第27話〜チャンと蓮
アングラカジノの世界で一日に動く金は大きい。
店側が受ける、客のプレイヤーとバンカーへのベットの差額が
10万から30万くらいのテーブルしかない小中規模の店でも
店に置いている胴金は少なくとも300万はある。
50万から100万といった高額なテーブルを置く店であれば
最低1000万程度は置いていないと
客が大勝した時に(もちろんそういうこともある)
換金用の資金がショートしてしまう。
客が勝った時に勝ち金が付けられないというのは
アングラの賭場では致命的だ。
チップを買う時は現金を出さなければ買えないのに
それを換金できない賭場で打つ者などいない。
だから、アングラカジノの店の中には
胴金として置いている金と客が持ってきている金を併せれば
数千万もの金があるということになる。
ある意味では、誰もがそれを虎視眈々と狙っているわけだ。
そして、その割にはセキュリティは甘い。
武装したガードマンがいるわけでもなければ
防弾ガラスがキャッシャーに張られているわけでもない。
その結果、一時期カジノを襲う強盗などというものも頻発した。
客を装って店内に入り、頃合いを見計らって襲う。
中国人密入国者の集団などが形成するチャイニーズマフィアは
銃や青龍刀などを持ってきて襲うから、誰も抵抗出来ない。
しかも彼らは、店側だけでなく、店で遊んでいた客まで襲う。
手口も非常に荒っぽく、あちこちのカジノを襲った中には
猿轡代わりに口に巻いたガムテープで窒息死した客もいた。
そうなってくると、中国人男性が何人もいるような店には
日本人が近寄らなくなってしまうことになるから
都内のカジノでは中国人男性自体を最初から断るようになった。
警察白書などでどう分析されているかは知らないが
中国のように広大で、かつ言葉が何種類もあるような国では
人の行き来が非常に少ない。
例えば広東語を話す地域から上海語を話す地域に移る者は
よほどの事情が無い限りまずいない。
北京に関しては、北京語が公用語であることもあってか
その傾向はやや低いようだが、
いずれにしても人の交流が少ない分、
その地方によって気質がかなり異なる。
さらに踏み込んだ分析をするなら
日本にいるチャイニーズマフィアが主なシノギにすることも
彼らがもともといた地方によってずいぶん異なる。
福建省などのグループであれば
強盗、それもかなり荒っぽい手口の粗暴犯が多いし
上海のグループならカード偽造などの知能犯が多い。
東北などから来たグループであれば、北朝鮮に近いせいか
覚醒剤の密売などをシノギにしているようだ。
基本的には彼らは博打に関してはカモでしかないし
彼らが持ってくる金は魅力的ではあるのだけれど
彼らが博打を打ちに来ているのか
あるいは客を装っているだけなのかは外見では分からない。
もちろん最初は客として来ていたのが
金に詰まった挙句強盗になるというケースもある。
だったら最初から入れないようにするしかないので
中国人と思われる男性客に関しては
新規の時点で受けないようになってしまったのだ。
そもそも、アンダーグラウンドのカジノの世界では
金は、基本的に闇の中を動いていく。
チップを買ったからといって領収書も出ないし
大勝しても不労所得の申告をする人間もいない。
従業員の給料からの源泉徴収や保険の天引きも無い。
一番初めの開店時の資金すら
どこからどういう流れでやってきたのか
知っているのはオーナーだけだ。
当然、強盗の被害にあったところで
警察に届けられるはずはない。
(客が被害者になって、被害届を出すのなら別だけれど)
店の(あるいは客の)金を狙っているのは彼らだけではない。
従業員がヨコ(横領)で金を抜こうとしているかもしれないし
客がゴトを仕掛けに来ているかもしれない。
キャッシャーが胴金を持って逃げてしまうかもしれない。
さらに言うなら、摘発されてしまえばその金は没収されて
国庫に入ってしまうことになる。
(それでも尚、手を出してみようかと思うくらい
カジノというのは金が落ちるものなのだ、と言えば
合法的に運営できるのなら、と
地方自治体などがカジノ法案に色気を見せるのは
理解できるのではないかと思う)
話が、少し逸れた。
乱闘だの強盗だのときな臭い話が次々に発生した結果
大抵のカジノでは中国人男性を無条件には受けなくなったが
条件付で彼らを入れる店というのは何軒かは存在した。
張りっぷりが良く、盆面のいい客であること、
顔馴染みの黒服がいて、日本語で会話が出来ること
そういう人間だけを選んで受けていくのだ。
多くの場合、そういう中国人は
彼ら不良グループ(もちろん荒稼ぎしている)の幹部クラスだ。
取り巻きも入れないし、友達でも紹介客は受けない、
その人間だけ入店を認める、という条件を呑むなら受ける。
一般的に、中国人は僕ら日本人が想像するよりもずっと
面子や体面というものを重要視する。
面子を潰されたと感じた時の怒りは大変なものだ。
逆に言えば、普通の・・いや、普通ではないか・・
平凡な中国人が入れない場所に
自分だけが特別に入ることが出来る、というのが
中国人不良のある種のステイタスになっていく側面もある。
よほどシノギに詰まってくれば牙を剥くこともあるだろうが
カジノの寿命の方がよっぽど早く尽きるから
そんな気配がすれば店を閉めてしまえばいい。
少なくとも、不良のリーダー格を入れて面子を立てておけば
その場所を荒らさせないようにしてくれるのだ。
チャンはそんな特別な中国人の一人だった。
チャンが歌舞伎町に出没しだしたのは
多分、まだ、中国人でも比較的自由に
アングラカジノに出入りできる時代だった。
日本語も下手ではなかったし
盆面も悪くなかった。
もちろん、羽振りも良かった。
ただ、バカラに関してはやはりカモでしかなかった。
張りっぷりがいいから、勝てば数百万を抜かれるが
勝った金など数日すれば回収できるし
そもそも滅多に勝たないのだ。
だからこそ、中国人男性を規制するようになってからも
僕はチャンを受け続けていたのだとも言える。
来れば数百万単位の勝ち負けになるわけだから
まずまずビッグベッターと呼べる客なのだ。
僕のいた店が新たにオープンしてまもない頃
僕はチャンと区役所通りでばったり会った。
見るからに中国人と分かる男数人と歩いていたチャンは
僕を見つけると近寄ってきて
「遊べる?」
と尋ねてきた。
「チャンさんだけなら」
と僕は答え、チャンはそれにそれに頷いて
連れの男たちに何かを言って別れた。
そして僕は、そこからすぐのところにあった
当時の自分の店へと連れていった。
店には中国人の女性客が数人いたけれど
チャンはその全員と知り合いのようで
中国人女性たちは一様にチャンに声をかけ
チャンも鷹揚にそれに答えていた。
そしてチャンは携帯電話でどこかに電話をかけた後、
奥の高レートテーブルに座り
万札のズクを5つ出してゲームを始めた。
程なく、派手な顔立ちをしたチャンの彼女がやってきて
他の中国人女性が遊んでいるのと同じテーブルに着いて
20万分のチップを買って遊び始めた。
会員規約への同意書へのサインは
彼女は「蓮」と書いた。
本名かどうかはもちろん知らない。
それからも、チャンとチャンの彼女は
僕のいた店に頻繁に来るようになり
店の売り上げにずいぶん貢献してくれるようになった。
いつの頃からか、蓮は妹と言ってもう一人女性を連れてきて
妹の方は同意書に「玲」と記した。
姉同様、妹の方もかなりの美人だったけれど
そちらには男の気配は全く無く
僕は実は二人ともチャンの彼女なのかと思ったりもした。
蓮よりも玲の方に気を使っているチャンの様子を見ると、
そうではなさそうなのはすぐに分かったが。
それはともかく、ビッグベッターが盆に一人いると
他の客も煽られて大きく張ったりするようになる。
プレイヤーとバンカーの両方にかなりのベットが置かれる、
いわゆる「いい場面」が出来てくる。
そして「あの店ではいい場面が出来ている」という噂が
別のビッグベッターを引き寄せるようになる。
それは当局に目を付けられる一因でもあるのだが
客が入らないことには、店が潤うはずがないし
流行っていようが寂れていようがリスクは存在する。
ならば腹をくくって臨むしかない、
それが当時の僕の置かれた状況だった。
チャンは平均して月に1、2000万を落としていただろうか。
一人で落とす金額としてはかなり大きいものだけれど
チャンがそれを惜しんだり、苦しくなっている様子はなかった。
ということは、チャンはそれ以上の実入りがあったのだろう。
とはいえ、僕らとしてはそれに安穏としているわけにはいかない。
あまりに負けが込めば、いつ牙を剥くか分からない。
チャン以外の中国人男性は決して入れなかったし
チャンが連れてくることも無かった。
時々チャンは店があるビルの外まで
部下らしき男と一緒に来ることがあったが
部下は店内はもちろん、ビルの敷地にすら入らなかった。
チャンは自分のシノギを決して口にはしなかったけれど
チャンを昔から見ていた僕はもちろん薄々分かっていた。
おそらくチャンは、宝石店や高級住宅などを
油圧ジャッキや重機を使った荒っぽい手口で襲う
爆窃団のような組織の首領格だったはずだ。
ビルの入り口ではなく、外壁を破壊して侵入し
金目の物品を根こそぎ奪い取る手口は
ここ数年、かなりの被害を出していた。
数年前に僕がチャンを見た時(当時は蓮とは一緒ではなかった)、
チャンは自分の下の人間から分厚い封筒を受け取っていたし
ある時には現物そのものを受け取ったりもしていた。
なぜそれが現物と分かったかと言うと
チャンは店の社長や僕の所に来て
先刻受け取ったアタッシュを開けて言ったからだ。
「どれか好きなの買わない?」
アタッシュの中には、高級時計が何本もあった。
ロレックス、カルティエ、オメガ・・・
値札が付いたままのその時計は
明らかに本物であり、明らかに盗品だった。
どこかの宝石店を襲った戦利品だったのだろう。
「ロレックスは70%、他は50%でイイヨ」
不敵な笑いを浮かべてチャンは言った。
僕は時計というものにあまり興味が無かったので
チャンがこれを手に入れた背景を想像するだけだったが
横にいた社長は購買意欲をそそられた様子だった。
「このロレックス半値にしてよ」
盗品だと高をくくってか、そう値切ろうとする社長に
チャンは即座に答えた。
「ロレックスはダメ。売れるから。
でもカルティエも買ってくれるなら半分でいいよ。
社長の彼女にあげたら喜ぶよ」
基本的に、こと小売に関しては
普通の日本人は中国人の敵ではない。
彼らは何と言っても華僑を生み出した人種なのだ。
その時に、別の客の対応をしなければならなくなって
僕はその場を離れてしまい、
結局、社長が時計を買ったかどうかは定かではない。
ただ、当時ならいざ知らず
当局による対中国人の警戒態勢がこれだけ厳しくなった今、
以前と同じように、店で盗品を捌かせるわけにはいかない。
僕はチャンの機嫌が良さそうな時を見計らって
その意向をそれとなくチャンに伝えた。
チャンはにっこり笑って
「ダイジョウブ、今はそういうの持ち歩かないから」
とだけ言った。
僕らよりも本人の方が用心しているということだったのだろう。
チャンが来ることで、店にとって都合が良いことが
実はもう一つあった。
僕の知る限り、中国人は世界でも指折りの博打好きな民族だ。
世界中どこのカジノに行っても中国人の老若男女が大勢いて
どこのカジノでもわぁわぁと騒ぎながら博打を打つ。
「角(クヮン!!」
「零!ドロー!!」
そういった呼び込みもするし
次の予想はどっちだとかいった会話も頻繁にする。
そして、ただでさえ中国語というのは発音が強い言葉だから
普通に会話をしていても喧嘩をしているように聞こえる。
加えて彼らは非常に熱くなりやすい性質を持っているから
どうしても異常な大声を出して騒いでいるような状況になりがちだ。
日本のアングラカジノでも、それは同じだ。
中国人を入れている店では
女性だけであったとしても、それに頭を悩ませる。
日本人は博打場でわぁわぁと騒ぐことを嫌うからだ。
特に、自分にとって理解できない言語で喚かれれば
それはただの騒音にしかならない。
サービス目当てでシノギに来ているガジリなら
そういった騒音は我慢するのだろうけれど
そこそこ張るような客は、五月蝿いのを嫌がる。
するとせっかく盛り上がった場面が白けていってしまう。
黒服が注意しても、効果は長続きせず
半ば根競べのような感じになる。
そうすると現場にストレスが溜まってきて
他の接客にも影響が出るようになってくるのだ。
この点において、チャンとチャンの彼女は
店にとって非常にありがたい存在だった。
チャン自身は、中国人の女性が主に座るような
10バラや20バラといった低めのレートでは遊ばなかったが
蓮と玲は、低レートでおとなしく遊んでいた。
当時の店にはかなりの数の中国人の女性客が来ていたが
大きく分けて2,3の派閥があった。
別に彼女たちが乱闘をするわけではないのだけれど
何か注意をする時は派閥のボス格に納得させないと
なかなか効果が上がらない。
あまりに五月蝿い客は出入りを断るのだけれど
それもボス格が納得しないと余計に騒ぎになる。
チャンの彼女たちはどこかの派閥に属すと言うよりは
数人の小規模な派閥を形成しているようだったが
よくよく観察してみると、
どのボス格からも一目置かれているようだった。
ボス格の女性にも当然彼氏がいるのだけれど
おそらくチャンよりは格下だったのだろう。
男が女を惹きつける上で最も効果があるのは
世界中どこでも、金と権力だ。
男同士もそれを巡って争うのだけれど
女同士も代理戦争のようなことを繰り返す。
アングラカジノでは表立った抗争にはならなかったが
付き合っている男の格で、ある程度のところまでは
彼女たちの力関係が決まっているのは想像できた。
そして、店にとって幸いなことに、
蓮は静かに遊ぶことを好んだ。
さらに幸運なことに、五月蝿い中国人客がいると
ボス格に向かって鋭く何事かを言って
その客を静かにさせてくれたのだ。
効果は僕ら従業員が注意する時の比ではなかった。
蓮に文句を言われたボス格は
むっとした表情を見せながらも
該当者・・要は下っ端だ・・にきつい口調で何かを言い
言われた該当者はあっという間におとなしくなった。
「アンタのせいで恥かいたじゃない!」
そんな感じだったのだろう。
だけでなく、蓮が店側と同じスタンスを取ることで
店の従業員が同様な注意をする場合にも
同じような効果が生まれてきたのだ。
それから、中国人が嫌う「反目」に対しても
蓮は格上であることを見せ付けた。
例えば、ボス格がバンカーに張ったとする。
その場合、格下の者はプレイヤーに張りたくても張らない。
仮に張ったりするとボス格や取り巻きから罵声が飛び
ベットを半ば無理やり撤回させられることになる。
蓮は、そういったことを一向に気にせず
ボス格が一方に張っていても平気で反目に回った。
ベットがかち合うと、ボス格の方が嫌な顔でベットを撤回した。
その光景は、ベットが低くなる分、
店にとっては必ずしもプラスではなかったが
なかなか滑稽な有様ではあった。
ともあれそのおかげでその後しばらくの間、
店の安静はそこそこ(あくまでそこそこだ)高い状態で保たれて
賑わっているのにまずまず落ち着いて打てるということで
営業をかけて呼んだ日本人も定着するようになった。
当時の歌舞伎町で、1,2を争う繁盛店だったし
数字もかなり良いものだった。
「奴らがあちこち襲って手に入れた金を
国外に持ち出させないで国内で落とさせてるんだから
俺たちでも国の経済にとっては貢献してるよな」
僕らは冗談半分にそんなことを言いあった。
かなり抜けたし、そろそろ箱を替えようかという話も
その頃には上と交わしていた秋口のことだ。
ちょっとした事件が起きたのだ。
事件、と言っても、店には直接関係は無かった。
ただ、影響は非常に大きかったと言わざるを得ない。
チャンが強制送還されたのだ。
悪事が発覚して当局に拘束された、というのではない。
チャンのような幹部クラスは、
そう簡単にはそういったことで引っ張られない。
直接の実行犯にはまずならないからだ。
蓮がたどたどしい日本語で話した内容と
周囲の中国人の話を総合すると、こういうことだった。
チャンがたまたま訪れた中国系のクラブに
入国管理局が強制捜査に入った。
歌舞伎町では良くある話だ。
不法滞在の中国人ホステスを連行した後、
捜査官はチャンにも外国人登録証の提示を求め、
チャンが提示したそれを見て偽造と見破ったらしい。
「あのヒト持ってる登録証、普通の警官は見ても分からない。
ホントのプロだけ分かる」
口惜しそうに蓮は言った。
確かに、最近の偽造技術は格段の進歩をしていて
僕ら素人が見てもまず見破れないものらしい。
入国管理局の捜査員でも判断に迷う物もあるらしいが
真贋を判定する専門家も最近は同行するようになっているのだ。
チャンにとってはアンラッキーだったし
店の売り上げにとっても打撃は大きかったが
大口の客が一人いないからと言って
即座に経営が苦しくなるわけでもない。
痛いけどしょうがないか・・
事件直後、僕はそんなことを思うだけだった。
けれど、チャンがいなくなった影響は
思わぬ形で店に波及した。
店に来る中国人女性客の中で
より格上の男と付き合っている者が
派閥のボス的存在になることは既に書いた。
チャンの存在によって一目置かれ
派閥に属さずに独自の路線を歩んでいた蓮。
ボス格にも怯まずに言いたいことを言えたのは
そのパワーバランスが保たれていたからだ。
それが崩れたのだ。
今まで面白くない思いをしていたのだろう、
ボス格の中国人たちは、
蓮や玲に、露骨に罵声を浴びせるようになった。
反目に回ったりすれば、ほとんど喧嘩腰でベットを下げさせた。
今までのように、蓮がうるさいと文句を言っても
全く聞き入れるそぶりを見せなくなった。
むしろさらに大きな声で何事かを言い返し、
今度は蓮が悔しそうに黙りこむようになった。
怒鳴りあうような声が店に響き、
店の人間が慌てて飛んで行って注意してから
ようやく静かにする始末だった。
それから、例えば空席が一席しか無い場合には
蓮以外の客には手持ちを溶かした誰かが席を譲っていたのに
蓮に対しては知らん顔をして居座るようになった。
店の従業員が遊ばないなら席を空けてくれと頼むと
ボス格が自分のチップを何枚か貸してやって
プレイを再開させてわざと空席を作らないようにする有様で、
今まで黙認していたギャラリー行為を一切禁止せざるを得なくなり、
店として余計な業務を抱えることになった。
それ自体は致し方のないことではあるが
女の戦いの陰湿さと凄惨さを目の当たりにして
僕は正直に言って恐怖に近い感情すら抱いたのと同時に
少しだけ、不思議に思うことがあった。
なぜ、そんな屈辱を味わってまで
蓮と玲はこの店に来るのだろうか。
他にもカジノはいくらでもあった。
新たに店を開拓しておとなしくしていれば
少なくとも露骨な嫌がらせは避けられるはずだ。
屈辱に唇をかみ締めてまで
この店で勝負を続けていた蓮と玲。
いくらチャンとは言え、もう一度日本に来るのは
そう簡単なことではないはずだが
その日まで耐え続けるつもりなのかと思っていた。
ところが。
そういった嫌がらせがどれくらい続いただろうか。
ある日、ふと僕が気が付くと
その嫌がらせはピタリと止んでいた。
チャンがいた頃と同じような応対に変わっていたのだ。
僕はてっきりチャンが戻ってきたのかと思い
ゲームの合間に、あくまでさりげなく蓮に尋ねた。
「チャンさん元気?今どうしてるの?」
蓮はちょっと寂しそうに笑って言った。
「向こうにいる。戻って来れない」
となると、チャンが戻ってきたわけではなかった。
けれど、僕が見る限り、
パワーバランスは明らかに再び変化していた。
特に店の経営に影響があるようなことではないのだけれど
僕はそれが気になって、営業で行った中国クラブで
ホステスをしている中国人にそれとなく話を振った。
「チャンさんの彼女とAさん(ボス格の一人だ)たちは
仲直りしたのかな?
最近あんまり揉めてないみたいだけど」
実の所、そのホステス自身は大していい客ではなかったのだが
いわゆる事情通という存在で、
何かと情報を手に入れるには都合が良く
僕は時々彼女の店に行って金を落としてやっていた。
向こうもそれを自覚していたのか
知っていることは教えてくれた。
彼女が言うには・・
「別に仲直りってわけじゃないの。
やっぱり今までいろいろあったからね。
でもね、妹の方が最近彼氏が出来てね・・」
そういうことだったのか。
僕はようやく合点がいった。
後ろ盾になる男が失脚すれば
女の方も勢力を失うのが当然だけれど、
だからと言って、そうそう別の男に乗りかえられない。
蓮が後ろ盾を失った代わりに
今度は玲がそれなりの格の男と付き合うことで
崩れたパワーバランスは再び均衡するようになったのだ。
まさか、だから蓮は玲を今まで誰とも付き合わせなかったのか・・。
僕はそう思い至って背筋が寒くなった。
中国人の家族の絆と言うのはかなり強い。
どこに行っても彼らは故郷や家族を忘れないし
家族のために出来る限りのことをしようとする。
同時に、年長者が弟や妹に与える影響も大きい。
特に、異国で姉の庇護の元で暮らすような場合は
ほとんど絶対なのかもしれない。
首領格とは言え、いつ捕まるか分からない稼業で
なおかつグループ内の権力闘争もあったであろう男と
異国で付き合うようになった蓮。
そのおかげで彼女はいい暮らしと、優越感を味わってきたわけだ。
けれどいつその暮らしが失われるか分からない。
そんな時に、自分の身とプライドを守るには・・
蓮が玲に近づく男を厳選したとしても、全く不思議はない。
僕らの仕事にも、リスクは付きまとう。
だから、リスクは極力減らしたいし
何かの時のために、なるべく保険をかけておく。
けれど、異国の地で、それもアングラの世界で
生き抜こうとしている彼女たちから見たら
きっと甘すぎるんだろう。
そのしたたかさには、敵いそうもないな・・。
僕は、ただただ溜息をつくしかなかった。
もしかしたらそれは、中国人だけではなく
日本人の女も同じなのかもしれないけれど。