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第15話〜エトウとカネダ

僕は、長いことアングラ業界で生きてきたけれど、

その大半は、歌舞伎町の夜の世界だった。


最近でこそ、都知事の奇妙な政策のせいで

街自体が冴えない一面を覗かせるようになったが、

人間という生き物の、業の深さや得体の知れなさを

最も感じさせる街だったと思う。


もちろん、僕がアングラの世界で凌いだのは

歌舞伎町だけではない。

むしろ、都内全域に亘ったと言えると思う。


六本木、渋谷、池袋、赤坂、銀座、上野、錦糸町・・・

およそ盛り場が存在する街であれば

そこにカジノがある時代がかつてあったし、

カジノがあれば、僕らの仕事もあったのだ。


期間こそ長くは無いけれど

そういったあちこちの盛り場で

僕も働いたことがある。


そして、何かの巡り合わせで

東京を離れて、他の街まで行くこともあった。

横浜、西川口あたりは

都内からかなり近いし、それなりに流行ってもいた。

都内が摘発ラッシュを受けた時期には、

都内よりずっと大きい場が立つこともあったのだ。


そして、カジノ遊びが数多くの遊び人たちに浸透してくると

地方都市にまで、その影響は及ぶようになった。

そう、各地方都市で地元の人間とつるんで

カジノを作ろうとする連中が

次々に出てくるようになったのだ。


ひょっとしたら、あなたが住む街にも

かつて(あるいは今も)

カジノがあったかもしれない。


あなたが知らないだけで、

街の繁華街の外れの雑居ビルで

夜な夜なカードの数字に血眼になっていた人々が

いたのかもしれない。


もちろん、カジノがカジノとして長く営業していくには

街自体の経済規模というのは非常に大きな問題だ。


けれど、短期でガツンと稼ぐのであれば

経済規模などさほど大きな意味を持たない。

自分が小金を持っている客を

一定数呼ぶことができれば

経営自体は難しいことではない。


その客連中を完全に仕上げてしまったら

別の街に流れていくのだ。


必然的に、そのやり方は

相当荒っぽいものになる。

そう、イカサマが圧倒的に多かったのだ。


イカサマというのは

手口を知らなければ

何をされても気づくものではない。


かつて僕が紹介したような手口の数々は

都内では使い物にはならなくなっても

地方都市では十分に使えたりするのだ。


ポン換え、マジシャン、特殊塗料・・

様々な手口で、彼らは客から金を抜いていく。

獲物になるのは大抵の場合、その街の小金持ちだ。


スナックやクラブの経営者、地方の中小企業の社長、

ビルのオーナー、あるいは土建屋・・・

街の経済規模にもよるけれど

一人当たり数千万くらいの遊び金は持っていたと思う。

人によっては億を超える金を持っていただろう。


最初のうちは勝たせたりしながら

どんどんと深みに嵌めていく。

やがて、熱くなった客は金を借りてまで打つようになる。

店が積極的に金を貸すのだ。


その辺りは、地方都市ならではだったりする。

しがらみが強く、簡単には踏み倒せるものではないのだ。

もちろん回収は地元の人間の仕事である。


そして、十分甘い汁を吸ったと思ったら

次の街に流れていく。

まるで、イナゴの大群が襲来した後のように

後に残るのは、荒野のような状態だ。

遊び金だけでなく、本業が傾くほどの借金を作ったり、

先祖伝来の山や田畑を売り飛ばしたり。


それでも数年後には復活していたりもするから

完全に仕上がった連中だけでもないのかもしれないけれど。


そして、そんな話の一つが

僕の元に舞い込んできた。

あれは、オリンピックの前の年だったろうか。

僕はその当時は既に黒服の経験があったけれど

まだディーラーをやったりすることもあった年齢だった。


ある日、僕の元に舞い込んできた仕事の話。

その話を持ってきたのは、エトウという名前の

以前一緒に働いたことのある、かつての同僚だった。

カジノ業界の中で、僕が信用していた数少ない男だ。


要は、ある地方都市でアングラカジノをやるのだが

ディーラーとして手伝ってくれないかということだ。


もちろんイカサマ箱(ポンコツ、タテなどと呼ばれる)であれば

そんな話には僕は絶対に乗らない。

傾向として、ポンコツ箱で働いた人間は

その後ずっとポンコツの世界で生きていくようになる。


客の心理を読んだり、トーク技術に磨きをかけていくよりは

イカサマによって勝敗を操作する方が格段に楽だからだ。

一度イカサマを覚えた人間は、土壇場で必ずイカサマに頼る。


そして、イカサマというものは人がやるものである以上

分かる人間には分かってしまう。

分かってしまえば、引っかかる人間はいなくなる。

結果として、自分の持つイカサマの技術が通用する場所を求めて

どんどんと流れ歩くようになる。


いわば、世界が狭くなり、閉じていくのだ。


だから、僕はイカサマだけは決して手を染めなかった。

その話が来た時も


「タテだったら行かないよ」


と、くどいくらいに念を押した。

そういう店ではなく、

イカサマ無しで普通に営業できればいいのだということで

そこで初めて僕は条件を聞くことにした。

これでもし、実際に行ってみてタテの箱だったら

客ではなく、僕にめくられても店側に文句は言えない。


(もちろん信用している相手だから、

そんな話は持ってこないだろうが

だからと言って、手放しでいいはずも無い。

結局のところ、自分の身は自分で守るしかないのだ)


「めくる」というのはイカサマの手口を暴くことであるが

それだけでなく、その手口を逆用して

店から金を奪ってしまうことも含まれる。


つまり、もし僕が本意ではないイカサマに巻き込まれたら

誰かにその手口を教えてしまえばいい。

イカサマというのは、とどのつまりは勝敗操作だから

どっちが勝つか分かっているということになる。

ターゲットになった客のベットを外れるようにするということは

自分の仲間に反対側に賭けさせればいいということだ。


あるいは、その手口を売り渡してしまうか。

そうすれば、後はその筋の人間がケジメを取ることになるだろう。


いずれにしても数百万にはなるが

決して楽な方法ではない。


自分がさらわれたり、埋められたりしないだけの

コネクションも必要になるし、

筋者と渡り合うだけの度胸や器量も必要になる。

いわば修羅の道だから、できればそういうことはせずにおきたい。


当時の僕はちょうど空白期間で

短期ということなら都合が良かった。

わざわざ修羅の道を歩かなくても

ちょっと稼げればいいだけだったのだ。


だから、タテではないということを聞いて

初めて条件を確認したのだ。


都内や大都市ではない地方都市にまで

カジノを作ろうと言う人間が沸いて出ていた時代だから

当然のようにディーラーの数は不足する。

まして、大きな場面を仕切れるだけの

技術や度胸を持っているディーラーなど

全体の1割にも満たない。


自分の金で賭けを受けているわけではなくても

目もくらむような大金を賭けられれば

金額自体がかなりのプレッシャーになるし、

そういった額のベットを入れてくる客は

それなりの迫力があるものなのだ。


その圧力に潰されてしまうディーラーもいる。

場数や経験というのは、

そういう意味では本当に大きい。


当時の僕は技術的にも度胸という面でも

相当の場数を踏んでいた。

当然待遇もかなり良かったし職に困ることも無かった。


空白期間といってもいくらかの待機手当ても貰っていた。

要はそれだけ払っても使いたいと思われていたと言うことだ。

ただし、その店が開く時に行きさえすれば

その間は何をしていても問題ない。


だから、短期の仕事というのは

こっちにとっては非常に美味しい条件でもある。

タテでさえなければ、の話だけれど。


そして聞いた条件は

まさに破格とも言えるものだった。


僕に舞い込んできた破格の条件の仕事。

その条件はこんな感じのものだった。


給料は日払いで3万。

勤務時間は夜10時から翌朝6〜8時まで。

食費は全額支給でホテル代やクリーニング代も全額支給。

東京までの往復交通費も支給。

配当として現場に純益の5%。

期間はとりあえず1ヶ月。

こちらの都合が良ければ、さらに週単位で更新。


いくらカジノ業界が高待遇と言っても

ここまでの条件はそうは無い。

相場で言えば、このくらいの仕事なら良くて1日2万5千だ。

もちろん僕にとっても初めての待遇だ。


ちょっと胡散臭いなと思いながらも

こちらにリスクのある話ではないので

(話が違う点があれば、その日が終わった時に

日払いを貰って帰ってきてしまえばいいのだ)

僕は結局行くことにした。


場所は長野市。

エトウと、上野駅で待ち合わせる。

当時、長野市まで新幹線が開通したばかりだった。


上野駅に行くと、エトウは既に来ていた。

他にもディーラーが来るのかと思っていたら

東京から行くのは僕とエトウだけで、

残りは現地の研修生上がりを2名使うと言う。

その時点で、僕は好条件のからくりが理解できた。


おそらく、時給に関しては

4人で10万とでも言っているのだろう。

一人当たり2万5千円。

僕の知る限り、おそらくはそれが相場に近い数字だからだ。


そして、僕とエトウには3万ずつ、

研修生上がりには2万ずつにしているのだろう。

ひょっとしたら、研修生上がりには1万8〜9千円にして

差額は自分で取っているのかもしれない。


そんなことは僕にはどうでもいいので

敢えて聞かずに、列車に乗り込む。

その手の話を持ってくる人間が多少美味しい目を見るのは

別段不思議なことでも何でもない。

むしろそちらが自然なことなのだ。


そして僕は車内で、その箱のオーナーについて

あるいはその話が来た経緯について

一通りの情報を仕入れる。


どんな人間が経営しているのかは

現場にとっては結構重要なことだ。

実際に会えば分かることもあるが、

金が絡む以上、情報は多いほどいい。


エトウの話によれば、オーナーは極道ではないが

とにかくワンマン体質で

面子や格好を気にするタイプの人物のようだった。

Eはこの話の前に長野に来ていてカジノで働いていたから、

この店はいわば二世代目ということだった。


「一時期より客は減ったけど

出がらしってほどじゃないよ。

っていうか、客筋はかなり美味しいと思う。

オーナーはこの辺の遊び人でかなりの見栄っ張りだから、

給料飛んだりってこともまずないし」


そんなことをエトウから聞く。

それだけでもずいぶん手がかりにはなる。

見栄を張りたい人間には基本的に張らせておけばいいのだ。

もちろん造作も無いことでもある。


そして列車は長野に着き、

宿泊先にチェックインした後、

僕らはそのオーナーの所に挨拶に向かった。

夜に店で顔合わせをすることになっていたので

夜になれば必然的に会うのであるが、


「最初の印象を良くしておけば後が楽だから」


僕はそう言ってエトウに半ば無理やりにアポイントを取らせた。


「ええ、とりあえず到着したんでご挨拶だけでも、はい」


そして指定された喫茶店に向かう。

エトウの話によると、どうも情婦にやらせている喫茶店らしい。

店に入ると、ポーカーゲーム機が数台あって

店のあちこちに大きなテレビが並んでいる。

そのどれもに、競馬中継が映っている。

おそらく、ノミ屋も兼ねているのだろう。


長野には場外馬券売り場が無いから、

その手のノミ屋が多いということは

僕は前もって知っていた。


一番近い場外馬券売り場でも

山梨県の石和まで行かなければならないのだ。

ならば需要と供給の関係で

ノミ屋が増えるのは自明の理でもある。


僕らが店に入って立っていると

すぐに大柄な男が店の奥で手を上げた。

エトウが頭を下げながら、そちらの方へ歩いていく。


エトウの後ろから眺めたところ、年齢は40代だろうか、

手のグローブ跡を見るとおそらくはゴルフ焼けだろう、

ずいぶん浅黒い肌をした男だった。

その横に、同じく40代の男が一人と

僕らと変わらない年代の男が一人。

これは相方と舎弟だろうか。


「おお、お疲れさん。汽車は混んでたか?」


ニコニコと笑いながら、手を上げた男が言う。

でも僕はその男の顔を見た瞬間に察する。


この男の笑顔は、自分を飾るための笑顔だ。

大物を装うために、この男は笑顔を振り撒いているけれど、

実際に笑っているわけではない。


そんな僕の心中を知ってか知らずか、

エトウがかしこまった顔で答える。


「いえ、そうでもありませんでした。

それでカネダさん、こっちが東京から来てもらった

知り合いのディーラーです」


その言葉で、僕は改めて頭を深々と下げる。


「この度はお世話になります。

よろしくお願いします」


カネダと呼ばれた男は、鷹揚に頷きながら言う。


「おう、頼むな。給料高くてもいいから腕利き呼べって

エトウに言ったんだ。そしたらお前さんがきたってわけだ。

期待してるからな、頼むぞ」


覚悟していたことではあるが、

その言葉で改めてプレッシャーを感じる。

一ヶ月程度で確率が収束しないことなどざらにある世界だが、

マイナスなんてことになったら

何を言われるか分かったものではない。


とは言え、エトウの話だと

客は相当美味しいということだったから

僕はあまり心配はしていなかった。

普通にやれば普通に抜けるのだ。

ベットをいかに焚きつけるかが、こちらの腕だからだ。


そしてカネダの横にいた男が口を挟んでくる。


「自分、どこの店にいたんだ?」


僕がかつて在籍したことのある店を幾つか挙げると

男はそのどれも知らなかったが、

僕が知っている店の名前を数軒出して

その店には行ったことがあると言った。

店を出すことをカネダに薦めたのは

もしかしたらこちらの男かもしれない。


そして、しばらく雑談が交わされる。

僕は努めて低姿勢で話に加わる。

店を誉め、街を誉め、目の付け所を誉める。


「博打は人間の本能ですからね。

なかなか無くなったりはしません。

まして長野ならノミ屋なんて安定して抜けるんじゃないですか?」


お互いに値踏みがしばらく続いた後、

カネダが用事があるということでその場はお開きになる。

夜の顔合わせまでは自由時間だ。


「お前さんたちは叩いたりはしないのかい?」


帰りがけにカネダが尋ねてくる。

叩くと言うのは、ポーカーゲームで遊ぶことの俗称だ。


「いえ、最近は全然」


最近も何も、僕は全く興味がないのだが

そういってその場を取り繕う。

カネダは僕の答えなどどうでもいいかのように店を出て、

そこに停めてあったプレジデントに乗り込み走り去っていった。


そしてその夜の顔合わせの時間になった。

店がある雑居ビルに向かう。

長野市の駅の近くにある、さほど大きくは無い繁華街。

その外れにそのビルがあった。


店に入ると12人掛けのテーブルが1台。

その手前にソファがあり、

右手にカウンターキッチンがついている。

もともとはスナックでもあったのだろう。


テーブルには若い男が二人いて

エトウの顔を見ると、立ち上がって挨拶をする。


「おはようございます」


そしてエトウが僕と彼らを引き合わせる。

テーブルに着いて、彼らの経歴を聞く。

テーブルには既にチップが置いてあったが、

チップ捌きを見る限り、まだ覚束ないように見える。

チップやカードの扱い方を見れば

大体の技術的水準は分かるものなのだ。


案の定、彼らはまだタップ台をメインとするレベルだった。

バランスと呼ばれる台であれば

プレイヤーとバンカーに張られたベットの総額を瞬間的に見て取って、

決められた差額以内に収めなければならない。

つまり、双方の差額であるからには、理論上は上限は無い。

差額分を受ける相手がいさえすれば

いくらでも張ることが出来るのだ。


ところがタップ台であれば、

そのボックスに張ることの出来る上限は

あらかじめ決まっている。

それも2万とか3万とかいった

一目見てすぐに分かる上限だ。

必然的に、チップの量など

瞬間的に読み取れないような未熟な腕でも

ルールさえ知っていれば、タップ台のディーラーは出来る。


研修生上がりだからこんなもんか。


僕は、自身とエトウで交互にディールすることになるのを

この時点で覚悟した。

調子次第では、入りっぱなしになるだろう。

もちろん、貰う給料からすれば当たり前の話だ。


そして、オーナーのカネダやその取り巻きたちがやってきて

細かな打ち合わせが始まる。

まず、ミニマムやバランスを決めなければならない。


カネダは強気に


「バランスなんか100万でも200万でも受ければいいんだ。

金ならいくらだって用意するんだから」


などと言っていたが、

実際にどこまで資金を用意できているかは

僕らには知らされていなかった。


そもそもテーブルは1台しかないから、

そこに全ての客を座らせることになる。

ということは、バランスやミニマムは

あまり高くは出来ないのだ。


せいぜい、ミニマムが1万で

バランスが30万くらいが限界だろうか。

それだって、動きはかなり大きくなるのだ。


「30バラでも一日300くらいは抜けますよ」


僕やEがそう言うと、カネダはほうという顔をしながら


「だったら30くらいで十分か。

少しは遊ばせてやらないとな」


などと言って大きな声で笑った。

タイと呼ばれる引き分けに賭けるベットの上限を

いくらにするかで少し紛糾する。


タイは確かにロングショットといって

配当が大きめの代わりに、

店にとって条件が良くなっているのだが、

タイはあまり過剰に張らせていると

実際に出た時にダメージが大きい。


長いスパンで見られる店ではないだけに

タイの上限はそこそこで抑えておきたいのだ。

ところが、カネダが頑として譲らない。


「店のNO.1がこうだって言ってるんだ。

現場の人間は黙って従えばいいんだ」


やはりそういうタイプなんだ、

僕らは渋々ではあるが、従った。

この部分に関しては運否天賦の勝負になるだろう。

もちろん、店が有利な条件なのだが

裏目に出た時のリスクは大きい。

それをカネダが理解しているとは思えないのだけれど。


客を呼ぶのはカネダや取り巻きたちが呼ぶと言う。

営業時間は一応6時までを目安とするが、

客の要望によっては8時まで、ということになった。


その言葉で、僕は基本が8時までだろうと覚悟する。

どうせ地元の知り合いばかりが集まるのだ。

馴れ合いになるに決まっている。


どれくらいの数が集まるかは

僕には想像も出来なかったが、

打ち合わせが終った後にEに尋ねてみると

10人くらいは毎日来るんじゃないか、ということだった。


そして、その日の夜、エトウは


「明日から夜起きてなきゃいけないんだから」


と言って、僕を夜の街に連れ出した。

エトウはずいぶん前にこの街に来ているから

客の店に顔を出したりして


「明日からまた開けるんで」


などと声をかけて回っていた。

そして、最後に、とあるマンションに僕を連れて行き

エレベーターホールのインターフォンを鳴らした。


訝しがる僕に


「ここで最後だから。

いろいろ付き合いあるんだよ」


と言って、するりと開いたドアの向こうへと入り

エレベーターで7階のボタンを押した。

そして7階に着き、そのフロアの一室の前に立ち

呼び鈴を鳴らす。

ドアはすぐに開き、僕らは中へと入った。


そこにあったのは、いわゆるマンション麻雀だったのだ。

長野には割と多いらしい。

レートを聞くと、2−3−6という。

あまり高い場が立つようなことも無いらしい。


そしてエトウは、店の主らしき男と挨拶を交わしながら

先ほどまでと同じように、店を開けることを伝え、

僕に向かって言った。


「せっかくだから何回か打っていこうか」


そして僕らは数回卓を囲んだ。

特に面子のレベルが高いということも無く

その辺の雀荘と変わらない感じだった。


朝まで打った後僕らはホテルに戻った。

さすがに疲れていたのか、

僕はあっという間に眠りに落ちていった。


ふと目が覚めて時計を見ると

まだ昼の2時を少し回ったところだった。

もう少し眠ろうと思ったのだが、

急に変わった環境のせいか僕はうまく寝付けずに、

しかたなくホテルを出て街を歩いてみた。


繁華街の中央部にある全国チェーンのスーパーと

その前にあるファストフードの店。

そこに中高生がたむろしている。

そして、アーケードの先に

観光名所として知られる寺院への道案内の看板が立っている。


僕はそこまで行ってみようと思ったが、

案内板を見ると、思いの他遠いことに気付き、

諦めて本屋で雑誌を買ってホテルに戻った。


テレビを観ながら、雑誌をパラパラとめくり

ぼんやりと時間を過ごす。

やがてエトウがドアをノックして

僕らは支度をして、夕食を簡単に取って店に向かった。


店に入ると、研修生上がりの二人は既に来ていて

掃除などをしていた。

そして僕らは、その二人にディールのあれこれを教える。

全部で四人しかいないのだ。

彼らも出来ることなら戦力として使いたい。


と言っても、かつて自分が研修生だった頃のように

スパルタ方式では教えたりしない。

短期の仕事で来ているのに

わざわざ恨みを買いかねないようなことをする気は

僕にはまるで無かった。


いつか本人にも感謝されるのかもしれないけれど、

その瞬間は腹も立つだろうし、

こっちの性格もほとんど知られていないのだ。

いきなりビシビシしごいたりしたら

恨まれない方が不思議である。


努めて明るく、そして丁寧に教えていると

いつの間にか10時を少し回っていたようで、

カネダたちが客を連れて店に来る。

この界隈でファストフードのチェーンを持っている会社の

社長という触れ込みだった。

昼間僕が通りかかったファストフード店も、彼の店らしい。


ずいぶんいい客を呼べるんだな・・・。


その初老の男性は、ソファでお茶を飲んで談笑しながら

どこかに電話をしたりしている。

スーツの腕から覗くのは

きらびやかな宝飾時計だ。


「あれ、ヴァセロン・コンスタンチンだぜ」


エトウが横に来てささやく。

僕は時計やアクセサリーにはてんで疎いけれど

そのブランドが高級品であることは知っていたし

おそらく本物であろうということも理解できた。


カジノ業界で高級時計と言えば

圧倒的にロレックスが多いが、

それは中古品市場が大きく

いざシノギに困った時にすぐ売れるからでもある。

そして、その分贋物も非常に多く

素人目にはなかなか判別しにくい。


ヴァセロンやピアジェといった宝飾時計は

中古で買うという発想自体が

そもそも成り立たない品物であるがゆえに

贋物をわざわざ作る者もまずいない。


その手の時計を買う者は

間違いなく正規のルートで買うのだ。


そんなことをささやきあっているうちに、

4〜5人の客が次々に入ってきて

僕らはゲームをスタートさせる準備に入る。

何人かは昨夜挨拶に行った客で、

エトウにミニマムやバランスなどを尋ねたりしている。


僕は最初、サブに入り、エトウがメインだ。

研修生上がりの二人は、初日と言うこともあり、

様子を見ながら適当に使っていくことにした。


そしてゲームが始まり、

朝まで延々と続いた。


エトウの言った通り、

客は確かに美味しいと言っていい客だった。

少し煽ってやれば、ベットを足してきたり

あるいは最初に張った方と逆の方に変更したりする。

あるいはすぐに熱くなって

手持ちのチップをオール・インしたりもする。


都内ではもうそんな客は少数派だ。

店の都合に合わせて張っていたら

客に勝ち目など無いに決まっているのだ。


そしてその日、朝までに15人ほどの客が来て、

店はいきなり500万ほど抜けた形で終わった。

終わった時間は9時少し過ぎ。

まぁ予想の範囲内といったところだろうか。

途中で、昼くらいまでやるのではないかとすら思ったのだ。


カネダは上機嫌で、僕らに


「おう、お疲れさん。これ残業代だ」


と言って4万円をくれた。

一人1万ということだろう。

これはさすがのエトウも均等に分けた。

日払いの給料は、エトウが一人分ずつ封筒に入れて

帰りがけに渡してくれた。


こうして僕の出稼ぎ生活が始まった。


次の日も、その次の日も

客の顔ぶれは同じようなものだった。

一人二人は新顔が混じるけれど大体はほぼ常連ばかりで

全部合計しても30人くらいの客のうち

その日、空いている客が10名ほど来るという感じだった。


飲み屋のママやホステス、マスター

あるいはゲーム屋やノミ屋、雀荘関係者、

地元の中小企業の社長やビルのオーナー、

客の職種は歌舞伎町などと変わらなかったけれど

みんな顔見知りである点が、

やはり地方の中都市であることを感じさせた。


だんだん顔なじみになってくると

うっかり昼間に出歩いていると


「昨日○○あたりうろちょろしてたろ?」


などと店で言われたりもした。

悪いことできないな、などと思っていただけだったけれど。


使う金もあまり差は無かった。

大負けする客で300万ほど、

後は勝っても負けても100万までの範囲だった。


店が負けることもあったけれど

この客層で、このベットであれば

バンカーコミッションだけでも相当入る。


30万の差額と言っても

30万対0万では店にはあまり旨みは無い。

やはり150万対120万というくらいの額が

テーブルに入らないと、美味しいと言うことは無いのだ。


仮にバンカーに150万、プレイヤーに120万であれば

プレイヤーが勝てば、店には30万入るが

バンカーが負けても5%のコミッションを引けば

マイナスは22万5千円で済む。

この7万5千円の積み重ねこそが

店の収益の最大の要因なのだ。


そして、上手く焚き付けてやれば

彼らは簡単にベットを上げていった。

バンクロールとか、控除率とかいう概念など

彼らにはあまり意味を持たない。


いかに格好をつけて、

いかに見栄を張るか。


どの客も、発想は似たようなものだった。

中には少し手ごわい客もいたけれど、

強敵というほどのレベルでは無かった。

熱くなれば、大負けするまでやるのは変わらないのだ。


そういう意味では、オーナーのKもまさに同類だった。

店が負ける日もあったけれど

店が営業している時間は

カネダは平気な姿勢を決して崩さなかった。

時たま客が店の負けを冷やかすと、Kは


「なーに、構うことはねぇ。

いくらでも勝っていきな」


などと言ったりもしていた。

その代わり、営業を終えると

不機嫌そうに舎弟の男を怒鳴りつけたりしていた。

僕らに声を荒げることは無かったが

店が儲からなかったら、その矛先がこちらに来るのは

容易に想像できることだった。


とは言え、僕はほとんど負けなかった。

客層がいいというのがその最大の要因だったけれど

運も味方していたのだろう、

期待値を大幅に上回る成績を僕は挙げていたのだ。


そのせいだろう。

カネダにはずいぶん目をかけてもらった。

客受けが良かったのもあるだろうし

数字がはっきり出ているというのもあっただろう。

約束の金よりも多く、金をくれたこともあった。


一応、日曜日が定休日で

僕は一度東京に帰って車を取ってきたのだが

ホテルの近くにガソリンスタンドに行くと

偶然カネダが舎弟といて、ガソリン代を払ってくれたりした。


カネダたちはいつもそのスタンドに来ているようだったが、

あまりに良くしてもらうのも後々困るので

やがて僕は別のスタンドに行くようになった。


全国的に梅雨の時期だったけれど、

長野はあまり湿気も多くなく、

僕はそれも気に入っていた。


休みの日に戸隠までEと蕎麦を食いに行ったり、

研修上がりを連れて日帰りで温泉に行ったり。

少し長い旅行だと考えてしまえば

長野と言う土地はとても良い観光地だった。


ただ、普段の食事には少し困った。

終わる時間が朝の6時ということになると

その時間から開いている店といったら

ファミレスか牛丼屋くらいしか無かったからだ。


ファミレスも朝のメニューは少ない。

仕事を終えた後に粥などを食べる気にもあまりならない。


仕方が無いので我慢していたが

そのうちに、以前顔を出したマンション麻雀であれば

定食のような飯を食べられることが分かり、

僕とエトウは営業がてら、ちょくちょく顔を出すようになった。


エトウはそれほど麻雀が上手いわけではなかったが、

思い切りの良い打ち手で、

勝つ時は大勝することが多かった。


僕はといえば、こっちでも稼げるんじゃないかと

勘違いしたくなるくらい調子が良かった。

とは言っても、本気で稼ごうとしたら

やはり辛くならざるを得ないし、

客の店でそれはしにくいから、

打たずに雑談だけで済ませたり、

適当なところで切り上げることも多かった。


そして約束の一ヶ月が過ぎた。


僕は東京の事情を尋ねてみたのだが

もうしばらく時間がかかると言うことだった。


当時はまだ許可箱も多く、

次の店は許可の申請中だったのだ。

そして、役所仕事の多くがそうであるように

その手の予定は遅れるのが常だったのだ。


僕はエトウにもう一ヶ月はいられると言うことを伝えた。

もちろんその事実はエトウには歓迎された。

研修上がりの二人も、いくらかは成長していたが、

やはりまだまだ実力は物足りなかったのだ。


そして、カネダにもその事実は歓迎された。

ある夜店に行くとカネダがもう来ていて

僕に話しかけてきた。


「やっぱり東京の一流は違うもんだな。

こうして数字を見れば一目瞭然だもんな。

やっぱりあれかい?

目なんか自由自在なのかい?」


僕は苦笑いしながら首を横に振り

たまたまだということを強調し、

ついでに、オーナーがいい客筋を連れてくるからだと言うことも

それ以上に強調して伝えた。


その返答はカネダの気に入ったようで、


「どうだい、こっちにずっと住んでみちゃ。

俺らの仕事手伝ってりゃいいじゃねぇか。

慣れれば悪いところじゃねぇぞ。

東京だって新幹線で2時間で行けるんだし」


などと僕に言ってきた。

僕はそれには答えずに、当たり障りの無いことを言って

その場を逃れた。


そして数週間が過ぎた。

その頃になると、店の客もだいぶ仕上がってきていた。

数字自体は二ヶ月で6000万を超える純益だったはずだ。

僕らには配当だけで300万くらいの金が入ってくるはずだった。


そろそろ潮時だった。


客が仕上がってきたのは

僕らにはすぐに分かる。


少し負けが込むと店から金を借りて打ったりするようになり

次は、店に来ていきなり借りたチップで打つようになる。


ファストフードの社長などは

冗談混じりに腕の時計を指差して


「どうだ、これ200で買うか?

普通に買えば800はするぞ」


などと言うようになった。

言うまでもなく、金に余裕のある人間は

そういう冗談は言わない。


客数自体も目に見えて減っていった。

こうなると、元の客数が少ないだけに

店の盛り上がりにも欠けるし

それが悪循環にもなる。

カネダにもそれは分かっていたようで

その月で閉める、ということを仄めかすようになった。


あまり仕上げすぎると、

通報などもされかねない。

確かにそれは賢明な判断だっただろう。


このまま行けば、僕の出稼ぎ生活は

上々の出来で終わるはずだった。


ところが、最後に一悶着があった。

配当の話になった時にカネダがこんなことを言い出したのだ。


配当分の金は、今まで相当出してきたはずだ。

だから、300万を200万にしてくれ。


もちろん通る話ではない。

僕はその話し合いには参加する立場ではなかったが

エトウもずいぶん強硬に突っ張ったはずだと思う。

ここであっさり引き下がったら、

今後エトウの持ってくる話に乗る人間がいなくなるのだ。


けれど、僕はもう諦めていた。

おそらくカネダは貸した金の回収に手間取っているのだろう。

だから、思いの他、手元にある金が少ないことに気付き

僕らに渡す配当が惜しくなったに違いない。


僕が密かに計算した感じでは

6000万の純益のうち

半分以上は貸しのはずだった。

特に後半の売上は、大半が貸し付けだったと思う。

ということは必然的に回収するまでは利益は確定していないし、

帳面の上だけで確定していない利益など、何の意味も無い。


十分美味しい思いもした。

だから、結局エトウが屈服した時に

僕はエトウにこういった。


「まぁいいじゃないか。0円じゃないんだし。

グズグズ言ったって後味良くないよ。

ずいぶん美味しい思いもしたしな」


もちろんエトウとて黙って引き下がったわけではあるまい。


「きちんと回収できたら

その時残りを払うから」


そんなことを言われたとエトウは言っていた。

僕が思った通り、

カネダは貸した金の回収に手こずっていたのだ。


そしてエトウは、それでは気が済まないと

僕を温泉に連れて行ってくれた。

鄙びているけれど有名な温泉だった。

そこで僕らは、白く濁った湯に浸かり、

散歩をしたり酒を飲んだりしながら3泊ほどして別れた。


僕は東京に戻り当初の腹積もりの通りに

歌舞伎町で働くようになった。

ディーラーではなく黒服として働いていたのだが

やがて責任者になり、店を切り盛りするようになった。


長野にいた日々も

ずいぶん遠い日のことのように思えるようになった

そんなある日のことだった。


ある日、僕の店にカネダが現れた。

偶然だったと思うが、

カネダはすぐに僕に気付いて話しかけてきた。


「よう、元気かい?

俺もさ、こっちで店やろうと思ってさ。

やっぱり東京には太い客が多いからな」


僕は曖昧な笑顔を浮かべながら

当たり障りの無い会話をし、

カネダをテーブルに案内した。


ベットを見る限り、カネダは羽振りが良さそうだった。

あの時の貸し付けの回収も

どうやらうまくいったらしい。


もちろん、だからと言って

改めて金を寄越せなどとは言えない。

首尾よく回収できたなどと、

カネダが言うはずが無いのだ。


それにそもそも、僕に直接交渉することは出来ない。

話を持ってきたのはエトウであり、

最終的な決断を下したのもエトウだ。

僕が配当の約束をカネダと直接したわけでもない。

エトウが自分の仕切りでやる店の話をしただけなのだ。

僕が言えるとしたらそれはエトウに対してだけだ。


僕はエトウの携帯電話を鳴らしたが

あいにく、エトウは電話に出なかった。


帰りがけにカネダは僕にお茶でも飲もうと誘ってきた。

それまでにはエトウと連絡がつくかもしれないと思い、

僕は仕事が終わってから、

カネダが待っていると言った喫茶店に向かった。


一介のディーラーであれば

客と個人的に会うのは厳禁だ。

不正を疑われかねない。


けれど責任者クラスになれば

その点に関しては、ある程度自由になるのだ。


喫茶店でカネダは上機嫌に喋った。


「サービス出せば客は来るんだし

中には太いのもいるだろ。

太い客をガッチリ受ければ店は負けねぇんだから」


饒舌に喋るカネダは

あの店を止める時、金で揉めた話を

僕が聞いていないとでも思っているようだった。

さすがに知っていたら、そんな饒舌には話さないだろう。


「今いくら貰ってんだ?

こっちに移ってこねぇか?

今の店よりも金は出すよ」


もちろん僕は断った。

金で揉める人間と言うのは

何回でも揉めることを

僕は何度も見てきていたのだ。


大体カネダが喋ったやり方で

この街で上手くいくとは思えなかったのだが、

カネダが人の意見に耳を貸すような男ではないのも分かりきっていた。


誰か腕のいいディーラーや黒服がいたら紹介してくれ、

カネダはそうも言っていたが、

僕は適当に聞き流していた。

どうせ金で揉める店に誰かを紹介しても

自分の信用に傷をつけるだけだからだ。


しばらくして、カネダの店がオープンしたという噂が

僕にも入ってきた。


わざわざ聞いて回らなくても、

この街の客はあちこちの店に行くのだ。

どこの店がどんな感じだ、などと

自然に噂になるものだ。


カネダの店はあの時カネダが話していたように

バランスも大きく受けているようだったし、

サービスもずいぶんばらまいているようだった。


サービスをたくさん出すというのは

既に賢いやり方とは言えなかったし、

そういう意味では田舎商法だったけれど

客の数だけに着目するなら

その効果は絶大だ。


本当に問題なのはプレイの内容なのだけれど、

当時そこに焦点を当てて仕切っていたのは

ごく一部の店だけだったのだ。


その噂を聞いて、カネダの出す店の行く末も

僕には半ば想像できていた。


数ヵ月後、僕の耳に、

ある噂が飛び込んできた。


カネダの店が、ヨコ(横領=従業員の不正のことだ)を入れられて

数千万の損害を出して潰れたというのだ。

伝を頼って詳しく調べてみると、

どうやら、約束の金を出す出さないで揉めた後に

根に持った現場の連中が仕組んだらしい。


カネダの舎弟が血相を変えて僕のところに来て

その連中の顔写真まで見せて

その連中の消息を知らないかと尋ねてきた。

もちろん僕が知るはずも無いし、

仮に知っていても言うはずも無かった。


調べればある程度のところまで分かるだろうが

僕はそれもする気は無かった。


ひょっとしたら・・・


僕の中にはある危惧もあったのだ。

それを確かめるのは気が進まなかった。

結局のところ、食われるヤツが間抜けなのだという思いも

僕の中にはあったのだけれど。


もちろん、それはカネダの側にも言い分があるだろう。

ひょっとしたら、カネダは誰かの口車に乗せられて

東京で店を出す気になったのかもしれない。

そして、現実との食い違いに気付き

約束を反故にしたのかもしれない。


この街では良くある話だ。

簡単に人の話に乗ったら、怪我をする。

信用できる人間の見極めが出来ない人間は

誰かの餌食になるだけなのだ。

客も従業員も一筋縄で行くような街ではない。


あの時惜しんだ100万のせいで

カネダは今回いくら損害を出したのだろうか。


もちろん、それを因果応報と言ってあざ笑うほど、

僕は綺麗な生き方をしてはいない。


極端な話をすれば

そうやって損害を出して失敗する店があるから

客が一息つける面もあるのだ。


そしてその浮き分は

どこか別の店で打つ種銭になるか、

金貸しへの利息や一夜の豪遊で消えていく。


そう、この街はそうやって回っているのだ。


昼も、夜も。これまでも、これからも。

時が流れ、歩く人が変わっても。



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