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第11話〜ナガイ

どれくらいの時間、そうしていただろうか。

彼はテーブルの1ボックスに着いたまま

ただじっとゲームの進行と罫線を眺めていた。


自分の状態の悪さを考えて

見に回っていたのではない。

所持金を使い果たした彼は

張るべきチップを既に持っていなかったのだ。


彼の使うボックスには、

消費し切れなかったコミッションチップが数枚。


満席であれば退いてもらうのだけれど、

平日のその日は特に混雑していたわけでもない。


時間帯も深夜である。

オケラになった客を無下に追い出すのは

無用の恨みを買いかねないし、

テーブルで寝てしまったり

特に騒ぐわけでもなければ

そのままにしておくことが多い。


寝たり騒いだりするのは

盆ではご法度だから決してさせないけれど。


それに彼は店の常連でもあった。

特に上客というわけではなかったが、

一度来店すると長居するタイプで、

今日のようにすっからかんになるまで

打ち続けることもしばしばだったのだ。


彼は名を「ナガイ」といった。

実名かどうかは分からない。

自分の行動傾向に対する

自嘲だったかもしれない。

いずれにしても、ぴったりの名前だった。


どういうわけか、カジノには

この手の人種が結構な割合で存在する。


バカラというギャンブルは

ほぼ50%の確率で勝敗が分かれるから、

運が良ければ、簡単に浮くことも多い。

最終的には負けになってしまうのは

このサイドストーリーでも

何度と無く繰り返されてきた話だが。


そんなゲームだから

キリ良く浮いたところで帰れば良いようなものだが、

なぜかそういう人種は負けるまで打ち続ける。

ギャンブルに、バカラというゲームに

魅入られた人種特有の行動だ。


カジノは24時間年中無休で営業しているのだから

何も眠い思いをしてまでやり続けなくても・・・、

こちらがそう言いたくなるくらいに

長時間、栄養ドリンクや眠気防止飲料、

場合によっては怪しげな薬まで使って

わずか数枚のカードに一喜一憂するのだ。


ナガイさんは薬には手を出してはいないようだったが

やっていることはジャンキーと変わらない。

中毒になっているのが薬ではなくて

ギャンブルになっただけのことだ。

両方やるよりいくらかマシという程度だろう。


だからその時も、いつもの光景だと

僕も含めた店の誰もが思っていた。


もちろんナガイさんとて

意味も無く座っていたわけではない。

当時、店では遊んだシュート回数に応じて

サービスチップを出すというイベントをやっていた。


10シュートプレイする毎に$100サービスという

いわばリピーター目当てのイベントである。

スタンプラリーというわけだ。


ナガイさんのスタンプシートには店のスタンプが9つ。

つまりあと1シュートやれば

サービスが出るということになる。


ところが実際にはナガイさんは座っているだけだ。

プレイも何も、チップを持っていない。

いくら常連とは言え、その状態でスタンプは押せない。


ある程度の回数をベットしてもらわなければ

スタンプラリーなどできるものではない。


ナガイさんもそれは分かっていたようで

シュートが終わる度に他の客にスタンプが押されていくのを

ただ黙って見ていただけだった。


黒服がうっかり押すのを待っているような

そういうそぶりでもない。

第一黒服だってみんなそのことは分かっている。

それでうっかり押すような盆暗は

歌舞伎町のカジノでは使い物にはならない。


ではナガイさんは何を待っていたのだろうか。


ナガイさんがじっと待ち続けていたもの。

それは店の社長(名義人)の登場であった。


店の常連にもなれば

誰が社長であるかくらいは分かる。

そして形式的には

組織で一番偉いのが社長なのは、世界中の共通事項だ。


店の社長は深夜から早朝にかけて店に来ていた。

おそらくナガイさんはそのことも知っていたのだろう。

明け方に社長が出勤するとすぐに社長に声をかけた。


「社長!ちょっと!」


そしてソファでしばらく話し込む。

僕はそれを横目で見ながら

大体の察しはつけていた。


おそらくは金の無心か、

特別サービスの要求だろう。


そのどちらも決して勝手にしないように

社長には言ってある。

そこを勝手にやられては現場は混乱するのだ。


当然社長は断るだろう。

しかしナガイさんの要求はもっと質素なものだった。


「今日だけでいいから、スタンプを一個押してくれ」


さすがに社長もそれは断りにくかったらしく

僕に押してやるように言ってきた。

これでは現場としても折れるしかない。


次のシュートが終わると、

ナガイさんのスタンプシートに一つスタンプを押し、

サービスチップと換えてやった。


$100のサービスチップがたった1枚である。

しかもサービスチップは両替も出来ない。

一回張って外れたら、それで終わりである。


いささか鬱陶しく思いながらも、

僕らは楽観していた。


早いとこ張って、外れて帰っちゃえ。


おそらく店の誰もがそう思っていただろう。


しかしナガイさんはなかなか張らなかった。

そのチップを握り締めたまま

さらに座り続けたのだ。


やがて交代の時間が来る。

僕はそのことを次の番に引き継ぐことも忘れて帰宅した。

ひょっとしたら会話の中で触れたかもしれないが

連絡事項には入れていなかった。

その程度のことのはずだった。


ところが次の日僕が出勤すると

事態は急変していたのだ。


僕が出勤してまずすることは

店の状況の把握である。

どの台が動いていて、どんな客が来ているか、

インやアウトの状況、テーブルの収支、

ディーラーやウェイトレスの出勤状況などだ。


出勤してすぐに気づいたことが

店がピリピリしていることだ。

明らかに数字が悪い時の雰囲気である。

すぐに責任者を呼んで、状況を聞くとこう言う。


「いや、実はビッグが垂れ流し状態なんです」


何が垂れ流しかと言えば、もちろんチップである。

日計表を見ると、真っ赤だ。

マイナスは既に500を超えている。

他のテーブルはそこそこの数字なのだが、

ビッグと呼ばれる最高レートの台でやられてしまえば

他のテーブルの収支などあまり意味は無い。

場合によっては焼け石に水にしかならないことだってある。


僕はすぐにホールに出て、

ビッグのテーブルにそっと近づく。

座っているのは3人ほどだったが、

その中の一人は、あのナガイさんだったのだ。

しかも手持ちのチップは200万以上だ。


慌てて責任者に問い質す。


「ナガイさん、一度帰ったの?」


ところが違うと言う。

早番の時間から中番の時間に切り替わる時には

既に100近く持っていて、

10バラから20バラに席を移していたのだそうだ。


あのサービスチップをここ一番で勝負して、

それが当たったら、しばらく見に回り、

また勝負してまた当てる。

その繰り返しでチップをどんどん増やしたのだと言う。


そして中番の時間になってさらにチップを増やし

ビッグを開けて遊びだしたのだという。

今持っているチップ以外に、

既に300ほどアウトしているらしい。


ということは現状のマイナスは全てが

ナガイさんの勝ち分ということになる。


僕は頭を抱えた。

まさかあのサービスチップで

そこまで増やされるとは。


しかし店の人間同士で責め合っていても仕方が無い。

戦うべきは身内ではないのだ。

そこから必死の防戦が始まった。


その日のナガイさんはとにかく強かった。

見に回るところ、勝負するところの

メリハリが利いている上に、

それがことごとく良い方へ転ぶ。


結局夜の時間帯でもチップは減らせずに

ハウスは大敗を喫した。

他のテーブルで浮いたのと、

ナガイさんに対抗して張り合った客がいた分だけ

ハウスの負けが少なくなったのが

せめてもの救いだった。


そしてナガイさんはそのまま次の日まで打ち続け

700という大勝を手にした。

昼番の者に聞いた話では、意気揚々と帰ったらしい。


「どこか温泉でも行って豪遊するのかな。

他のハウスで負けて無くさなければいいんだけど・・」


僕らはそんなことを言い合った。

ハウスが負けたのは事実だが、それを引きずってはいられない。

ゲームは不休で続く。

要は他の客から取り返せばいいことなのだ。


ところが、ナガイさんはその日の深夜に再び来店したのだ。


大勝した12時間後に、再び来店したナガイさんは

帰った時の服装のまま、髭も剃らずにやって来た。

一眠りしたのだろうとは思うが、

ゲンを担いで服装を変えなかったようだ。

ギャンブラーの典型的なゲン担ぎだ。


その日は最初からビッグに座った。

チップを買う仕草までが、ビッグベッターのそれである。

輪ゴムで束ねた100万のズクを

テーブルの上にポンと放り投げる。


さすがに連敗は出来ない、

店の誰もが内心で闘志を燃やしていたはずだった。

それが結果に必ずしもつながらないことも

分かってはいるのだが、

そうそう抜かれてばかりもいられないのだ。


ところが彼のツキの炎はまだ燃え盛っていた。

100点買ったチップは

あっという間に200を、やがて300を超えた。


瞬間で500ほど持っていたはずだ。

前日分と合わせれば、1000点以上の勝ちである。

わずか1枚のサービスチップで

ここまで噴き上がった人間を、

僕は初めて見た。


青くなったのは社長である。

あっちをウロウロ、こっちでオロオロと

せわしなく動き回る。

さすがに見かねて諌めた。


「社長、どんと構えててくださいよ。

下の人間が動揺するじゃないですか」


尚もグズグズと愚痴る社長をキャッシャーに押し込めて、

僕は黒服を呼んだ。

どのディーラーを入れるかを決める

「ディーラー回し」

と呼ばれる業務を担当する男だ。


彼を呼んでこう言う。


「今金が届いたから、胴金の心配は要らない。

とことん勝負しちまおう」


もちろん嘘である。

胴金の心配が要らないのは本当だったが、

景気づけというやつだ。


確率だ、収束だと言っていても、

こういう波に対して僕らが出来ることは

あまりにも少ない。

神頼みや景気づけのようなことしか

思いつかないものなのだ。


そのせいではないだろうが、

流れが変わる。


ナガイさんは手持ちのチップを

徐々に溶かし始めた。


朝になり切り替えの時間になったが、

僕はしばらく残って見ていた。

帰ったのは、ナガイさんのチップが全て無くなって

新たにお買い上げをするのを見てからである。

既に陽は高く昇っていた。


殆ど眠れないまま、いつもより早く出勤する。

店からの電話で風向きが変わってきているのは知っていた。

ナガイさんは一時の勢いを失って

勝ったり負けたりを繰り返していると言う。


夜番に代わって数時間後、

ナガイさんはテーブルを移る。

大きな連敗を喫してしまい、

ついに資金が底を見せたのだ。

ビッグのミニマムでは打ち続けられなくなったのだ。


ビッグから20バラ、20バラから10バラ。

成り上がった出世街道を逆に辿り、

ナガイさんは坂道を転げ落ちる。


スタンプラリーで得たサービスチップも

今度は最初の一番で外してしまう。


所持金を全て失ったのだろうか、

ついにナガイさんがテーブルを離れる。

ソファで茫然とする彼に、

僕は話しかけた。


負けた客のフォローは大事な仕事だというのもあるが、

何より僕には興味深かったのだ。


「1000万上がったんだから

そこで帰ればいいじゃないですか。

バカラなんかいつだってできるんだから」


ナガイさんは即答する。

当たり前のことを聞くなとでも言うように。


「1000万上がったって言ったって、

それまでに幾ら負けてると思うよ。

これだけツくことなんてめったに無いんだぜ。

とことんやりたくなっちゃうさ」


そうなのだ。

彼らギャンブルジャンキーの考え方は

いつだってそうだ。

区切るところが、僕とは違うのだ。


僕はサービスチップ1枚からスタートして

1000万で区切っている。

彼の中では、スタート地点は

バカラを始めた時であり、

区切りは今までに使った分なのだ。


もしいつかまた

同じくらいの幸運が彼の元に舞い降りても

彼は同じようにするのだろう。


それを不幸だと、愚かだと言うのは容易い。

一般論なら人は幾らでも言える。

けれど自分が実際にその状況に置かれたら

どう行動するかなんて、

実は誰にも分からないのではないか。


ナガイさんが帰った後、

僕はそんなことを思いながら

ふと、ホールを見渡す。


10バラのテーブルの上には

彼が残していったコミッションチップが数枚あった。


まるでずっとそこで打っていたかのように。

この何日間が、まるで夢だったかのように。


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