第24話〜アユミ
彼らが来店した瞬間、嫌だな、という直感があった。
入り口付近にいた従業員には目もくれず
奥の高レートのテーブルに向かったのは
若い女が一人と、三十代と四十代の男が四人。
時刻は早朝・・6時を少し回ったところだったろうか。
警察の関係者や組関係の風体ではないのは分かった。
むしろ男の集団の方は同業風の雰囲気を漂わせていた。
全員の顔を確認できたわけではなかったが、
その中の一人は見覚えもある顔だった。
なのになぜ嫌な印象があったのか。
同業に限らず、早朝という時間帯に集団で来店する場合
アルコールが入っていることが極めて多いのだ。
朝まで飲んで騒いで、そして勢いが付いた挙句に
いっちょ一勝負しようかなどという流れになってやってくるのだ。
泥酔さえしていなければ、酔った客は冷静さを欠いた美味しい客だし
それ自体は一向に構わないのだけれど
酔いのせいで騒いで他の客に迷惑をかけるケースもある。
盆面もあまり良くないことが多い。
特に同業の場合、場荒らしに近い振る舞いをする者さえいる。
僕がまだ下っ端の頃は、上の人間に
「他の店に遊びに行く時はみっともない真似するんじゃねぇぞ」
などと口を酸っぱくして言われたし
実際それはこの世界の常識と言ってもいいのだけれど
それが必ずしも守られることがないのも良く有る話だ。
だからと言ってその前に断るわけにもいかない。
彼らは新規の客ではないし、同業というのは基本的にはカモだ。
ゴトを仕掛けに来る場合も無いわけではないが、
そう簡単に出来るものでもないし、させるはずもない。
アングラカジノで博打を受ける側にとって一番美味しいのは
20万から100万程度の金で遊びに来る客だ。
持ってたってせいぜい2、300だろ?
そんな感覚で受けられる客、いわゆる中堅ベッターが
カジノにとってはいわばボリュームゾーンでもある。
逆に言えば、いくら持っているのか見当も付かない客は
受ける場合でもちょっとした怖さがある。
持っていても10万以下、という客であれば
手間ばかりかかって、という思いだけで怖さは無いが
次から次に金が出てきて、億の勝負になる客というのが
歌舞伎町にはごく稀に出現するのだ。
こちらにアドバンテージのある勝負とは言え、
途中で客側に勝ちが偏ることはいくらでもある。
それが億単位の客であれば数千万になるのだから
怖さが無いはずはない。
とは言えそんな客は本当に稀だから
従業員や自分の目にさえ自信があるのであれば
これはもう受ける一手と言ってもいい。
騒ぐようならきちんと注意して行くように指示を出し
僕は、彼らが座ったテーブルが見える位置にさりげなく近づいた。
見たことがない客は観察から入る、
これはこの商売の鉄則だ。
あくまでそれとなく、一人ずつ顔や服装、アクセサリーなどを見て
さらに言動にも目を配る。
バッグや携帯を置く位置、視線の先、手元や手の動き・・
見るべき場所はいくらでもある。
特殊塗料を塗ったカードを使ったゴトであれば
携帯や、バッグや煙草の箱の中に忍ばせたカメラで読み取ろうと
そういったアイテムの位置をしきりに微調整したりすることもあるし
マジシャン系のゴトであれば、手元を見張っていなければならない。
食うか食われるかの世界で
人の善性などに期待していたら馬鹿を見るだけなのだ。
僕が見たところ、彼らは酔っているわけではなく、
おそらく仕事明けであることを窺わせる振る舞いだった。
ゆっくりと、一人ずつ見ていき、
一人だけ混じっていた女の横顔に僕は目を止める。
どこかで見たことのあるような横顔だったが思い出せない。
けれど、自分よりも明らかに年長者であろう男たちに対して
やけに見下ろすような態度で接しているところを見て
僕は、彼女がおそらく彼らの働くカジノの上客か
あるいはオーナーサイドの人間であろうと当たりを付ける。
Cの文字が重ね合わさったバッグとおそらく同じブランドの時計・・
身に付けている物は高級そうな物ばかりだったが
その中から取り出された豹柄の布地が貼られている手鏡や
目元に着けられたラメ交じりのファンデーションと
爪を彩るゴテゴテとしたネイルアートが
彼女の好む世界観をうっすらと示していた。
そして僕は、男の一人がチップを買うために出した札束を受け取る際に
彼女の顔を正面から見た瞬間、彼女のことを思い出したのだ。
あれはアユミじゃないか・・。
それは、この世界ではかなり有名な女だった。
アユミは、元は僕らと同じアングラカジノの従業員だった。
確か、最後は六本木でウェイトレスをしていたはずだ。
ただし僕自身は一緒に働いたことはない。
特に優れた美貌の持ち主というわけではなかったが
スタイルが良く男好きのする顔立ちだったアユミは、
当時アユミが働いていた店のオーナーに見初められて
強引に口説かれた結果、彼女として成り上がったというわけだ。
そして成り上がった人間に往々にして見られるように
アユミはその我侭ぶりで有名で
あちこちのカジノに出入りしては、傍若無人な振る舞いで
かつての同業者たちに顰蹙を買っていた。
「あんたたちとあたしは違うんだから」
言葉にしなくても、アユミがそう思っているのは伝わってきたし
あろうことか、アユミはしばしばそういった内容の発言をした。
さすがにパンの代わりにケーキを食えとまでは言わなかったけれど。
もちろん彼女の言っていることは別に間違ってはいない。
僕ら男はもちろんのこと、大半の女性は
「容姿だけ」で成り上がることはできない。
要は、それを口にすれば反感を買うだけの話だし
そういった反感が気にならないのであれば
振る舞いを改める必要もないだけのことだ。
ただし、そういった振る舞いを除きさえすれば、
アユミ自身は負け始めると数百万は落とす客だったし
言ってしまえばその点においてはカモでしかなかった。
一時的に勝つことがあっても、いつかは負け組に入るのであれば
そしてその時にこちらが十分潤うだけ落としてくれるのであれば、
相当な侮辱を受けたとしても、僕らは何とも思わない。
罵声を浴び、嘲笑され、小突き回されたとしても
作り笑いであろうと笑顔で頭を下げられないようであれば
そういったことが耐えられないのであれば
この仕事は(たぶん接客業全般は)務まらない。
とは言え苦痛でないはずはないから、
僕はこの後に味わうであろう屈辱を想像して
いささかげんなりしながらも、
いつものように、営業用の笑顔を作ってテーブルの近くに立っていた。
ディーラーがテーブルに着き、カードをシャッフルしてから
白いシュートボックスに入れてゲームをスタートさせる。
30万ほどのチップをそれぞれ買った彼らは
ああでもない、こうでもないと会話をしながらゲームに興じる。
当然一部始終はカメラを通じて記録されているし
万が一が無いように、黒服が目を光らせている。
最初のうち、彼らは冷静にゲームを進める。
もちろんアユミもそうだ。
熱くなって大きく張ったりすることはまず無い。
1回に2、3万ずつ(実際のところ、それでも張り過ぎなのだが)を
自分が予想した方にベットしていく。
アユミは自信がある時は5万ほど張っていただろうか。
ところが、何かの拍子にアユミのその冷静さは崩れる。
自分の予想が外れたせいとは限らない。
誰かの一言、仕草でなぜかカチンと来てしまう。
その原因が従業員だったりすればもちろんのこと
仲間であってもそうなってしまうことがある。
特に、自分より下だと思っている人間の仕草を気にしだすと
それはどんどん苛立つ原因になる。
アユミが何に苛立ったのかは分からない。
彼女はいつの間にか熱くなり、毎回10万以上をベットするようになって
あっという間に追加のチップを買い足し始めた。
追加が100万を超えた頃、
アユミは黒服に吐き捨てるように言う。
「ちょっとアンタそこ目障りよ、退きなさいよ」
黒服が立ち位置を変えたわけではなく
彼は最初から同じ位置に立っていたのだけれど
アユミは苛立ちの捌け口をそこに求め
黒服は慌てて数歩分下がる。
もちろんそんなことで一度崩れたリズムは戻らない。
アユミは冷静になるように諌める周囲の声にも耳を貸さず、
周囲と反対側にベットするようになっていった。
あるいは、周囲が諌めるせいで余計熱くなったのかもしれない。
僕らに対するのと同じで、アユミにとって周囲の男は
自分の彼氏が食わせてやっている使用人のようなもので
間違っても同格の存在ではない。
そんな存在に諌められるという事実自体が
アユミにとっては我慢ならなかったのかもしれない。
やがてアユミは再び黒服を呼んで言った。
「あっちのテーブル開けて。あっちで一人で打つから」
アユミが言った「あっち」というのは
今アユミが打っているテーブルより少しレートは下がるテーブルだったが
打ちたいと言う客がいなかったので、その時はクローズされていた。
カジノのテーブルゲームというのは
テーブルごとに店側が受ける最大差額が決まっていて
その時は5万、15万、30万、50万という設定だった。
最初50万のテーブルに座っていたアユミは
30万のテーブルを開けろと言ったのだ。
打たせるために設置してあるテーブルだから
客が希望すれば開けざるを得ないのだが
早朝の時間帯は比較的暇なことが多いために
シフトに入れてあるディーラーの数も少ない。
店にあるテーブルは4台だったが、早朝のこの時間は
全部の台が同時に開くことは想定してはいない。
ここで4台稼動させるには、勤務中のディーラーの数が足りなかった。
だから黒服も腰を低くしてアユミに告げた。
「この時間帯はあちらのテーブルはクローズになってまして・・」
とは言え、僕にはその結末は見えていた。
そんな返答で納得するはずも無いのだ。
案の定、アユミは柳眉を逆立てて言った。
「何言ってんのよ、お客さんが打ちたいって言ってるのよ。
打たせないんだったら商売なんかやめればいいじゃない」
どのテーブルを稼動させるかは店の決めることであって
客が強要することはできないのだけれど
(その時間だけテーブルクロスを敷いて花瓶の一つも置いてしまえば
飾りだ、と言ってしまうことも極論すれば可能なわけだ)
それは原則の話であって絶対のルールではない。
傍にやってきた黒服に僕は言った。
「いいよ、開けよう。俺も入るよ」
店の中で要注意人物と言えるのはアユミだけだったし
一人分ディーラーが増えるだけで何とか回るなら、
もちろん回した方がいいに決まっている。
忙しい思いをするディーラーはいい迷惑だけれど
僕がディーラーだった頃は、休憩時間なんてほとんど無く
10時間働けば8時間以上はテーブルに入っていた。
要は慣れの問題なのだ。
そして新たなテーブルを開けてディーラーを入れ
ゲームをスタートさせてしばらくした時
アユミは蓮っ葉な口調で、再び吐き捨てるように言った。
「大体、アンタたちはさ、座って仕事できるんだからいい身分よね。
それで一回入ったらしばらく休憩して。
アタシなんかそれこそ9時間も10時間も立ちっ放しだったわよ。
ラスベガスなんかでもディーラーは立ってんじゃない。
お客さんの前で座って対等に仕事するなんて何様よ」
確かに日本のカジノではディーラーは座っているし
海外のカジノでは立ってディールするテーブルも多い。
とは言え彼女の言っていることは無茶苦茶だ。
ディーラーが座っているのは、別に客と対等だからではない。
休憩させようとさせまいと、アユミがこの店で給料を払うわけではない。
アユミはかつてウェイトレス時代に自分が味わった苦痛やストレスを
成り上がった今、誰かに強制することで解消しているのだろうか。
当然ではあるが、口をつぐんで反論しないディーラーに、
アユミはやがて嫌がらせを始めた。
その時ディールしていたディーラーは
どちらかと言えば小柄な女のディーラーだったけれど
その子が立って思いっきり体を伸ばさなければ
チップを付けたり取ったり出来ない枠ギリギリにベットし始めたのだ。
普段からそのディーラーを見ている僕は
彼女が必死に憤りを抑えているのが手に取るように分かったし
ただでさえ小柄な彼女にとって
それがかなり負荷がかかる行為であることも分かった。
僕は黒服に目で合図を送り
上着を脱いでディーラーの後ろに立って言った。
「シュートの途中ですがディーラーチェンジさせていただきます」
その後3時間ほど、僕はずっと立ったままディールし、
彼女と1対1でゲームを続けた。
シュートの合間、客にカードをチェックさせるショウ・カードの時だけ
僕はそれを他の従業員にやらせ、トイレに行き、飲物を飲んで口を湿らせた。
アユミは時々
「何でアンタばっかり入ってくるのよ。
イカサマでもしてんじゃないの?」
などと憎まれ口を叩いていたが
やがて持ち金を全て打ち込んだらしく、
しばらく僕のことを睨み付けていたが
すっかり白けて勝負を止めてしまっていた連れを一瞥してから席を立った。
連れとともに店を出るアユミは、
見送るためにエレベーターの扉のところまで行った僕に対して
「アンタの店は従業員の態度が悪いのよ」
「こんなサービスじゃ店は流行らないわよ」
「全くトップがガツガツしちゃってやだやだ」
などと散々嫌味を言って帰った。
サービスとして渡したタクシーチケットは
中身だけ封から抜いて、封はこれ見よがしにその辺に放り捨てた。
もちろん僕は、それに反論も注意もせず、捨てられたゴミを拾い
「すいません、お疲れ様でした」
と頭を下げるだけだった。
怒りも、反感も、もちろん妬みも無かった。
ただ、ずっと立って曲げ伸ばしを繰り返した腰と
チップの付け下げのために重心をかけ続けた片方の膝がやけに痛くて
僕は頭を下げて床を見ながら、そのことばかり考えていた。
アユミはその後も時々来店し、
無理難題を言い出したり、我侭放題を続けた。
勝つこともあれば負けることもあったけれど
落とす金額だけを通算すれば、アユミは間違いなく上客の部類だった。
ところが、アユミの遊び方は次第に変わっていった。
今までだったら確実にチップを追加していたところで席を立ち、
場合によってはほんの僅かの浮きでも場を洗うようになったのだ。
僕にはその原因が薄々判っていた。
おそらくアユミは駒が回りきらなくなったのだ。
アングラカジノの世界は狭い。
どこの店が流行っているだとか、
どこの店がパンクしそうだとかいう情報はすぐに業界に回る。
従業員の移動が激しい世界だから口止めしてもすぐに漏れる。
僕はアユミの彼氏の店にいた従業員から
店の利益がまるで出ていないことを伝え聞いていた。
「やばいっすよ、ガジリばっかりで。
給料が遅れたんで、ソッコー辞めてきちゃいました」
もちろん末端の一従業員だから、
店の状況を詳細までは知るはずも無い。
なんだかんだと言っても、長くやっている店は
一時的に苦しくても持ち直すことも多い。
ただ、彼の言葉を裏付けるように
アユミの振る舞いはずいぶんと切羽詰ってきているように見えた。
ガジリというのは店のサービスを食い荒らす人種だ。
彼らがやっているのは勝負ではなく、単なるゲームの消化だ。
だから当然、店は彼らを排除し、彼らにサービスを出すくらいなら
その分のサービスを上客に回した方がいいと考えるようになる。
ところが、今までは上客だったのが、
だんだんと資金が細くなっていっていってしまうケースがある。
いや、ほとんどはそういうものだと思っていいだろう。
自分の甲斐性を超えた分を張り続けていれば
どんな客でもいつかは破滅へと向かう。
その、まさに破滅へ向かう途中で、
かつての上客はガジリへと方向転換することがあるのだ。
通常、20万で2〜3万のサービスを出す場合、
店は、最低限度のベットで100番以上のゲームを客に強制する。
本当はそれでも甘いくらいなのだけれど、
それ以上強制するのは現実的ではない。
一方、上客であれば5万、あるいはそれ以上のサービスを出したり
あるいは消化ゲーム数の強制を甘くしたりする。
そんな強制を受けるのは誰でも気分が良くないから
長い目で見れば強制するまでもなく控除しきれる上客は
細かいことは言わずに気分良く遊ばせておきたい。
この特別待遇を受ける上客がガジリ行為をするというのが
店側にとっては一番困る。
5万のサービスを貰っておきながら
ものの数分で席を立たれてしまってはどうにもならない。
30万のチップを30分もしないうちに35万で換金されてしまえば
何のための特別待遇か分からないのだけれど
それをかつて上客だった人間に言うのは、なかなか難しい。
苦しくなってきた上客の中には、
それを逆手に取って、ガジリ行為を続ける者も少なくない。
アユミがまさにそれだった。
なんだかんだと理由をつけては
4,5万のサービスを持ち帰るようになったのだ。
「従業員の態度が悪いから気分悪いのよ」
「アヤが付いたから今日はもう終るわ」
言い訳とも憎まれ口ともつかないことを吐き捨てて店を後にするアユミ。
おそらく他の店でも同じようなことをしていただろう。
歌舞伎町界隈の業界人の間では、すぐに噂になった。
「ありゃもう終るね」
「VIPもどきのガジリだよ」
そんなことを言い合っていたりした。
そろそろサービスを絞る時期だと僕も思っていたのだけれど
そう思い始めた頃から、アユミはぷっつりと姿を見せなくなり
いよいよ終わりかと誰もが思い始めた。
妊娠したなどという噂もあった。
そんな時、僕は思わぬところからアユミの話を聞いた。
ある時、知り合いの金貸しと雑談している時に
僕はこんなことを尋ねられた。
「ね、Oさん知ってるでしょ?
渋谷のNとか六本木のCってカジノやってた」
もちろん知っていた。Oという男は、まさにアユミの彼氏だった男なのだ。
僕が頷くと、金貸しは可笑しそうにこう言った。
「あのOさんがさ、ウチに来て一本(=一千万)貸してくれって言うのよ。
そんなのトイチで回したって飛ぶに決まってるんだから断ったわけ。
そしたらさ、自分が乗ってるベンツ・・確かS600かな、
それ担保に入れるからって言い出して。
ベンツ入れるなら800までいいよって言ったら、
女に使わせてたBMWも入れるからもう200貸してくれだって。
よっぽど詰まってるんだなと思ったね。
あの人の店、流行ってたんじゃなかったの?」
元従業員の話を聞くまでも無く、Oがやっていた店は
決して客の入りは悪くなかったはずだ。
けれど、景気が後退しているにもかかわらず
バブル期のような営業形態を取っていたから
ガジリにとっては天国のような店だっただろう。
だけでなく、従業員の経費には無駄も多かったはずだった。
買い出しのついでに私物まで買い込むような従業員もいれば
責任者クラスが営業費と称して飲み歩いたり、
空の領収書を切ったりするケースもあっただろう。
僕が中にいたわけではないから確かなことは言えないが
あちこちから漏れ聞こえてくる話からは
そういった弛緩した雰囲気しか漂ってこなかった。
「どんなに入ってたって、ダダ漏れのまんまじゃ
1000くらい引っ張ったってどうにもならんでしょうに」
そんな話をした後、僕がそう呟くと、金貸しは頷いた。
「まぁ実質900だし、利益出てなきゃすぐまた詰まるよね。
こっちは車流したから損はしてないけど。
なんか、渋谷の店も新橋の店も手放したらしいよ。
最後に追い込みに自宅行ったら女にすげー目で見られてさ、
泣き喚いてたと思ったら、今度は暴れだしてえらい目だったよ。
最後はOさんにみっともない真似すんなって横っ面張られてたわ」
その時のアユミの様子は、僕にも容易に想像できたけれど、
僕は子供がいたかどうかは尋ねなかった。
あれだけ気位が高い振る舞いを重ねていれば
子供の有無に関わらず、没落した後の苦労は想像に余るだろう。
「長崎に引っ込むんだとさ」
金貸しはそう言った。
「長崎?」
「そう。Oさんは五島列島の出なんだとさ。
こっちで今更知り合いに頭下げて仕事もらうくらいなら
田舎で二人で働けばどうにでもなるって考えるわな」
都会の華やかな世界を散々味わったアユミが
田舎暮らしをちゃんとできるのか、僕は少し疑問に思った。
とは言え、彼女を助けてくれそうな人物が、
若くしてカジノの世界に入ってそのまま成り上がり
傍若無人な振る舞いをし続けた彼女の周囲にいるとも思えなかった。
それに、仮に僕が彼女の知り合いだったとしても
助けるかと尋ねられれば、首を横に振ると思う。
立場の弱い者を虐げることでストレスを発散していた彼女を
救う力も、救う気持ちも僕には無い。
アンダーグラウンドの世界でも大して大きくないカジノの世界の
その中のたった数軒の店の中のマリー・アントワネット。
アユミに、あるいはアユミの支配する店に
最後まで忠誠を誓う者は、たぶんいなかっただろう。
むしろ店の最後には、金目の物を盗む者さえいたかもしれない。
煙草、薬、細々とした雑貨、あるいはタクシー券など・・
どうせ潰れる店なら、何かの足しに持っていってしまえ。
彼女の周りで表面上かしこまっていたのは、そんな輩だったのだ。
だけど、革命が起きてギロチンにかけられなかっただけマシだろ、
もし僕に、アユミに煮え湯を飲まされた経験があったら、
僕だってそう言いかねないのだ。
さすがに、自分から復讐まではしないとしても。