第1話 「その少女は、魔王」
「トーマ、起きてください」
自分を起こす誰かの声で、冬馬は目を覚ました。
窓の外を見ると、快晴も快晴。所々にある雲は優雅に流れ、小鳥のさえずりが聞こえる。
気温はそこまで高くなく、ぽかぽかとしていて気持ちのいい、見事な春の陽気である。
あぁ、なんて清々しい朝なんだー。
とはならず。
冬馬はまず一番に、自分の寝ている場所に疑問を抱いた。
寝室とはほど遠い、居間のただの床である。
雑誌を積み重ねて枕にし、薄い毛布を身体にかけている。
酒にでも酔ってこんな状態になってしまったのだろうか。
しかし昨日飲んだ覚えは全くない。
冬馬は寝起きで働かない頭を使って、ぼんやりと昨日のことを思い出そうとしていたが
「トーマ、起きてください、もうおひるですよ。その…おなかがすいてしまったのですが」
声の聞こえる方を何となしに振り返り、全てを思い出した。寝起きの頭はフル回転を始めた。
この奇妙な状態の元凶が、そこに居た。
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「すみません、ここは…どこ…ですか…?」
少女が。フリフリのお人形さんみたいな少女が。目の前に座っている。
今すぐ、病院に行こう。
冬馬は仕事を中断し立ち上がり、出掛ける身支度を始めた。
少女は突然の男の行動に、戸惑う。「えっ、えっ」という小さな声が冬馬の耳に入る。
ここまで精神的に追い詰められているとは思わなかった。確かに仕事はキツイ、が、音をあげる程ではなかったはず…。
冬馬は、うなだれながら身支度を済ます。
少女は、戸惑う。質問どころか、自分の存在さえも無視されている気がして、不安で心が染まっていく。
そして、冬馬が少女の横を素通りし、部屋から出ようとしたところでー
「ちょ、ちょっと待って下さい!待って!!」
少女は不安に押しつぶされそうになりながらも必死に声を出し、冬馬のズボンの裾をつかんだ。
最近の幻覚は、触覚にさえ訴えかけるらしい。
裾を引かれる感覚がはっきりと、ある。
相当重症のようだ。
「あ、あの…ここがどこかだけでも、教えて頂けませんでしょうか…」
少女は、ずっと泣きそうなのを堪えて、精一杯声を出す。
いくら幻覚といえどこのまま無視し続けることは、冬馬にとって心が痛い所業であり…
「に、日本だけど…」
耐えきれず、冬馬はついに返答してしまった。
晴れてこれで頭のおかしい人である。
その上、(日本ってなんだよ、雑すぎるだろ…!!)と、自分の返答内容についても頭を悩ませる始末。
しかし少女は会話をしてくれたことがとても嬉しかったらしく、パーッと顔を輝かせ…
たと思うと、すぐに表情を曇らせ、
「二、二ホン…?それは、どこの王国に属する地名でしょうか…?」
想定外の返答をした。
冬馬は、戸惑う。
てっきり「日本じゃわからんわ日本のどこやねん!!」的なことを言ってくると思っていた。
「ぞ、属するも何も、日本が王国そのものというか…まぁ王国じゃなくてただの国だけど…」
冬馬は混乱しながらもとりあえず答える。
すると少女は驚いたように、
「二ホン王国…聞いたことがない…私もまだまだ勉強不足ですね…」
などと意味不明なことをブツブツ呟いた後、口をもごもごさせ、言いづらそうにまた冬馬に質問を投げかけた。
「あ、あなた方二ホン王国の人々は…魔族討伐派なのでしょうか…?」
質問の意図がまるで分からない。
「いや、なんだそりゃ…魔族?とか知らんし、全く関わりないです」
冬馬は感じたことをそのまま口に出しただけなのだが、
「なるほど、中立派ですか…よかった…」
少女は都合のいい解釈をしているようだった。
気が付くと冬馬は、病院へ行く気が薄れていた。
この少女と話すと、何故だか心が安らぐ。
仕事の疲れが癒される感覚。
本当に幻覚なのであろうか。実際に存在しているように思えるほど、少女は可憐に、鮮明に、その場にいた。
だからであろう、冬馬はごく自然に、まるで迷子の子供に問いかけるように、こんな質問をしてしまった。
「君、名前は?どこから来たの?」
「あ、えっと、名前は、
ナナルヴァ=フォース=グレイディアです」
冬馬は固まった。
「グレイディア王国出身で…えっと…
私は、グレイディア王国の魔王…です」
少女は真剣な顔をして、そう言い放った。
「とりあえずごめん、仕事あるから」
「えっ」
思わぬ返答に少女は驚き、つかんでいたズボンの裾を離す。
足が自由になった冬馬は部屋から出て、扉をパタンと閉める。
病院へ行くという仕事を達成するために。