第18話〜レスラーY
ある晩、ふとある記事に目を留める。
興味の無い人にとっては
そのまま読まずに通り過ぎるか
せいぜい斜め読みするのが関の山、という程の記事だ。
でも、僕にとっては
ちょっとした感慨を起こさせる名前が
そこには記されていた。
あれは・・何年前だったろうか。
その当時、とある街のアングラカジノで
仕切り役をやっていた僕の携帯電話に
店から着信があった。
当然のことであるが仕切り役と言っても
店にいつも居るわけではない。
むしろその逆で、店に居ないことも多い。
客への営業や付き合い、オーナーサイドとのミーティングなど
店でできない業務というのもたくさんあるのだ。
だから、信頼できる人間を現場に置くというのは
かなり大事なことになってくる。
ある程度の裁量権も与えるのだが
判断がつきかねる場合は連絡が入る。
カジノは24時間動いているから
何らかの指示を仰ぎたい時は
現場の人間は昼夜を問わず連絡してくる。
こっちも寝ていることもあるのだが
店からの電話には何をさておいても出なければならない。
必然的に眠りは浅く、ちょっとした音でもすぐ目を覚ますようになる。
幸い、その電話があった時間は
僕は既に目は覚ましている時間だった。
「お疲れさん、どうした?」
そう尋ねる僕に店の人間が言う。
現場の責任者をさせている男だ。
「あの、Y・Tって知ってますか?」
唐突な質問だったけれど
僕はその名前には記憶があった。
確か力士上がりの格闘家だ。
人気がある、というほどではないが
スポーツ新聞の記事には載るくらいの知名度はあった。
カジノの黒服は客あしらいが大事な任務だから
客が好む話題についていけなければならない。
となるとスポーツ新聞や週刊誌などは
情報収集のためにかなりの数を読む。
苦手な話題には知らん顔をするのも
ある意味では仕方ないのだけれど
その時はその時で、客が白けないような反応をする技術を
己自身が磨かなければならない。
そのどちらもできないような人間は
いつまで経っても使い走りに毛が生えた程度の仕事しか任されない。
そして何かの拍子に使い捨てにされてしまう。
あるいはオーナーにおべんちゃらを言ってしがみ付いて
何とか口に糊していく者も居る。
そもそもがそんな人間ばかりの世界だ。
けれど、残酷なようでも、
生き馬の目を抜くアングラの世界で
自分の力を頼りにのし上がっていこうと思ったら
腑抜けた甘えは通用しないのだ。
だから、当時の僕も話題提供のために
格闘技が載っている面にも目は通していた。
むしろ、カジノ業界はもともとが切った張ったの世界だから
格闘技好きの割合は非常に高い。
話題としては格好の話題になるテーマだった。
「Y?知ってるよ」
僕はそう答えながら懸命に記憶を辿る。
何か引っかかるのだが思い出せない。
すると黒服がこう言ってきた。
店の責任者から入った一本の電話。
彼は僕にこう続けた。
「実はそのYが打ちたいって言って来てるんですよ」
その言葉で僕の記憶の糸がつながる。
Yは根っからの博打好きで
公営ギャンブル、パチンコやパチスロだけでなく
ポーカーゲームやバカラにも嵌っていて
あちこちのカジノに出入りしているという噂を
僕は知人のカジノ関係者から聞いたことがあったのだ。
「Yか・・」
僕は逡巡する。
アングラカジノにとって、有名人を出入りさせるというのは
どちらかといえばデメリットの方が多い。
摘発のリスクということを考えたら
あまり目立った営業はしたくないのだ。
当局とて、同じ手間をかけて検挙するのであれば
抑止効果を持たせられればその方がいい。
そういう意味では、有名人を検挙するというのは
それなりに効果のあることだ。
カジノではないがマンション麻雀で摘発された
元プロ野球選手のH、
フリー雀荘でハコで1万程度の博打で摘発された漫画家のE・・、
離婚した夫がアングラカジノの仕切り役(僕と同じだ)だった
大物俳優の娘でモデルだったU・・・
よくある三面記事でも、そこに有名人の名前が挙がるだけで
それはゴシップ週刊誌にとっては美味しいネタになる。
まして存在自体が違法であるアングラカジノであれば、
格好のスキャンダルになるだろう。
それに、有名人を入れたからといって
集客につながるわけでもない。
焼肉屋やラーメン屋であれば
色紙の一枚も書かせて壁に飾れば
それなりに効果はあるのかもしれない。
でもカジノでそんなことをするわけにもいかない。
有名人見たさに来る客など居ないし
仮に居たとしても、それはカジノにとっては
いい客とは言えない。
カジノに来て欲しい客というのは
博打に嵌った客、であって
芸能人に嵌って追い掛け回すようなミーハーではないのだ。
ただ、芸能界やプロスポーツ界というのは
もともとの体質自体が博打に近いから
そこで生きる人も博打好きなタイプが多い。
もちろん一流の芸能人、売れっ子の芸能人は絶対に来ない。
彼らにとってその手のスキャンダルは致命的だし
ある意味においては、ラスベガスで豪遊すること自体が
イメージ戦略として成立するからだ。
その代わり、ラスベガスや韓国、マカオまで行けないような
二流以下の芸能人、海外に行くほどの時間が無いスポーツ選手が
アングラカジノにこっそり通ってくるなどという話は
それこそうんざりするくらいある。
熱湯風呂などのリアクションで有名なお笑い芸人のD、
無頼派を気取った俳優のH、
関西人気球団の主力投手だったK・・
ちょっと思い起こすだけでも
実に多くの有名人達の目撃情報があった。
カジノの世界は狭い世界だから
自分の居る店ではなくても
誰々がどこの店に来たという噂話は
関係者であればすぐに耳に入ってくるのだ。
とは言え、プロレスラーとしてでさえ
それほど有名なわけではないYが
それほど社会的影響を持っているとは思えない。
僕は打たせてみようと思いつつ
さらに黒服から判断材料を聞き出す。
もう一つだけ気になる点があるのだ。
「で、Yは一人で来てるの?誰かの紹介?」
看板も出さず、広告も打たず、
それほど目立った営業をしているわけでもなかったこの店に
いきなり飛び込みで来る新規はそうそう居ない。
そこには何らかの情報はがあるはずなのだ。
「それがですね、もともと知り合いの店の客らしいんですが
今日はその店が閉めてるみたいなんですよ。
そこにYが来てどこか打てる店は無いかって話になって
うちで受けてくれないかっていう話になったんです」
なるほど。それで話の辻褄は合う。
僕は入れるように指示を出してから
念のために店に向かう。
Yが暴れるとは思えなかったし
仮に暴れられたら僕らのような素人では
どうすることも出来ないのだが
人間性や遊び方は見ておきたい。
店に着き、そっと中に入る。
Yの姿は探すまでも無くすぐに分かった。
20バラと呼ばれるテーブルに座るYは
周囲の人間と明らかに体格が違う。
まるで小山のような身体を窮屈そうにかがめて
Yは黙ったままゲームを続けている。
平均ベットはおよそ$100〜200の間だろうか。
どちらかと言えば大人しい客になるだろう。
何かと小うるさい客と、大人しい客、
そのどちらに分類されるかは
遊びだしてしばらくすれば大体分かるものだ。
どれほど仮面をつけて振舞ったところで
ゲームに興じていけば本質は垣間見える。
最後まで仮面の奥を微塵も見せずに振舞うには
相当な自制心が無くては不可能だし、
それほどの自制心を持つ者は
そもそもそこまで博打に嵌ったりはしない。
大声は出さないけれど、勝てば少し嬉しそうな、
負ければ悔しそうな表情を見せるYは
僕の目には朴訥な印象で映った。
結局その日Yは20万ほど負けて帰った。
サービス代わりに黒服が渡すタクシー券を
黙って受け取って出て行くYの姿は
その異様なまでの体格以外は
僕らがいつも見ている客の姿と全く同じだった。
控え室に入ると責任者が少し安堵した表情を浮かべて寄ってくる。
自分のつながりで来店した客が
性質の悪い客でなくて良かったと思っているのだろう。
「お前、あれに暴れられたらどうする?あれ抑えるんだぞ」
僕が冗談を言うと
黒服は首を大きく横に振って言う。
「いや、それは無理です。
あいつにぶん殴られたらむち打ちじゃ済まないです」
「下手すりゃ死ぬな。
つーか女の細腕くらいなら素手でもぎ取るんじゃないかな」
そんな冗談を言いながら
僕らはまたいつもの日常へ戻った。
その後、Yはごくたまにではあるが
こちらにも来店するようになった。
遊び方は大体同じで、使う額も変わらなかったが
ツいた時には一気に駒を増やすような
張り腰の良さ(張りっぷりが良いということだ)も持っていた。
そして、ほとんどは大人しく打っているのだけれど
何かの拍子に一度だけ盆で凄んだことがあって
(確か同じテーブルで遊んでいる若造が
うるさかったとか生意気だったとかそんな理由だ)
その時の迫力は流石のものがあった。
ただ、勢いやツキだけで博打を捉えている者の
ほとんどがそうであるように
止め時というのを見失っては
浮いた分をそっくり打ち込んで失ってしまう打ち手であり
店にとっては単なる鴨でしかなかった。
やがて小金を貸して利ざやを稼ぐ韓国人の業つく婆ぁと
来るようになったりしていて
僕は密かにそれを心配してもいた。
どんなに甘い金利であっても
借りた金で博打を打っている人間は
いつか必ずパンクする。
まして、それがトイチなどの闇金になれば
パンクしない方がおかしい。
だから、やがてYが来店しないようになったのも
僕は半ば当然と捉えていた。
金貸しは利息を取るのが商売だけれど
借り手を見つけるのはなかなか大変だ。
そして、借り手が末永く金利を払い続けてくれるのが
金貸しにとっては一番美味しい客だ。
従って、金貸しは自分が金を貸す人間が
金利に詰まって飛ばないように
金利分くらいは確保できるようにする。
どうするかというと
店と予め話を付けておいて
客が使った分の○%を紹介料として店から貰う。
(ちなみに、負け分ではない。
勝ち負けは不確定なものだから、
算出基準は使った金額だ)
そして、店が客に出すサービスチップを
そのまま金利代わりに毟り取っていくのだ。
どっちにしても損は無い。
店もそういう博打に嵌まった客は美味しいから
その手の話に乗る店も多い。
僕も相手を見て乗ることもあった。
でも、その時のYにくっついていた金貸しは
汚い真似をするので有名だった。
店のことなどお構い無しに
サービスチップをそのまま換金しろと怒鳴ったり
ものの数番で帰らせようとしたりだったのだ。
それ自体は大したマイナスにはならないが
他の客への悪影響は非常に大きい。
だから僕はその金貸しの持ちかけてきた話を断ったし
結果的に金貸しは、Yを他の店に連れて行くようになっていた。
ところが、秋も深まってきた頃
あるニュースを見て僕は驚く。
それはYが大晦日の格闘技のイベントに
メインイベンターとして参戦するというものだった。
「ウソだろう?」
相手は立ち技系の格闘家の中でも
当時最強だといわれていた選手で
僕らの中では、Yは金目当ての咬ませ犬として
出場したようにしか見えなかった。
ところが・・。
「何言ってんだよ、あんなの出来レースだよ」
店に来ていた客が得意げに吹聴した。
芸能プロダクションか何かに勤めている
口ばかりペラペラと達者な男で、
下に威張り上にへつらう下らない男だった。
「まぁ見てろって。Yが勝つように仕込まれてんだから。
Bがこの試合で幾ら貰ったと思ってるんだ」
僕らはその男の言うことの大半は
最初から信用していなかったけれど
頭の片隅では、格闘技のイベントだから
それくらいの演出はされるかもしれないという思いもあった。
そして大晦日。
当日の試合で、Yは相手の選手からギブアップを奪い勝利した。
試合前に繰り返し流された煽りビデオでも、
借金について、あるいは家族について触れられていたように
あの時の話通りに、あらかじめ仕立て上げられた
テレビ向けの美談の一部として
試合は予定調和的に進んだと、僕らは受け止めていた。
「芸のある人間はいいよね。
ああやって一発当てられるんだから。
いくら貰ったんだか知らないけどさ」
口さがない業界関係者は
そんなことを言いあった。
もちろん誰もそれが悪いなどとは思っていない。
何かを切り売りして金に替える・・それも一つの才能だ。
凡人のプライベートなど一銭にもならない。
ショウビジネスの金でYが借金から解放されるなら、
Yから金を巻き上げていたすべての人間にとって
それは喜ばしいことでさえあった。
あれから数年の時が流れた。
そして僕は冒頭である記事を目にしたのだ。
大相撲の元小結でプロレスラーのY(43)が4日夜、
都内の自宅アパートで倒れているのを訪れた知人に発見され、
救急車で病院に運ばれていたことが5日、分かった。
警視庁○○警察署によれば、
練炭を使って自殺を図ったとみられ、
脈はあったが意識はなかったという。
発見が早かったため一命は取り留めた。
関係者によれば現在は別の病院に移り、
1〜2週間の入院が必要な状態だという。
YはT(K部屋)のしこ名で
90年のN場所で小結に昇進するなど活躍したが、
92年N場所を最後に角界を退き、
93年6月にSプロレスに入門。
01年大みそかの格闘イベントで
立ち技格闘技の強豪Bに一本勝ちする大番狂わせを起こし、
一躍“時の人”となった。
02年2月には○○ヘビー級王座を獲得するなど
マット界の頂点に上り詰め、
王座陥落後も“借金王”のキャラで活躍したが、
05年1月に解雇。
その後はインディー団体などに出場していたが、
今年6月に師匠・Iが旗揚げした
△△でJ・BやC・Cと戦っていた。
やっぱりか。
僕は苦々しい気持ちで記事を眺める。
一度博打に嵌った人間が大金を手にしたところで
綺麗に足を洗えるはずが無い。
夢よもう一度とばかりに打ち詰めて、
せっかく返した借金よりもさらに多くの借金を
あっという間にこしらえてしまうものなのだ。
そして今度はプライベートも買い手はつかない。
カジノ業界以上にシビアなショウビジネスの世界で
不惑を超えたレスラーの手垢にまみれたプライベートに
二度大金を出す人間は居ない。
いよいよ行き詰って
絶望に打ちひしがれた挙句に
Yはどんな気持ちで練炭に火をつけたのだろうか。
一命を取り止められたのは
Yが人並み外れた頑健な肉体を持っていたからなのか。
あるいはそれさえも、取立てから逃れるための茶番だったのか。
それは僕には分からない。
博打の底は果てしなく深く
人によってはどん底まで堕ちていく。
ただ、一遍に堕ちる者はそういない。
大抵の場合は、どこかで一度や二度は引っかかる。
とは言え、途中から這い上がるのは
ある意味においては、どん底から這い上がるよりも難しい。
分かっていても堕ちていく心理、というものがあるのだ。
後日、その続報が記事としてリリースされる。
「死んだ気でやり直す」
この言葉に嘘はあるのか、無いのか。
一年もすれば、答えは出るだろう。
僕はもう、手放しでは信じられないけれど
Yにはまだ、信じてくれる人がいるのだ。
それは売り物ではないことに
本人が気付いていればいいのだけれど。