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七海とモフモフ

「あれ、七海 ねーね。今日は早朝バイト休みなの?」


 朝六時半、制服に着替えた真琴は、畳の上で毛布にくるまっている七海に声をかけると、七海は毛布を蹴飛ばして起きあがった。 

 七海は目覚めとは思えない青白い顔をして、きょろきょろと周囲を見回す。


「や、やっと体が動いた。もう六時半って、完全にバイト遅刻!!」


 七海はスマホを握ると、慌てふためきながらバイト先に連絡を入れる。

 実は恵比寿青年の会社はホテル業界にも進出して、彼が倒れた七海を連れ帰るとき、マネージャーやコック長やビジネスホテル支配人まで出てきて大騒ぎになったが、爆睡中の七海はそれを覚えていない。


「マネージャーさんすみません、遅刻しました。朝起きたら体が動かなくて……」

『天願さん、体調はどうですか? 今日はそんなに忙しくないし、無理をしないでゆっくり休んでください』

 

 マネージャーの恐縮したような声に、七海は首をかしげながら電話を切った。


「お店は人手不足でとても忙しいのに、マネージャーはあっさりと休みを認めてくれた」


 ぐっすり寝て体調も万全だし今日も頑張って働こう……と思ったところで、七海は自分が寝過ごしたのではなく、金縛りで意識を失ったと思い出す。

 あれは、なんだろう?

 これまで七海が扱えた不思議なモノとは違う。

 

「そういえばあんずさんは、体調が悪いと悪いモノがまとわりつくって言っていた。アレは悪いモノなの?」


 高位の霊力を持つ七海は、普段なら悪霊や魔物は避けて近寄らない。

 だけど働きすぎて体力が落ちたせいで、悪霊に狙われ金縛りにあったのか?

 七海がオカルト現象に悩んでいると、目を覚ました小さいおじさんが能天気に声をかけた。

  

「ふぁああっ、娘よ、おはよう。今日は仕事休みか」

「大変だよ小さいおじさん。私金縛りにあって体が動かなくて、お腹の上に大きなモフモフが乗っかっていたの!!」

「失礼な、ワシは娘のお腹の上に乗ったりしないぞ」

「小さいおじさんは隣で寝ていたよ、私のお腹の上にいたのは別の不思議なモノ。あれ、小さいおじさんは大黒天で真琴ちゃんは弁財天なのに、モフモフに気づかなかったの?」


 まだ眠たそうにあくびをする小さいおじさんも、学校に行く準備をしている真琴も普段と変わらない。


「七海 ねーねは疲れすぎて、変な夢でも見たんじゃないの?」

「あれが夢? でもお腹に乗っかられて重かったし、この手でモフモフを触ったよ」

「娘よ、今は神無月だから、ワシも弁財天も神の力を発揮できないのだ」


 すると小さいおじさんは申し訳なさそうな顔をして、七海に話しかける。


「小さいおじさん、神無月がどうしたの?」

「神無月は文字通り神の居ない月。だから結界が緩んで、天願家に不思議なモノが出入りしたかもしれない」

「やっぱり私は悪霊に襲われたのね!!」


 七海の顔はみるみる青くなるが、小さいおじさんと真琴は首をかしげる。


「でも七海 ねーねは気持ち良さそうにイビキをかきながら寝て、金縛りで苦しんでいるようには見えなかった」

「ワシも悪霊の気配は感じなかったぞ」

「言われてみれば怖い気配は無かったけど、すごく重かった。モフモフの手触りがしたけど、この家で犬猫の動物を飼ったことないしアレはいったい何なの」


 途方に暮れる七海に、真琴は玄関で靴を履きながら声をかける。


「神無月でも恵比寿神はこの地にとどまっているから、桂一 にーにに相談すべきだよ。それから七海 ねーねのレストランの手作りパン、とても美味しかった」

「えっ、私の作ったパン食べたの? 美味しかったって嬉しい」


 七海は玄関先で真琴を見送ったあと、台所に移動した。

 テーブルの上には、七海の作った三種類のパンが置かれている。

 手作りといっても七海はパンをこねる手伝いをしただけで、パンを焼いたのはコック長。

 それでも料理上手な恵比寿青年が、七海の作ったパンを買うとは意外だ。

 真琴が朝食用に焼いたソーセージとスクランブルエッグをレーズンパンに挟んで、温めたミルクとコーヒー、たっぷりの蜂蜜で甘いカフェオレを作る。


「はむっ、私の作ったパンって結構美味しい。まともに朝食を食べるのも久しぶりね」

「稀代の巫女である娘がこねたパンは、神の供物として捧げられるほどのモノだ。しかし娘のパンが評判になると、さらにレストラン客が増えて忙しくなるのぉ」

「早朝バイトは大変だけど、パン作りはとてもやりがいを感じるの。でも金縛りで起きれなくなったらバイトが続けられない」

「この家に入り込むほどの力を持つ不思議なモノだ。神無月でワシや弁財天は神力がないから、恵比寿に相談するしかないのぉ」

 

 昨日あんなに派手に喧嘩をしたのに、結局恵比寿青年に頼るしかないのか。

 

「今夜は居酒屋バイトがあるから、恵比寿さんとは会えないよ。金縛りは自分でなんとかする」


 浮かない顔で返事をした七海を見て、小さいおじさんは諦めのため息を漏らした。

 結局七海は恵比寿青年に相談するどころか、バイトを理由に一日中避け続け、不思議なモノの正体は分からなかった。



 ***



 早朝四時三十分。

 天願家の呼び鈴が鳴り、パジャマ姿の真琴が玄関を開けると、スーツ姿の恵比寿青年が入ってきた。


「真琴から詳しい話を聞きました。それで天願さんの様子はどうですか?」 

「おおっ、恵比寿も娘のことが心配だったのか!!」

「天願家の結界の中は安全と思っていたのに、大黒天様のおそばに得体の知れないモノノケが居るなんて僕は許さない!! 天願さんはそのついでです」


 恵比寿青年はそう言いながらも、仏間の電気をつけても目覚めない七海にチラチラと視線を向ける。 

 七海のバイトを偵察したり朝四時から駆けつけたりと、恵比寿青年が七海を気にしているのは行動から明らかだ。


「ふたりとも大人なのに素直じゃないんだから。七海 ねーね、私の声が聞こえる、金縛りで体が動かないの?」


 真琴がせんべい布団の上に寝転がっている七海に声をかけると、目蓋がぴくぴくと動く。

 七海は金縛り状態だが、小さいおじさんと真琴は不思議なモノの気配を感じない。

 しかし恵比寿青年は七海の体の上に手をかざし、何かに触れるように動かし始めた。

 


「これは、かなり大きなモノノケが、天願さんのお腹の上に乗っかっている」

「なんと、恵比寿には不思議なモノが視えるのか。早くそれを娘の上から退かせてくれ」


 しかし恵比寿青年は申し訳なさそうに首を横に振った。


「大黒天様、僕は煙のような大きな塊が見えるだけで、モノノケの正体は分かりません」


 神の存在に触れることの出来る七海には、煙のような塊が実物の重さとして感じるのだ。

 これは金縛りと言うより、上に乗っかっているモノに押しつぶされた状態だった。


「天願さんにモノノケの正体を見極めてもらわないと、退けることはできない」

 

 そのうちに七海の目蓋が動かなくなり、金縛りで意識を失おうとしている。


「娘よ、頑張れ。しっかり起きるのだ!!」

「でも七海 ねーねは気持ちよさそうに寝ているし、このモノノケって悪いモノなの?」

「大黒天様のおそばに得体の知れないモノノケがいるなんて許せない。そうだ、古今東西、呪いから目を覚まさせる方法がある」


 そう言うと恵比寿青年は七海の肩に腕を回し、体を抱き起こすと顔を近づける。


「コラッ、恵比寿よ。女子の寝てる隙に唇を奪うなんて、そんなのヒキョーだぞ!!」

「これは天願さんの力を呼び起こすだけです。二つの眼が開かなくても、彼女の霊力なら第三の眼を開くことが出来るでしょう」


 恵比寿青年は七海の前髪を掻き上げると、額を舌先でペロリとなめる。

 神を捕らえることの出来る稀代の巫女を、金縛りにするモノノケはなんなのか?

 すると七海は目を開き、光の届かない漆黒の闇のような色をたたえながら、目の前の不思議なモノを凝視する。


「娘よ、目が覚めたか。腹の上になにがいるのだ?」

「……シ……シロ………クロ」


 吐息のような小さな声で呟くと、七海は完全に寝入ってしまい、そして不思議なモノの気配もかき消えた。

 恵比寿青年は七海の顔を凝視したまま、ゆっくりとせんべい布団の上に寝かせる。


「娘よ、目を閉じてはならん。寝たら死ぬぞぉーー!!」

「大丈夫ですよ大黒天様。天願さんは気を失っているだけです」

「七海 ねーねの言ったシロクロって、もしかして白黒の体をした夢を食べる獏じゃない?」


 真琴の言う獏は、鼻がゾウのように長く虎の足をした悪夢を食べる幻獣。

 しかし恵比寿青年が感じたモノとは全く違う。


「モノノケが何なのか、目覚めた天願さんが教えてくれるでしょう。大黒天様、まだ朝早いので一眠りしたらどうですか」

「ワシはここで娘を見守っている。恵比寿よ、今日は熱々の中華粥が食べたいのぉ」

「いくら神無月でも、いきなり七海 ねーねに不思議なモノがとりつくなんて変だよ」


 小さいおじさんは少ししょんぼりした様子で七海の枕元に座り、真琴は声を荒げて怒った。

 恵比寿青年はふたりに七海を任せると、台所に向かいながら小声で呟く。


「天願さん、君は寝ている時も人騒がせな人だ」



 ***



 カーテンの隙間から明るい朝の日差しと、つけっぱなしのテレビからアナウンサーの早口な声が聞こえる。

 挽き立てのコーヒーの薫りがして、七海は無意識のうちに枕もとに置いたスマホを探す。


「あれ……ちゃんと目が開いた。体が動く」


 指先に触れたモノをむんずと掴むと、それはスマホではなく隣で二度寝していた小さいおじさんだった。


「娘よ、痛い痛い。そんなに強く握ったら内臓が飛び出す!!」


 七海は驚いて小さいおじさんから手を離し、その悲鳴を聞いた真琴が慌てて仏間に駆け込む。

 

「小さいおじさん大変だよ。上野から脱走したパンダが私のお腹の上に乗っていたの。早くパンダを捕まえなくちゃ!!」

「「えっ、あのモノノケって、パンダだったの?!」」    

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