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山の風雷  作者: なのあら
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(05)

あれからしばらく経つのに、和田の家中は、まだ鉄炮熱にあてられている。

鉄炮ブームだ。


和田の若殿、伝右衛門惟政は、更に2挺の鉄炮を購入を決め、あわせて3挺の鉄炮を入手した。

若殿は、観音寺城に滞在している大殿惟助へ手紙を送って、追加購入の許可を求めたのだった。

若殿は、これからは和田衆にも鉄炮が必要だと強く主張した。

和田の若者衆も鉄炮の追加購入を強く願っていた。

鉄炮を使って練習もしたいし、実際に運用するにも1挺だけでは足りない。

当初、大殿は金額を見て渋ったのだが、若殿の熱意にこたえて追加購入を決めたのだ。


このところ数日間、八郎と源三は連れだって、滝川様の宿所に出かけていく。

ふたりは滝川左近から鉄炮の使い方を学んでいるのだ。

鉄炮を初めて手に取って見た日から、ふたりは大興奮していた。

あの日の夜は、人を集めて夜明けまでいろいろと話していたらしい。

そこで翌日、若殿が配下の者から鉄炮の技術を学ぶ者を選抜するときに、八郎と源三は大声をあげて自薦したのだった。


滝川左近は、堺の商人を手伝って、鉄炮購入者に、鉄炮の使い方を伝授していた。

他の家の者も、滝川左近の元に押しかけているらしい。

近江衆の六角、後藤、進藤、馬淵、三雲、蒲生、山岡、朽木などだ。

彼らも、堺の商人から鉄炮を購入した。

六角や近江の主だった家では、すでに国友村から鉄炮を入手していたが、新たに堺からも購入したそうだ。



…滝川様も仕事とはいえ、これら全部に応対するなんて、たいへんなことだろう。

杢助は、八郎と源三の熱意が急激に盛り上がっているのを横目にして、

和田若殿の使いで、幕閣高家の宿所を廻る日々を過ごしていた。



今日は杢助は、和田の若殿惟政の供をして、惟増の宿所を訪れていた。

若殿は近江坂本を離れるにあたって、幕閣高家の方々への帰郷の挨拶はすでに終えている。

惟増に面会するのを最後に、和田谷へ帰るのだ。


惟政と杢助は、部屋に通されて、しばし待たされた。

入側の障子は大きく開け放たれて、部屋は明るく、心地よく乾いた秋風が吹きこんでくる。

部屋の中から見る空は、からりと晴れて青い。

若殿は部屋の中ほどに座り、杢助はその後ろに控えて座っていた。


善右衛門惟増が縁側を回って入室し、若殿の前にゆっくりと腰をおろした。

若殿はにっこり頷き、杢助は頭を下げて挨拶した。



若殿伝右衛門惟政は、善右衛門惟増に笑いかけて、

幕閣への贈物や身の回りの費用など、これから必要になる資金を手渡す。


「どうだ、もう慣れたか?」


「はい、どうにか慣れてまいりました」

惟増は、落ち着いた様子で答える。

濃緑色の素襖を着用して、前帯に小さ刀を指し、行儀よく座っている。

和田谷にいた頃の悪戯小僧が、今では大人びた姿に変わって、惟政の前にいる。


「将軍義藤様は如何なされておられる?」


惟増はうなづいた。

「今のところ、(まつりごと)は、忙しくないようです。

管領の細川様との連絡は、折々の手紙のやり取りだけで、特に変わったご様子もございません。

前将軍の義晴様との連絡も、(つね)のとおりです。

今のところ、他国へ使いを出されている様子もございません。


義藤様は、いつものごとく、朝夕に剣術の鍛錬をなされます。

朝は近習を集めて、夕方には護衛の侍を集めて、猛練習です」



「そうか、とくに変わった動きはみられぬか」

惟政は続ける。

「前将軍義晴様と管領細川晴元様は、京へ戻りたいと考えておられる。

京から三好勢を追い払って、もう一度、天下に号令されたいようじゃ。


そのため、戦の準備をはじめられた。

まずは細川衆だけで、この秋から冬の間に、京の東山にある中尾城を作り直す。

中尾城の修復が終了して、春になれば、京へ進軍する。

この戦には、近江衆も参加する」



惟増は驚いた。再戦の話は聞いていなかった。

「では、戦は避けられぬと」


「そうだ。義晴様と晴元様はそのようにお考えだ。さらに六角の大殿、定頼様も同じお考えだ」


惟増は反駁するように言った。

「そうであれば、今少し、義晴様と義藤様のお考えは違うようです。

義藤様は、戦がすべてだとは考えておられぬようです。

武家が将軍を敬うことができれば、天下静謐を取り戻せるのではないかとお考えのようです」


「おぬしから見て、将軍はそのようなお方か?」


「はい、少々変わったお方のようです」


惟増の眼には、将軍義藤はいっぷう変わった人に見えた。


天下の名刀を収集し、武器や武具に異常な興味を持つ。

刀、槍、鎧、兜、弓鉄炮、築城など、兵法軍事の話を始めたら止まらない。

また、自らの身体を鍛えることに熱中し、剣術の練習も狂気のように激しい。

剣術の鍛錬は日々欠かさず、夏には水練、水が冷たくなると乗馬、時には鉄炮も扱う。


惟増は仕え始めた直後から、義藤のふるまいを不思議に思っていたので、

なにゆえ、そのようにするのか、義藤に尋ねたことがある。


「大将は、小さな武術に達するのではなく、天下を治めることを考えればよい。

極端なことを言えば、(おのれ)の名を書くことだけができればよいのだ、と聞いたことがあります」



義藤は、鷹揚に諭すように言った。

「儂は、将軍である。

この国には、内裏と幕府がある。内裏は文、幕府は武だ。文は武を補って、天下が治まるのだ。

公家に生まれた者は、自分の名前を書ければ、それでよい。

武家に生まれたものは、武芸百般に通じておらねばならぬのだ」


「儂は、将軍である」

義藤は、続けた。


「将軍というものは、すべての武士の棟梁である。

将軍は、すべての武士より優れていなければならない。

儂は単なる武具兵法狂いではないのだぞ。

武勇に秀でているからこそ、すべての武士から尊敬され、天下に号令することができるのだ。


だが必ずしも武力討伐は必要ではない。

将軍に武威があれば、武力を使って従わせずとも、武士たちが、おのずから将軍を慕ってくるのである。

そのように尊敬されてこそ、将軍のもとに武士の秩序が生まれるのである」



惟増は面をあげて、惟政に言った。

「さればこそ、将軍を敬わない武士は討滅されねばならない、と、

義藤様はそのように、仰せられました」



「ふむ、義藤様は、そのようなお方か…。それが高慢でなければ、武家の棟梁としての覚悟があるのだろう」

惟政は笑った。


「高慢でなければ、ですか?」

惟増は怪訝な表情になる。


「そのようなお方であれば、儂は仕えたいと思うのじゃがな」

惟政は笑って、その問いには答えなかった。



その後は、杢助も交えて、一刻ばかり、よもやま話をした。


政務を離れると将軍義藤様は、細川藤孝様、三淵藤之様のご兄弟と、いつも連れ立って遊ばれているそうだ。

中でも、将軍義藤様は、細川藤孝様にだけは甘えられて、まるで稚児が戯れるようにも見えるほどだ。

その細川藤孝様は、実は前将軍義晴様の実の子供で、将軍義藤様と細川藤孝様は、どうもご兄弟らしい、など、

将軍や高家の噂話を聞いて過ごした。


あれこれと話をし、そろそろ引き上げようとしたとき、

惟増が杢助を呼びとめた。


「それからな、杢助よ。

ちと相談ごとがあるんじゃが、上役に困った御人がいるのじゃ。

三淵様がどうも衆道のことで、俺に執着があるようなんじゃ」

惟増は、声を落として言った。


「どうも目をつけられているようで、気持ちが落ち着かんのじゃ。

俺には、そんな趣味はないのでの。

おぬしは坊主上がりだから、経験はあるのだろ?

その…、稚児だとか念者だとか」


「残念ながら、わたしにはそういう趣味はありませんよ。

一度だってそんなことはございませんでしたよ」

杢助は即答した。


「お前が経験者だと思ったから、いろいろ訊けばよいと思ったのだが」

惟増は、困った顔になっていく。


「殿上人のご趣味など、私は知りませんから」

と杢助はすまし顔で言った。


惟増は、気を取り直していった。

「いや。おぬしにその気はなくとも、周りの坊主が放っておかぬだろう。

まさか、一度もないとは言わせんぞ」


「いいえ、一度もございませんでしたよ、

確かにわたしに興味をもつ僧侶も幾人かはいたようですが、だいじょうぶでしたよ。

そのような目にあわぬよう気をつけていましたしね」


「なんと。ならばどのようにしたのじゃ。

おぬしはどうやって、その身を守ったのだ」


「簡単ですよ。誰ぞ身替りをたてればよいではござりませぬか。

こちらは興味がない態度をはっきりさせたうえで、別の稚児をあてがえばよいのですよ。

他にもっと魅力のある稚児が目の前に現れたら、そちらに興味がうつるでしょ?」


惟増は考え込んだ。

「そうだのう…。そういう手が良いかの?

ううん、誰が良いかのう…、山岡の子がいたろう?

あれはどうじゃ、三井寺の小坊主から還俗して仕えることになったというから、稚児によいのでは?」


「いや、あれは、顔がマズイでしょ。あれでは三淵様のお好みではござらんでしょ」


「では、三雲の子は?」


「あ、いいんじゃないですか!端麗で色白ですし。

あれを前に出して、惟増様はその後ろに隠れていなさればよいでしょう。

それから皆に衆道には興味が無いことを広言して、日夜、女御談義をなさればよいでしょう」


ほっとした様子で惟増は言った。

「武家も高家になると、公家じゃ。公家やら坊主の趣味は、俺には合わぬわ」



(続く)


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