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第17話〜ユカワ

カジノには本当にいろいろな人間がやってくる。


ギャンブル、特にバカラやルーレットに嵌ってしまって

そこに居なければ落ち着かなくなってしまうような中毒患者。


怖いもの見たさで知り合いに連れられて覗きに来た素人。


店から出されるサービスを狙って、それで食うことを目論むガジリ。


店に因縁をつけて、車代や迷惑料をせしめようと目論む半端者。


得ている収入や、持っている財産はおろか

借金に借金を重ねても、尚止められないギャンブル中毒者に

金を貸すことで利を得ようとする高利貸し。


サラリーマン、ホステスや風俗・キャバクラ嬢、ホストやスカウト、

筋者、金貸し、不動産屋、会社経営者、

そして無頼を気取った麻雀打ちなどもいただろうか。


もちろん、だからこそ僕はこのサイドストーリーを

30本以上も書くことができたのだと思う。

カジノにおいては人間の本性は剥き出しになるものだし

仮面の下に巧妙に隠された素顔も、いつか白日の下に晒される。

その人間にとっての大金が絡む状況は、

ある意味においては生命が懸っている状況と変わらないのだ。


もしあなたが、夜の繁華街に行くことがあったら

そこでですれ違う人々の職業を想像してみるといい。

およそあなたが想像した職業は

ほぼカジノに来る客の中にも該当者が居るだろう。


とはいえ、彼らが持ってくる金には

職業も性別も、もちろん名前も何も書いてなどいない。

盆に乗ってしまえば、みんな同じ金だ。


僕等だって、その出所を気にすることはあっても

心配したり同情したりすることはない。

それがこの世界のルールだ。


そして、この世界の根底にあるルールは

極めてシンプルなものだ。


自分の金を増やすために打つ。


ただそれだけのことだ。


過程などどうでもいい。


・・上がったり下がったりはするかもしれないが

結果として、最終的に持っている金が増えればいい。


ゲームの結果だろうが

客寄せのために行われる抽選会の結果だろうが

自分の金を増やせれば、それは喜ぶべきことだ。


(満ち足りるかどうかは別の話だ。

ギャンブルをやるほぼすべてのプレイヤーは

一回の勝利では満ち足りないだろうけれど)


手段も問われない。


・・ゲームの結果が公正なものだろうが、

不正によるものだろうが

出てきた結果がすべてだ。

黒服に、他の客に発覚しなければ、

不正を仕掛けるのは自由だ。


フェアプレイという概念は

個人の美意識としてはともかく、共通理念としては存在しない。


もしあなたが、そんな概念を見たいのならば

カジノではなくサッカーの試合会場に行けばいい。

試合の始まる前には、それをあしらった旗を見ることができる。


ただし、試合が始まってからは、保証の限りではない。

イエローカードやレッドカードばかり見る羽目になっても

当然のことながら、それは僕のせいではない。


そして、人のために必死になる者もいない。

時折そんなことを言いながら打つ者もいるが

それも回り回って自分のためになるからに過ぎない。


そんなカジノの世界に

僕はただうんざりしながらも

その反面、どこかで惹かれたが故に

身を浸すことになったのだと思う。


そこで織り成される人間模様には

他では見ることのできない特別な何かがあって、

そして、その人間模様は

客だけでなく従業員にも見て取ることができたのだ。


僕が仕切っていたとあるアングラカジノ。

そこで、僕は奇妙な男に出会った。


男は名前をユカワと言った。

オーナーサイドが送り込んできた名義人が

何とか使ってくれということで

黒服として置いていた男だった。


年の頃は40代後半だったろうか。

頭は丸坊主で、ところどころに白いものが混じり

小柄で痩せた貧相な男だった。

一着しか持っていないのか、いつも同じグレーのスーツは

擦れてテカテカと光り、皺さえも付かないくらいくたびれていた。


いつも卑屈な愛想笑いを浮かべているだけで

黒服としての業務遂行能力にはまるで欠けていたユカワは

客に罵声を浴びることも多かったが

親子ほども歳の離れた従業員にさえ小馬鹿にされていた。


小僧や小娘が黒服を馬鹿にするようでは

やがては組織として機能しなくなるから

僕としてはそういう人間を店の中で使うことは

できれば避けたかったのだが、

僕とて雇われの身だから最終的には従わざるを得ない。


キャッシャーとして使うことも進言したのだけれど

オーナーは頑として首を縦に振らず

その理由すら説明されることは無かった。


「ユカワさんに払う人件費で、もっといい人材は雇えますよ」


そう言った僕に対して


「いいんだ、そんなこと分かってるんだ」


きっぱりと断言したオーナーに

それ以上何かを言えるはずも無く、

僕は次善の策として、

ユカワをどう使うかを考えなくてはならなくなった。


「亀の甲より年の功」


そんなことを考えながらも

基本的な業務はほとんどルーティンワークに含まれるカジノの仕事で

それ以上のことをユカワに望むこともできず、

僕は半ば仕方なく、

ユカワを事務所代わりに使っていたモニター室に呼んで

少しでもユカワを客前に出さないようにすることにした。


それは体のいい隔離だったかもしれないが

ユカワは特にそれを気にする様子も無く、

ソファに深く腰掛けながら

鼻をほじっているだけの日々になった。


僕は僕で事務所では

日報を記録しながら数字を追いかけたり、

モニターの画面で場面をチェックしたりで忙しかったから

自分からはユカワと話すこともさほど無かった。


ユカワはと言えば、僕の経歴やら人間性やらに興味を持ったらしく

僕が休憩などをしていると、話しかけてきたり

飲み物などを持ってきてくれるようになった。


「店長、お疲れ様です」

「店長、ご飯は食べたんですか?」

「何か冷たいものでも持ってきますよ」


それは思わずこちらが苦笑いしたくなるくらいの

半ばゴマすりに近いような感じではあったけれど

そうなると、こちらも一人で居るよりは

話し相手が居た方が気晴らしにはなるから

やがてこちらから話しかけることも増えてきた。


もちろんそうなると必然的にユカワの経歴などにも

話題は及ぶようになるのだけれど

ユカワが自分のことを積極的に話すことはほとんどなかった。


ある程度の年齢になってから

カジノに流れ着くような人間には

当然のことながらいろいろとある。

その中には、話したくないことも山ほどあるだろう。

僕はそんなユカワの心中を慮って

あまり根掘り葉掘りは聞かないようにしていた。


そしてある日、思いがけず、

ユカワの経歴が明るみに出たのだ。


事務所で自分の仕事をこなしていた僕の携帯電話が鳴る。

それをとると、知人からの相談事だった。

ちょっとしたトラブルがあって

法律的な観点と、裏業界的な観点との

両方からの意見を求める電話だった。


もちろん分かる範囲で相談に乗るだけだし

報酬などをもらうことも無いのだけれど

その話の中で、法律の条文がはっきり思い出せずに

家に帰って調べてから、という答えで済ませた問題があった。

確か、時効の中断だか何かの話だったと思う。

要は、良くある金の話だ。


電話を切った後にふと気づくと

僕の方を、ユカワが見ていた。


「店長、今の話って○○の時効の話ですよね?」


僕が頷くと、ユカワはすぐに言った。


「あ、それなら時効は中断してますよ。

間違いないです。そういう判例もありますから」


僕は意外に思ってユカワに尋ねる。


「すごいですね。何でそんなこと知ってるんですか?」


ユカワは少し照れたように


「いやぁ、昔ちょっとかじってたことがあって]


などと言う。

法律事務所かどこかで働いていたのかと思い

僕は自分の仕事を続けようとPCに向き直った。

あまり他人のことを詮索するのはいいものではない。


と、そこで今度はYユカワから話しかけてくる。


「店長、その集計表は自分で作ったんですか?」


そう言って僕が数字を打ち込んでいる画面を指差す。

作るというほどのものではないが、

関数やら罫線やらを打ち込んだのは僕だから、

僕がそうだと答えると、ユカワが言う。


「もうちょっといじれば使い易くなりますよ。

終わったらちょっと見せてもらえますか?」


そして、集計作業が終わり、僕は店に行って

客に挨拶をしたり、従業員と話をしていた。

およそ2〜3時間だったろうか。

再び事務所に戻ると、

ユカワがちょうとPCの前から離れたところだった。


「ちょうど良かった。

少しいじりましたけど、これで打ち込むのも楽になるはずです」


そう言って見せてくれた集計表は

今まで僕が使っていたものとは

まるで精度の違うものだった。

マクロ関数やらを使って、一箇所に数字を打ち込むと

その数字が関係した部分にすぐ反映される。

手間の度合いで言えば半分以下になっていたと思う。


「すごいですね。こんなこともできるんだ」


僕が感心して呟くと

ユカワはとんでもないとでも言うように手を横に振りながら


「まぁこういった作業は根が嫌いじゃないモンで。

実際金の取れるレベルじゃないんですよ」


そしてユカワは僕に向かって


「腹が減りましたね。賄い持ってきます」


と言って、インカムで賄いを二つ頼み

出来上がる頃を見計らって取りに行き

僕の分まで持ってきてくれた。


僕は事務机に、ユカワは事務所のソファに腰掛け、

その日の賄いが入れられた膳の蓋を開けた。

湯気と共に、弁当の中身の匂いが立ち上った。


蓋を開けた途端に立ち上る湯気と匂い。

その匂いを嗅いだ瞬間、ユカワの顔が歪んだ。


「あれ?嫌いなものでも入っていたのかな?」


僕は特に気にも留めずに割り箸を割る。

ぱっと見たところ、特に変わった料理は入っていない。


それはそうだ。


一応ちゃんとしたコックが厨房に居て作っているのだ。


大半のカジノでは、従業員には食事が出る。

もちろん無料である。


食事くらい、自分で摂らせれば良さそうなものだが

昔のゲーム屋やパチンコ屋などでは、

賄いや煙草付きは割と一般的なスタイルだったというのもあるし、

あまり店外に出たり入ったりすることもできない仕事というのもある。


どんな食事が出るかは店によって違うが

キッチンが付いている店であれば

ちゃんと料理人がいて、そこそこまともな賄いを作ってくれる。

普通の料理屋で働くよりは給料が良いというのもあるし

何よりコック本人が博打好きだったりすることも多いから

コックがいる店は結構多い。


ちなみに厨房設備が無かったり、

コックがいない店では弁当を取る。

普通の仕出し弁当屋から人数分を取ることが多いが

時々ではあるが、義理で取らなければいけない弁当がある。


そう、ケツ持ち絡みの弁当屋だ。


筋者が堅気になろうとしたら

なれる職業は非常に少ない。

まともな就職があるはずもないし、

本人たちにそのスキルも無い。


必然的に何らかの商売になることが多いのだけれど

その中で弁当屋というのはありがちな選択肢のようで

足を洗ったケツ持ちの兄弟分(あるいは情婦)がやっている弁当屋、

というのが結構あちこちにあって、

どうせ弁当を取るならこっちから取ってくれ、

という話になることがかなり多いのだ。


当然予想されることながら

ちゃんとした修行もしていないような弁当屋の作る弁当など

美味いものになるはずも無い。

価格は高い上に(ケツ持ち価格だ)不味い。

飽食の時代だから、残す者が続出する。


毎日ではさすがに嫌になるからと言って

週に2日とかしか取らないようにすると、

今度はその日に休みを取りたがる者が出てきて

シフト管理が大変になってしまう。


出勤して、休憩室に置かれた弁当の箱を見て


「うわー、今日ケツ弁(ケツ持ちの持ってくる弁当の略だ)だよ」


などとため息をつく従業員を見てしまうと

こっちも可哀想になってくる。

仕方が無いから捨てるのが分かっていながらも

毎日数食分を取るようになる。


結局、そういう食べ物の不満は

従業員のモチベーションにかなり影響することを考えると

なるべくなら厨房が付いているハコを借りようということになる。

僕もそうしていた。


だから、当時の店にはちゃんとしたコックがいて

キッチンのことは基本的に全て任せていた。

一日あたりの予算だけ決めて、仕入れも任せるのだ。


ちゃんとしたコックであれば

昔から付き合いのある業者も知っているし

仕入れの目利きも間違いは少ない。

市場の価格やら旬の食材を考えて

きちんと仕入れてくれる。


僕らのようなカジノの人間に

食材の仕入れなどやらせたところで

ろくなことにならないのだ。


昔であれば贅沢な仕入れなどもさせていたけれど

景気が悪くなってくれば

経費はどんどん削減する方向へ行くから

その辺は尚更プロに任せた方がいい。

何はともあれ餅は餅屋、なのだ。


もちろん献立も全部コックが決める。

従業員の健康のためなのか、

バランスも考えて献立を決めるコックだったから

かなり評判も良かったと思う。


その日、僕とユカワが一緒に食べようとした献立は

何かの煮物と焼き魚、さらに麦が入った白飯だった。


「何か嫌いなものでもあるのかな?」


と思いながら、食べ始めた僕を尻目に、

ユカワは少し膳の中を見てから不思議な行動を取った。


「店長、ちょっと蓋借りていいですか?」

「蓋?」


怪訝そうな僕に構わず、ユカワは膳の蓋に中身を取り出す。

そして白飯だけにした後、僕の蓋を膳に被せて

勢いよく上下に振り始めたのだ。


「!?」


その意味が全く分からない僕の横で

ユカワはひとしきり膳を振ってから

今度は膳を逆さにして白飯を蓋の上にあける。

空っぽの膳が一つと、おかずと白飯が乗った蓋が二つ。

奇妙な光景の中、ユカワは少し恥ずかしそうに呟く。


「いや、麦飯ってのが苦手でしてね。

こうすると米と麦が分かれるんですよ、重さが違うから」


そしてユカワは蓋の上の白飯の上の部分だけを突付きながら

おかずを美味そうに平らげていった。


やがて食事が終わり、僕とユカワはお茶をすすりながら

モニターの画面を見つめる。

僕はふと気になって、ユカワに尋ねてみた。


「ユカワさんは何で麦飯が嫌いなんですか?

そこまで不味くも無いと思うんですが」


ユカワは少し考え込んでいたが

ゆっくりと話し出した。


「店長はパクられたことないんでしたっけ?」


ユカワが唐突に尋ねてきた。

僕が頷くと、ユカワが少し遠い目をしながら話しだす。


「実はわたし、いわゆるお勤めに出たことあるんです」


僕は予想通りの話に、少し驚きながらも

疑問を抑えきれずにユカワに質問をする。

僕にはユカワが懲役に出るようなタイプには見えなかったのだ。


「懲役って何でパクられたんですか?」


するとユカワは軽く笑って言った。


「ま、その話をすると長くなるんですよね。

店長、今日終わったら一杯いきませんか?」


僕はユカワの話に興味をそそられたし

ユカワ自身も話してもいいように見えたので

仕事を早めに切り上げて

歌舞伎町の中にある小料理屋に行った。

既にあたりは明るくなりかけていたけれど

歌舞伎町なら、この時間から飲める店などいくらでもある。


簡単な仕切りで区切られたその店は

他人の目を気にしないで飲めるという意味では

なかなか重宝する店で

いつ行っても、客が何組も入っているようだった。


席に案内され、乾杯をした後、

ユカワが口を開いた。


「さて、どこまで話したんでしたっけ?

そうだ、パクられた話ですよね。

そんなにもったいぶって話すようなことでもないんですけどね。


わたしですね、昔そこそこ大きな会社で働いてたんです。

総務部ってところにいました。

総務ってのはまぁぶっちゃけて言えば何でも屋です。

社内の細々とした備品の購入から対外的なトラブルの処理まで

必要があれば何でもやらされます。


総会屋対策なんてのも総務の仕事です。

わたしは喧嘩やらの腕っ節はからきし駄目ですが

その分、法律やらの理論武装はかなり得意でした。

商売柄、ほとんどは商法の規定でしたけど」


ユカワの話は続く。

僕はグラスを傾けながら

ユカワの話に耳を傾ける。


「で、当時の上司にずいぶん気に入られてですね、

えらく可愛がってもらいました。

メシだの酒だのって連れてってもらいましたし

社内の力関係なんかも教えてもらいました。


店長ね、知ってると思いますけど

組織ってのは人間の集まりですから

数が増えれば仲の良い悪いってのが当然出来ます。

それが嵩じれば派閥になります。

見たところ、ここのお店にも若干あるみたいですが」


ユカワはそう言って、薄笑いを浮かべながら僕の顔を見る。


実際そうだった。

当時の店は、昼番と夜番の責任者が

暗黙のうちに派閥のようなものを作り

嫌味の言い合いなどをしていたのだ。


僕もその調整にはずいぶん苦労していたのだけれど

そのことをユカワまでも知っているとは思わなかった。


「まぁ店長は苦労しているとは思いますけど

そんなもん出来ないはずが無いんです。

だからある程度まではほっとくしかないです。

害の出ない程度にね。

二つくらいならお互い監視効果だってあるんだし。


もっと大きな組織になってくると話が変わってきます。

派閥が3つも4つも出来るようになってきます。

大体は大きなのが2つと中堅どころがいくつかって感じでしょう。

総務ってのはそういう情報もいっぱい入ってきますし、

総務部自体も派閥に分かれてるんです。


わたしが可愛がられていた上司は

その最大派閥の一人でした。

わたしの直属上司程度ですから

そんな大きな影響力は無いんですが

その上にもっと大物がいて、

その大物に忠誠を誓っていたんですね。


そのおかげでわたしも出世街道には乗っていました。

同期の中では出世頭でしたし。


結局のところですね、

派閥の争いで勝とうと思ったら

派閥を大きくしないと始まらないです。

大きくったって、数揃えればいいってもんじゃないですよ。

それなりに使える人間を揃えないと駄目です。


じゃ、そういうめぼしい人間がいたとして、

そういう人間を口説くにはどうしたらいいと思います?」


僕はその答えはすぐに分かった。

もしそういった組織戦で、

誰かをスカウトしようと思ったら

口説き落とすのは間違いなく「利」だ。

「大義」「理屈」なんてのは後から付け足すものだ。


「ま、そうですよね。

なんだかんだ言ったって、結局はどれだけ得かってことです。

こいつに着いてけば美味しい思いが出来るとか

出世できるんじゃないかとかそういうことです。


でもそれには金がかかります。

絵に描いた餅見せたってしょうがありません。

ちゃんと手にとれて、一口齧れば餡子が出るような餅じゃないと。

だからってそんなものその辺に落ちてませんから、

自分たちで作るなり買うなりしないといけないわけです。


自腹を切ってやることもあるでしょうけど

大体の場合はその原資なんて決まってるんです。

店長なら分かるでしょ」


ユカワの話はさらに続く。

僕は温くなったビールを口に運び

つまみに出された漬物を齧る。


「そうです、裏金作るんです。

裏金の作り方はいろいろです。

下請けからバックマージン取ったり

架空取引こしらえたり。


わたしも最初のうちはわけもわからずに

言われたことをこなしているだけでしたが

だんだんとそういう事情を飲み込んできて

同時に、実際の仕切りまでやるようになってきました。

下請けとの密談なんてこともやりました。


やっぱり上の立場になってくると

自分では動きにくいですからね。

実働部隊ってのが必要になってくるわけです。

わたしがそれだったんですね。

架空の口座を作ったりして裏金の管理なんかもしてました。


そりゃ悪いことだっていう意識はありましたよ。

法律的には横領か下手すりゃ背任です。

でもね、多かれ少なかれどこの派閥でも、どこの会社でもあることだし

自分が着いていくと決めた人が上に行かなければ

自分もそのままで終わっちゃうわけですよ。

実際に相当世話になってるわけですし。


わたしね、そういうところが弱いんです。

恩知らずみたいに思われるのが嫌なんです。

浪花節に酔っちゃうんですね。

それだけじゃ駄目だってのは分かってるんですが

人間なかなかそういう風にすぐ直せるもんではないです。

第一、それだってある意味じゃ損得勘定ですしね。


でまぁ金庫番のようなことをしながら

粉骨砕身働いてたんですが

なんかの拍子に、その裏金の存在が露見しちゃったんですね。

上司も失脚しかねないような状況になって

わたしが因果を含められたんです。


とにかくお前の単独行動ということにしろ。

会社は辞めなければならないだろうし

横領で訴えられて、起訴されるかもしれないが

執行猶予が付くようにしてやるし

その後の処遇も悪いようにはしないから。


とまぁこんな話です。

断れるような話でもありません。

わたしはその金を一円たりとも使ってはいませんが

実際自分も手を染めてはいるわけですし。


でまぁ、逮捕されて取調べを受けたわけです。

留置場ってのは本当に嫌なところでした。

取調べってのはどれくらいの時間がかかるかとか

決まってるわけじゃないですから

朝叩き起こされて、小突き回されて怒鳴り散らされてってのが

延々と続きます。


そりゃもううんざりしますし

どうなってもいいからこの場から早く解放されたいって

ほとんどの人間は思うと思います。

やってないことだってやったって言っちゃいます。


一応弁護士も付けてくれたんですが

何のことはない、差し入れ持ってくるだけです。

いいから全部認めてしまって情状を良くしろとか

そんなことばかり言うんです。


飯も冷めた弁当ですしね。

一応そこは米だったですけど。


やっと取調べが終わって出られるかと思ったら

拘置所に入れられるわけです。

小菅にある例のあそこです。

この拘置所は拘置所でうんざりするんです」


ユカワはビールのお代わりを頼み

ぐいっと半分ほど飲み干してから話を続ける。


「拘置所ってね、まずやることがないんです。

刑務所なら労役なんかがあるんですが

拘置所はそんなことさせられない。

裁判の日以外はすることなんて無いんです。


食べ物は良かったですよ。

差し入れもあるし、金だって使える。

みんなお菓子とか買うんですよ。

わたしも買いました。

留置所じゃ甘いものなんて食べられませんから。


最初ね、拘置所に来て2日ばかり

わたし甘露飴をひたすら舐めてました。

だってものすごく美味いんです。

こんなに美味いものだったなんて知りませんでした。

落ち着くと飽きちゃって、別のお菓子を買うんですけど。


拘置所は雑居房なんですが、

みんなすることないから話ばっかりするんです。

自分は何の罪で入ってるとかは一番最初に

自己紹介みたいにやるんです。


不思議なもので金額が大きければ大きいほど偉いんです。

横領で○億円とかいうとみんなほほーって驚いてくれる。

痴漢とか強姦とかは駄目です。男が下がるんですね。


賭博開帳図利なんてのも割と箔が着きますよ。

だから店長も安心してください」


そう言ってニヤニヤ笑うユカワを前に

僕は苦笑いするしかなかった。


いつも浮かべていた卑屈な笑いとは少し様子が違うユカワの笑い。

それは僕にとっては意外な表情だった。

常にそういう顔をしていれば

逆にユカワは油断ならない人間という印象を

周囲に与えるに違いなかったのだ。


そんな僕の思いをよそに

ユカワは話し続ける。


「で、話ばかりじゃ飽きるじゃないですか。

だからみんな本を読むんです。

わたしもいい機会だからと思って

置いてあった法律の専門書を読みふけりました。


え?そうです。そういうのもあるんです。

やっぱりみんな自分の境遇に当てはめたいから

刑事訴訟法とかの専門書は結構ありますし

他の法律書もたくさんあります。


だから、商法以外の他の法律にもずいぶん詳しくなりました。

ここを出たら、何か役に立つんじゃないかと思いましたし。


でも、自分の判決がどういうのが出るかは

最後まで不安でしたね。

本を読めば大体のことは書いてあるんです。


わたしの場合、横領したことになった金額の大半は

まだ口座の中で手付かずでしたから、

おそらくこのケースでは執行猶予が付くだろうとか

そういうことも分かってるんです。


でも、実際に判決を言い渡された瞬間は

やっぱりホッとしました。

誰だって刑務所に入りたいなんてことはないですからね。


『ただし、その執行を4年間猶予する』


なんて裁判官が言うんですが

それは素直に嬉しかったです。


そしてようやく解放されたわけです。

3ヶ月くらいかかったでしょうかね。

拘置所から出て、すぐに上司に連絡しました」


そこでユカワは再びビールを口にする。

僕はその話の展開に少し驚きながらも

ある疑問を拭うことが出来ずにいた。


「あれ?じゃあ弁当(執行猶予)もらったんですか?」


僕がそう言うとユカワは頷いた。


「そうです。業務上横領、懲役3年6月執行猶予4年ってのが

わたしに出た判決でした。

だから4年間大人しくしてれば何でもなかったんです。


わたしは上司に電話をしました。

この先の身の振り方を決めなきゃいけませんから。

上司は労をねぎらってくれました。

家に呼んで奥さんの手料理か何かを振舞ってくれて

とっておきの酒まで出してくれて。


それで上司はこう言いました。


今は再就職にしてもそれ以外の世話にしても

いきなりすぐにするわけにはいかない。

周りの目もあることだから。


だから1年何とか自分で辛抱していてほしい。

1年経てばほとぼりも冷めるし、

今回の件で受けたダメージも回復する。

そうすればどこにでも紹介するし

逆に今よりいい暮らしが出来るかもしれない。


そう言って金を封筒に入れて

当座の生活費として渡してくれました。

30万入っていたと思います。


まぁ話としては筋は通っています。

こっちも世話になってきた人の言うことだから

大人しく聞いて、それから一年辛抱しました。

日雇いのようなこともしましたし

30過ぎてアルバイトにも行きました。


そしてもう少しで一年が過ぎるという頃、

わたしはもう一度上司に連絡をしました。

当たり前ですよね。

いつか拾い上げてくれると思っているからこそ

辛抱してきたわけですから。


当時の派閥のてっぺんにいた人が

役員に昇進して、上司も昇進していたというのも

わたしにとっては好材料だと思ってました。


下請けにでも紹介してもらって

そこの役員にでもしてもらえるんじゃないか

1年前の上司の口ぶりでは、

そんなことも仄めかしていたんですから。


ところが上司は一向に連絡をくれない。

電話をかけてもいつも不在か会議中。

折り返しもかかってこない。


居ても立ってもいられなくなって

わたしは上司の自宅に行きました。

上司は家にいましたが、訪れたわたしを見て

迷惑そうにこう言ったんです。


いったい何の用かって。


さすがに頭に来ましたよ。

面倒をちゃんと見るからって言うから

今までこんな苦労してきたんじゃないかって。


すると返ってきた答えはこうです。


そんなことを約束した覚えは無い。

できるだけのことはしてやるとは言ったかもしれない。

だから、これで何とか更正してくれと金も渡したじゃないか。

それを今頃になって何を無理難題を言ってるんだ。


最初から面倒を見るつもりが無かったとは思えませんが

たぶん昇進したもんだから、

そういう関係を整理したかったんでしょうね。


気が付いた時には

わたしは上司に殴りかかっていました。

上司の奥さんが警察を呼んで

今度はわたしは傷害の現行犯で逮捕されました。


また、あの辛い取調べ室に逆戻りです。

容疑は傷害だけでなく、恐喝も含まれていました。


要は、横領犯のわたしは刑の確定後、

上司に金をせびりに行き一度もらえたことに味をしめ

生活が苦しくなってから再びせびることを目論んだ。

それを諭した上司に逆恨みして殴りかかった、


こういうストーリーです。

いくらわたしが違うと主張しても

一切聞いてはもらえませんでした。

今度の弁護士は国選の年寄り弁護人ですから

そもそもやる気なんかさらさら無い。


それにですね、確定裁判におけるわたしの供述は

あくまでもわたしは自分の単独犯だと自白しているわけです。

ということは、上司はあくまで被害者側の人間であり

被害者側に殴りかかるなんてのは

言ってみればお礼参りと変わらないわけです。

知ってますか?お礼参りって結構罪が重いんですよ。


結局執行猶予は取り消され、

わたしは傷害の罪でも起訴されて

2年の実刑を食らいました。

恐喝に問われなかったのが幸いだったくらいです。

ま、そっちは未遂ですしね。


前回の罪と併せて5年半、

わたしは収監されることになったということです。


刑務所は長野でした。

須坂ってところにあるんですが

夏は涼しくていいんですが

冬は本当に寒かったです。


布団を被って寝るのは禁止だったんですが

被らないと眠れません。

暖房なんてありませんしね。

網走辺りだとあるみたいです。

さすがに凍死するから。


でも、長野じゃありません。

あれくらいだと死なないって

たぶん実験でもしたんじゃないですかね。


刑務所の暮らしはまぁ巷で言われている通りです。

作業をするんですが、最初は見習いなんで

月に1000円以下しかもらえません。

だんだん等級が上がっていくと

それに伴って、手当てが増えます。

わたしは最終的には3等工まで行きましたけど

そうなると月に6000円くらいはもらえます。


それで好きな本やらを買うことが出来るんです。

わたしはその中でパソコンを勉強しました。

プログラム、システム、いろいろ勉強しましたよ。

刑務所の中にはいろんな人間がいますから

中にはもとシステムエンジニアなんて人もいるわけです。

たいていはろくでもない人間ばかりですけどね。


飯は、まぁまぁ普通の献立です。

味付けはめちゃくちゃ薄いですし量も少ないですけどね。

米に麦が混じってるんですが

あれはたぶんお上の嫌がらせです。

だって、コストだけ考えたら、

米だけの方が安いんですから。


お前ら娑婆とは違うんだぞってのを

思い知らせるために麦飯を混ぜてるんだと思いますよ。


だいたい刑務所の中に人権なんか無いですから。

人権団体なんかがどれだけ騒いだって

看守と囚人が同じ人権のわけがない。

指導と称して蹴飛ばされたりしますよ。


看守のことをオヤジって言うんですが

やっぱり当たり外れはあります。

わたしはまぁ当たりでしたから

特に苦労はありませんでしたが

外れのオヤジに当たると悲惨です。

しょっちゅうぶん殴られてるやつがいました」


ユカワは今度は焼酎を頼み、僕にも飲み物を勧める。

僕は一瞬迷ったが、ユカワと同じ焼酎を頼んだ。

あまり焼酎は好きではなかったのだけれど

何となく同じものの方がいいような気がしたのだ。


「結局刑務所には4年半入っていました。

そろそろ仮釈放だということになると

世の中に慣れておかなくちゃいけませんから

順応期間として、刑務所の外で作業したりして

少しずつ慣らしていくわけです。

そこまで来れば、脱獄する人間はいませんから。


それでも、仮釈放の日は大変でした。

パニックになってコンビニ一つ入れないんですから。

何かこう、自分が特殊な人間に見えているような気になるんです。

慣れるまでに一ヶ月くらいかかりました」


そう話すユカワの言葉で

僕は昔見た映画を思い出す。

確か出獄後に、外界と馴染めずに

自殺してしまう元囚人が出てきた映画だ。


「仮釈放の間は、保護官といって

娑婆での監督をする人のところで

寮みたいに住まわせてもらえるんですが

その間に自立の道を探さなくちゃいけません。


でもね、前科者の就職なんて

ホントにろくにありませんから。

隠して入ることは出来ますが

ばれたらだいたい首です。


どんなに能力や技術があっても同じです。

職人ならそうでもないんでしょうけど

わたしには職人になるような技術は何一つ無い。


正直、途方に暮れました。

一応アルバイトとしてホテルで働き始めたんですが

そこでここのオーナーのAさんに会ったんです。


ホテルの常連で、月に何度も来ているうちに

わたしのことも覚えたんでしょう、

やがていろいろと話しかけられるようになり、

運転手兼鞄持ちのような形で

拾ってくれるようになりました。


わたしの何が気に入ったのか分かりませんが

ありがたい話ではあります。

Aさん以外に、具体的に助けてくれた人は

一人も、本当にただの一人もいませんでした。


上司はもちろん、友人も、親戚も、

誰一人助けてなんかくれません。


それから10年くらい経ちますけど

わたしはずっとAさんについてきてます。

そんなにいい思いを出来るわけでもありませんし、

正直、グレーというか黒というか

ギリギリのところは突付いてきました。

カジノは完全にアウトでしょうけど。


でも、もうそれくらいはいいかなとも思っています。

昼行灯のふりして、若い子に小馬鹿にされるくらい

今までの生活に比べれば何でもないです。


だってね、わたしのような前科者が

どうにか世の中を生き抜いていこうと思ったら

出来ることは何でもやる、くらいでないと

誰も助けてなんかくれません。

それは本当に骨身に染みてます。


やる気もある、能力だってある、

体力だって若い頃よりは落ちたけど

相当ハードでもこなす自信もある。


でも雇ってくれる会社なんてありません。

生活保護なんて受けられません。

そんな理由で刑務所に戻ってきていた人間なんて

刑務所には山ほどいます。


自立支援だの人権だの言ったって

奇麗事じゃ飯は食えません。

もちろんAさんだって、

わたしが利用価値があると思ってるだけだとは思います。


でも、口で言うのと実際にやるのは違います。

大変だね、頑張って、なんて一万回言われるよりは

どんな形でも仕事を世話してくれる人が本物です。

それはわたしはホントそう思います」


ユカワはそう言って、グラスを空けて

僕にこう言った。


「まぁこれが私の打ち明け話です。

これはもちろん内緒の話ですよ。

店長さんには何だか、喋ってもいいかなと思ったんです。


ここだけの話ですが、

わたしも近々この店ではなくて

別の仕事に回されると思います。

もちろんまっとうな仕事とは言えないでしょうけど。


店長さんがこの世界でどうしたいのか分かりませんけど

わたしの見立てではこの世界には珍しいタイプです。


だから、店長さんには

いつかどこかで会いそうな気がしますねぇ」


僕はその話を胸にしまい込んで

ユカワと別れて家に戻った。

もう陽はだいぶ高く上っていた。


それからもユカワは相変わらずのほほんと仕事をしていたけれど、

一週間ほどして店に来なくなった。


名義人に尋ねても

事情で、としか返ってこなかったけれど

僕は、あの時の話の通り、

ユカワが別の仕事に回されたんだと直感した。


それ以来ユカワには会っていない。

ユカワが言うように、いつかどこかで

僕はユカワと再会することもあるかもしれない。

だとしたら、どこで会うのだろうか。

それとも、二度と会わないだろうか。


ひょっとしたら留置場の中で

再会するかもしれないと

漠然とした不安を抱えた当時の僕は

ふと、思ったりしたのだけれど。

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