神人(かみんちゅ)青年としゃがれ声の美少女,
午後の客足は鈍く、ディスカウントストア内は閑古鳥が鳴いている。
商品の在庫チェックをしながら、七海は小首を傾げた。
「小さいおじさんが厚切りカツサンドを食べたのに、全然ご利益がない」
七海はポケットの上から中で寝ている小さいおじさんをつつくが、イビキ音が聞こえるだけで反応はない。
仕事が暇すぎるので、七海は店の前を掃除をしようとほうきを抱えて外に出る。
すると昼間でも人がまばらなシャッター商店街にしては珍しく、二十人ほどの団体がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
撮影機材を抱えた大手放送局のロゴ入りジャンパーを着た男性たちが目の前を通り過ぎ、斜め向かいのトンカツ屋に入ってゆく。
「ねぇ七海ちゃん、あれってテレビ局の人じゃない? きゃあー、後ろから来るのは若手人気アナウンサーよ」
「アナウンサーと一緒にいる男性も、見覚えがあります」
「あれはドラマ主題歌が大ヒット中の有名演歌歌手、毘沙門太郎!!」
騒ぎを聞きつけた店長の奥さんは、芸能人を見ると興奮して七海の腕を取って振り回す。
虹色の金ぴか着物がトレードマークの演歌歌手は、今日はお忍びっぽい地味なスーツを着ている。
有名演歌歌手と男性アナウンサーは、集まった野次馬に手を振りながら斜め向かいのトンカツ屋に入ってゆく。
「ジャンパーのロゴは、毎週木曜の夜十時に放送するグルメバラエティ番組の撮影ね。私ちょっとトンカツ屋を覗いてくるから、七海ちゃん店番よろしく」
「はい分かりました、奥さんいってらっしゃい」
最近七海はダブルワークで忙しく、テレビを見る暇も無いけど、奥さんの興奮具合だとかなりの人気番組だと分かる。
あれ……もしかして小さいおじさんのご利益は、私じゃなくて『厚切りトンカツサンドイッチ』を作ったトンカツ屋にもたらされたの?
「ふわぁ、よく寝た。なんじゃ、外がずいぶんと騒がしいな」
「ちょっと小さいおじさん、私が『厚切りトンカツサンドイッチ』を買ったのに、斜め向かいのトンカツ店がご利益を授かっているよ」
七海が普段食べるのは200円のサンドイッチだけど、今日は小さいおじさんのご利益目当てで600円のサンドイッチを買ったのに、肝心のご利益が他所に行ってしまった。
むくれた顔の七海を見て、小さいおじさんはフンッと鼻で笑う。
「あの厚切りトンカツサンドは、娘が支払った金額以上の美味しさだった。それに邪な心があると、ご利益が逃げてしまうのだ」
小さいおじさんにズバリと指摘された七海は、ぐうの音も出ない。
「私は今の厳しい生活から抜け出して、少しでも幸せになりたいの。だから小さいおじさんの御利益が欲しい!!」
「うむっ、そうだな。あのトンカツ屋は綺麗に掃除が行き届いて、ご利益を引き寄せる準備ができていた。娘もご利益を授かりたいなら、ボロ屋敷を片づけて悪い気を追い出すのが先だ」
「小さいおじさんって、小人なのに神様みたいな事を言うのね」
小さいおじさんに食事を与えればご利益が授かると、七海は確信していた。
小さいおじさんでも靴屋の小人でもいい、天涯孤独の崖っぷち貧困女子は、現状打破するためなら藁にでもすがる思いだ。
「家に帰ったら、早速掃除に取り掛からなくちゃ!!」
***
午後8時45分。
閉店間際のディスカウントストアに、仕立てのよいグレーのスーツを着た青年と、洒落た制服を着た長い髪の少女が入ってくる。
青年は店内を見回すと、空き箱の積まれた場所を指さして店長に声をかけた。
「すみません、今日特売の洗剤はありませんか?」
「お客様申し訳ありません。今日はなぜか洗剤ばかりよく売れて、開店一時間で完売しました」
今日は客に同じ事を何度も聞かれ、店長は疲れた顔で頭を下げる。
青年は店長に礼を言うと目が覚めるような笑みを返すと、レジ横のガラスケースに並べられている時計気が付いた。
「これは有名時計ブランドの人気のあった旧モデル、ちゃんと本物を扱っているのですね」
「おおっ、分かりますかお客様。うちはディスカウント店ですが安かろう悪かろうじゃない、良い物を安くを心がけています」
それから店長は喜々として、青年に商品説明する。
「この旧モデルをちょっと見せてください。いいですね、気に入りました、買いましょう。ところで店長さんにお尋ねしたいことがあります」
青年はショーケースの中の二番目に高い時計をポンと買うと、浮かれて喜ぶ店長に何か話しかけて、買い物を済ませ少女と店を出る。
ディスカウントストアの斜め向かいのトンカツ屋は、店の外に十人ほどの客が行列を作っている。
「桂一 兄、あの店は……様の御利益が、もたらされている」
風邪でもひいているのか、口元をマスクで覆い掠れ声で話す少女に、恵比寿青年は優しく声をかける。
「やはり……様の御利益は絶大だ。少し手間取ったけど、お前のためにも早く……様を探して僕らの元へ招こう」
彼らが捜す目的の人物は、寂れた駅前商店街のディスカウントストアに勤めていた。
恵比寿の優しく慈愛に満ちた笑顔を見れば、誰でも簡単に心を許してしまう。
個人情報等が厳しくなった昨今でも、すこし高額の買い物をして尋ねれば、怪しまれずに店員の名前を教えてくれた。
ふたりはシャッター商店街を出て、駅前に停めた銀色のハイブリット車に戻る。
先に助手席のドアを開いて少女をエスコートしたところで、恵比寿青年のスマホから呼び出し音が鳴った。
スマホをタップしてメール内容を確認すると、満足そうな笑みを浮かべながら助手席の少女に声をかけた。
「店員の名前と出身高校から、住所を突きとめたよ」
「兄は綺麗に笑うのに、結構腹ぐろいよね」
少女は口元を覆っていたマスクを外しながら、しゃがれた声で呟く。
綺麗な弓なりの眉に長いまつげに縁取られた黒々とした大きな瞳、形の良い桃色の唇。
つややかな黒髪に目鼻立ちのはっきりした絶世の美少女は、白く細い指で喉をさすると不安げな表情をする。
恵比寿青年は助手席の少女の頭に腕を伸ばすと、労わるように優しくなでた。
「大丈夫、きっと……様がお前の声を元に戻してくれる。そのためなら僕は、持ち主から……様を奪ってもかまわない」
車に乗り込んだ恵比寿青年は、調べた住所をGPSで確認する。
今から相手の家に乗り込むには、時間が遅すぎる。
店で聞いた話では、彼女は明日仕事休みらしい。
「……様をお招きする準備を整えてから、迎えに行こう」
鼻筋の通った非の打ち所のない端整な顔立ち、優しげな微笑みを崩さない恵比寿顔の青年は、皮の手帳を取り出すと明日のスケジュールを再確認した。