いていたのだけれど
そ知らぬ顔で食事に加わり、話が切り出されるのを待った。
そして程なく、その話題が出た。
「俺んとこは捕まっちまったから、
俺はしばらくはカジノやらないんだ。
お前、ハラダさんのところ手伝ってやれ」
という話だった。
もちろんそれ自体は悪い話ではないのだが、
僕はオーナーの持ち物ではないから、
一応は経営方針や待遇の話を聞いてからでないと返事はできない。
当然ハラダからの条件提示を聞いたのだが、
それほど悪い条件では無かった。
ハラダの部下として使い走りのようなことをやっていた男が
名義人兼キャッシャーとして店に入るということだった。
それも特に珍しい話ではない。
人集め、店の場所、テーブルレートの設定、備品の準備等々
カジノの立ち上げを全て終えて開店した。
こちらも長年この業界にいて、何軒もの経験があるから
特に不慣れなことは何も無い。
呼べる客は呼んで、営業にも回って、
徐々に軌道に乗り出した矢先、
事件は起こった。
ハラダがオーナーとなり、僕が仕切っていたアングラカジノ。
徐々に数字が上向きだし、
そろそろ単月度の黒字は計上できそうなった頃、その事件は起きた。
なんと名義人が別件で捕まってしまったのだ。
薬物を大量に所持していたという話で
この店にも家宅捜索が入るという情報が来てしまい、
閉店を余儀なくされてしまったのだ。
こうなると初期投資は丸々赤字である。
従業員を集めて閉店することを伝える時の無念さは
僕は今でも覚えている。
それは、カジノが閉店する理由としては
あまりにも情けないケースであった。
一通りの事情を僕が説明した後、ハラダが自ら言った。
「今回はこんなことになっちまったけれど、俺はまたやるから。
その時に声はかけるから、また力を貸してくれ」
僕はこういう人間は嫌いではない。
やっていることの善悪は別として、
泣き言ひとつ言わずに再起を誓う姿勢は、
正直心打たれるものがある。
「その時が来たら声かけてください」
そう言って、いくつか来た責任者クラスの仕事の話を断って、
僕は、少し離れた街で、一介の黒服として働いた。
とは言え、その店でも特に手を抜いていたわけではなかったから
数ヶ月もいれば、それなりのポストの話を持ち出される。
これ以上断るのも気まずいという状況になった数ヵ月後、
いよいよ再出店の話がきた。
もう一度、立ち上げからやり直しである。
前回のメンバーは半数ぐらいが集まりまったが、
一度閉店を余儀なくされた店に客を集めるのは
決して簡単なことではなく、経営的に厳しいスタートになった。
普通の商売とは違い、宣伝を表立っては行えないから
どうしても口コミや付き合いを中心としたやり方になる。
そして、売りは客の射幸心を煽るようなイベントになる。
一歩間違えれば、ガジリと呼ばれる
サービスだけを目的とした連中が押し寄せて
店の収益など無くなってしまうが
かと言って、サービスやイベントをやらないわけにも行かない。
我慢と試行錯誤の連続だったと言ってもいい。
けれど、ハラダは近くまで来たときに
僕とはお茶を飲みながら話す程度で、
「店のことはお前が好きなようにやればいい。
俺はお前に任せてるから、お前が失敗したら、
そりゃ俺の目利きが悪いんだ」
と言って一切口を挟まなかった。
僕自身の意地として、
こういう人を失敗させるわけにはいかない。
必死で動いて、ようやく前回に出店した分も含めて、
初期投資を完全に回収するところまで漕ぎ着けた。
四ヶ月くらいかかっただろうか。
ハラダの所に、月報を持っていき
純益(300万くらいだった。言うまでもなく
アングラカジノの収益としては小さい)
の報告をすると、 ハラダはしみじみと
「いや、お前に任せて良かった。ありがとう」
そう言って、純益の半分を僕に渡して、
「約束よりか多いけど、苦労かけた分取っといてくれ。
俺の気持ちだから」
とまで言ってくれた。
確かに二店舗分の初期投資を回収するのだから、
新店に加わった黒服の中には不満を漏らす者もいた。
彼らにとっては、それは無関係の話であり
新店の投資分を回収したら配当を出すべきだという者もいた。
それは確かにその通りで、僕はそれを抑えていたのだけれど
オーナーがケチだという不満につながりかねなかったのだ。
だから、それはありがたく受け取って、下の黒服たちと分けた。
金が目当ての世界ではあるが、
それが全てではないということを
態度で示してくれるオーナーはそうそう多くはない。
僕も幾許かの達成感はあった。
このままいけば、心からそう願っていたのだ。
ところが「好事魔多し」とは良く言ったもので、
再び事件は起こった。
ハラダは早くに奥さんを亡くしヤモメ暮らしが長かったのだが、
店が軌道に乗るにつれて、
周囲に女性の影がちらつくようになってきた。
もちろんオーナーの色恋などに
一従業員が口を挟むようなことはできないし、
本人が好きなようにすればいいことでもある。
少なくとも博打に嵌るよりは全然いい。
一度僕が他の客との待ち合わせで近所の喫茶店にいた時、
そこにハラダが入ってきたことがあった。
韓国女性(歌舞伎町のカジノで何度か見た客だった)と一緒で、
親しげに席で話す二人を見て
「あの人が彼女だったのか・・・」
と、僕はすぐに察した。
そのうちにハラダは歌舞伎町の近くに部屋を借りて
その女性と暮らすようになった。
その女性が他の韓国人の客を連れてきたりしてくれたこともあって、
店は5ヶ月目も順調に利益を出していた。
けれど、一度だけハラダに現場の意見として頼んだことがある。
「店の数字や内部事情は彼女であっても漏らさないでほしい」
ということだった。
寝物語に話してしまうのだろうが、いくら口止めしていても
彼女の方は自国の友人に店の状況などを言ってしまうものだ。
「儲かってるんだからお店にも顔を出してよ!」
などと詰め寄られると、
こちらの顧客管理に支障をきたしてしまう。
「悪かった。気をつけるから」
とハラダはすぐに了承してくれた。
そしてそのまま店は順調に営業を続け
一ヶ月辺り数千万の純益を出すようになった頃、
警察関係の情報を貰っていた筋から、ある指示が出た。
それは
「そろそろ危ないからハコは替えておけ」
というもので、1週間ほど店を閉めてハコ替えすることが決まった頃、
またしても事件が起きたのだ。
ちょうど、新しいハコに移る準備をしていた日だった。
その日、名義人から、
「ちょっと来てくれ」
と電話があった。
今回の名義人はハラダの古い部下で、
店の事情などももちろん知っていた。
待ち合わせ場所に行くと・・・
名義人は重苦しそうな表情で、僕にこう言った。
「ハラダさんの彼女は知ってるだろ?
あの女がハラダさんが2時間ばかり留守の間に
現金も通帳も全部持って逃げちまったんだ。
ハコを借りる金も、胴金も無い。もう終わりだよ」
僕は一瞬事情が飲み込めなかった。
金を全部持って逃げた?
僕は名義人が勘違いをしているのではないかとすら思い、
かなり詰問口調で食って掛かったような記憶がある。
詳しく事情を訊いていくと・・・
なんとハラダはその部屋に全財産を置いていたらしい。
3000万、もしかしたら4000万以上あったのだろうか。
さらに詳しい話を、僕は名義人から聞く。
現場には言わない裏事情も、名義人なら知っていることもあるのだ。
それによると、ハラダは今回の開店に際して
知人から借金をして資金を用意したそうで、
やっと完済して、手元に残ったお金がその金だったのだ。
驚いたことに、
ハラダは今までの日報や月報も全部置いていて、
それも持って逃げられてしまったのだと言う。
これでは盗難届けなど出せない。
仮に何か口実を作って届け出ても、
返ってくる保証など全く無い。
一人では引き出せないから、何人かと組んでやったのだろう。
口座(皮肉なことに、彼女の名義で作った口座もあったようだ)
を止めた時には、預金はほとんど残っていなかったという。
「脇が甘すぎでしょう・・」
そう言ってみても後の祭りだ。
そもそもオーナーサイドに上げた現金の処理は
僕らの関与するところではない。
日報や月報は
「見終わったら処分してくださいよ」
と何度も念を押してあったのだが、
順調に軌道に乗ったのが余程嬉しかったのか、
ハラダは何度も見返して楽しんでいたようだった。
今度は最初に金を借りた相手にも断られて
(そんな間抜けにはもう金は貸せないと言われたらしい。
それは確かにその通りだろう)
どこかから資金の手当てを受けられる当ても無い。
高利貸しなら借りられるが、
利息を払っていたら何のためにやっているか分からなくなる。
それは曲がりなりにも金貸しをやっていたハラダには
考えるまでも無く分かっていたはずだ。
万事休す。完全に終わりだった。
事後処理(出入りの業者の売り掛けの清算や、
リース品の返却など後始末は結構ある。
そういうのを飛ばしてしまうカジノも多いが、
ハラダはその分もキッチリやってくれと言っていた)が全て終った後、
ハラダから電話があって、2人で会うことになった。
「すまんな・・・。俺はお前に合わせる顔が無いよ」
僕はかける言葉も見つからなかった。
そして僕は、言葉をかける代わりに
そのハコの買い手を見つけて
(数人に当たっただけですぐに見つかった)
ハラダにその代金を渡した。
1300万だったと思う。
もちろん仲介料なんか取らない。
完全なボランティアだ。
そしてその後ハラダは、故郷に引っ込んで
ひっそりと暮らすようになった。
実はハラダとは今でも連絡を取り合う。
今はどちらもカジノ絡みの仕事はしていないので、
昔話に花を咲かせる程度だが、
僕がカジノ業界を去った今でも、
たまにでも連絡を取り合う数少ない人間だ。
誰もが野心や欲望をむき出しにして戦った、
その果てにあるものは一体何だろうか。
それを決めるのは、わずか数枚のカードの組み合わせ。
狂乱にも似た、熱気を帯びた店内。
音楽はそのままに、踊る人々だけが入れ替わって、
宴は続いていく。
きっと、今日も、どこかで。