(04) 雷
居並ぶ御歴々の侍衆から、末席の甲賀衆まで、滝川左近の動きを見つめている。
左近は、狙いを定めて、鉄炮を放った。
轟音とともに、弾丸は的を撃ち抜き、板の破片が飛び散った。
たちまち硝煙が立ち込める。
鉄炮の爆音と硝煙の匂いの中、どよめきの声が上った。
滝川左近は、自信と満足の笑みを抑えながら、一礼した。
男たちは、次々に立ち替わっては、鉄炮を撃つ。
轟音と煙の中、標的は撃ち抜かれ破壊されてゆく。
的を吹き飛ばした威力と轟音に、和田谷の若者たちは驚いた。
身を乗り出して、鉄炮を放つ様子を見つめる。
伝右衛門は、傍らにいる惟増に言った。
「これが、鉄炮だ」
夕刻になって御殿から下がった後、若殿は和田の衆を部屋に集めた。
そこには、先ほどの滝川左近がいた。
特別に鉄炮を見せてくれるそうだ。
「これが、鉄炮なのか…」
一斉に近寄って、毛氈の上に置かれた鉄炮を見る。
鉄炮を順繰りに手渡して、各人が手に持った感触を確かめてみる。
たちまち、鉄炮について談義が始まった。
…4年前だったか、杢助は、鉄炮を見たことがあった。
もう二度と寺に戻らないと決めて、寺を出た時のことだ。
-おい小坊主、なーにをふらふら歩いてんだ?飯食ってるのか?ちゃんと前を見て歩けよ。
-儂は善祥坊っていうんだ。お前さんは?
体の大きい若い僧侶だ。
山門の僧兵だろうか?
杢助は歩調を改め、黙って、歩く。
杢助は、稚児扱いされたくないので、僧侶に対しては警戒していた。
それでも、男は気安く話しかけてくる。
往来で軽々しく話しかけてくるのは、何か魂胆があるか、淋しがりで人恋しいやつだ。
-托鉢かい、どこまで行くんだい。
「京へ行こうと思います」
-京ならこっちじゃねえよ、今来た道を引き返しな。
「いえ、私は、この湖を一廻りしてから、京へ上るつもりでございます」
-これはまた、変な小坊主だね。
男は笑う。
-いいさ、儂の村は湖の北だ。しばらく一緒に行こうぜ。
男はちらりと杢助を見て、また笑う。
-へええ、お前さん、小坊主のくせに、刀を隠し持ってるとはね。使えるのかよ。
…気付かれた。なんだこいつ。
警戒心を悟られぬよう平静に、穏やかに答える。
「たしなむ程には」
-そうか、変な小坊主だね。
「元は侍の子でしたから寺へ遣られる前に」
-それならわかるが、いささか厳しい躾だねー。
-親元に帰るのか。
「親は亡くなりしました。よくある話でごさいましょう」
杢助は話をそらした。
「ところで貴僧の、これは何ですか?」
男が背負った細長い袋は、重そうに見え、中は書画ではなさそうだった。
だが、刀剣が入っているようでもなかった。
「ありがたい仏画でしょうか。どなたか高僧の書でしょうか。
拝ませていただければ幸いでございます」
にやりと笑って男は、杢助の眼を見た。
「そうか、若者よ。見せてやろう。すごいものだ」
二人は街道脇の林の木陰で立ち止まった。
鉄の棍棒?なんだこれは。
「見ていいぜ、ほら。ここに穴が開いているだろ」
ずしりと両手に重い。
杢助は、男の挙動を警戒しつつ、手渡されたものを観察した。
「何ですか、これは」
初めて見るからくりで、何をするものだか目当がつかない。
「火薬はわかるよな。ここから火薬と鉛の玉を入れる。入れる順番は火薬が先だ。
ここに火縄をつけて…、ここを指で引くと、火縄の先が動いて、火薬に火がつく」
「そんなことしたら、ドカンと破裂するでしょう」
杢助は問う。
男は力を込めて、杢助に話す。
「そうじゃない。この鉄は筒になってるが、一方の底が塞がれている。
火をつければ火薬は爆発するが、この鉄の筒は壊れない。
…で、ここの穴から、とんでもない勢いで、鉛の玉がぶっ飛んで行く。
鉛の玉は、どうなる?矢のように飛んで、相手をしとめるのさ」
男は腕を振り回しながら言う。
「これは鉄炮というものだ。儂のものは南蛮渡来だ。
これとおんなじものを、今この国でも、作り始めているんだぜ」
「これからは鉄炮だ、弓矢じゃない」
男の話は止まらない。
これは話半分に聞いても、大層なことだ。
しかし、こんなもので、人を倒せるのか?
これなら俺が矢を射た方が、良くあたるのではないか。
野山を躯け回るのにも、これは持ち運びには重い…。
男は笑う。
「古い古い。いかさま考えが古うござる」
男はおどけて目を見開いて言う。
「鉄炮の弾は、鎧をぶち抜くのだぞ」
「戦では人数の多い方が勝つ。
だがな、鉄炮をうまく使えば、人数が少なくても、多勢に勝つことができるのだよ。
弓の上手は少ないよ。強弓を引ける男も少ないだろ?
へたくそな弓兵は、どれだけ数をそろえても、何の役にも立たぬ。
鉄炮兵なら、へたくそでも数さえあれば、大いに役に立つ」
「これからの戦は変わるぜ」
男は笑った。
狂暴なのか、人が良いのか、よくわからないが、男は大きく笑った。
「儂は、こいつを使って、何かをやりてえんだ。そのうち僧侶は辞める」
杢助は歩きながら、鉄炮について考えてみる。
これからの戦は変わる…のか?
それにしても変な坊主だな、坊主をやめて鉄炮で身を立てるなんて…。
そこで男の言葉を思い出す。
-これはまた、変な小坊主だね-
変なのは俺も同じか、と杢助の足もまた軽くなった…。
「これからの戦は変わる、と…」
杢助の言葉を受けて、一同は押し黙った。
「変わる、か」
伝右衛門は、小さくしっかりとした声で言った。
続けて、すっきりとした声で言った。
「変わる、な。皆も良く見ておけ」
「そのとおりだよ、そのとおり」
と滝川左近も、大いに満足して伝右衛門を見た。
そこで次に、八郎が、
尾張の織田家が国富村に500挺の鉄炮を注文したという噂がある、
と伝えた。
「その噂は、儂も聞いた」
滝川左近は頷き、続けて、
儂は、鉄炮の上手になることが、世に出る第一歩だと思うでおるのだが…、
と語り始めた。
「これからは、鉄炮を大量に使う者が、戦に勝つだろう。
今はまだ鉄炮も高価で、あまり出回っていない。
だが、間もなく鉄炮は世間に溢れるようになる。
鉄炮を数多く持つには、大きな財力が必要だ。
だが、財力があるだけではだめだ。
将軍の義晴様は、かつて国友村に鉄炮を製作させたと聞いていたが、
いまだに鉄炮を、高価な玩具と考えておられるようだ。
義藤様も、鉄炮にご興味があられるのだが、
からくりや性能にばかり注目されていらっしゃる。
また、幕府衆も近江衆も、高家の方々は、
鉄炮を戦に用いることはあまり考えておられぬようだ。
武家として、戦で鉄炮をどのように用いるか。
これからは、これが大切なのだ。
ここ数日、幕府衆と近江衆の、偉い方々とお会いして、
儂は、つくづくそう思ったよ。
先の見える御屋形様かいらっしゃること。
これが、大切なのだ。
鉄炮を戦でうまく使いこなす御屋形様が居る家こそ、隆盛になる」
そういって滝川左近は、伝右衛門たちを見回した。
「儂は今、尾張織田家を仕官先として考えている。
おぬしらも、機会があれば、儂と一緒に来いよ。
儂がうまく仕官できたら、紹介してやる」
和田伝右衛門は、堺の商人から鉄炮を一挺、購入することにした。
(続く)