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第28話〜ニシムラ

アンダーグラウンドの世界で生きていこうとした時、

決して忘れてはいけないことがある。


それは「レッテル」を貼られてはならない、ということだ。


もちろんレッテルとは、世間一般で言われているように

決して良い意味では使われない。


博打の世界に付き物のイカサマや不正、

それをみすみす見逃すような盆暗だと思われること、

あるいはそういった不正やイカサマに

自ら手を染めていると思われること、


客あしらい一つ満足にできないような

使えない人間だと思われること、


あるいは、アドバンテージがある勝負を受けているのに

それに勝ち抜けないような勝負弱い人間だと思われること、


そういったレッテルを貼られることで

その人間の世界はどんどん狭く、小さくなっていく。


小さくなっていくのは世界だけではない。

その人間の精神性さえも、卑屈で矮小になっていく。


何故なら、彼はそうしなければ生きていけない。

オーナーや責任者に阿り、媚びて、嫌われないようにしなければ

彼が生き残る術は無い。

今さら真っ当な勤め人になどなれるはずもなく、

かといって、独力で事業や商売を始めるだけの才覚も無い。


イエスマンでも歯車でもいいから、そこにしがみ付かなければ

行き着く先は使い捨ての駒だ。

重要なことは何一つ知らされず、

人員整理の話が出ると真っ先に切られる。

もちろん補償なんて何も得られない。


パクられたところで弁護士はもとより差し入れ一つ来ない。

庇わなくても謳いようがないからだ。


もとより、評価というものは、自分が決めるものではない。


良い評価を確立させて、

それを自分で掲げればそれは「看板」と呼ばれるが

悪い評価をぶら下げて歩けば、それはただのレッテルだ。


そして、看板を汚されてそのままにしておくと

それはやがてレッテルへと変わっていく。


この世界で生きていく限り、

地に落とされた評価は、

たとえどんなに苦労と時間がかかったとしても戻さなければならない。

辱めを雪ぐ、とはそういうものなのだ。


「お前なぁ、この世界は舐められたら負けなんだよ」


僕が働いていた店のソファに座り、マルボロメンソールを吸いながら

ニシムラは僕にそう言った。

いや、僕だけではなく、彼の下で働く全ての人間にそう言っていた。


最初にニシムラと会ったのは、バブルの名残が残る時代で

僕がまだ別の店にいる時だった。


僕の店の上司と知り合いだったニシムラは

当時僕がいた店にちょくちょく遊びに来ていた。

小柄だけれど胸板の厚い男で、

いつもサングラスをかけていた。


使うのは10万か20万くらいだったけれど

おそらくそれは偵察というか情報収集が目的で

勝ち負けにはそれほど拘っていなかったように思う。


その代わり、打ち終えた後には必ず、

上司と世間話や噂話を交わして、

時折僕にもちょっとした質問を投げかけてきたりした。


そして僕のいた店が、複数いたオーナー同士の揉め事のせいで閉まると

上司を通じてすぐに声をかけてきた。


「もちろんウチで欠員が出たから声かけるんだけどさ、

使えなさそうな奴呼んだって仕方ないから

自分の頭にある使えそうな奴の中で、その時空いてる奴を呼ぶのさ。

人間関係なんて所詮はタイミングなんだよ」


面接に指定された喫茶店でコーヒーをすすりながら

ニシムラは真顔でそう言い、僕に条件を提示した。

特に不満を持つような内容ではなかった、どころか

むしろ新参の小僧としては良い部類だったと思う。


もちろん、僕は懸命に働いた。

今のところ使える奴と思われているからといって

それは恒久的な評価ではない。


ちょっと可愛がられたくらいで調子に乗った小僧、

そんなレッテルに変化するのはあっという間なのだ。


ニシムラの店は、常連を中心とした落ち着いた店で

常連客と一緒に食事に行ったりすることも多かったけれど

その分、馴れ合いや不正にはひどく敏感だった。


不正、というのは店が客を殺すために仕掛けるものもあれば

客が店から金を抜こうとして仕掛けるものもある。

ただし、手口自体は共通している。

使う側と使われる側が入れ替わっているだけだ。


ニシムラの店にいた当時、イカサマと言えば手仕事が多く

特殊塗料を使ったイカサマは主流ではなかった。

そこまでカメラが発達していなかったからだ。


手仕事となると、これは客側が単独で仕掛けるものではなく

店側の従業員を抱きこむ形になる。

だからニシムラは馴れ合いに敏感になっていたわけだ。


もちろんそれだけではなく、

隙を見てシューターごと取り替えてしまうような手口もあったし

もっと荒っぽい強盗のようなケースもあったから

用心するべき点は決して少なくはなかった。


当時もカメラは付いていたのだけれど

ズーム機能も無かったし、画素数も低いもので

細かい手仕事は、よほど注意していないと判別できない。


結局のところ、人の目が頼りにならざるを得なかったし

ニシムラ自身、店に居る時はいつもテーブルの見えるところにいた。


「俺がここにいれば、ゴト仕掛けようと思ってもびびるだろうし

下の人間もちゃんと場面を見るようになるだろ。

客にぼけっと立ってるだけだと思われたら舐められるからな」


ニシムラは僕だけではなくみんなにそう言って

最後には必ず


「いいか、舐められたら負けだぞ」


という例の決まり文句で締めた。

それはもう、哲学とか信念とかいう言葉だけでは言い表せない、

ニシムラの生き方そのものだったんだと思う。


ある日、僕はニシムラと飲みに行ったことがあった。

特に何かがあったわけではなかったと思うが

ニシムラが誘ってきたのだ。

僕とニシムラは時間がずれているシフトだったのだけれど

その日はたまたまニシムラが遅くまで残っていたのだ。


「今あがりだったっけ?じゃ一杯行こうか」


ニシムラはそう言って僕を誘い、

明け方どころか昼前までやっている歌舞伎町の小料理屋に入った。


ビールで簡単に乾杯をし、刺身や煮物をつつきながら、

僕とニシムラは他愛も無い話をした。

最初のうちは、何か説教でもされるのかと思って身構えていたのだけれど

やがて打ち解けて話もできるようになっていった。


焼酎やら日本酒やらを数杯重ねたころだろうか、

ニシムラが突然言った。


「ちょっと手出してみ」


言われるがままに僕は右手を出す。

するとニシムラは僕の手を握ってこう言った。


「思いっきり握ってみろ」


僕は決して力自慢ではないが

一応は運動部だったから、握力はそれなりにある。

だからいきなり全力を出すのも躊躇われて、8割くらいの力で握った。


「嘘だろ、もっと本気で握れよ」


煽るような口調でニシムラが言い、

僕は最後には全力で握ることになった。


「まぁまぁってとこか。じゃ今度は俺の番だな」


不敵な笑いを浮かべながら、ニシムラが言い

不意に手に力を込めた。


「いてててて」


恐ろしい怪力だった。

リンゴを握りつぶすレスラーがいたけれど

この男はもしかしたら頭蓋骨だって握り潰すかもしれない、

そんなことを思わせるほどの力だった。


時間にすれば5秒も経っていなかったはずだが

ニシムラが力を緩めた時には

僕は思わず手をさすっていた。


「ははは、悪い悪い」


こともなげにそう言うニシムラに僕は尋ねた。


「握力、何kgくらいあるんですか?」


「うーん、80は間違いなくあるよ。

調子がよければ90超えるんじゃないかな」


ニシムラはそう答え、さらに言葉を続けた。


「俺はさ、ガキの頃からチビでさ、よく苛められたんだ。

昔は細かったしな、舐められっぱなしだったよ。

そういう連中に舐められないようにと思ったら体鍛えるしかないだろ。

やっぱりさ、男は舐められたらダメだよな」


なるほど、僕はそう思った。

背が低いということをコンプレックスとして持っているから

ニシムラは体を鍛え抜き、同時に

他人に舐められまいということを自分に課しているのだ。


もちろん、そういった事実で

僕がニシムラへの態度を変えるはずは無かったけれど

コンプレックスの原因が、他者からは窺い知れないということを

改めて気づかされるようにはなったように思う。


そんなある日、僕が出勤すると、

店に3人連れの新規客が来ていた。

打っていたのは30万のバランスのテーブルだ。


年齢は、おそらく40代が2人で1人は30代だったろうか。

中心になっているのは、色の黒い、目付きの鋭い男で、

一見して堅気の人間ではないのが分かった。

かといって、極道でもない。


おそらくは同じような商売、カジノかゲーム屋か・・

そんなことを生業にしているような雰囲気だった。


残りの2人のうち、若い男は、

どちらかというと優男の雰囲気だったが

3人は仲が良いようで、軽口を叩きながらゲームに興じていた。


「誰かの紹介ですか?」


僕はニシムラに近寄っていき尋ねた。

同業のような雰囲気を持つ連中、ということは

誰かの紹介でも無ければ、受けにくいタイプの客だったからだ。


同業というのは、良くも悪くもこの世界について知り尽くしているだけに

ちょっとした粗相で因縁を付けられたりもしかねないし

負けが込めば、返金だのサービスだのと言いかねない。


それに、これから自分が接客する上で、

その客がどういう経路で来たかを知っておくのは会話もしやすい。


「うん、一人は歌舞伎町のハウスで何回か見たこともある。

残りは知らないけど、店も暇だし受けないわけにもいかないしな」


ニシムラはそう言って、彼らの遊び方をずっと見ていた。

もちろん僕も別の角度から観察したのだけれど

彼らの遊び方には特に不審な点は無く、

数時間後、1人が負けて「パンクだ」と言ったところで

他の2人も持っていたチップを換金して帰っていった。


3人でトータルすれば10万も浮いていなかったが

財布が一緒かどうかはもちろん分からないから

それ自体は致し方のないことではあった。


3人が同じ懐なら10万の勝ち、

別々の懐なら、1人が負けで2人が勝ち、

ただそれだけのことだ。


彼ら3人の遊び方がサービス目当てで無い限り、

それをとやかく言うことは出来ないし

彼らの遊び方は、特にサービス目的とまでは言えなかった。

ベット自体はせいぜい張って5万くらいだったけれど

遊ぶ時間の長さを考えれば、サービス分は確実に控除できていたからだ。


そして彼らは、その後もちょくちょく顔を出すようになった。

他の客がいる時は、3人で寄り添って、

他に客がいない時は、それぞれ好きな席に座って

冗談や野次を飛ばしながら彼らはゲームに興じた。


ニシムラや僕を含めた他の黒服にも彼らは懐っこく話しかけ、

時々差し入れと称して、屋台で売っているたこ焼きなどを持ってきたりもした。

物に釣られたわけではないけれど、彼らの遊び方と態度を見ていれば

特別扱いはしなくても、必要以上の警戒まではしなくなっていった。


そう、言ってしまえば、ごく普通の常連客へとなっていったのだ。


もちろん、ある日までは、だったのだけれど。


ある日、僕が出勤すると、ちょうどニシムラがビルから出てくるところだった。

挨拶をすると、ニシムラは苛立ったような口調で


「ちょっと出てくるから場面から目を離すな。

何か変だと思ったらすぐに電話してくれ」


そう言って急いでどこかに行ってしまった。


何があったんだ・・


僕は不安を抱えながらエレベーターに乗り

店のある階で降りて店に入った。

店内ではやけに大きな声が響き、騒々しい雰囲気を醸し出していた。


すぐにテーブルの方を見る。

するとそこにはその3人組がいた。

他に客はいなかったけれど、

一見して彼らが数百万以上のチップを持っているのが見て取れた。


慌ててキャッシャーに行き、彼らの使った金額を尋ねる。

何と彼らは、初回の30万ずつしかチップを買っていなかった。

日報を見ると、その時点の店のマイナスは500万を越えていた。


集計表を見ると、彼らが来店したのは2時間ほど前の時刻だったから

彼らはものの2シュート・・140ゲームくらいだ・・で

手持ちのチップを500万以上増やしたことになる。


毎回3人で30万を張るとしても、20回近く勝ち越している計算だ。


プレーヤーかバンカーの「ツラ」と呼ばれる連勝があったり

あるいはあまりにも規則正しい出目があったり、

ドローの連発などがあったりすれば、客が大勝することも稀ではない。


が、有り得ないとは言えないけれど、簡単に起きる事象でもない。


よっぽど変な目が出たのかな・・


僕はそう思って、それまでに終わったゲームの罫線=スコアを見た。

確かに、ある程度の規則性は見て取れなくもなかった。

けれど、そこまで大勝できるほどのものとも思えなかったのも事実だった。

しかも聞けば、多く張った時に決まって勝つのだという。


バカラの出目というのはプレーヤーとバンカーとドローしかない。

必ずどれかが出ることになっているのだけれど

過去の出目を記録して、そこに何らかの規則性を見出して遊ぶゲームだ。


例えば・・

プレーヤー(P)が2回、バンカー(B)が2回勝ち、

その次にプレーヤーが2回勝てば

ほとんどの打ち手は次にバンカーに張る。

PPBBPP、こう出れば次はBだとそれは思うのが人間の性だ。


「テッパンでバンカーだろ」

「自信あり!」


そんなことを口々に言いながら客はベットをする。

自信があればあるほど大きく張るのも自然なことだ。


けれど、テッパン、なんて無い。

良く言われることだけれど、

カードは自分の前後にどのカードがあるのか知らない。

まして前回の勝敗なんてカードが知るはずも無い。


1枚カードが変われば勝敗が変わる、それがバカラだ。


PPBBPPと出た次にまたPが出るのも

実際にはBが出るのとほぼ同じくらいある。


自信があろうと無かろうと、勝つ時は勝つし負ける時は負ける。

結果として控除率分を負担して、客は負けていく。

自信があった時に必ず勝てれば蔵が建つどころではなく大富豪だ。

必勝、絶対、テッパンなんてものはそれこそ絶対に無い。


なのに、彼らは大きく張った時に必ず、100%、勝った。


となると、そこに何らかの作為が入った可能性を考えなければ

僕らの仕事は勤まらない。

たとえ結果的にそれが単なる客の幸運だったとしてもだ。


僕は急いでテーブルの傍に行ったが

程なくしてシュートが終わり、彼らは手持ちのチップを一斉に換金した。

そこに作為を見つけるにはあまりにも時間が足りなかった。


彼らに札束を渡すと、


「よーし、今日はハウスをやっつけたぞ!」

「たまにゃ勝たないとやってられんよな」


などと軽口を叩きながら、彼らは帰っていき

僕らは頭を下げながらそれを見送るだけだった。


しばらくしてニシムラが戻ってきた。

胴金がどうのこうのという話をしていたところを見ると

おそらくハウスの金が足りなくなりそうなのを見越して

どこかに胴金を取りに行っていたのだろう。


店にいくら置いていたのかは僕は知らなかったが

400万抜かれてしまえば、補充は必要になるはずだ。

ニシムラは平然としていたが、内心は穏やかではなかっただろう。


けれど不正を疑うに足る証拠は無かったし

証拠が無ければ、それは客がついていたと思うしかないのだ。


彼らが帰った後、ニシムラは黒服やディーラーを集めた。


「今日は一旦店閉めるから。

何かやられてたら舐められるどころじゃねぇし

舐められたらこの商売できねぇぞ」


耳慣れた決まり文句もその時は重く響いた。


状況証拠というか何かおかしいとは僕も思っていた。

いきなりいつものベットよりも多く張り、しかもそれがことごとく当たる。

どこかであぶく銭を手にした可能性も無いわけではないが

それにしても多く張った時だけ当たるというのに違和感がある。


けれど、それが何なのかは、まだ分からなかった。

とにかく、それを見つけないことには店が潰れる。

ニシムラは従業員を返した後、キャッシャーに籠もった。


僕は出勤直後だったこともあって帰りづらく、

皆が帰った後も店に残って休憩室の掃除をするふりをしていた。


するとニシムラが僕を呼んだ。


「お前、暇なら一緒に見てくれ。

一人よりは二人の方が気づくことってあるしさ」


そして僕はニシムラと一緒にキャッシャーに入り

14インチのモニターを睨んだ。


不正があるとすれば、まず考えられるのは

従業員とのグルだ。


特殊塗料の痕跡があるかどうかは後で調べるとして

まず一番可能性があるのは手仕事だ。


シヨウ・カードに怪しい点が無いか、

シャッフルはきちんと正しく混ぜられているか、

最後のインチョンカットと呼ばれる組カード防止のためのカットは

きちんと行われているか。


念のために数回見直したけれど、どれもちゃんとなされていた。

そういう不正であれば、見れば分かるのだ。

もちろんシューターも取り替えられたりはしていない。


ではゲーム中に何かされているのか・・。


僕は画面の中の無音の映像に目を凝らす。


ディーラーが最初に4枚カードを出す。

プレーヤー・バンカー・プレーヤー・バンカー。


そしてそれぞれの1枚目のカードをめくり数字を晒し、

2枚目のカードをそれぞれのベットした客の手元に渡す。


めくられたカードと合わせて9に近い方が勝ちだから

客は9に近くなるように念じながら、2枚目のカードをゆっくり見る。

いわゆる「カードを絞る」という作業だ。

1シュートあたり大体70回くらいそれを繰り返す。


音は聞こえないけれど、仲間内だけだからか

それとも好調だからか、彼らは何事か話しながらゲームを進める。

彼らが張っているのは同じ方とは限らない。

一人がプレーヤーに張って二人がバンカーに張ることもある。

もちろんその逆もある。


以前見た時もそうだった。

そして彼らはカードを絞りながら、反対側に張っている相手に


「よし、足があった!」

「こっちだって足あったぞ!」

「どうだ、負け無しだ!」

「うわぁ、そりゃ参った」


などと挑発や煽り合いをしながらゲームに興じていた。

音声は聞こえないけれど、その様子はモニターからも分かった。

特に不自然なことは何も無かった。


ふと横のニシムラを見ると、腕組みをしながら画面を見つめている。

不精ひげがまばらに伸びた顔には疲れが滲む。

けれどどれほど疲れていても、この作業をしないわけにはいかない。

不正がなされていない、という確信が持てない限り

ハウスの胴金を出すオーナーに報告できないからだ。


ビデオテープが終わりまで進み、

次の画面を録画したテープに差し替える。

先ほどまでの続きが映し出され

同じようにゲームが進んでいった。


その時だった。


「ちょっと待った!今のところもう一回だ」


ニシムラが叫んだ。

僕は慌てて巻き戻しのボタンを押し、

数分前まで画面を戻し、もう一度そこを再生した。


そのゲームはプレイヤーに一人・・一番若い男だ・・が10万ほど張り、

残りの二人がバンカーに40万張っていた。

カードが4枚出され、それぞれに渡される。

絞り終わったカードを見ると、

2枚では勝負は決まらず、それぞれ3枚目のカードを引く数字だ。


ディーラーがプレイヤーとバンカーにそれぞれ3枚目のカードを渡す。

プレイヤーのカードを絞ろうとした時に、

反対側に座っていた男が声を出したらしく、皆がそちらを向く。


そしてプレイヤーのカードを絞り終えた男が

自分のカードを腹立たしそうな仕草でディーラーに返した。

3枚の合計は勝ちがなくなる0だ。


そしてバンカーに張っていた二人が嬉しそうに自分たちのカードをめくる。

0になればドローだが、合計は6になっていた。

この勝負でハウスはコミッション込みで28万マイナスしたことになる。

ディーラーがチップをつけて、その勝負で使われたカードを片付けようとした。


その瞬間、ニシムラが言ったことに僕も気づいた。


「見ろ、カードの色が変わってる」


ニシムラが言った。

確かにそうだった。


通常、日本のアングラカジノではカードの色は赤と青の二色を使う。

裏が赤のカードを4デッキ、青カードを4デッキというように混ぜ合わせるのだ。

当然、ゲームになれば赤と青のカードはランダムに出てくる。


その時のゲームは最初の4枚は全て青のカードで

残りの2枚を出した時も、青だった。

ということは、6枚全て青色のカードでなければおかしいことになる。


ところが。


ディーラーが片付けようとしたカードの中に

赤色のカードが1枚混じっていたのだ。

どこかですり替えられたことになる。


どこですり替えられたんだろう・・


僕とニシムラは再び巻き戻して見た。


粗い画像からかろうじて判別できたのは

プレーヤーの3枚目を絞ろうとした瞬間に反対側で声を発し

皆が半ば反射的にそちらを向いた瞬間に、

プレーヤーに張っていた男の手がカードの上を動いたことだけだった。


当時の店に付いていたカメラの角度だけでは

残念ながらそこまでしか分からなかった。

けれど、不正が行われたことは明白だ。


これがマジシャン系のゴトか・・


僕はその巧妙な手捌きに驚愕した。

当時、そういったゴトの存在は情報としては知っていたけれど

現実に目の当りにするまでは実感として分からなかった。

そういう奴らがいるんだという程度の他人事の感覚だったのだ。

彼らがカードの色を間違えるというミスを犯さなければ

もしかしたら気づかないままだったかもしれない。


ビデオを何度も見直しても、はっきりとは分からないのだ。

そういう目で最初から見ない限り、おそらく見破るのは困難だろう。


僕とニシムラは保存してあったカードをひっくり返した。

シュートごとに使い終わったカードは保存してある。

カードがすり替えられているのであれば、8デッキ分は揃わない。


スペードのエースから並べていく。

案の定だった。10枚ほどのカードが合わなかった。

7が9枚あったり3が7枚しかなかったり。


おそらく彼らは好機を窺っていたのだ。

カメラの位置、使っているカード、そして黒服が甘そうな時間帯・・

それを調べ尽くした上で、この日一気に抜きに来たのだ。


「なぁ。あいつらまた来ると思うか?」


ニシムラが僕に尋ねてきた。


「どうでしょう・・これだけ派手に抜いたら来ないかもしれないですね。

場合によっては疑われるのは奴らも分かってるでしょうし」


僕がそう答えると、ニシムラはため息をつきながら


「だよな・・ゴトってのは短期が勝負だからな・・」


と呟くように言った。

彼らが再びゴトを仕掛けに来れば、ケリを着けるのは難しくない。

ケツ持ちを呼んで、ビデオテープを渡せば

ケツ持ちは問答無用で彼らの身体検査をするだろう。

そして、すり替えるためのカードが出てくるはずだ。


そうなれば、後はいくら取れるかの話になる。

ゴトを仕掛けるくらいだから連中にもケツ持ちはいるだろうが、

身柄を押さえてしまえば話を優勢に進められるわけだ。


問題は彼らが二度と来なかった場合だ。

この場合、彼らは相当な場数を踏んでいることになる。


偵察して、馴染みになってから、ゴトを仕掛ける。

そして一回だけで未練を残さずに去る。

一回だけなら発覚しない可能性も高いし、

発覚したとしても現行犯以外なら逃げることも難しくはない。


そこまで計算していることになるからだ。


「参ったな・・上にどう説明しようか・・」


ニシムラは言ったが、その答えは僕には分からなかった。

このまま黙っていて、普通の勝負で負けたことにする手もあるだろう。

ゴトを見破れずにやられたとなれば、確実に責任を問われる。


けれど、それを隠蔽してから後で発覚すれば

共犯の疑いをかけられても文句は言えないことにもなる。

どちらを取るかは、何とも判断しにくい話だった。


数日後。


僕が出勤すると、見慣れない男がいた。

聞けば、今日から新しく入ってきた黒服だと言う。

初対面の挨拶を交わし、仕事に就こうとするとニシムラに呼ばれた。


「ちょっといいか」


そう言ってニシムラは、近くの喫茶店に僕を連れて行った。


「実はな・・」


ニシムラが口にした言葉を聞いて、僕は耳を疑った。


「お前には悪いんだけど、今日で上がってくれるか・・」


要は首だということだ。


「理由、聞きたいか?」


そう尋ねられて僕は答えた。


「そうですね。俺には何も疚しいところはないですし

ゴトを仕掛けられたのは俺の出勤する前でしたよね。

見逃したのは俺のせいじゃないですし、俺なりにちゃんと働いてきたんで

できれば切られる理由は聞きたいです」


ニシムラは言いにくそうにしていたが

やがて説明してくれた。


つまり、ニシムラは事の次第をオーナーに報告した。

ゴトを仕掛けられた上に、犯人を取り逃がしたことをだ。

当然オーナーは激怒し、ニシムラの責任を追及した。

のみならず、オーナーはニシムラに任せておけないと言い出して

どこかから別の責任者を呼んできたというわけだ。


そうなれば人は余り、人員を整理しなくてはならなくなる。

誰を切るか、となれば一番新入りが切られるというのは

別にこの店でなくても良くある話だ。


能力などを明確な数値で示すことはできないけれど

その店で働いた年月は明確な数値で示せる。

3年、2年半、1年、2ヶ月・・簡単な数値だ。


「俺も責任者外されて降格だ。すまんな」


そう言って頭を下げるニシムラに、僕は言った。


「いえ、そういうことならしょうがないです。

別にニシムラさんが悪いわけじゃないですし」


喫茶店を出て、僕は知人の業界人に電話をかけて仕事の口を探した。

幸い、すぐに次の店は決まり、条件もさほど悪くは無かった。


新しく移った店で、僕はそれまでと同じように仕事を続けた。

店が違っても、やることは同じだ。

客が来て、勝負をして、誰かは勝ち、誰かが負ける。

そして最終的には、ほとんど全ての客が負ける。

何も変わらない。どこでも一緒だ。


そんな日々を繰り返していた僕の耳に

ある日、ちょっとした噂が飛び込んできた。

ニシムラの話だ。


何でもニシムラは、都内各地だけでなく

横浜や西川口のカジノまでゴトの犯人を捜し歩き、

ついに彼らを見つけ出した。

仕事の前後、休日、空き時間を全てそこに費やしたらしい。


そしてケツ持ちと一緒に彼らと対峙し、

ゴトで抜かれた金を回収したというのだ。


もちろん全額ではないだろう。

ケツ持ち同士の話になるはずだが

現行犯で無い以上、テープだけで突っ張れるとは限らない。

相手の顔を立てて半分戻すという程度で手を打つケースも多い。


自分のケツ持ちにさらにその半分を渡すわけだから

(一般的に「取り半」と呼ばれるものだ)

実際に回収できた金は100万がせいぜいだろう。

どれくらいの日数を要したかは分からないが

決して割のいい話ではない。


けれど、僕はニシムラの気持ちが良く分かった。


このままやられっぱなしではいられない。

このままだと舐められて終わってしまう。


それはある意味、ニシムラにとっては死に等しい。

となれば、何としても雪辱しなくてはならない。

ゴト仕掛けられて降格された間抜け、

というレッテルを剥がさなければならない。


舐められたら負け、か・・。


感心したような、呆れたような思いで、

僕はニシムラの口癖を思い出した。

言うのは簡単だけれど、それを実際に貫くのは本当に難しいのが

まだ青い、当時の僕にも分かっていたから。

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