第19話〜カオリ
最初の日、彼女は一人で来店した。
ふらりと来て、外にいるシキテン(見張り役)に
「入れる?」と尋ねたのだ。
インカムで連絡を受けた僕は、
対応するために外に出た。
とりあえず、営業用スマイルLV5を浮かべる。
営業用スマイルは飛びっきりのVIP用のLV1から、
ただ口元を歪める程度の作り笑いのLV10まで、
大体10段階くらいに分かれている。 今回は
「当店は失礼の無いように接客に心を砕いておりますが、
無警戒というわけにもまいりませんよ」
というくらいの笑顔だ。
「お客様は当店はお初めてで?」
観察眼をフル稼働させながら尋ねる。
年の頃は三十代半ば、明らかに美人の部類だ。
普段着であろうが、Cの文字をアレンジしたブランドのTシャツ、
そこから見える腕に入るタトゥーを見て取る。
財布はヴィトンの長財布。
それを持つ手の指輪はそれほど派手ではないのをしている。
注射痕は無いが、手首に古い傷跡がある。
リストカットの痕だろうか。
タトゥーを入れる女性にありがちなパターンだ。
自傷行為の代償行為としてタトゥーを入れるのだ。
タトゥーを入れる時の痛みが、精神を落ち着かせるのか。
ゴミを拾うふりをしてしゃがみこむ。
金のラメが入ったサンダルに素足。
足の爪にもペディキュアが塗ってある。
おおよその職業が浮かび上がってくる。
歌舞伎町界隈に住む、水商売の女性だろう。
ただし、ホステスではない。
ホステスは仕事場周辺のカジノには、
休日にはあまり出入りしない。
客にバッタリ出会ったら気まずいどころか、
支障が出るからだ。
「俺とは休みには逢わないくせに、
こんなところで遊んでやがる」
客は離れるに決まっている。
おそらくは経営者だろう。
「うん、初めてなの。
婦警じゃないし、暴れないから大丈夫よ」
蓮っ葉な口調でそんなことを言う。
自分の予想が近いであろうことを確信しながら、
ひょっとしたら店の女の子に
春を鬻がせているかもしれないと、ふと思う。
もちろんそうだとしても、別に構わない。
多少は裏の世界に関わる人間の方が
分かりあえることもあるし、情報交換もできる。
「どなたかのご紹介ですか?」
既に入れるつもりでいるのだが、話を続ける。
水商売は元の話で、今は「極道の妻」かもしれない。
あるいはバックに極道がいるかもしれない。
歌舞伎町は何のバックも無しに
女性が商売できるような街ではないが、
あまりにもバックが前面に出てくるようだと煩わしい。
別にバックを知りたいわけでは無いし、
バックが極道だとしても、どうということもないのだが、
この先に胡散臭いのを連れてきた時に、
「常連のご紹介が無いと入れない」
と言えるように、である。
彼女に紹介者がいればいたでいいし、
いなければいないで、
今回が特別であることを認識させるのが目的だ。
誰でも簡単に入れると思われるのは、
いろんな意味でマイナスが多い。
「ううん、○○で遊んでて聞いたの。
紹介者がいないとダメなの?」
「いえいえ、そんなことないんですが、
まぁこんなご時世なんで、どなたでもってわけにも。
と言っても女性のお客様なんで形だけです」
語尾を濁しつつも愛想良く受け答えながら、
店内へ案内する。
スマイルのLVは4に上がった。
「当店はポンコツ(=イカサマする店)じゃありませんし、
きちんと接客しますからリピートしてくださいね」
というご新規向けの笑顔だ。
新規客用の会員規約書に署名をしてもらう。
かおり、と書いた彼女は、
バランスとミニマムだけ尋ねると、
大きい方の30バラの方に迷うことなく向かった。
座ってすぐに20点のチップを買う。
その所作に、こういった場所へ慣れていることを感じる。
僕が想像していた通り、
彼女はずいぶん遊び慣れているようだった。
ベットも思い切りよく張ってきて、
平均ベットも5点くらいはあっただろう。
2シュートでチップは100点ほどに増えた。
止め時もスパッとしている。
「これ、アウトして」
見送りながら、次につながれば良いと思っていた。
多くの場合、100万勝つ客は200万負ける客なのだ。
それが分かったわけではないだろうが、
彼女はその後2日と空けず来店するようになった。
勝ったり負けたりだったが、
良い客であることは間違いない。
もちろん営業スマイルのLVは
「来ていただけて大変ありがたく思っております。
心をこめてもてなしますよ」
というLV3まで上がっていた。
こちらも、彼女がどういう接客を好むか、
その頃は既に把握していた。
客によって好む接客というのは分かれる。
その辺を把握しないと、逆効果になる場合も多いのだ。
従業員にも徹底させるように、 引継ぎも確実にさせていた。
彼女の傾向はこんな感じだった。
一口に水商売の女性と言うが、タイプはいろいろいる。
フェミニンな雰囲気を醸し出している
(悪く言えば常に作っている)タイプもいれば、
気風のいい姉御肌の女性もいる。
ギャンブルに嵌る女性には後者が多いのだが、
彼女も間違いなくそうだった。
尋ねたことは無かったが、
ヤンキー上がりだったのではないだろうか。
どこかにスイッチがあって、そこを押すと突然熱くなる。
逆鱗というやつかもしれない。
博打の場面では決断が早く、ベットがスパッと出てくる。
その分、人に目印にされやすい。
そしてそういう行為をひどく嫌い、熱くなって大敗するのだ。
要は何事においても
「自分の美意識に沿うかどうか」を重視するのだ。
女々しい行為を嫌い、
勝ち負けよりも気分良く遊べたかに拘る。
そんなタイプの女性だった。
負けて笑って「じゃ、またね」と帰ることもあれば、
勝ってるのに隣の客や従業員に
「勝負の最中に話しかけないでよ」
と啖呵を切るような光景も何度となく目にした。
そういった振る舞いを見るにつけ、
僕はある危惧を抱くようになった。
この手の女性は極道とのつながりが非常に多いのは
最初から分かっていたことだが、
あまりに負けが込むと、
ひょっとしたら最後は出てくるかもしれない。
男のシノギでは追いつかなくなるだろうし、
男の言うことを素直に聞くようなタイプでもない。
間違いなく器の大きな男を好むタイプであろう彼女は、
男に指図されることを嫌がるはずなのだ。
であれば、行き着く先は揉め事しかない。
彼女と男の。そしてそれから派生する男と店との。
とは言え今更どうすることもできない。
一度受けてしまった以上、ここまで常連になった以上、
その日が来るまでとことん受けていくしかないのだ。
そんな僕の心配をよそに、
彼女は来店頻度を上げていった。
他の店に行くことはほとんど無くなっていたのだ。
「なんかこの店に来ちゃうんだよね」
従業員ともすっかり親しくなった彼女は、
そんなことを言いながら遊んでいた。
「かおりママ」用のスリッパや膝掛けなども
既にその頃は用意されていた。
そうするように僕が指示したのだ。
営業に来いとも言わない彼女に、
店としての誠意を示すのは、それくらいしかない。
そんなある日、彼女が連れを連れてきたのだ。
連れは男で、僕が危惧した通り、
事務所のモニターから見ただけで、
堅気ではない雰囲気を漂わせていた。
「まずい」
僕は事務所でモニターを見ながら呟いた。
その日が来たのか。
あるいは単に一緒に博打を打ちに来たのか。
いずれにしても、ケツ持ちを頼むような事態になるかもしれない。
インカムで現場に連絡を取る。
「かおりママのお連れの人、何も言って来てない?
絶対打たせないで。打つって言い出したらすぐ呼んで」
僕がそう言うと、現場が暢気そうに言う。
「あ、お連れさん、打たないって言ってます。
ソファでおとなしく新聞読んでます」
それを聞いて一安心しながら、
店に行き彼女に挨拶をする。
彼女は僕に笑いながら言った。
「あ、うちの連れ、今日だけだから。心配しないで」
そこまで言われてしまったら、
こちらとしてはもうどうすることもできない。
ソファに極道風の男がどっかり座っている風景は、
他の客にも従業員にも
決して居心地の良いものでは無いだろうが、
一日だけと言って連れてきた人間を
つまみ出すわけにはいかない。
2時間ほど遊んだ後で二人は帰っていき、
その日はそれで終わった。
それからは彼女は今までのように一人で来店し、
勝ったり負けたりを繰り返しながら、遊ぶ日々だった。
ところがある日、事件は起こった。
いつものように彼女が遊んでいると、
以前来た連れの男が店にやって来た。
最初は今日だけという話だったが、
入れないわけにもいかない。
連れは店に入ると、
彼女の席に行ってドスの利いた声で言った。
「お前、こんなとこで何やってんだ。
今日は出かけるって言ったじゃねぇか。帰るぞ」
彼女は臆することも無く言い返す。
「何であたしが付いてかなきゃいけないのよ。
勝手に行けばいいでしょ。
あたしはここで遊んでるんだから」
男は怒りを抑えた口調で尚も言う。
「いいから行くぞ。あんま舐めた口利いてんなよ」
それでも彼女は全く怯む様子は無い。
「勝負してる最中に話しかけないでよ。
だいたいここはあんたが出入りするようなとこじゃないんだから。
出てきなさいよ」
ついに連れの男の血相が変わる。
極道は人前で恥をかかされるのを何より嫌うのだ。
「んだと、こら。誰に言ってんだ」
「あんたに言ってんの。
勝負してるんだから話しかけないでよ」
そのやり取りを聞きながら
僕は従業員に急いで指示を出す。
男が彼女に手を出しそうになったら、
すぐに止めに入ること。
この場合、男が従業員に手を出すことはまず無い。
痴話喧嘩で他人に迷惑をかけるのも、
極道にとってはみっともない話だからだ。
ただし彼女に腕ずくで物を言うことは十分に考えられるし、
店としてはそれは避けたい。
場合によっては
やはりケツ持ちを呼ぶことも考えておかなければならない。
僕は急いで事務所に戻り、
モニターで様子を見ながら、
ケツ持ちにもしかしたら来てもらうかもしれないとだけ
連絡を入れる。初動が肝心なのだ。
男と彼女はしばらくやりあっていたが、
やがて彼女が席を立つ。
チップや荷物はそのままだ。
連れの男の手を引いて、店の外に出る。
やはり店や他の客の手前を考えたのだろうか。
店の外の階段の踊り場で、
二人は尚も言い合いを続ける。
客には分からないが
階段にも隠しカメラが仕掛けてあって、
モニタリングできるのだ。
もちろん声は聞こえないが、
唇の動きからすると
激しい言い合いなのは十分に伝わってくる。
インカムで従業員からも連絡が入る。
「かおりママ、”殺すんなら殺しなさいよ”
とか言いながら出ていきましたよ」
いつ手が出るか、僕は画面を注視しながら様子を見守る。
極道がこのケースで折れることはまず無いのだ。
警察沙汰にはならないだろうが、
救急車を呼ぶようなことにはなるかもしれない。
ところがその時、彼女は予想外の行動を取ったのだ。
彼女は、言い争うのを一旦やめてうつむいた。
次の瞬間、拳を握り締めながら立つ男の首に、
腕を回し抱きついたのだ。
そして唇を重ねる。
僕は呆然としながらモニターを見つめていた。
その男も微動だにしなかった。
おそらくは僕と同じように
呆然としていたのではないだろうか。
何がどうなってそういう行動につながるのか。
どれくらい彼女はキスをしていただろうか。
首に回していた腕をほどいた時、
そこに流れていた空気は、
先ほどまでの険悪なものではなかった。
彼女は微笑みながら店内に戻り、
進行中のシュートに加わり、
そのシュートが終わると
チップをアウトしてにこやかに帰っていった。
連れの男はその間、一言もしゃべらなかったらしい。
モニターで見ている僕には、
魂を抜かれたような表情しか写らなかったが。
「参ったね」
一人で呟く。
博打のことならともかく、
男女の機微には僕は到底通じそうも無い。
多分一生、盆暗のままなんだろう。