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第25話〜ケンイチ

「志望動機:でっかく稼ぐため」


誰が尋ねたわけでもないのに

ケンイチが差し出した履歴書には、そう書いてあった。

カジノの世界を何も判らないまま、

ただ、稼ぎたいという思いだけで

ケンイチは知り合いのつてを頼って面接にやってきたのだ。


アンダーグラウンドの世界に流れてくる者には

それぞれの事情がある。


遠い将来のことはおろか、一年先、いや、極端なことを言えば

明日のことさえ確かではない世界で

彼らは自分の置かれた境遇を半ば諦め、半ば開き直って

彼らなりに必死で生きている。


彼らがどこで裏街道に足を向けたのかは分からない。

誰かに裏切られたのか、あるいは事業で失敗したのか。

浮利やあぶく銭に魅せられて飛び込んでくる者も少なくない。


ただ、若いうちにこの世界に浸かった者の多くには

ある特徴・・共通点と言ってもいいだろうか・・がある。


彼らのほぼ全員が、学歴という点で一般社会の平均よりも低く、

ほぼ全員が金欲しさにこの世界に浸かるのだ。


中卒、高卒、高校中退、専門学校中退、大学中退・・


彼らに渡すアンケート用紙にこの項目を並べておけば

ほとんどの用紙はこのどれかに丸が付いて返ってくるだろう。


この国の構造は、学歴の無い人々にとって非常に過酷だ。

履歴書に記載できるような学歴が無いだけで、

浮かび上がる機会は極端に限られる。


その構造が、彼らに著しい閉塞感を与える以上、

彼らが金を掴もうと思ったら

こういった世界に生きていくのが手っ取り早い近道だ。


ケンイチもやはり、一年目の夏を迎える前に高校を中退していた。

ぶらぶらしながらパチスロ屋に入り浸ってみたり、

あるいは同じように中退した友人の家で煙草をふかしてみたり。


バイクや車の乗り方は懸命に覚えたけれど

わずか50分×数コマの授業の中身は覚えようとはしなかったのだ。


親や身内に説教をされて仕方なく働いてみても

彼らのような境遇の労働者に支払われる給料は

ちょっと遊んだりするだけであっという間に尽きてしまう。


そのくせに、あごでこき使われるだけの歯車であることに

彼らは耐え切れず、やがて意欲を失い停滞していく。


そんな時、誘いが掛かる。


たいていは誰かの先輩か何かだ。

もちろんろくなことをしている人物ではない。


「美味しい話があるんだけど」


そうやって彼らは裏の世界に入る。


もちろん、表で無ければ裏、といった単純な白黒で

世界は分けられるものではない。

白黒の中間にあるはずの灰色には濃淡があって

それが幾重にも重なっている部分さえある。


例えば水商売や雀荘は黒とまでは言えないだろうが

真っ白とも言い切れるとは思えない。

パチンコ業界だっておそらくそうだろう。


何度か述べてきたけれど

そういった世界は全くの別世界ではない。

あなたのすぐ隣に入り口があるかも知れないし

何かの拍子にあなたが入り込まないとは言い切れない。


学歴も職歴も問われずに、のし上がっていける世界。


鬱屈した若さを抱えたままの彼らにとって

それは非常に魅力的な世界に見える。

そこではたとえ仕事がキツくても、彼らは耐えられる。


闇金融、架空請求、振込み詐欺・・

己を正当に評価する術を持たない彼らにとって

遣り甲斐を感じる収入とは「頑張れば百万以上」なのだ。


アングラカジノも似たようなものだ。

違う点があるとすれば、

純粋な意味での被害者がいないことくらいか。


彼らが金を巻き上げる相手は、自らが望んでやってくる者だ。

現実の刑罰の重さなど知らなくても、

多少は良心の呵責からは逃れられる。


そんな風に研修生としてこの世界に入ったケンイチは

僕から見て典型的な「この世界で嵌っていく奴」だった。


カジノの世界でも、仕事を覚えるに連れて、収入は上がる。

研修生の間は時給に換算すればコンビニの店員と同じくらいでも

一人前のディーラーになれば2倍近く収入は増える。


ほとんどの店では賄いも付くから食費もかからない。

店によっては煙草まで支給してくれる店すらある。

源泉徴収も無く、積み立ても、年金も、社会保険も無い。

給料はほとんど丸々自分の懐に入るようになっているのだ。


ところが、収入が増えると、それに伴って遊びを覚える。


博打、酒、女、マリファナ、クラブのイベント・・


金を稼ぐため、だけにこの世界に入ってきた者は

金を稼いで何をするのか、という点に答えを見つけられないと

稼いだ金をただ使うだけの生活になりやすい。


先のことなど分からないと頭で理解していても

来月の収入を当てにして金を使ってしまう。

どこかで目を覚まさない限り、その繰り返しだ。


そのままのパターンで散財し、やがてパンクしたのか

夜逃げ同然に家を引き払ってサウナで寝泊りしていたケンイチを

当時独り身だった僕は、自分の部屋に居候させてやった。


「やり直す気があるなら、俺んとこ来いよ。

半年居ていいから、その間に金貯めて部屋借りろ」


赤の他人に対して何故そんな親切心を出したのか

僕自身、今でも分からない。

あるいは、弟分のようなものを欲しがる気持ちもあったかもしれない。


当時僕が住んでいた2LDKの部屋の一室で寝泊りさせて

毎月3万を光熱費と寮費として僕はケンイチから取った。

そういうけじめをきちんとさせるところからが、

彼にとって大事な気はしていた。


無学に等しく、読むものと言えば漫画ぐらいだったケンイチに

僕は業界の事情から言葉遣いまで少しずつ教えた。


最初のうちは砂漠に水を撒くような気分しか抱けなかったが

ケンイチはある時急に人が変わった。


時間にも金にもルーズで、

僕が起こすまで起きなかったり、給料の前借を頼んできたのが

そういったところが一切見られなくなったのだ。


ケンイチは目を覚ましたのは何がきっかけだったのだろう。

それは僕には良く分からない。


けれど、明らかに目に見えて仕事ぶりが変わったケンイチを見て

僕はしばらくしてから黒服の仕事を教えるようになり

ケンイチもそれをみるみる吸収していった。


そんなある日、枕元の携帯電話が鳴った。


夜中に動いて、辺りが明るくなってから眠る、

そういう生活をしていると眠りが浅くなり

ちょっとした物音で目が覚めてしまう。


その後なかなか寝付けなくなってしまうこともあるから

本来であれば、携帯電話など電源を落として眠りたい。


けれど、24時間営業で動く現場を仕切る以上

何かあった時に、すぐに連絡が取れないようでは困るから

そう簡単に電源を落とすことなど出来ない。


とは言え、いろんな人間に電話番号を教える仕事だし

中には時間などお構い無しにかけてくる客もいるから

当時の僕も自衛のために携帯電話を二つ持っていた。


携帯電話を使い分けるなんて胡散臭いことこの上ないけれど、

大企業のサポートセンターじゃあるまいし

24時間体制で客の相手などしきれるものではない。


当然、客に教える番号の方は電源を落として、

非常用というかプライベート用の電話だけ鳴るようにしていたけれど

その時鳴っていたのは客用の電話の方だった。


参った・・電源落とし忘れたか・・。


忌々しげに舌打ちをして、僕は電話を取った。

カーテン越しに漏れてくる光は

まだ陽が高いことを教えてくれる。


液晶画面に表示されていた番号は

僕の携帯電話には登録されていない番号だったけれど

客商売をしていて、そういった電話を無視するわけにはいかない。

もしかしたら、番号を変えたという客からの連絡かもしれないのだ。


「もしもし」


受話器を取った僕の耳に、

男の声が聞こえてきた。


「もしもし?・・・さんですか?」


圧のかかる話し方、というのがある。

言葉遣いは別に乱暴でもなく、

声の大きさもごく普通なのだけれど

聞く相手に、どことなくプレッシャーをかける話し方だ。


今は丁寧に話しているけれど

ちょっと受け答えを間違ったら怒鳴り始めそうな感じ、

あるいは意にそぐわない答えを返したら途端に凄みそうな感じ

そう言えばいいだろうか。


極道の話し方がこういう感じだけれど

不思議なことに、刑事も同じような話し方をするから

後ろ盾のある人間特有の話し方なのかもしれない。


どちらにせよ、いきなり電話口で怒鳴り散らしたり

あるいは吼えまくったりするのは概して小物だ。

犬と一緒で、最初から吼える者に大物はいない。


僕は起き上がって隣の居間に移る。

ケンイチは既に起きていて、音を消してテレビを見ていた。


「えぇと・・・どちら様ですか?」


もちろん僕らのような稼業にとって

そのどちらにもまるで用はない。


だから僕は極力言葉を控えながら返事をした。

反射的に、本能的に警戒していた。

無駄口は、時に致命的な傷を負いかねない。


僕の声色を察したのか、

ケンイチも心配そうな表情で僕を見ている。


それを横目で見ながら、

頭の中では声の主について考えを巡らせる。

けれど、僕の頭の中の思考の結論など待つはずもなく、

電話の向こうの男は、僕にこう言った。


「・・・さんですよね。あなた、○○ビルでカジノやってますね?」


心臓が、ドキリとした。

こういうことを言ってくるとしたら刑事なのか。

店が摘発でもされたのだろうか?


あるいはどこかで知り合った客だろうか?

だとすればそれはどこか?


今まで摘発されたことは無いし、前科前歴も無いけれど

内偵捜査などをされていれば、僕の存在など簡単に分かる。


「いやー、そんなこと急に言われてハイそうですって言う人間は・・」


僕はわざと少し可笑しそうに返事をした。

動揺したのは事実だけれど、それを悟らせるわけには行かない。

僕はこの世界で生きていて、一つ学んだことがある。


もし、動揺を隠したくて平気なふりをしたいのであれば、

平気であるとまず自分を騙さなければならない。


芝居というのは、自分を騙すところから始めるもので

そうやって芝居を打ち続けている間に、本当に平気になってくる。

禅問答のようだが、本当の話だ。


そんなやり取りをしているうちに

刑事ではなさそうなことは既に察していた。


もしこの電話の主が刑事で、僕を捕らえようとするのであれば

いちいち電話などかけてこない。

家まで令状を持ってくれば良いだけの話だ。


以前、摘発を経験した知人が言った言葉を思い出した。


「デコスケが言うんだよ。

お前、店出て帰る時にいっつも△△のコンビニ寄ってただろ。

それで帰ってから神社の境内に犬の散歩行ってただろって。

あいつら全部調べ尽くしてやがるんだ」


彼の言葉通りであれば、こんな電話はまるで無意味だ。

データや資料を処分する時間を与えるどころか

場合によっては逃げられてしまうだけだからだ。


ではこの電話の主は何者なのか。


カジノに出入りするような客であれば

こういった不躾とも言える電話をかけてくる者もいる。

彼らは自分自身と僕らとの間には

まるで主従関係があるかのように思っていることもある。


どこかで店の話を聞きつけて

打ちたいとでも言うのだろうか。


はぐらかすような僕の返事に、電話の向こうで男が答える。


「あー、自分はね、D組のYってモンです。

で、カジノやってんでしょ?」


やはり極道だったか。

僕はそう思いながらも、怪訝に感じた。


当時僕が仕切っていた店は、あまりにも「サムい」歌舞伎町ではなく

一時凌ぎ的に隣のブロックに移った直後だった。

移ってからちょうど一ヶ月ほど経っていただろうか。


一見の客を集めるには不向きだったけれど

常連を中心に、短期間やるのであれば

そんな場所でも十分だったからだ。


「あ、Dさんのところの方ですか。

以前はお世話になりました」


どういった世界でも、地元意識というのはある。

プロ野球ではフランチャイズ、サッカーではホームタウン、

大相撲や興行の世界ではご当地力士やご当地歌手というように

郷土の地縁血縁関係というのはなかなかに強固なもので

その影響は決して無視することはできない。


そしてそこから、縄張りというものが発生してくる。

現在では主に極道の凌ぎの範囲を示す言葉として使われることが多い。


この縄張りを余所者に荒らされるのは

面子の問題もさることながら

凌ぎに直接の影響が大きいというのもある。


ある土地を縄張りとする地元の組を地廻りと呼ぶのは、

余所者が入り込んでいはしないかと

巡回して見張るからだろうか。


ところが、歌舞伎町という巨大な繁華街においては

一つの組織だけがそこを縄張りとするわけにはいかない。


地廻りに幾らかショバ代を払っても

歌舞伎町に凌ぎを持つ意味は大きいから

全国からそういった連中が凌ぎを求めてやってくる。


(余談ではあるが、警察の白書などでは

関西を本拠とする巨大暴力団の東京進出は

この数年になってから、というように記載されていたが

実際の感覚では、バブル前後くらいから

既にチラホラと入り込んできていたように思う)


実際、僕自身の経験でも、オーナーのつながり次第で

前回の店ではケツ持ちはD組だったけれど

今回はK連合に頼む、などということも頻繁にあった。


もちろん今回もD組ではないが、あるところにケツ持ちを頼んでいた。

ケツ持ちの人間が、盆暮れの付き合いに電話をかけてくることはあるが

そうでない組が電話までしてくることなどまず無い。


いったい何の用だと言うのだろうか。

僕は如才なく挨拶をしながらも、不思議に思う。


そして電話の向こうでYと名乗った男は話を続け、

僕はその話でようやく合点がいったのだ。


「あの辺りはウチのシマってことは知ってますよね?

で、カジノやる前にウチの方に話は通ってますかね?」


僕が直接話を通したことは無かったから、

聞いた瞬間はまずい、と思った。


けれど良く考えれば、こちらは既にケツ持ちを頼んである。

であれば、地廻りに話を通すべきなのは

僕ではなくて、こちらのケツ持ちということになるし

それをしなければ揉め事になるのは極道なら百も承知なのだから

それくらいはきちんとやっているだろう。


「いや、今回はMさんのところに世話になってるんですが

そちらの方から話は行ってませんか?」


そう思い直した僕は、Yという男に問い返した。


「いや、聞いてないですが、分かりました。

ちょっと調べてみます」


「ええ、お願いします」


そんな遣り取りを終えて電話を切り

僕はすぐにケツ持ちのところに電話をした。

万が一話を通してなければ、ケツ持ち的には


「下手を打った」


ということになるけれど

そのケジメの付け方を彼らは考えなければならないからだ。


「え?そんなこと言ってきました?

おかしいな、話通してあるけどな。

ま、大丈夫ですよ。あっちの勘違いでしょう」


のんびりとした答えを聞いて

僕も少し安心したのだけれど

同時に僕は、事の経緯を想像してちょっと驚いた。


地廻りが、歌舞伎町ではない場所のカジノ(それも常連中心の店だ)

の存在を嗅ぎつけて、そこを仕切っている人間の名前を割り出し

その人間の携帯電話の番号を調べるまでに

一ヶ月しかかからないということになる。


その行動力の源になるのは、疑いも無く、金だ。


実際、こういった稼業をするに際して

変にケチって地廻りに話を通さないでやるというのは

発覚した場合に大変な事態になる。


得た利益を全て吐き出す羽目になるのは明らかだし

場合によっては命さえ危うい。


逆に言えば、命の危険をちらつかせる事で

彼らは「話を通してからやれよ」と言っているのだ。

話を通してからやる、というのは

言い換えれば、金を持って来いということだ。


Yと名乗った男は、その後電話をかけてくることはなかった。

やはり、ちょっとした話の行き違いで

既に話は通してあったのだろう。


もちろん、だからと言って彼らが

勘違いを詫びてきたりすることは絶対に無い。

そういうことで下げる頭は、彼らは持っていない。


後日、僕は事の顛末をケンイチに話した。

ケンイチはしばらく黙っていたが

やがて、ぽつりとつぶやくように言った。

少し、怯えたような表情だったのが、やけに鮮明に記憶に残っている。


「なんか・・怖い世界っすね・・

立場が上になるとそういうのもあるんだ・・

勘違いしたまま拉致られちゃったり、なんてこともあるんですか?」


あるともないとも僕は答えなかった。

僕だってそこまでは分からないからだ。

金が絡めば人は簡単に変わる。

絶対ないなんて誰に言えるだろう。


あれから、ずいぶんと長い歳月が流れた。


ケンイチはその後すぐ、居候から自分の部屋を借りて移り

僕もいつしか所帯を構え、

やがてアンダーグラウンドの世界から離れたのだけれど

ケンイチは相変わらずカジノの世界にいて

今では店の仕切り役として働いたりもしている。


数学的な知識も、経営的な知識も

ケンイチは体系的には学んではいないけれど

自分が自分の体で覚えたことを忠実にやり遂げる、

そういう意味での一貫性や愚直さがケンイチにはあるのだろう。


時々僕らは会ってお茶を飲んだりもする。

ケンイチの店には時々不良も来るようで

最終的にはケンイチが相手をしたりすることもあるらしい。


「面倒ですよね、あいつら受けると最初はいいんですけど

最後は絶対半分戻せとか言い出すし」


苦笑いを浮かべながらケンイチはこぼす。


あの頃、ほんの少し極道の影を見ただけで

怯えたような表情を見せていたケンイチはもうそこにはいない。

年齢を重ね、場数を踏むことで彼は一人前になったのだ。


履歴書に書き記していたような

彼なりの野望を掴めるかどうかは

もちろん、僕などには分かるはずも無いのだけれど。


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