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神無月の七海

 神無月

 陰暦10月(最近は新暦でも使われる)の別称。神無し月。

 八百万の神が出雲に集うため、神が居なくなると言われる。




 白いハイブリット車は駅前ビジネスホテルを出て、天願家へ向かう。


「なんと、娘はワシの声が聞こえない状態なのか!!」

「天願さんは大黒天様の話を聞いているつもりでも、心に届かないのでしょう」


 神無月の話は民間俗説と言われるが、今の七海は小さいおじさんの話を聞かず暴走状態だ。


「では、恵比寿も弁財天も娘を説得できないのか?」

「神無月に留守を守る神もいます。ヒルコで出雲まで行けない恵比寿天は留守を守る神。しかし相手は天願さんだ、僕の話を素直に聞くかどうか」


 恵比寿青年は後部座席に横たわる七海の顔をのぞき込むと、まぶたは閉じられたまま眉間にしわを寄せ、プシュープシューといびきをかいている。

 家に到着しても七海が目を覚ます気配は無く、恵比寿青年は仕方なく彼女を仏間に寝かせた。


「大黒天様、僕はこれから仕事の打ち合わせがあるので、また夜に参ります。それと大黒天様のスマホを貸してください」

「そういえば娘がスマホで監視するのはやめろと言っていたぞ。恵比寿よ、何をしている?」

「不要なセールスや防犯を考えて、カメラアプリを入れました。これで大黒天様を二十四時間見守ることが出来ます」


 やたらと嬉しそうな恵比寿青年からスマホを渡され、新規登録したアプリを見た小さいおじさんは大きなため息をつく。


「恵比寿よ、さすがにこれはドン引きだ。ペット・モニターと表示されているが、はっきりいって監視カメラではないか」

「これでいつでも大黒天様のお姿を拝見でき、あっ、アプリを消さないで」


 すっかりスマホを使いこなせるようになった小さいおじさんは、恵比寿青年の入れた監視カメラアプリを削除する。

 そばで小さいおじさんと恵比寿青年が騒いでいる間も、七海は爆睡したまま起きる気配が無い。



 ***



「ふわっ、炊きたてご飯のいい匂いとサンマの焼ける香ばしいかおり。そういえば恵比寿さんが早朝バイトの邪魔をする夢を見たけど、えっ、私なんで寝ているの!!」


 七海は夢見心地で呟きながら、もう一度布団の中に潜ろうとして、違和感から急激に覚醒する。

 慌てて飛び起きると、七海は真琴のお布団に寝かされて、仏間のちゃぶ台には炊きたてご飯と旬のサンマの塩焼きが置かれ、小さいおじさんが赤味噌仕立てのしじみ汁を美味しそうにすすっている。


「娘よ、よく寝たのぉ。そんな驚いた顔をしてどうした?」

「えっ、外は薄暗いけど今何時? 時計は七時で、やばい、早朝バイト寝過ごしたぁ」

「七海 ねーねったら寝ぼけているのね。今は朝じゃない、夕方だよ」


 声がした方を振り向くと、台所から天ぷらの盛り合わせを運んできた真琴と恵比寿青年と目が合う。

 さっきまで自分はビジネスホテルにいて、早朝バイトが終わったら靴を買いに行くつもりだったのに、どうして家で寝ているのか状況把握ができない。

 

「バイト先に恵比寿さんが来て、とてもお腹が減って、それから私どうしたの?」

「天願さん、君は僕の目の前で、寝不足と空腹と過労で倒れたことも覚えていないのですか」

「今が夜の七時としたら、せっかくの休日を寝て過ごしたってこと!!」


 七海が買い物をしたい百貨店は夜九時まで。

 Wワークを始めてから一週間ぶりの、貴重な休日が終わってしまったと気づいた七海は、思わず膝から崩れ落ちた。

  

「天願さんが倒れて、黒天様がどんなに心配したか知っていますか」

「私倒れた? そういえば手足に力が入らない。小さいおじさん、お腹が空いたよ」

「娘よ、ワシのお供え物を食べるのだ」


 普段とは逆の立場でご飯をねだる七海に、小さいおじさんは早く食べろとしじみ汁を差し出した。

 小さいおじさんにお供えした後だから少し冷めているけど、新米の銀シャリ美味しい。

 冷めたサンマの塩焼きも、皮がパリッと焼けて身に脂がのっている。

 一日……もしかしたら二日ぶりのまともな食事を平らげ、七海はほっと一息つきながら、もう一度壁の時計を見る。

 せっかくの休日を寝て過ごしてしまった。

 明日から再びWワークで、忙しくて食事も睡眠もまともに取れないだろう。

 思わずため息をついた七海は、小さいおじさんにお茶を運んできた恵比寿青年とうっかり目が合う。


「それでは天願さん、いきなり早朝バイトを始めたり、リフォーム会社から電話があった理由を教えてください。バイト先で倒れた君を保護した僕は、話を聞く権利があります」


 いつものアルカイックスマイルを浮かべた恵比寿青年に、七海は引きつり笑いを浮かべながら返事をする。


「えっと、この間の大雨で二階の天井が雨漏りしているから、リフォーム会社に相談しているの。真琴ちゃんと小さいおじさんは一階で寝ているし、雨漏りでいきなり家が壊れたりしないから安心して」

「娘は家の雨漏りの修理費用を稼ぐため、朝から働き始めたのだ。ワシは娘が働き過ぎだと注意したが、全然話を聞いてくれない」


 しかし恵比寿青年は七海の言い訳を全く無視して、パラパラとリフォーム会社のパンフレットをめくる。


「このリフォーム見積もりを見せてもらったところ、屋根瓦を全て処分してガバリウム鋼材にとり換えとなっているが、この家をトタン屋根にするなんて風情が無い」

「屋根を軽くすれば地震に強くなるって話していたけど、えっ、ガバリウム鋼材って屋根瓦じゃ無いの?」

「それと外壁修繕をサディングで行うとありますが、この美しい木壁をプラスチックの壁で覆うなんてつまらない」

「えっ、壁からも雨漏りするって説明は聞いたけど、サディングって何?」


 とても仕事が忙しくて、リフォームのパンフレットに目を通す時間が無かった七海は、リフォームの専門用語を聞かされてパニックに陥る。

 恵比寿青年から完成予想図とかかれた紙を渡されると、そこにはボロだけど趣のある古民家から、ハウスメーカーの新築にそっくりな建物がCGで描かれていた。


「雨漏りの修繕に費用がかかるのは仕方ないとして、他から相見積もりは取りましたか?」

「私はネットでいろんなリフォーム会社を調べて、テレビCMを流している有名な会社を選んだわ」

「つまり相見積もりも取らず、一度会って説明を聞いただけのリフォーム会社に、この家を修繕させるのか。家主である天願さんがそれで良いというのなら、僕は別に口出しする気はない」


 家の雨漏りを隠している事に怒られると思ったら、七海が拍子抜けするくらい恵比寿青年は事務的だった。

 

「私だって、まさか家が雨漏りするなんて思ってなかったよ。最近は少し運が良くなったと思ったのに、またすぐ悪いことが起こる」

「天願さん、君は運が悪いから家が雨漏りしたと思っているのか? この家の築年数を考えれば、老朽化で雨漏りしてもおかしくない。でも君は祖母から譲り受けたこの家を守ろうと決意したはずだ」


 恵比寿青年に言われた七海は、意外な気持ちになる。

 自分の運が悪いから雨漏りが起こったと考えて、無理に仕事を詰め込んで急がしくして、その感情から逃れようとした。


「君がすべきことは、あと二カ所からリフォームの相見積もりを取って、修繕内容と費用が納得できる所を探す」

「でも私、明日もWワークで忙しくて、他にリフォーム会社を探す時間なんて無い」

「君は雨漏りの修繕費を稼ぐために働いているのに、リフォーム会社と打ち合わせする時間が無いなんて本末転倒だ。それから家をほったらかして居そうろうの真琴に留守番を押し付けるなら、真琴を下宿させる意味が無い。来週から東京中野の家に戻す」


 恵比寿青年はそういうと、話は済んだとばかりに立ち上がり、小さいおじさんに挨拶をして部屋を出る。

 ふたりの様子を見ていた真琴は、慌てて恵比寿青年を外まで追いかけた。


「ちょっと桂一 にーに、七海 ねーねにWワークをやめるように説得するんじゃ無いの?」

「天願さんと僕は大黒天様を巡ってライバル同士で、彼女が僕に説得されて素直に言うことを聞くとは思えない」

「でも桂一 にーには七海 ねーねの事を気にしているのでしょ。だって今日の夕御飯、大黒天様の食事を後から七海 ねーねが食べるって分かっていたから、ご飯は少し柔らかめだし、一番大きなサンマが用意されていた」


 恵比寿青年が車に乗り込むと、真琴も助手席に座り込む。

 芸能の神、弁財天の守護を受ける真琴は、人の心の動きを読むのが巧い。


「真琴の言うとおり、天願さんはとても扱いにくい。神を捕らえる霊力を持ちながら、お人好しで警戒心がなさ過ぎて、今回もほんの数日目を離した隙にとんでもないことをやらかした」


 恵比寿青年はハンドルから手を離し、諦めたように大きくため息をつく。


「ハンサムでお金持ちで神人かみんちゅの桂一 にーにに、女の人はみんな好意を寄せる。でも七海 ねーねは、なぜか桂一 にーにを警戒しているね」

「天願さんの父親はとても美形で、女癖が悪かったらしい。だから僕の作り笑いを見て、眉をひそめるのは彼女ぐらいだ」


 祖母は地元でも有名な美人で父親も美形の色男で、七海も磨けば光る美人だが、スボラで大雑把な彼女はお洒落に気を遣う余裕が無い。


「僕に媚びを売って、金を借りようとすら考えない。とても世渡りが下手すぎる。彼女ほどの美人なら、水商売の方が稼げるかもしれないが……」

「それ絶対ダメ、ダメだよ。お人好しの七海 ねーねが、変な男に引っかかって借金を増やすパターンが目に見えている」

「確かに真琴の言うとおりだ。今でも天願さんは、バイト先のマネージャーに同情して、ほぼ毎日早朝バイトをする羽目に陥っているのだから」


 真琴は七海のことで頭を悩ませる恵比寿青年の横顔を眺めながら、いっそのこと二人がくっついちゃえば良いのにと思った。

 




 七海はなにひとつ恵比寿青年に言い返せず、色々考えるのが面倒くさくなった。 


「でも今の私に出来ることは、バイトして修繕費を稼ぐことだけ。お金がなくちゃ何も出来ない。明日も早いから、さっさと寝てしまおう」


 ふてくされて畳の上で薄い毛布に包まる七海に、小さいおじさんは声をかけられない。

 小さいおじさんは仏壇にのぼると、あんずさんの遺影に話しかけた。


「神無月の今、娘にワシの声は届かない。でもあんずさんの声なら、娘に届くかもしれない。どうか娘の働き過ぎを止めてくれ」



 ***

 


 午前四時十五分。

 七海はけたたましいアラーム音で目を覚ますが、スマホが足元に転がっている。

 昨日は早朝バイトの後に倒れて九時間爆睡、夜は恵比寿青年に言い負かされてふて寝したから、充分休んだはずなのに……体が動かない。

 

(あれ、声が出ない。私ったら寝ぼけている?)


 部屋の中が暗いと思ったら、自分の目蓋が固く閉じたままだと気づいた。

 体を無理に動かそうとしたが、親指が微かに動くだけ。

 そして七海の腹の上に、ずっしりと重たい何かが乗っかっていた。


(小さいおじさんったら、寝ぼけて私の上に乗っかっているの?)


 しかし七海の隣から、ぷすぅ~ぷすぅ~と小さいおじさんの鼻息が聞こえる。

 さっきからスマホのアラームがうるさいぐらい鳴っているのに、小さいおじさんも真琴も起きない。


(ちょっと待って。それじゃあ私の腹の上に乗っているのはなに? 体が動かないのは、もしかして金縛り!!)


 七海は必死に体を動かそうとして、右手だけが微かに動いて腹に乗っている何かに触れる。

 もふ、もふもふ。

 毛の長いぬいぐるみみたいな、どう考えても人間じゃない手触りを感じた七海は、そこで意識が途切れた。

 

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