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第20話〜オオムラ

日本のアングラカジノにおいては、

黒服はピットクルーとしての働きのみならず、

セキュリティも営業も兼ねなければならない。

シキテンという見張り役を置いていることも多いが

シキテンはあくまで店の外の部分しか見られない。

店の中のことに関しては、黒服が見ざるを得ないのだ。


もちろん全ての黒服が何でもこなせるわけではない。


ピットクルーとしての仕事しか出来ないという者も多い。

客の出す金を受け取りチップを渡す、あるいは逆にチップを金に換える。

やること自体は誰でも出来るような仕事だ。


そもそもそれほど有能な人材が入ってくる業界ではない。

彼らのほぼ全員が、金のためにやっている。

僕ももちろんその中の一人だった。


人はパンのみのために生くるにあらず・・


そんな文句とは裏腹に、この世界では

仕事は「パン」のみのためになされる。

誇りも、向上心も、遣り甲斐も、無い。


そんな連中が集まる世界で

努力や研究、日々の積み重ねが求められる業務を彼らに求めても

砂を噛むような思いをする羽目になるだけだ。


だからちょっと気の利く人間がいれば

その人物を見込んでいろいろと教え込むようになる。

誰彼構わず教えたところであまり効果は無いのだ。


問題はそういった人間にも

あるいは箸にも棒にもかからないような人間にも

同じような金しか出せない、というところにある。


能力のある者に金を出すのは可能なのだが

それを納得するような人間も少ない。

もともと金目当てで集まっている分、

自分よりも多くもらっている人間への嫉妬の感情は激しい。


足を引っ張り、陥れ、場合によっては客と組んで不正に走る。

獅子身中の虫と言うか、身内に敵を作るようなものだから

それを防ごうと思えば横並びにせざるを得なくなる。

そして今度は有能な人材の方に不満が蓄積していって

やがては貴重な人材を失っていくことになるのだ。


ただ、それを超えて結びつく人間関係も少ないながらも存在する。


「この人だったらついていこう」


そんな感情を下の人間に抱かせる器量の持ち主もいる。

僕にとっては、オオムラがそういう人物だった。


オオムラは最初、僕が研修生として入った店の責任者だった。

僕よりも10歳ほど年上だったろうか。

いささか過酷過ぎるようにも思えるルーレットの研修を終えて

ようやくカードゲームのディールを教わり始めた時に

僕らにそれを教えてくれたのがオオムラだった。


研修の合間にオオムラの話すアンダーグラウンドの世界のエピソードに

僕は不安と楽しみが入り混じった不思議な感情を覚えた。

この世界に自分はいつまでいて、どんな生活を送るのだろう・・

そんなことを漠然と考えたりもした。


実のところ、オオムラの教え方は大雑把で、

他の研修生にとっては決して良いコーチではなかったようだが

僕は不思議とオオムラと馬が合った。

おそらくオオムラも目をかけてくれていたと思う。


そして、二号店を出すという話が決まった時に

オオムラは店長に昇格という形で二号店に移ることになった。


新店舗を出す時には良くあることだが

店長等の幹部にとって使いやすい人間を何人か連れて行くことがある。

自分の手足となって動いてくれる人間がいないと

軌道に乗せるどころの話では無くなる。。

組織固めという意味合いにおいては当然のことでもある。


そしてオオムラが連れていこうとして選んだうちの一人に

ディーラーになって数ヶ月の僕が含まれていたのだ。


「お前はオーナーのお気に入りだしな。

それに俺は体育会系の人間だからさ、そういうのを選んだんだ」


冗談なのか本気なのか分からないようなことを言って

オオムラは新店に僕を誘った。

当時の僕の住んでいたところからは少し不便な場所だったのだけれど

僕はほとんど迷うことなく承諾した。


まだ、世の中がバブルの狂乱に明け暮れている時代だった。


オオムラに誘われて移った新店で、

僕はがむしゃらに働き続けた。

そして良くない遊びを覚え、嵌まり、己の博才を勘違いしかけた。


それでも、僕はいつしか、少しだけでも金を残そうと

少しずつ生活のあり方を変えた。


それもオオムラの一言が一つの契機だった。


「お前な、遊ぶのもいいけど

それじゃこの先何にも残らないぞ」


正直に告白すると、それをそのまま聞き入れるほど

当時の僕は賢明では無かったけれど

その一言は僕の耳にずっと残り続け、

僕はある時の大敗をきっかけにきっぱりと博打を止めた。


オオムラの一言の意味がやっと分かった瞬間だった。


そしてある日、僕らがもともといた一号店が摘発された。


実は、より摘発されそうだと噂されていたのは二号店の方だった。

一号店に残ったディーラーから


「お前んとこ、寒いんだって?

馬鹿だな、こっちに残っとけば良かったのに」


などと言われていた僕がオオムラに


「この店、寒いんですか?」


と尋ねた時にオオムラが


「寒いか寒くないかだったらそりゃ寒いさ。

でも寒くない店なんてあるのか?

腹くくらにゃどうしようもないだろ」


と言っていたのを僕は思い出した。


「あのまま居続けてたら俺も持ってかれてたんだな・・」


そう考えると、少し不思議な気分だったけれど

現実として僕がやらなければならなかったのは

一号店の摘発のせいで閉店を余儀なくされた二号店の

冷蔵庫の牛乳や生鮮食品をオオムラと残らず廃棄することだった。


そして、その日から僕は職を失った。


とはいえ蓄えはいくらかあったから、

すぐに生活に困ることは無かったし

ディーラーの仕事の話など、いくらでもある時代だった。

数人の知り合いに声をかけただけで

びっくりするくらいの求人があふれていた。


そんな時に、僕はオオムラからまた誘われた。

ヘルプ扱いで長くても3ヶ月くらいしか働けない話だったけれど、

僕の住まいからはさらに不便な街だったけれど

僕はほぼ即決でその店に行くことに決めた。


「その後は俺が自分で店を出すつもりなんだ。

もうオーナーもいるし、準備には少しずつ入ってるから」


それは、今にして思えばずいぶん心もとない話だったが

僕はそれを頭から信じて、


「その時にはまた手伝いますよ」


などと言っていた。


使えるディーラーというものが不足していた時代で

完全な売り手市場であることを僕は十分に理解していた。

だから、オオムラが本当に店を開けるなら

ディーラーの確保が大きなネックになるであろうことも

当時の僕には分かっていたのだ。


果たして3ヵ月後、オオムラは歌舞伎町で店を出した。

ヘルプを辞めて移ろうとした僕を巡って

オオムラとヘルプ先の間でちょっとした揉め事になった結果、

僕は開店直前までヘルプを続ける羽目になったけれど

僕はその店で黒服をすることになった。


「そんなにいい金は出せない。

でも、当てに出来る人間があんまりいないんだ」


そう言って頭を下げたオオムラに僕は何も言わなかった。

確かに、もっといい条件はいくらでもあったけれど

僕にとってはそれはあまり大きな問題では無かったのだ。


その代わり、というわけではなかっただろうが

オオムラは僕に黒服の基礎を叩きこんでくれた。


「お前がこの先どこの店に行っても食っていけるように

俺の知ってることは教えておく」


オオムラはそう言って、僕に様々なことを教えてくれた。

客の嗜好や外見的特徴を手帳にメモするようになったのも

オオムラにそう言われたからだ。


「カジノがこれだけあるんだから

自分とこを選んでもらえるようにしないと。

そのためには客をしっかり捕まえるんだ」


もちろん言葉にして教えてもらうことばかりではなかった。

僕が失敗した尻拭いをしてから

どうすれば良かったのか考えさせられることも多かった。


「人はまず見かけで判断しろ」


僕がうっかりやくざ者を店に入れてしまった時、

オオムラはそのやくざ者を断ってから

モニターの画面を見ながら、そう言った。


「服装や持ち物にはな、そいつの人間性が出るんだ。

例えば歌舞伎町みたいな繁華街で

ジャージやサンダルでカジノに来る人間は、

間違いなく普通の仕事なんかしてないんだから。

大体ヤクザか金貸し、水商売だろう。

スーツだって堅気とそうじゃない人間の着方には違いがあるんだ」


「どこに手がかりを見つければいいんですか?」


人を見る目などまるで持ち合わせていなかった当時の僕は

そう愚痴をこぼした。


「見ろ、とにかく見るんだ。

指の欠損は無いか、言葉遣いはどうか、

腕や首筋から刺青が見えないか集中して見るしかないんだ。


夏に長袖を着ているには理由があるはずだ。

ポケットに手を突っ込んでいるのにも、理由があるかもしれない。


だったらどうすればいい?


俺ならゴミでも拾うふりしてしゃがみこむね。

上からだったら見えなくても下からなら見えるかもしれない。

靴だってヤクザとサラリーマンじゃ違うだろ。


指が見たければ片手を使っている時にお絞りを差し出して見る。

規約書にサインさせる時なら両手を出すだろう。

その時の字の書き方はどうだった?

丁寧な字か?適当に書き殴ってたか?

そんなところにもそいつの人間性は出るもんだ」


僕はオオムラの言うことを

すぐに実践できたわけではなかったが

それでもその意図については十分に理解できた。


オオムラの教育は、客が遊んでいる時にも行われた。

僕がテーブルから少し離れたところから見ていると

オオムラが小声で僕を呼んだ。


「あの5番の客がはめている時計見たか?

ヴァセロンの時計してるだろ?

もしかしたら結構いい客になるかも知れんぞ。


博打に使うかどうかは別にしたって

ヴァセロンの時計なんか質屋は扱わないからね。

中古で買うような時計じゃないんだ」


「どうしてですか?」


僕は尋ねた。時計などにほとんど関心が無い僕は

オオムラの言っていることを理解できなかった。


「ま、時計なんかもある程度の知識は必要なんだけどな。

ロレックスは知ってるだろ?中古の市場で流通する高級時計ってのは

大半がロレックスなんだ。モノによっちゃプレミアまでつく。

ってことは、あぶく銭で買っておけばいざって時にそれを換金できる。


逆にヴァセロンだのパシャだのっていう宝飾時計は

買うなら新品を買うものなんだ。

ホントの金持ちはリセールしようなんて思わないからな」


なるほどなと感心するだけだった僕をよそに

オオムラはシュートの合間にその客に言葉巧みに話しかけ、

その客はその後およそ2年の間、店の中で1,2を争う上客になった。

しばらく後で宝石屋のチェーンを持っている会社の

オーナー社長であることがわかったけれど、

もちろん聞き出したのはオオムラだった。


バッグは何か?財布は?

アクセサリーは何を着けている?

スーツのネームは?柄は?素材は?


とにかく見るしかないんだ。

それが俺たちの商売なんだ・・


オオムラはことあるごとに、時にはクイズのようにして

僕に見るべきチェックポイントを教えてくれた。


そしてオオムラは僕に、

会話の中からも客を判断することを教えてくれた。


その客と会話をしていく上で、相手の発言の中に

警戒しなければならない発言というものがあるのだ。


「いいか、新規で来て

いきなり営業時間や店の電話番号を聞かれたら気をつけろ」


オオムラは僕がある新規客の受付をした後で

僕にそう言った。


「まぁデコスケ(刑事)じゃないだろうけどな、

そんなこと聞いてどうするんだ?ってことだ。

ちょっと気の利いた人間なら携帯だって持ってる時代だ。

店の電話番号なんか聞いたってかけないだろ?」


そして別の機会には、こんなことも言った。


「サービスはいくら出るんだとかさ、

そういうこと言う客にいい客なんかいないよ。


どんなに身なりが良くても、高級品を身につけていても、

この質問されるとがっかりしちゃうよな。


本当に良い客ってさ、サービスなんか気にしないし、

仮に良い客だったらこっちだって次につながるように

キチンとサービスするんだから。

わざわざ聞くだけ野暮ってもんだろ。


大体さ、こういう質問をする客ってまず間違いなくガジリだよ。

負けたから車代寄越せとか、特別サービスを出せとか言い出すのも

こういうタイプ。誰が出すかよってんだ」


そんなオオムラに僕は、

ちょっと小耳に挟んだ程度の知識を披露してみる。


「でも海外のカジノなんかは

負けた客には後からいろいろサービス出るじゃないですか?

部屋をスイートにしてくれたり、シャンパン付いてきたり」


「ま、あっちは全員に平等なお買い上げに対するサービスなんて

ほとんど出してないからさ。あくまで遊んでからの話だろ?

ああいうコンプってのはそういうもんなんだ」


「日本もそうすればいいじゃないですか?」


「そりゃ出来ればそうするのがいいんだろうけど

そのためには客の管理ってのがもっときっちり出来ないと。

ま、おいおいそういう管理の必要性は出てくるだろう。

これだけガジリが増えてきちゃったら、

客見てサービス決めないと店が持たないし」


当時の僕はそう聞いて頷くだけだったけれど、

(当時の僕は、控除率と言う概念さえ怪しいものだったのだ)

ある日、オオムラ自身の接客を間近に見て

僕はまた新たな知識を身に付けることになった。


それは30代から40代にかけての新規の客だった。

どことなく崩れた雰囲気を身にまとったその男は、

店に入ってくるなり店の内部や従業員をじろじろと眺め回した。


僕はかつて教わったように、ウェイトレスからお絞りを取って

それを自分で渡しながら対応しようと男に近づいた。


男はそれを受け取るだけ受け取って、

使いもせずにテーブルの上に放り

小馬鹿にしたような口調で僕に言った。


「ここは誰がやってんの?会長?」


会長、などと呼ばれる人物には僕はまるで心当たりが無かった。

その店のオーナー自体、僕はあまり良く知らなかったのだ。


一度だけオオムラに頼まれて

近所の焼肉屋に荷物を届けたことがあったけれど

その時に同席していた相手に

オオムラが僕を敬語で紹介してくれたのを聞いて

この人がオオムラの上の人なのかと思っただけだった。


「いや・・ちょっとそういうのは・・」


口ごもる僕に、その男は見下すような口調で


「ふん。ナンだ、一見には言えないってか。

で?ケツはどこに持ってもらってんの?D組?K連合?」


ケツ持ちの話を出されて、僕は瞬間的に緊張する。

そんなことを聞く客など今までいなかった。


と、そこへオオムラがすっと寄ってくる。


「お客様、それが何か?

聞かなきゃ出来ないと仰るのでしたら、

お引取りいただくしかなくなっちゃうんですけど。

それともお客様とは代紋の話になるんですか?」


若干キツめのオオムラの口調を聞いて

僕は少し緊張を覚える。


その客に、オオムラが僕よりも上の立場であることは

すぐに分かったようだった。

男は、ちょっと慌てたような、弁解じみた口調で


「ん、いや。このハコは前は会長がやってたハコだからさ。

同じ系列の店なのかと思ってさ」


と言いながら、僕が持っていた会員規約書を指差して


「で、これ書けばいいんだろ?

大丈夫だよ、不良じゃねぇから」


と言った。オオムラは男の顔をしばらく見つめた後、僕に


「じゃこちら一旦目を通していただいてから

お名前をフルネームでいただいて」


と言って男から離れた。


男がゲームを始めると、

オオムラは、少し離れた場所からそれを見つめる僕の隣に来て


「ま、ああいうことは普通の客も本物も絶対に聞かないからな。

聞く時点で半端者だって言ってるようなもんさ。

聞いたって言うわけ無いのにな。


多いんだよ、でも。ああいうの。


事情通を気取りたいのかもしれんけど、ろくな奴じゃないからな。

無用のトラブルのもとになるだけだから、断ろうかと思ったよ。


すぐにケツ呼べ!とか俺はオーナー知ってんだぞ!とか

ガタクるのもこういうタイプだしな。

ま、一応打たせてはみるけど、要注意だからな」


と小声で言った。

僕はそれを聞いて、観察して分かる部分だけでなく、

こういう会話からも判断できることもあるんだと思いながら

署名してもらった同意書を元に、会員カルテを作成した。


カルテには、名前、会員番号の他に

外見的特徴や注意点を記入することになっていた。


推定年齢、髪型、体型、指輪やピアスなどのアクセサリー、

紹介者、誰と知り合いだったか等だ。

似ている芸能人なんかがいれば、それも書く。

あまりにもマイナーな芸能人だと分からないから

ある程度の知名度がある芸能人に限られていたけれど。


もちろんこういう要注意の客には、

店内で共通の要注意マークをつける。


それから僕は、自分用の手帳に

同じように顧客メモを記入した。


そちらには、平均ベットやランク分けなども記入していた。

オオムラにそうした方が便利だと言われたのだ。


忙しい時などは、この作業は決して楽ではなかったけれど、

客を早く覚えて適切な対応をするためには非常に有効でだった。

吸っている煙草、コーヒーの砂糖やミルクの有無、

車で来ているかタクシーか電車か、誰と仲良くしているか、

細かく書けば書くほど効果は大きくなるのだ。


例えば、数回目の来店だけれど大事にしたい客に


「煙草ちょうだい」


と言われた時に何も言わずに

今まで来た時に吸っていた煙草を持って行くのと、


「お煙草は銘柄は何でしょうか?」


といちいち聞き返すのではどちらが印象が良いかと考えれば

その意味は僕にも十分理解できた。


もちろん前回吸っていた煙草を替えている事もある。

けれどその時に客から


「あ、コレじゃなくて△△ちょうだい」


と言われたら、


「あれ?以前いらした時は○○吸ってらっしゃいましたよね。

お煙草替えられたんですか?」


などとコミュニケーションを取るために利用できる。

そのコミュニケーションによって客も


「あ、覚えててくれてるんだ」


と思ってくれるかもしれない。


あるいは


「○○様いらっしゃいませ」


と名前をすぐ呼んで席に案内するのと、


「お名前頂戴できますか?」


と言うのではどちらが好印象だろうか。


客全員にすることは難しくても、

リストが多ければ多いほど良いわけだし、

大事にしたい客ならそれくらいは出来ないと、という話なのだ。


オオムラが一つ一つの意味までも教えてくれたわけではなかったが

僕は自分なりに考えて、そして自分なりの工夫を重ねていった。

僕のアンダーグラウンドの世界での基本的な姿勢は

オオムラの影響を強く受けていると言っても良かった。


けれど、残念ながら、オオムラと僕の関係は

2年ほどで終わりを告げた。

この世界の常ではあるけれど

流行っている店はそれだけ目立っているからか、摘発されやすい。


僕もオオムラも非番の日だったけれど

店の名義人であるオオムラは逃げるわけには行かない。

いろいろと後始末の算段を終えてから

オオムラは警察に出頭した。

驚いたことに、僕の再就職先まで見つけてくれていた。


僕は紹介された先で、末端の黒服で働き始め

わずか半年後には責任者になった。


「最近入ったあいつ使えるじゃないか」


たまたま店に来ていたオーナーが僕の仕事ぶりを見て

店長にそう言ってくれたのだということだった。


僕は何がそんなに評価されたのか分からなかったけれど

オオムラに教わったことが、本当にどこに移っても使えるということに

いつしか気づくことになった。


客商売において、どんなに単価が小さな客でも、

覚えてくれていて接客されるのは悪い気分ではない。


そういう「ちょっとした好印象」が

店に固定の客が増える一つの要因だし、

何かあった時に店の味方をしてくれることにつながったりもする。

軽視することはできないのだ。


実のところ、オオムラの店では、

僕の給料はそれほど良くはならなかった。

僕よりも年長の黒服が多かったせいか

ずっと横並びの給料のままだった。


でも、オオムラがイロハから教え込んだのは

おそらく、僕だけだったと思う。


その無形の財産のおかげで

僕はその後十年以上、この世界で凌ぐことになったばかりか

さらに、その後もこうして記事まで書いているわけだ。


さすがにそれは、金には換算できないだろう。

たとえ、金が全ての、アンダーグラウンドの住人であっても。



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