第13話〜少女A
アングラカジノというのは看板やネオンは出せない。
一昔前の許可箱であれば堂々と看板も出すし、
ドアーも開けっ放しだったのだが
アングラ化してしまえばそういうわけにはいかない。
許可箱といっても、換金行為の許可をとっているわけではない。
いわばゲームセンターとして風営法の許可を取っているに過ぎず、
やっていることが違法行為である点については全く違いは無い。
ただ、許可箱は看板を出して宣伝が出来るのに対し、
アングラ箱はひっそりと口コミで営業していくしかない。
だからビルの外から見たのでは、
まるっきりの空きテナントに見えることも多い。
特に1フロアに1店舗というタイプのビルであれば
そのフロアに無関係な誰かが来ることはまず無い。
来るのは間違いなく
そこにカジノがあることを知って来ている人間だ。
ただしそれが客であるとは限らない。
内偵や摘発に来た刑事かもしれないし、
因縁をつけにきたヤクザかもしれない。
それを見るために、殆どの店では
入り口にカメラを仕掛けて
来た人間の人相や風体をチェックする。
最近のカメラは性能の向上が著しいから
かなり鮮明に見えるものが驚くほど小型になっている。
どこに設置しているか、
一見判らないようになっているカメラも多い。
そしてカメラを仕掛けるのは
何も入り口だけではない。
非常階段に刑事が潜んでいて客の出入りと同時に踏み込む、
という摘発形態もあるから、
非常階段の上下にもカメラを仕掛けるのだ。
ちょうど階と階の間にある踊り場まで写るように
設置することが多いだろうか。
見る人間が見れば、
そこにカメラがあることは判るのだが
いきなり来て判るものでもない。
客ではない無関係な人間が
勘違いなどでそのフロアに来たとしても
そんなところにカメラがあるとは
最初から思わないから、探すことも無い。
商売というものは、客を入れてナンボであり
そのために目立つ看板をつけ
チラシや宣伝をするものだというのが
世の中の常識であろう。
隠れ家を売りにした一軒家のレストランならともかく、
商業ビルで、空き家に見えるような外観で商売をするなんて
普通の感覚ではまずあり得ない、
そう考えている人間にとっては
そこはもう空きテナントにしか見えないのだ。
もちろん、そんな人間もカメラにしっかりと写っている。
そんな時は、訝しげに店の外観を眺めてから
結局首を振って帰っていくまで、
客の出入りをさせない。
そのためにわざわざシキテンも置いているのだ。
だからその人間にとっては
そこは空き家という認識のままだ。
そんな風に、ひっそりと
無関係な人間には存在を知られないように
アングラカジノは営業をしていく。
そこにカジノがあることを知っているのは、客だけでいいのだ。
ある日、YOUTUBEの画像を観ながら
僕はそんな昔のことを思い出す。
当時はそういうサイトも無かったけれど
モニターの画面に写し出される画像が
まるで無声映画のようなものになることもあるのだ。
当時、僕が働いていた店も
そんな形態のビルで1フロアに1店舗しかなく、
当然のように、入り口と非常階段に
隠しカメラを設置していた。
空き家のはずのフロアに
エレベーターが止まっていては不自然だから、
客や従業員にも、店の上下の階で
エレベーターを降りるようにさせるくらい
徹底して用心していた。
おそらく、客以外で
そこにカジノがあることを知っている人間は
ほとんど居なかっただろう。
(ただ、警○は間違いなくその存在は知っている。
おそらく店が営業を始めて1〜2ヶ月以内には
そこにカジノが存在していることを把握しているだろうと思う。
把握していることと、実際に摘発に向けて動くことは
別問題だと言うだけの話だ。)
そんな状態で営業しているわけだから
客の出入りもさほど多くは無かった。
おそらく、一日に30〜40人くらいの入客数だったと思う。
決して十分な数字ではないのだけれど
単価とプレイ時間次第では、これでも商売にはなるのだ。
要は、来る客がそこそこの小金を持ってきていて
一度来たら、なかなか帰らないような店であればいいということだ。
24時間営業で40人の入客であれば
1時間当たりの入客数はせいぜい2〜3人だ。
このくらいの人数であれば、出入りはほとんど目立たない。
だから、入り口や非常階段を写すモニターの画面には
人影はほとんど写らない。
客が来た時には、外に居るシキテンから連絡が入るから
その時だけ入り口をすばやく開閉し、客を通す。
それ以外に、モニターに目をやることはまず無い。
もちろん客かどうか判然としない人物が
エレベーターに乗った時にも、
シキテンからは連絡は入る。
日中であれば、勘違いをした
ただの通りすがりの客だったり
他のフロアにある別の店に来た客だったりすることも多い。
けれど、他の店が閉店した後の深夜の時間に来る人間は
客でなければおかしい。
そんな時には、若干緊張感が走る。
知っている顔かどうか、怪しげな動きはしないか、
モニターを注視する。
従業員が誰も知らない顔であれば
そのまま扉は開けずに、帰るまで放置してしまう。
ノックしたりする場合もある。
誰も見たことはないけれど、客なのかもしれない。
でも、刑事かもしれない。
だから、そういう人間を入れることは無い。
諦めて帰るまで、放置し続けるのだ。
もう一見の客を入れていくような
のどかな時代ではなかったのだ。
けれど、そんな日々の中でも
創作のような出来事は起こる。
まるで、低予算のB級映画のように。
それは僕らがその場所でアングラカジノを始めて間もない
ある夏の深夜の話だった。
東京の繁華街の夏は、全国でも有数の不快さだと思う。
ビルのエアコンの室外機から吐き出される熱は
街全体の温度を少なくとも2度は上げ、
思わず顔をしかめたくなるような生温い風が
街の中をだらりと吹いている。
そして、地方から家出同然に出てきた少年少女が
頽廃の熱にうなされて、都会の毒に侵されていく。
ドラッグ、売春、喧嘩沙汰・・・
あれほど多くの人が通りを歩いていても
あれほど光が溢れていても
ちゃんと闇は存在する。
実はビルの非常階段というのは
都会における暗黒のステージなのだ。
深夜、シキテンからインカムに連絡が入る。
「1名エレベーターに乗りました。
顔は確認できません」
そしてモニターに人影が写る。
若い男だ。
男はエレベーターを降りると、
店の扉には目もくれずに階段を降りる。
「???」
僕はモニターを眺める。
男は非常階段の踊り場で立ち止まり
何かをポケットから出して、それを握った手を
踊り場に置いてあった掃除用具の脇に突っ込んだ。
そしてそのまま再びエレベーターに乗り
外へ出て行ってしまった。
その間、僅か数十秒。
けれど彼が何をしたか、僕には既に当たりは付いていた。
「やれやれ」
溜息をつきながら、僕はすばやく店の外に出て
男が手を入れたあたりを探る。
案の定、というべき物が、そこにはあった。
「ヤクの受け渡し場所にしてやがる」
直接受け渡しをすることを警戒したのだろうか。
そこにあったのへ小さなビニールの袋に入ったパラフィン紙の包み紙。
覚○剤か、コ○インか。どっちにしてもろくな物ではないだろう。
店に持ち帰ってトイレに流す。
こんな物の受け渡し場所にされてはたまったものではない。
僕がトイレから出てくると
再びインカムに連絡が入る。
「また1名上がりました。
さっきとは別人です」
エレベーターから出てきたのはやはり若い男だ。
同じように踊り場に降りて
清掃用具のあたりを探っている。
もちろん物は無い。
しばらく探し回った挙句、
男は上の階の踊り場も同じように探す。
収穫は、無い。
男は携帯電話を取り出して
どこかに連絡しだす。
話しながら、エレベーターに乗り込んで
どこかに去っていく。
入れ替わりに、最初に来た男が戻ってくる。
画面で見る限り、少し慌て気味に見える。
それはそうだろう。
置いたはずの商品が消えているのだ。
別の人間から聞いた話だと、
この場合、買い手が嘘をつくことは
あまり無いらしい。
つまり、商品があるのに無いと言って
物だけ騙し取るという発想は
ジャンキーには無いらしいのだ。
そんなことをしたら
次から売って貰えなくなるかも知れない、
そういう想いになるのだろうか。
ということは、商品はどうなったのか。
風で飛ばされたのかもしれない、
いろんな可能性を考えても
もちろん答えは出ない。
空き家だと思っていた場所に店があり、
監視カメラまで付いているとは
売人には想像できるはずも無い。
結局その場所を使い続けるのは
気味が悪くて出来なくなる。
別の方法を考えるしかない。
どんな解決方法を考えたのかは
僕にはもちろん分からない。
興味も余り無い。
事実として、その後、そんな出来事は無くなった。
けれど、そのビルは
そういう意味では都合が良いビルだったのかもしれない。
看板を出して入っているテナントは
みんな昼間だけの営業で、深夜は人が居なくなること、
非常階段が通りから見えない位置にあったこと、
そんないくつかの条件が
そのビルを逆の意味で目立たせていたのだろうか。
普通に見ていては気付かないようなより深い闇が、
何の変哲も無いその雑居ビルにはあったのかもしれない。
飢えた鮫や虎が、血の匂いを嗅ぎつけるように。
それを裏付けるように、
そこに店があった時には別の事件が起きた。
その事件も、やはり蒸し暑い夏の夜のことだった。
風も殆ど無く、一歩外へ出れば
湿気が体にまとわりつく。
店の中は空調が効いている分、
余計に暑く感じるのだ。
例によってシキテンからインカムで連絡が入る。
「2名、階段で上がりました。若いカップルです」
この暑さの中、4階の店まで
階段で上がってくる客はまずいない。
おそらくはどこかの飲み屋で出会った即席のカップルだろう。
田舎から出てきた少女のような女を引っ掛けて
あわよくば己の欲望を満たそうという男は
世の中には掃いて捨てるほどいる。
女の方もずいぶん安売りをしているのか、
ホテル代さえ惜しむように
その辺のビルの非常階段で交わったりしている連中も
決して少なくはないようだ。
もちろん、モニターに写る範囲で
そんな出来損ないのポルノ映画などを観たくは無い。
若干の妬みも含まれていることは否定できないが、
観えるところで始めてしまった場合は
シキテンを知らん顔で上に上らせて、
人の気配を出してやるのだ。
少し気まずそうに、そそくさとその場を立ち去る男女などは
この夏の間だけでも何人もいた。
いつものことか。
そう思いながら、モニターを見る。
1階と2階の間の踊り場よりは
少しでも人気が無いほうがいいのか、
2階と3階か、3階と4階の間の踊り場まで
上がってくるのはお約束かもしれない。
案の定、モニターに人影が写る。
下着にしか見えないキャミソールを着た女と
日焼けした腕にタトゥーを入れた男が
踊り場で抱き合っている。
女を壁に押し付けるようにして
唇を重ねる男の背中に
女の白い腕が回される。
それでその場は済ませて
後はホテルでもどこでも行ってくれればいいのだが、
当然そんなはずはないだろう。
始まったらシキテンを上に上げるか・・
そんなことを思いながら、モニターを見つめる。
ところが少し状況が変わった。
胸から下腹部に、男の手が伸びようとしたとき、
女が突然抵抗を始める。
男の胸に手を当てて、突っ張らせる。
男は女の耳元で何事か言う。
「なぁ、いいだろ」
「そんなつもりじゃなかったのに」
無音のはずのモニターから
音が聞こえてくるようだ。
けれど女は頑として男を拒む。
一度醒めてしまった気分は
二度と昂揚することは無い。
世の中の男は、それに何度も煮え湯を飲まされるのだ。
ところが男は驚くような行動に出た。
女の頭を平手で張って、髪の毛を掴む。
先ほどまでとは空気が一変したことが見て取れる。
「ここまで来てふざけんなよ」
おおかたそんなことを言っているのだろうか。
モニターに写る女の顔が怯えたように見える。
男が髪の毛を掴んで揺らす間に
女はその場にへたり込んでしまった。
もしかしたら泣きじゃくっているかもしれない。
男は自分の行為によってさらに逆上したのか、
乱暴に女の服を捲り上げる。
無理やりにでもやってしまおうとでもいうつもりなのだろうか。
まずいな。
僕はそう思いながら、考えをめぐらせる。
店から何人か出て行けば、女の子は救えるだろう。
けれど、被害届だとか事情聴取だとかに
巻き込まれるのは困る。
何といってもこちらはアングラ商売なのだ。
けれど、見て見ぬふりをするわけにはいかない。
博打商売は違法かもしれないけれど、
無理強いしたりすることは無い。
博打をやりたい人間に博打をやらせているだけの話だ。
被害者というのはそこにはいない。
目の前に被害者になりかけている人間がいるのに
知らん顔をするわけにはいかない。
僕はインカムを取った。
「階段で電話かけるふりをしながら上がってきて。
無理やりおっぱじめやがった」
シキテンはすぐに察してインカムを切った。
程なくして、モニターの男が下の気配に気づく。
誰かが上がってきたのに気づいたのだ。
半裸状態にされてしまった女をそこに置いて
男は慌しく身づくろいをして、階段を下りていった。
男の姿がモニターから消えてすぐ、
シキテンがモニターに写る。
僕は更衣室から、ウェイトレスに着させる
カーディガンをとって外に出る。
冷房が効きすぎていると
制服が薄着であるウェイトレスは相当きついので
カーディガンは必須アイテムなのだ。
「大丈夫?」
女の子に声をかける。
恐怖とショックで返事もできないようだが
高校生といっても通りそうな幼い顔立ちだ。
おそらく僕やシキテンがどこから来たかも
彼女には分かっていないだろう。
そのままにもできないので
とりあえずーディガンを羽織らせる。
すると彼女はおいおいと声を上げて泣き出した。
半ば悲鳴に近い泣き声に、
僕もシキテンも、ただ呆然としてしまう。
店から出た客が、物珍しそうにこちらを見ている。
ひとしきり泣いた後、
彼女は一言もしゃべらずに立ち上がり
階段を下りてそこから去っていった。
礼すら言わなかった。
僕とシキテンは肩をすくめて
それぞれの持ち場へ戻る。
とんだ災難だったけれど
危機一髪で済んだ分だけ、
彼女は幸運だったのかもしれない、
その時はそんな風に思っていただけだった。
ところが、僕は、思いがけない不運を味わうことになった。
たまたまその時に見た客が、
とんでもないことを吹聴していたのだ。
「店長が階段でウェイトレスを襲っていた」
冗談半分で言ったのだろうけれど
この噂にはずいぶんと閉口した。
女性の常連客も結構多かったのだ。
わざわざ電話をかけてきて真偽を確かめた客もいた。
とは言え、時間が経過するにつれて
そんな噂は自然と消えていったのだけれど。
彼女はその後どうしているか、
もちろん僕は知らない。
その出来事が暗い影を落としていなければいいと思う。
おそらく忘れることはできないだろうが、
それよりも大きな幸福で打ち消せればいいと思う。
ベットしたのはほんの軽い気持ちと刹那の快楽で
払い戻しは、辛く苦しい記憶。
実に、見合わない勝負では、ある。