『ラグランジア美化大作戦!~汚物にまみれた都市を救え!!~』 後編
こんばんは、松平です。
歴史を大きく動かした「その時」には、
その瞬間の人々の決断や苦悩のドラマがあります。
今日の「その時歴史が動いた」は、
商業都市ラグランジアの環境衛生向上計画の「その時」をご紹介します。
遅々として進まないラグランジア環境衛生向上計画。
危機迫る汚物処理の限界。
誰も彼もが頭を抱えて苦悩する中、当代マルベール伯爵は自信ありげな様子でラグランジア環境衛生向上計画に参加する者たちにこういった。
『糞尿の処理に困る? だったら畑に蒔けばいい』
そうラグランジア市長であるバラデュール市長が出した経過報告に対して、マルベール伯爵は返信したらしい。
「自分の領を治めるお貴族様にこういうことを言うのは不敬なんだろうが、正直イラッとしたわ」
シャリエ市長は当時の伯爵の言葉に対して憤懣たる思いで告げた。
「こっちは真面目にどうするか色々考えたり頑張っているのにそういう頓珍漢なこと言われると、正直私たちのことを舐めてるんじゃないかと思ったな。うん」
しかし、後にこの伯爵の言った一言が思いもよらない方向へ行ってしまうことを――今の彼らは気づくことはなかった……。
『手紙を拝見させていただきました。どうやらラグランジアは新しい試みの為に四苦八苦為されている様でご苦労されていることと思います。都市の汚物問題という物は厄介で、王都であるこちらでも路地を見れば糞尿が蒔かれている始末。都も地方も、華やかさは変われど、目を覆いたくなる惨状はまた同じ。どうにか力になりたいものですが、私はしがない文筆家。シャリエ氏とは違い、学者としての専門的知識は劣る傾向にあります。
ですが、斯様に手紙を送られたのは藁にも縋る御思いでしたでしょう。故にご依頼通り、王都の方で糞尿問題や衛生問題における学者を何とかして探し出してお送りいたしたいと思います。私はなにぶんしがない文筆家。素人ながらもお世話になった貴方の為に、よき人を見つけられたら幸いと思います。
――あなたの友人、ルイ=アルベール・カローより』
ラグランジア都市環境衛生向上計画に行き詰まりを見せていた代官府は収集した汚物を無害化して処理する方法を模索していた。ラグランジア工部局建築部部長であったワルテール・シャリエもその一人である。
中世イスタニア王国を代表する文豪ルイ=アルベール・カロー。この時代を代表する『黄金の剣』『ローラン・デ・イスターニャ』などの多くの騎士物語を書いた名作家として後世に名を遺した彼の生まれはワルテール・シャリエと同村であり、彼とは深いつながりを持つ友人であった。
「駄目で元々。疫病を警戒しての都市衛生計画だってのに、このままじゃ汚物を一か所に集めたがために変な病気が巻き起こるかもしれない危険があったね」
この頃になってくると、汚物の持つ危険性という物が如実に現れた時期でもあった。
汚物集積所を創り上げて半月、職員の一人が不調を訴えるのと同時に次々と体調不良を訴える職員が出てきた。夏の暑い日のことであった。
「次に手を打とうとして地中に汚物を埋めた。……周辺が不毛の地になったよ」
都市の郊外に汚物を埋め立てれば、その地の土壌が汚染される。大地の実りに多大な被害を及ぼす可能性が出てきたとなれば、もう只事ではなかった。
「生ごみ残飯は家畜のえさになる。死体は火葬場に持っていけばいい……唯一残ったのが屎尿といった汚物であり、一番問題があった汚物が屎尿だった。比喩でもなんてもなく、命の危険を感じた瞬間だったよ。あの時は汚物は単純に忌避すべきものでなく、時間制限のある爆弾にしか見えなかった」
ラグランジア代官府は危機感を一体としていた。
「頭を抱えました。市長も頭を抱えたでしょう。伯の先見は確かに凄かった。あのまま放置していけば、伯の言う通り、疫病が蔓延していた可能性は否定できませんでしたからね」
パイヤール女史は視線を落とした。
「このことを公表すればいいという話でもありませんでした。特に商人たちには何としてでも隠さなければならない。疫病の危険性がある都市になど、誰も住みたくありませんからね。都市の経済を握っている商人が一斉に都市を離れれば、経済の危機・崩壊は免れません。当時のマルベール伯爵領で商業都市ラグランジアを支えることができる都市はありませんでした」
誰もが失敗を覚悟した。汚物に対処できるような魔法のような手はなく、誰もが諦め始めたその時に一人の男が現れた。
身綺麗な紳士服を身にまとい、端整な顔立ちと清潔感のある学者の男が、商業都市ラグランジアへ訪れる。男は大きな旅行鞄を持ち、空いた手には手紙を持ち、迷うことなくラグランジア代官府へと向かい、受付に向かってこういった。
『ルイ=アルベール・カローの紹介で工部局のワルテール・シャリエ氏に会いに来た。氏はいらっしゃるだろうか』
突如として現れた男の名はファビオ・ガイヤール。職業は学者。専門は生物学。主な研究テーマとして『生物の糞尿』を研究していた。イスタニア王国の学会で異端の烙印を押された異端児であった。
すぐさま、彼はシャリエ氏と面会。そして市長とも面会を果たした。
「第一印象は端整な色男という物だったね。後で41歳と聞いてびっくりした。見た目は当時の私と同じか少し若いぐらいかと思ったからね」
ガイヤール博士の印象についてシャリエ市長はそう語る。
「糞尿の研究を行っているとおっしゃいましたから、最初は近づき難い人だと思いました。ですが、すぐにそれが誤解であることに気が付きました」
パイヤール女史もまた、そういって己の不明を恥じるかのように答えた。
ガイヤール博士のことを聞いてその印象を当時の人々に聞いたところ、彼は非常に紳士的な人物であり、尊敬されるに足る学者であることが読み取れた。
屎尿・糞便といった汚物は忌避すべきものである。
それを好き好んで研究しているという偏見はこの時代はかなり強かった。
それもそのはず、ガイヤール博士が学界から異端視された原因はその研究テーマが独特過ぎたことが原因の一つであるからだ。
どのようなことを話すのか、代官府に集まる上層部の面々は緊張に包まれながら、ガイヤール博士の言葉を待った。
彼は懐に手を入れると、そこから乾燥した粘土を取り出した。
灰皿とマッチを取り出し、ガイヤール博士はそれに火をつけた。
『それは一体なんですか?』
代官府の役人の一人がガイヤール博士に対して疑問を述べた。
官僚の言葉に対して我が意を得たガイヤール博士はもう一つの粘土を取り出して答えた。
『これは燃料です。炭などとは違い、安いコストで長い間火を灯し続けることができる可燃物です』
バラデュール市長は燃料を手に取りおもむろにそれを半分に割った。
中には土と共に乾いた草が詰まっていた。どのようにしてこのようなものを作り上げたのか、その疑問を口に出す前にガイヤール博士は口を開いた。
『その燃料は牛糞に藁を少し加えた後に天日に晒して乾燥させただけのものです。ただそれだけで、暖を取る薪の代わりになり得るものなのです』
会議室がざわめいた。しかしガイヤール博士はそんなことを意に介さずに言葉を紡ぐ。
『これはイスタニア王国では行われていない事ではありますが、南部諸国家や東部の遊牧民族の間では極めてメジャーな暖の取り方です。ほかの使い方となれば土壁を作る際において牛糞を混ぜることによって防虫作用を与えるなどの研究成果があります。匂いに関してもそれほど匂う訳でじゃありません。熱を加えることによって屎尿に関しては脱臭作用があることはこれで理解していただけたかと思います』
『だが、こんなのが本当に使えるというのか?』
『都市に来る前の郊外にある農村部を拝見しましたが、畜産用ではなく農耕用に牛よりも馬を使っているご様子。ここでは行うことは難しいでしょうが、農耕用の堆肥ということを考えればむしろ牛糞よりも馬糞の方が優れております。これはあくまでも屎尿リサイクルの一方法でしかありません』
『農耕用に糞が使えるのですかっ!!』
『ええ、御存じありませんでしたか?』
そのことに代官府上層部がざわめき立つ。確かに馬糞に関しては近隣の農村部に処理を任せていたがそのように使うなどは彼らにとって興味の範囲外だ。
かろうじて司農部の連中は知識として持っていたが、それが人糞で賄えることは流石に不可能であると考えていたことを会議の面々に説明を行った。
『人糞を畑に蒔くというのは流石に厳しいですな。馬糞や牛糞は飼料と言われる極めて管理された食糧があってこそ均一な糞を輩出します。こと食生活環境がバラバラの人間に対して簡単に当てはめることは難しいことでしょうね』
『では人糞の処理は未だに難しいと』
『ええ、ですが不可能ではありません』
ガイヤール博士は再び頭を抱えそうになる代官府上層部の面々に対して答える。
『私には今までの研究の成果があります。そのままでは有毒物質である人糞に対して脱臭や無毒化できるだけのノウハウを持っています。場合によっては単なる処理ではなく、人糞を活用した農耕用の堆肥の生成も長期的に可能であると断言しましょう』
その言葉に対してどれだけ希望の光が灯ったことだろう。
『ガイヤール博士、お願いします。このラグランジアを救ってくれますか?』
ラグランジア市長オディロン・バラデュールは頭を臥してガイヤール博士に願った。
『私にしかできない事であれば、是非に。この研究は多くの人々を救うことができるものである。私はその一念のみでこの研究を続けてきました。こんなものが役に立つのであれば全力で取り組まさせていただきましょう』
ラグランジアは確かな、それでいて大きな一歩を踏み出すことができた瞬間であった。
だが、一つの問題が解決されてももう一つの大きな問題があった。
汚物処理を行うための施設に対して効率的な装置や機器、システムを盛り込むために多額の費用が必要であった。
現在の代官府の予算ではとても追いつかない、膨大な金額であった。
「何一つとして要らないものは無い。どこも削減できない。建築士としてのプライドもあった。だから頭を抱えた。私のポケットマネーも底を尽きていた。どうしようのない状況だったよ」
当時、汚物処理施設の建設に携わったワルテール・シャリエ市長はそう答えた。
あと一つのピースが足りない。ここまで来て諦めるわけにもいかない。だからこそなのだろう、ラグランジア市長であったバラデュールはひとつの決断を行った。
場所はラグランジアの大通りのすぐそばにある巨大な商会であるユゴー商会であった。
「ちょっとした騒ぎにはなりましたね。現職の市長が堂々とウチの紹介に来たわけでしたんで、追い返すわけにもいかないでしょう?」
そう答えたのは当時商会に勤めており現在ユゴー商会の会長であるルイ=フィリップ・ユゴー氏であった。
当時のユゴー商会はラグランジアきっての大商会。商会会長であるジャン=ジャック・ユゴーはラグランジア商業ギルドにおいてギルドマスターを務めた経済界の重鎮であった。
バラデュール市長とユゴー会長の交渉はわずか30分。この短い時間の中でどのような取り決めが行われたのかは詳しくは述べられていない。ただ、ユゴー氏は実の息子であるルイ=フィリップ氏にだけ一言打ち明けた。
『オディロン・バラデュールを敵に回してはならん。あれを敵に回せばうちだけでなく、ラグランジアの商人全員が破滅する……』
ただ、その一言だけを残したとされる。
数日後、商業ギルドにおいて代官府に対し膨大な金銭の援助と並びに農耕用の家畜の糞を堆肥化した肥料の流通を握り、ラグランジアの更なる発展を翻したことが資料と当時の人々の様子を見てわかっている。
ラグランジア都市環境衛生向上計画が発足して一年後、ラグランジア郊外において汚物処理施設が建設。商業都市ラグランジアにおいて周囲に散乱していた多くの糞尿を筆頭とした汚物の除去、並びに屎尿の堆肥化が進められた。
そして、ラグランジア都市環境衛生向上計画から三年後、商業都市ラグランジアから一切の汚物が排除された瞬間であった。
いつしか、ラグランジアは『花の都』と呼ばれるようになった。
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ラグランジア都市環境衛生向上計画はプロジェクトを解散せず、この計画を第一次として第二次、第三次と続けられることになった。
これからはラグランジア都市環境衛生向上計画のその後を見て行こう。
ラグランジア都市環境衛生向上計画を指揮したオディロン・バラデュールは第一次計画の完成と第二次計画の継続を述べた後、ラグランジア市長として代官府を勇退。72歳となり亡くなるまで都市ラグランジアにおける相談役を勤め続け、都市の名士としての生涯を全うした。
ラグランジアにおける汚物処理に対して功績を挙げたファビオ・ガイヤール博士は汚物処理施設初代所長となり、更なる効率的な汚物処理の方法を模索し続けた。
その晩年はようやく自らの研究が評価され、イスタニア王国における優れた文化人や研究者に授与される文化勲章を授与された。そして自身の研究が評価されたことを見届けるかのようにその生涯を全うした。享年68歳。今からおよそ三年前のことであった。
ガイヤール博士と共に汚物処理施設を創り上げたワルテール・シャリエ市長はガイヤール博士の後任として汚物処理施設の所長を勤め、またラグランジア第三次都市環境衛生向上計画において上下水道を配備。巨大な浄水施設を完成させ、ラグランジアにおける水質を高く引き上げた。
現在一等河川とされているテール川は彼の尽力あって成し遂げられた。
現在は市長となり、多くの観光客であふれるラグランジアにおいてゴミの集積問題に対して取り組みを行い、景観の保全に努めている。
シャリエ市長はラグランジア都市環境衛生向上計画について最後にこの言葉を残している。
「先代、先々代と続けられた取り組みだ。この都市を守り、更なる発展を続けるために続け、より良いものを生み出し続ける。それが政治という物だ」
現在、ラグランジアは非常に高い衛生環境を誇る都市、そして多くの人々が集まる観光都市として高い評価を受けている。この都市をモデル。或いは目標としてイスタニア王国は都市の衛生を大きく向上させていった。
後に公害問題などで代表とされることが多く起こる時代において、都市ラグランジアは唯一公害問題起こしていない都市として高い評価を内外に受けている。
その都市を創り上げたのは多くの人々の努力と衛生に懸ける熱き思いがあった。
国家の趨勢を決めるのは国民一人一人の教養にある!
とあるエリート官僚が理想を胸に立ち向かった官僚育成機関の設立の大作戦とは……!
次回【プロジェクトT ~無茶ぶりへの挑戦者たち~】第二回『学校をつくろう! エリート官僚が願った誰でも勉強ができる世界!!』
乞うご期待!!(なお続きはない模様)