第2話〜カヤマ
それは、僕がディーラーから
黒服と呼ばれるホールの担当者になった頃のことだった。
ディーラーという仕事は
テーブルで客が遊ぶゲームを
滞りなく進行させるのが仕事だ。
場面を盛り上げたり、それとなく煽ったり
(当然の話だが、露骨に客を煽るわけには行かない)
色々な技術を使って客に金を落とさせるというのはあるにせよ、
それはあくまでゲーム進行の過程の中の話で、
テーブルを離れてしまえば
それ以外の仕事というのは基本的には無い。
けれど、黒服になるとそうはいかない。
アングラカジノという、いわば法律があまり意味を成さない世界で
金目当てに集まってくる連中を上手くあしらいながら、
如何に店に金を落とさせるか、ということが重要になってくる。
普通の接客業とは違い、相手をするのは堅気とは限らないし、
堅気であっても下手を打つと警察に通報されたりして
大変な厄介ごとになりかねないから、
接客業としては相当難しい部類になるだろう。
それ以外にも不正の監視等ももちろん含まれるし、
ディーラーが足りなければディーラーとしても場面に入る。
下っ端のうちはその大変さが分からなかったので
単純に給料が上がると喜んではいたけれど
気が抜けない仕事であることにやがて気付いた。
ある意味において、僕にそれを気付かせてくれたのが
カヤマという客だった。
カヤマは、とある新興宗教の幹部だったJという男
(ああ言えばJ、などといった冗談で有名な男だ)に
非常に良く似た顔立ちをしていたけれど
とにかく手強い客だった。
僕がこの世界で会った数万の客の中で
間違いなく三本の指には入っただろう。
当初、僕がいた店では
最初に彼が名乗ったカヤマという名前で呼んでいたのだけれど
何度か通ってくるうちにカヤマが自分から
「俺、Jに似てるでしょ」
などと冗談半分で言い出したので
やがて店の中でもJという名前で通るようになってしまった。
カヤマが最も得意としているのはブラックジャックだったのだけれど
日本はおろか韓国のカジノでも
出入りを断られてしまうような腕の持ち主だった。
雄弁で鳴らしたJに似た外見とは裏腹に
カヤマ自身はどちらかと言うと無口な方で
話す時もボソボソと小声で呟くようなタイプだったので
カヤマがそういった自慢話を公言することは無かったけれど
カヤマが珍しく大敗した時にカヤマの連れが
「この店はブラックジャックが無いからな。
ブラックジャックがあれば負けも取り戻せるのに」
などと負け惜しみを言ったのを聞いて
当時の上司に尋ねてそんな情報を手に入れたのだ。
カジノ遊びをする方はあるいはご存知だろうが、
ブラックジャックは、自分に配られた数字によって
次のカードを引くか引かないかを決定する基本戦略があって、
それをマスターしただけでも
カジノ側とほぼ互角の戦いができるようになる。
さらに出現カードの枚数をカウントすること
(カウンティングと言われる高等技術だ)
によって、期待値をプラスに持っていくことが可能なゲームなのだ。
期待値がプラスと言う事は
分かりやすく言うなら
「控除率が還元率になる=やればやるほど勝ちが増える」
ということだから、
これは間違いなく必勝法だった。
だった、というのは理論的には間違いなく必勝法なのだけれど
カジノ側の防衛戦略によって
その有効性がどんどん低くなってきたということだ。
つまり、デッキ数(勝負に使うトランプの数)を増やしたり、
「カット=penetration(シューターの中で使わずに残すカード)」
の割合を大きくしたりして対策を採るということだ。
これによって、単純なカウンティングでは
期待値をプラスに持っていくことは難しくなってしまった。
けれどカヤマは、さらに洗練されたカウント技術も駆使して、
あちこちのカジノを食い荒らしていたのだ。
ある日、僕は他の店に遊びに行った時のことだ。
この世界で生きる人間の多くがそうであるように、
僕も、自分だけはギャンブルの勝ち組になれると
何の根拠も無く信じ込んでいて
給料を貰っては、それを増やすつもりで
あちこちの店に打ちに行っていたのだ。
たまたま入った店でカヤマが遊んでいて、
当たり障りの無い挨拶を交わし、僕はカヤマの隣に座った。
カヤマ自身はどちらかと言うと物腰も柔らかで
人当たりもいい人間だったけれど
その分、建前と本音の境目が
非常に分かりにくい表情が多かった。
そもそも、この世界で自分の本心を曝け出すのは
美徳どころかマイナスの方が大きい。
当時の僕はまだまだ甘くて
心理状態など簡単に見透かされてしまいかねない
嘴の黄色いひよっ子だったけれど
そんな僕でさえ、だんだんと表情を取り繕う術を身に付けていった。
おかしくなくても笑顔を作り
動揺や怒りは奥底に封じ込めて決して漏らさない、
それがこの世界で生きる者の知恵であり掟である。
だから、僕もカヤマも当たり障りの無い会話をしながら
博打に集中していったのだけれど
その日入った店は調子が悪かったようで
客がほとんど浮いている状況になり、
自然と僕もカヤマも口が滑らかになっていった。
そして、シャッフルの合間に、カヤマがポツリと呟いた。
「バカラは何も考えなくていいから楽だよね。
ジャッキー(ブラックジャックの俗称だ)だと疲れるもん」
その言葉を聞いて僕は以前の情報を思い出し、
勝っていたゆとりも相まって、
思い切ってカヤマに尋ねてみた。
「カヤマさんのカウンティングってどれくらいの精度で戦えるんですか?」
言ってからすぐに僕は後悔した。
(・・そんな大事なこと、教えるわけ無いか)
そして、場を取り繕うために
ウェイトレスを呼んで飲み物を注文した。
ところがカヤマがまたポツリと呟く。
「3割だね」
僕は一瞬何の事か分からずに
思わず聞き返す。
「え?」
カヤマは小さく頷いて、チップをカチャカチャと弄る。
ふと気付くと腕からはロレックスが覗き、
シャツのカフスも高そうな品だった。
やっぱり金を持ってる人なんだな・・
僕は改めてカヤマの資金的な豊かさに気付く。
そしてカヤマは小さな声で話し出した。
「6デッキでカットが3割くらいまでなら
カウント技術で何とかプラスで戦えるけど、
それ超えるとちょっと無理だね」
それを聞いて僕はひどく感心した。
ゲームに使わずに残すカードが全体の3割ということは
6デッキの勝負ならおよそ2デッキ弱が使われずに残る。
それである程度の精度を持ったカウンティングをするということは
かなり細かくカウントしていないと、勝負にならなくなるはずだ。
生半可なカードカウント技術を持っているだけでは
6デッキの2割カットですら勝てない。
だからこの人はどこのカジノでも
勝負自体を受けてもらえなくなってしまったのか・・
僕は感心しながらゲームを続けたが、
もうこの時点では、心理的にはカヤマに完全に乗りである。
カヤマが賭ける方と同じ方向にしか賭けられなくなっていたのだ。
これじゃ博打にはならないな・・
そう気付いた僕は
キリのいいところでゲームをやめて帰った。
そして僕は、機会があることに
カヤマの話をそれとなく集め始めた。
噂に過ぎないものも多かったし、話自体も断片的ではあったが、
カヤマの逸話はそこら中に転がっていた。
僕が聞き集めたカヤマの噂話によると
何とカヤマは、あちこちの機械のポーカーゲーム屋でも断られていた。
「あの人、カヤマさんだろ?
うちの店、あの人断ったんだよ」
当時店に来ていたポーカーゲーム屋が
カヤマを断ったことがあると言い出したのだった。
僕は上手く場を持たせてその客に話を続けさせた。
「機械のポーカーだからさ、設定機能があって、
4カード、ストレートフラッシュ、ロイヤルの出現頻度も決められるし、
ダブルアップの強制ハズレも
設定でどこに入れるか決めるんだけどさ、
あの人はその設定を見抜くのがめちゃくちゃ鋭いんだよ」
その客は、そうぼやくように言い、さらに話を続けた。
「あの人は10台のうち8台には強制を入れていても、
なんだかんだやりながら残りの2台を嗅ぎ付けるんだ」
つまりゲーム屋側も、全て店に都合よく設定は出来ない。
全体のうち何台かは強制ハズレを入れない
「サービス台」を置かないとお客さんが離れてしまう。
ところがカヤマは1台ずつ回っていって、
チマチマ賭けながら設定を読んで、
「これだ」という台で大きく勝負するのだそうだ。
「でさ、そういう放出台に先客がいると
ササーって帰っちゃうんだ。
それでさ、あんまり勝つからさ、
一度だけ全部の台に強制ハズレを入れたの。
全台回収台設定ってことさ。
そしたらあの人、店内の台を一通り回ってから、ニヤリと笑って
『今日は厳しいね』
って帰っちゃったんだよ。笑っちゃうよね。
うちもさ、こんなんじゃ商売にならないから
設定(を専門とする)業者に文句言ったんだ。
見抜かれちゃうような機械作るんじゃないって。
そしたらさ、
『プログラムをきっちり解析すれば
50%くらいは当てられると思うが80%は考えられない』
だとさ。参っちゃうよね。
そんなん言われたら断るしかないじゃない」
もうお手上げ、という風情で話すその客に
僕は心から同情せざるを得なかった。
これは理屈だけでは難しいのだろうから
おそらく直感的なものもあったとは思うけれど、
厳しいと思った時点で帰られてしまっては
店としては回収する事が出来ない。
結局断るしか無くなるということになる。
僕がいた店ではブラックジャックもポーカーゲームも無かったから
僕が相手をしたのはバカラだけだったが、バカラも相当強かった。
バカラにもカウント技術はほんの少しは応用できるのだけれど、
控除率の壁を超えることは無い。
その代わり、ついてない客や熱くなっている客を見つけて、
その反対を実に巧妙に突いていくのだ。
もちろんバカラには必勝法と言うのは無いから
勝ったり負けたりを繰り返すのは他の客と同じだ。
けれど、資金的にも心理的にも余裕がある様子や、
勝負どころと思ったらガツンと大きくベットするところは
さすがと言わざるを得なかった。
理論的に考えても、
いわゆる試行の分散が大きい客であり、
バンクロール(資金の活用術)の巧みな客なのだから
手ごわいのも当然と言えば当然だった。
盆面(=ボンヅラ。ゲーム中の態度のことだ)の良い所も
僕は好感と敬意を持って見ていた。
そしてカヤマは後年、自分でカジノを開いた。
もちろんブラックジャックも置いていたし、
カウンティングを出来る客がいても誰も断らなかった。
断る必要が無かったからだ。
実は「エンドレス・シャッフル・マシーン」というのがある。
使い終わったカードを一定枚数以上溜めると
機械が自動的にシャッフルしてくれるのだ。
値段もかなり張るので、時間短縮以外の効果を知らない経営者は
コストを考えて入れない店も多かった。
そういう経営者は
勝敗をディーラーの気合だとか盛り塩の作り方で左右できると
頭から信じ込んでいるものなのだ。
もちろんそんなはずは無く、
カウンティングの使い手にいいように食われて終わりである。
けれど、これを使えば使用デッキ数は「無限」ということになり
カウンティングの概念そのものが成立しない事になる。
後は1%未満の控除率を巡る攻防と言う事になる。
そうなったら、何も気にする必要は無いのだ。
ゲームを知り尽くした者でなければ使えない技術があり
そういう者であればこそ、封じ方にも気が回る。
そして、カヤマに出会ったことで
僕のカジノマネージメントに対する姿勢は大きく変化した。
客側がこれだけ研究しているのに、
カジノ側が気合だの運だのと言っていては恥ずかしいだろう。
勢いだけでやっていた僕は
カジノのゲームそのものや運営の仕方を学ぶようになった。
パソコンもほとんど独学で学んだし
人間心理の動き方なども勉強するようになった。
その努力のおかげで、僕は少しずつ上の立場になっていった。
そう考えると、僕がカジノ業界に長々と居座るようになったのは、
カヤマに原因があると言えるかもしれない。
さすがに、感謝する気にはならないけれど。