七海と恵比寿青年
恵比寿桂一の母は南の離れ小島出身で、島の神事を司る神人。
そして恵比寿自身類い希な霊力を持ち、恵比寿天の生まれ変わりとも、恵比寿天の守護を受けているとも言われる。
父親は有名大企業の二代目で恵まれた家庭に生まれ、母親謙りの美しい容姿で常に微笑みを絶やさず、頭脳明晰で仕事の出来る完璧な人間だった。
魅力溢れるカリスマ性で、周りに集う並外れた美女に才女、美魔女も美老女も恵比寿に夢中だ。
しかし今、恵比寿の目の前に居るのは、素材は良いのに手抜きメイクと洗いざらしの髪、お人好しで金にだらしなく、ズボラで人の言うことを聞かない貧困フリーター女子。
そして神に触れることが出来、遙か彼方土地まで霊視をして魂を探しだし、第三の眼で真実を見極める稀代の巫女。
恵比寿の容姿も肩書きも一切無視するのに、作った料理は遠慮なく食べる天願七海は、人として危うい性格と桁外れの神秘性を持つ。
恵比寿にとって彼女は、常に騒動を起こす目の離せない存在になっていた。
「天願さん、僕は君と知り合って半年近く、ほぼ毎日家に通っている。それでも関係ないというのか」
「だって恵比寿さんは小さいおじさん目当てで、私とはライバル関係よ」
「僕が大黒天様に願ったのは真琴の声を取り戻すこと。そして僕の願いを叶え、真琴を救ってくれたのは君だ。君は僕の敵じゃない、恩人だ」
恵比寿青年の顔から七海の嫌いなアルカイックスマイルが消え、真剣な眼差しで少し怒ったような素の表情になる。
いつも自分のことで精一杯、本当に恵比寿青年が心配しているのだと気付かなかった。
「恵比寿さん、私どうしたらいいの。家が雨漏りを直すにはお金が必要なのに、パンダに押し潰されて働きに行けない」
真琴の忠告通り、今は恵比寿青年に頼ろう。
頑なだった七海の心が、ほどけてゆく。
「やっと僕や大黑天様の声が、君に届いた。しかしこれ以上のWワークは体力的に無理だ」
「でも私、早朝バイトは辞めたくないの」
「仕事の前に、君が今取り組むべき課題は、家の雨漏りを直すための業者選定だ。僕の見立てでは、雨漏りを直すのに外壁の修繕は必要ない」
今回の騒動は、怪しいリフォーム会社に高額の修繕費をふっかけられて、その金を稼ぐためにバイトを増やして過労で倒れたのが原因だ。
「確かに工事費が安ければ、無理してお金を稼ぐ必要ないけど……」
「明日のディスカウントストアバイトは休みだろ。僕の知り合いの業者に屋根の状態を見てもらうから、現場に立ち会う必要がある」
「えっ、明日はダメだよ。ほら、靴のかかとがすり減って穴が開きそうだから、靴を買いに行く予定なの」
「君は屋根の穴と靴の穴、どちらが重要なんだ」
「それに雨漏りした私の部屋、もの凄く散らかっていて、業者の人を部屋に入れたくないし」
「やたらと君がリフォーム業者を避けていた理由はそれか。現場を見せないと雨漏り修理は出来ないぞ。こうなった明日は僕も現場に立ち会う」
「立ち会うって、恵比寿さん、私の部屋に入るつもり!!!」
「僕が最初に見たゴミ溜め玄関と比べたら、君の汚部屋なんて大したことない」
今更なんだと恵比寿青年に言われ、七海はぐうの音も出ない。
「ああ、面倒くさい。リフォーム業者が来る前に部屋を片付けないといけないし、せっかくの休日が潰れちゃう」
「恵比寿よ、ワシも娘の部屋に入って良いか?」
「天願さんの部屋はかなり散らかっているらしいので、部屋の浄化を終えたら大黒天様をお招きします」
「何だ、つまらんのう」とぼやきながら、酔っ払った小さいおじさんはテーブルの上を千鳥足でふらふら歩く。
七海は小さいおじさんを捕まえようと手を伸ばすが、スルリと避けられた。
「小さいおじさんの動きが早い、まるで映画の酔っ払いカンフー達人みたい」
「そろそろ神無月も終わりだから、ワシも力を取り戻すぞぉ」
酔った小さいおじさんは七海をからかうように怪しいおどりを踊り、それを見た恵比寿青年は目を爛々と輝かせながら素早くスマホ動画を撮影する。
「大黒天様、見事なステップです。これぞ神々の舞い!!」
さっきまでの深刻な雰囲気が消し飛んで、恵比寿青年はいつものように小さいおじさんとイチャイチャしだした。
七海はやれやれとため息をつきながら椅子に腰掛け、仕事中でもかまうものかと目の前にあった茶色い液体を一気に飲み干す。
ウーロン茶と思って飲んだ液体は、濃厚なアルコールの香りがして、喉が焼けたように痛い。
「うわっ、これってウイスキー? かなり強烈だけどトロリと濃厚な飲み口で、芳醇な香りで凄く美味しい。恵比寿さん、もう一杯ちょうだい」
「アルコール45度をストレートで一気飲みって、早く水を飲め!!」
「私そのままで飲むの。水で薄めるなんてもったいないっ」
「いいぞいいぞ、娘は格好いける口だな。今夜は恵比寿のおごりで飲み明かそう」
七海は顔を真っ赤にして恵比寿青年を睨みつけ、小さいおじさんはウイスキーのボトルの周囲で踊っている。
恵比寿青年は七海が握りしめたグラスを取り上げようとしたとき、背後から物音がした。
「うわぁ、何だあれ、テーブルの上に小人がいるぅ!!」
料理を持った男性店員が個室の入り口に突っ立って、テーブルの上で踊る小さいおじさんを凝視している。
「誰だ君は。まさか大黒天様の姿が見えるのか?」
恵比寿青年は慌てて小さいおじさんを隠そうとするが、大黒天の体は手のひらを擦りぬけて捕らえられない。
男性店員は直立不動で硬直したまま、目だけが小さいおじさんの姿を追っている。
「大黒天様の姿を視える者がいるとは、マズいことになった。天願さん、大黒天様を捕まえてくれ」
「エヘヘッ、小さいおじさんの踊り、おもしろーい」
「完全に酔っているな。それじゃあ君の手を貸してもらうぞ」
恵比寿青年はウイスキーのボトルを七海の手前に持ってきて、小さいおじさんを誘導する。
そして七海の背後から覆い被さるように長い腕を伸ばし手の甲に重ねて、二人羽織の要領で小さいおじさんを捕まえる。
「ちょっと恵比寿さん、重たいからも、たれかからないで」
「君は、この状況が分かっていない。頼むから天願さん、大黒天様を隠してくれ」
七海はいきなり背後から抱きしめられた形になり、そして男性店員の大声を聞きつけて他の従業員もやってくる。
「きゃあぁっ、イケメン社長さんが、七海さんを抱きしめているっ」
やってきたのはぽっちゃりバイト女子で、キャアキャア騒いだ後、直立不動状態の男性店員の小脇をつつく。
酔いから醒めた七海は、慌てて小さいおじさんをエプロンのポケットに隠すと、男性店員を見て首をかしげた。
「もしかして七海さん、彼と同じシフト初めてですか? 私の彼氏、先週から従業員として働いているの」
「あなたの彼氏って、あっ、思い出した。確か自販機で小さいおじさんを見たって騒いで、店に飛び込んできたことのある……」
居酒屋の新人男性店員は、以前小さいおじさんを発見したことのある、ぽっちゃり女子の彼氏だった。
「大変だ、この人小さいおじさんが見えている。私が小さいおじさんを連れているのがバレちゃう!!」
「大変だ、ワシが美味しいまかないを食べているのもバレてしまう」
「大丈夫です大黒天様。相手は多少霊力のあるだけの一般人、僕がなんとかします」
恵比寿青年は立ち上がると、野次馬根性丸出しのぽっちゃりバイト女子と直立不動状態の彼氏に近づく。
「驚かせてすみません、料理はここで受け取ります。僕は天願さんに込み入った話があると店長に伝えてください」
酒に酔って赤ら顔の七海とテーブルの上に置かれた小さい花束、そして真剣なまなざしの恵比寿青年を見てぽっちゃり女子は瞳を輝かせる。
「毎日七海さんの家に通っている恵比寿社長さんが込み入った話をするって……もしかして、プ、プロポーズとか」
「ちょっと待ってくれ。俺さっきテーブルの上で、小さいおじさんを見つけてたんだ」
焦って声の大きくなる男性店員の声を無視して、ぽっちゃり女子は質問攻めにする。
「社長さん、シャンパンとかケーキとか用意しますか?」
「今日は彼女に気持ちを伝えるだけだから、あまり大げさにはしたくないんだ」
「キャア、社長さん、応援してます。ふたりでじっくり話し合ってください」
「あのう、俺の話も聞いてくれ。今そこに小さいおじさんがいて……」
「もう、アンタの小さいおじさんの話は聞き飽きた。それより私たちの将来について考えてよ」
彼氏は話を無視されて、ぽっちゃり女子に引きずられるように個室を後にする。
「ふぅ、なんとか適当にごまかせた」
「ちょっと恵比寿さん、全然適当にごまかせてない。この花束とか恵比寿さんの思わせぶりな言葉とか、絶対に勘違いしたよ」
「そうだ、彼女は僕が天願さんにプロポーズすると勘違いしただろう」
「ひぃいっ、プロポーズ!?}
両手を頬に当てムンクの叫びみたいな顔をする七海を見て、恵比寿青年はしてやったりと満面の笑みを浮かべる。
「僕が毎日君の家に通っているのも、込み入った話をするのも本当のこと。変な噂が流れたら「返事は保留している」と答えればいい」
「恵比寿さんは変な噂を否定する気ないの? だってプ、プロポーズだよ。超一流企業のセレブ若社長にプロポーズされたなんて噂が広がったら大変なことになる!!」
「僕はこれまで君に散々振り回されて、もう野放しにしないと決めた。噂が広まれば悪い虫も寄ってこない」
これまで七海に見せたアルカイックスマイルとは違う、笑顔にしては執着心がもろに現れた表情。
恵比寿青年はさわやかな外見をしているが、かなりストーカー気質だ。
これまで興味の対象は小さいおじさんだったけど、七海自身もターゲットにされたと気づき、背中に冷たい汗が流れる。
「それに大黒天様の姿を見ることのできる店員がいては、居酒屋バイトは続けられないだろう」
恵比寿青年は七海にそう告げると、小さいおじさんも隠れていたエプロンのポケットから這い出してくる。
「娘はもう食事に困ることはないから、そろそろ居酒屋店長を安心させるのだ」
「小さいおじさん、それって居酒屋バイトを辞めろってこと?」
「この店は人手が足りているし、ワシが他人に見つかったら店長に迷惑をかける。それに夜一人っきりで留守番している弁財天は寂しいだろう」
七海が居酒屋バイトを始めた頃、家の玄関でただいまといっても返事はなかった。
でも今は、お帰りなさいの声と温かい食事が用意されている。
「私はもう、天涯孤独ではないのね」
※「貧困フリーター女子、小さいおじさん(福の神)拾いました」
ネット小説大賞、二次選考通過しました!!!!!!!




