第14話〜セガワ
日本のカジノには、いくつか種類がある。
風営法の中で8号許可と呼ばれる
ゲームセンターなどを規定する許可を申請し
実際に換金行為などを行わない
「完全アミューズ型カジノ」がまず一つ。
(ちなみに雀荘やパチンコ屋は7号の許可、
キャバレーは1号、ホストクラブは2号など
非常に細かく規定されている)
近年ではお台場にあるものが有名だろうか。
換金しない分、敷居も低くゲーム本来の楽しみも味わえるが
ギャンブル独特のヒリヒリとした緊張感はまるで無い。
ギャンブルの緊張感と言うと、
自分には関係ないと思われる方も多いだろうが
子供相手にゲームをする時の「オミソ」だと考えれば
分かりやすいのではないだろうかと思う。
要はただのママゴトだ。
そして、風営法の8号許可を取りながらも
実際には陰で換金行為を行うカジノがある。
これをカジノ業界では「許可箱」などと呼ぶ。
表向きはゲームセンターなどと同じ扱いだから
堂々と看板も出すし、宣伝もガンガンする。
8号許可の取得申請には、数十万の費用と
数ヶ月の待機期間がかかるから、
そうでもしないと割に合わないのだ。
許可と言っても、換金の許可があるわけではなく、
8号の許可を取っているに過ぎないから
場合によっては摘発される。
そして、その手の許可申請など一切しないで
隠れてカジノ営業を行う店もある。
文字通りの地下営業だから、
これを「アングラ(アンダーグラウンド)箱」と呼ぶ。
アングラ箱は、換金行為を行わなくても
風営法違反で摘発されるのだが、
実際に換金行為を行っているカジノを摘発する場合には
風営法違反のような「ションベン刑」で摘発はされない。
賭博開帳図利(及びその幇助)、常習賭博の罪状となる。
(ぶっちゃけた話、むしろ風営法違反ならラッキーくらいなものだ。
それならせいぜい罰金刑くらいが関の山なのだから)
従って、許可箱、アングラ箱のどちらであっても
やっている中身はバリバリのギャンブルだ。
欲望と葛藤、願望と失意が際限無く渦巻く世界だ。
許可箱は以前は全国どこでもあった。
もちろん東京には山ほどあった。
(あった、ということは今は無い。
もうその営業形態が野放しになることは無いのだ。
某都知事の影響が大きいらしい)
今でも、名古屋や西川口では許可箱がある。
県警などの方針(癒着と言ってもいいだろう)が大きな理由だろう。
僕はもちろん許可箱、アングラ箱のどちらでも
働いたことがある。
昔は許可箱が多かったから
働くのは許可箱ばかりだったのだけれど、
現場のやることに違いは無い。
ギャンブルをやりたい人間に
ギャンブルをさせているだけのことだ。
首を吊りたい人間に縄を売るのとは少し違う。
生還の可能性が(少しは)あるから。
そして、許可箱というのは
昼間は鍵をかけずにドアを開け放って営業していた。
となると、入り口に誰か人を置いておかないと
ヤクザやポン中が入ってきかねない。
従って、ドアのところにクロークもしくはフロントを作って
来る客それぞれに対応するのが常だった。
もちろん、誰でもいいわけではない。
その街の人間模様に詳しく、
とっさの機転が利く人間でないと
少なくとも歌舞伎町のフロントは務まらない。
目つき、服装、アクセサリー、雰囲気・・・
来た客を瞬時に見極めるだけの経験が必要なのだ。
だから、黒服の中でも
責任者クラスがフロントにいるケースは結構多い。
もちろん責任者だから、
客が遊ぶテーブル周りにいる必要があることもある。
けれど、責任者が現場の最前線にあまりにも出ることは
かえって望ましくないこともある。
トラブルが起きた時に、当事者になってしまうことがあるからだ。
トラブルを当事者が裁定することは出来ない。
だから、トラブルが起きた時に
「どうなさいました?」
と寄っていく為の人間が必要になるのだ。
そんなわけで、その日も僕は店のフロントに入っていた。
歌舞伎町も長くなってしまえば
大抵の客の顔は分かるし、胡散臭い客が来ても
それなりの対応が出来るだけの経験は既に積んでいた。
ある許可箱のフロントにいた僕は
いつものように、仕事をしていた。
いくらカジノでも、そうそう毎日事件があるわけではない。
その店のオーナーが、それまで赤坂でカジノを経営していた関係で
その店には歌舞伎町にしては身元のはっきりした客が多かった。
クラブのママ、ホステスと小金を持った会社員などが
同じくらいの割合なのが赤坂と言う街の特徴だ。
これが六本木になると水商売系の割合が増え、
新橋あたりになると、会社員系が増える。
渋谷になると年齢層が下がる。
やはり街柄、というのはそれなりにあるのだ。
現在はその垣根もほとんどなくなってしまったが。
赤坂から流れてきた客というのは
盆面もおとなしいことが多く、
割と扱いやすい傾向があった。
その代わり、トラブルや場を荒らす行為を嫌う。
ヤカラっぽい客が一人混じっただけで
場を洗っていく客が何人もいて
その対応にはそれなりに苦労した記憶がある。
その日(確かそれは日曜日だったと思う・・・)も、
フロントに立っていた僕の目に
ドアが開く光景が入ってきた。
真っ先に目に入ったのは
真っ赤なレザーのスカートと網タイツ。
上の方に目を向けると、やけに大柄な女性が
ドアを開けたところに立っていた。
あれ?この人女性かな?
反射的に僕は隅々を眺める。
肩幅や骨格、足の太さ、浅黒い肌・・・
その様子からすると、どうも男の女装に見えるのだ。
だからと言って、直接そんなことは聞けない。
努めてさりげなく、僕は「彼女」に尋ねる。
「お客様、当店はお初めてでしょうか?」
すると案の定、トーンの低い声で、こう返ってきた。
「ううん、来たことあるんだけど・・・。
こんな格好なんだけどいいかしら?」
その台詞と言い、声のトーンと言い、
どう見ても男性なのだけれど、
やはり直接確認など出来るはずもない。
本当に女性だった場合、とんでもない失礼なのだ。
第一、来たことがあるなら、いいも悪いも無い。
出入り禁止になった客に関しては
必ず引継ぎが為されるし、当該客もリスト化されている。
そういう客の話は聞いていなかった。
とは言え、僕は初めて見る顔だ。
なので、当然僕は「彼女」に名前を尋ねた。
「失礼ですが、お名前をいただいてよろしいでしょうか?」
すると、「彼女」は名前を名乗る前に
店の会員証を提示してきた。
会員証の番号は586番。
およそ二ヶ月前に新規として作ったカードだろうか。
僕は「彼女」に礼を言って店に招き入れる。
やはり何度か来たことがあるのだろう、
「彼女」は特に迷うことも無く
2番目に大きなテーブルにまっすぐ向かった。
初めて来た客であれば、いきなりテーブルには向かえない。
ミニマムやバランスなどはテーブルごとに違うのだ。
それを尋ねずに座ると言うことは
取りも直さず、「彼女」が何回も訪れていることを証明している。
あんな客が来たことあるんだ・・・
僕は釈然としなかった。
そして、「彼女」が提示した番号を
顧客リストで調べてみる。
その番号のところに出ていた名前は・・・
「ええっ!?セガワさん!?」
僕は思わず声をあげてしまった。
その名前には確かに記憶があった。
リストに掲載されているその客の特徴は
・40〜50代前半
・会社員風
・おとなしく、黙々と打つ。平均1〜2万のベット
・マイルドセブンライト
そう記されていた。
もちろん僕もその客には記憶がある。
それほど来店頻度の高い客ではなかったが
決して悪い客でもない。
けれどもちろん女装はしていなかった。
本当にセガワさんなのだろうか。
僕はそれとなくテーブルの傍に寄って
「彼女」の横顔を密かに眺める。
僕の記憶の中のセガワさんと重ね合わせてみると
やはり間違いなく本人のような気がする。
セガワさんってそんな趣味あったんだ・・・。
そんなことを思いながら
僕はフロントに戻り、リストに書き加えた。
・女装の場合あり
僕の個人的な意見では
女装だろうと男装だろうと一向に構わない。
僕はあくまでノンケだけれど
そういう面には割と寛容なのだ。
盆面さえ普通なら、断る理由は無い。
僕はそう考えていた。
しかも、セガワさんであれば
多ければ30〜40万は使っていくはずだ。
どちらかと言えば良客と言ってもいいかもしれない。
ところが、事態はそれだけでは済まなかった。
女装のままゲームに興じるセガワさん。
ベットも今までと同じような額だ。
1万、あるいは2,3万と
淡々と張っているように見える。
周りの客は何人かは
一瞬ぎょっとした表情を浮かべたが
さすがに何かいう客はいずに
ゲームは静かに進行していた・・・ように見えた。
ところが・・・
しばらくすると、何人かの客が
チップを換金して帰りだす。
それも、ちょっと負け、とかいった
普通では考えられない額でのアウトだ。
普通の客は特に時間の制約が無ければ
勝ち負けがはっきりするまでは帰らない。
よほどシビアな客でなければ
ちょっと負けなどで帰れるはずが無いのだ。
とすれば、原因は他にある。
離れたところにいても、
トラブルがあれば僕は雰囲気で分かる。
何があったんだろう・・・
そう思い、僕は帰ろうとする常連客の傍に行き
小声で尋ねてみることにする。
「あれ?今日はもう帰られちゃうんですか?
まだまだ勝負はこれからじゃないですか。
お忙しいんですか?」
特別なことではない。
あくまでさりげなく、客の様子を聞く。
何もなければそれでいいし、
何かあったら早めに汲み上げられれば
対処も後手を踏まなくていいかもしれない。
常連客は、僕の方を見ながら
半ば呆れたような笑いを浮かべて言った。
「お前、これからってもよ、
あんなの見ながら博打できねぇだろう。
勘弁してくれよ。気が散っちゃうよ」
彼が何のことを指しているかはすぐに分かった。
もちろんセガワさんのことだ。
彼だけでなく、他の客も
似たようなことを言って帰った。
日本の鉄火場では、まだまだその手の考え方が多い。
というよりも、その心理は僕にも非常に良く理解できた。
バカラに限らず、ギャンブルというのは
己の思い描く理想を
裏切られ続ける結果が圧倒的に多い。
すると客は、何かに理由を押し付けたくなるのだ。
曰く、誰かが綾を付けたからだ、
曰く、イカサマなんじゃないか、
曰く、今日は勘が冴えていない、
曰く、さっきまで好調だったのに流れが変わった・・・
そんな理由の一つとして
一般的には奇異に映る女装した客の存在は
うってつけだったのだろう。
これはもう正しいとか正しくないとかいった話ではない。
どちらを重く見るかという、単なる経営的判断なのだ。
そして、それを考えれば
結論は最初から出ている。
僕はその日、帰ろうとしたセガワさんを
店の外で呼び止めて、
懇願にも似た口調で切り出した。
「セガワ様、大変申し訳ないのですが
次回からは今日のようなお召し物は
ご遠慮いただきたいのですが・・・」
セガワさんは特に怒るわけでもなく頷いた。
「そうよね、皆嫌がるわよね。
ごめんね、もうしないから」
そして、セガワさんは二度と店に顔を見せることは無かった。
歌舞伎町という街には、実に雑多な人々がいて
国籍も職業も、非常にバラエティに富んでいる。
何を生業としているのか判らない客、というのが
非常に多いのがこの街の特徴と言えるだろうか。
この街の見せる様々な表情に
魅せられ、吸い込まれていく者も多い。
ほんの上っ面だけを見ただけでも、
その魔力に引きずり込まれるタイプの人間というのが
世の中には数多くいるのだ。
この街で動いて、流れていく金には
国籍も、職業も、性別も、
もちろん服装も関係ないのだけれど。