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小さいおじさんと温泉旅館2

 日が沈むと、半露天の岩風呂から月見が出来る。


「大黒天様、ゆっくりと温泉に浸かりながら、旨い地酒はどうですか?」


 小さいおじさんとの温泉を諦めきれない恵比寿青年は、酒を餌にして誘う。

 七海は、ストーカー恵比寿青年の魔の手から小さいおじさんを守らなくてはと焦った。

 恵比寿青年の監視を頼むつもりだった真琴は、まぶいを取り戻した安心と疲労感から、食事を終えるとベットに突っ伏して寝てしまっていた。


「それなら私も一緒にお酒を飲みたいな。中に入るんじゃなくて足湯するだけだから」

「僕は大黒天様と水いらすで温泉を楽しみたいので、邪魔をしないでくださいね」


 浴衣女子の七海を空気扱いして、恵比寿青年は小さいおじさんにぞっこんだ。

 湯に浮かせた大きな盆の上に数種類の酒のつまみと小さいおじさんが乗せて、岩風呂の縁に上半身をあずけながら、ちょっと赤ら顔で嬉しそうに小さいおじさんにお酌をする。

 水も滴るいい男って、こういう人のことを言うんだなぁと七海は思いながら、氷で割った地酒をチビチビと飲む。


「でもこんな高級温泉旅館に泊まれるなんてめったにないから、恵比寿さんには感謝してる」

「この宿は二年先まで予約が埋まっているのですが、タイミング良くキャンセルで空きが出ました」


 恵比寿青年はサラリと言ってのけたが、絶対小さいおじさんのために色々と手を回したのだろう。

 これほどの高級温泉旅館に宿泊できるなんて、人生最初で最後の経験かもしれないので、あと三回は温泉に浸かろうと考えていた七海は、大切なことを思い出す。


「あっ、そういえば明日の仕事どうしよう。店長に休むって伝えてない」

「それなら僕が連絡を入れておきました。天願さんは明日、朝七時の飛行機で千葉に戻ってください」

「ありがとう、恵比寿さんが連絡を入れてくれたのね。えっ、明日は休み……じゃなくて朝七時の飛行機に乗るの?」

「ディスカウントストアは店長の奥さんが産休中で人手が足りないので、正午出勤でOKをもらいました。旅館から空港まで車で四十五分だから、逆算して朝五時に起きれば大丈夫です」

 

 常日頃ハードスケジュールの恵比寿青年は簡単に言ってのけるが、相手はすぼらな七海だ。


「そんなスケジュールじゃ、朝風呂入る時間もお土産を買う時間も無い!! ちょっと恵比寿さん、湯船から出て出て、私あと三回は温泉を堪能するんだから」

「せっかく大黒天様との水入らずの月見酒なのに、僕は風呂から出るつもりありません」

「それなら恵比寿さん、後ろ向いて」


 まさかと思いながらも、恵比寿青年は大慌てで湯船から顔を背ける。

 お湯が大きく波たち、湯船の水がひとり分溢れ出して、小さいおじさんが呆れたように呟く。


「なんという、色気の無い娘だ」

「だって大浴場の女湯は小さいおじさんが付いてくるし、もう全然時間ないし、混浴だろうが何だろうが構わないわ。あっ、私にもお酒ちょうだい」


 恵比寿青年が恐る恐る視線を戻すと、お湯に肩まで浸かりながら、小さいおじさんの乗っかっているお盆を引き寄せて酒を飲もうとしている七海がいる。


「君は本当に、僕をぞんざいに扱う」


 お風呂でドッキリな場面だが、恵比寿青年は七海の行動にため息を漏らす。

 いくら慣れ親しんだ仲でも、男女が同じ風呂に入るなんて、恵比寿天である自分だから理性を保っていられるのだ。

 ずぼらで騙されやすい七海は、警戒心も無さすぎた。

 突然家に押しかけてきた見ず知らずの男の作る食事を平気で食べて、一ヶ月程度で合い鍵を渡し、出会って数日の少女のために九州まで来るくらいの警戒心の無さだ。

 

「恵比寿さんがもの凄い目つきで睨んでいる。私ふたりの邪魔はしないから、どうぞ充分にイチャイチャしてください」


 七海は酒の入ったとっくりとおちょこを湯船の端に置くと、小さいおじさんの乗った盆を恵比寿青年の方向へ押し返す。

 年頃の男女の混浴だというのに、全く色っぽいことはなかった。




 そしてお約束通り。

 翌日、七海は朝五時に起きるつもりが寝過ごしてしまい、恵比寿青年に叩き起こされて空港に連れて行かれ、ギリギリで飛行機に間に合って九州を去る。




 朝八時前に目を覚ました真琴は、枕元に置かれたスマホを開くと従兄からメールが入っていた。

 

「七海 ねーねと大黒天様は千葉に帰ったのね。先に朝食を食べているようにって、今日のモーニングは何だろう」


 独り言を呟きながら、真琴は無意識に自分の首筋に触れる。

 ずっと熱を持って腫れていた喉の痛みは消え、普通に声が出るのが嬉しい。

 真琴は簡単に身支度を調えて食堂に向かうと、空港から戻った来た恵比寿青年とタイミングよく出会った。


「おはよう桂一 にーに。七海 ねーねを空港まで送ってきたのね」

「朝七時の飛行機なのに寝起きが悪くて、叩き起こすのが大変だった。真琴は……、お前はなんて美しい」


 突然従兄に言われた真琴が戸惑っていると、モーニングを食べに食堂前の廊下を通る宿泊客や、客対応に慣れた従業員までも足を止めて真琴の姿に魅入っている。

 弁財天の力を取り戻した真琴は、その美貌に磨きがかかり、全身から神々しいオーラを放っていた。

 

「ありがとう桂一 にーに。私ずっと体調悪かったけど、まぶいを取り戻したら喉も痛くないし体も軽くて、生まれ変わったみたいに気持ちも明るいの」

「真琴の声は、前より透き通って、まるで天界の鈴の音のようだ」

「声を取り戻してくれた七海 ねーねにお礼を言いたかったけど、仕事休めないのね」


 ふたりは並んで食堂に入り、バイキング形式の朝食で恵比寿青年は和食を、真琴はパンケーキを選んぶと、食事をしながら今日の予定を確認する。


「午前中は太宰府天満宮に参拝して、午後二時の飛行機で羽田に戻ろう」

「えっ、どうして羽田なの? 成田じゃないの」

「どうしてって、羽田空港の方が東京中野の家に近いだろ。真琴の声は治ったけど、一応病院で診察をして……」

「そうじゃないよ、桂一 にーに。私は七海 ねーねの所に戻る。あの人を野放しにしちゃダメだよ!!」


 真琴の一言に、食事をしていた恵比寿青年の箸が止まる。

 恵比寿青年の漫然とした不安を、弁財天の真琴も感じ取っていた。


「私、どうして大黒天様がにーにの所に来ないのか分かった。そそっかしくてお人好しすぎる七海 ねーねの力を誰かに悪用されたら大変だから、大黒天様は七海 ねーねを守っているの」

「大黒天様は、天願家にあるはず宝物を探している。それが見つかれば大黒天の力を取り戻し、天願さんの祖母と会うために彼方へと還るだろう」

「七海 ねーねってお人好しすぎて、バツ2で子連れの借金持ち男とかに騙されそうなタイプ。ねぇ、桂一 にーには七海 ねーねをどう思っているの? 一緒に露天風呂に入る仲なんでしょ」


 とつぜん真琴に予想外のことを言われた恵比寿青年は、飲みかけの味噌汁で思いっきりむせる。


「あの時、真琴は起きていたのか!!」

「喉が渇いて目が覚めたの。ちらっと覗いたけど、七海 ねーねは楽しそうにお酒飲んでいたから、ふたりの邪魔しないようにさっさと寝たよ」

「ふたりじゃない、大黒天様もいらしたから三人だ。あれは彼女が勝手に風呂に入ってきただけで、何もなかった」

「桂一 にーにはハンサムでセレブな社長さんで、よく女の人に言い寄られるけど、笑ってごまかして基本無関心だよね。でも七海 ねーねの行動は、いちいち気にして世話を焼いている」

「彼女は大黒天様と一緒にいるから、放って置くわけにはいかないんだ」


 弁財天の力を持つ真琴は、高校生ながら人を見る洞察力に長けていた。

 だから数日行動を共にしただけで、七海の性格を完全に把握している。 


「霊的なモノを簡単に捉えることに出来る七海 ねーねが、怪しいカルト宗教とかに引っかかったら大変だよ」

「すでに天願さんは、健康浄水器と健康サプリメントと健康布団の詐欺に引っかかって多額の借金を抱えている。福の神が側にいても、彼女自身の運は悪すぎる」


 高位の霊能力者は試練のようなやっかい事と遭遇するが、七海はまるで貧乏神に好かれているかのようだ。

 常に微笑みを絶やさない恵比寿青年が困った表情でため息をつく様子に、真琴は決意する。


「桂一 にーににお願いがあるの、飛行機の行き先を成田に変更して」

 

 ***


 駅前ディスカウントストアの仕事を終えた七海は、自転車の荷台に重たいキャリーバックを乗せるとペダルを踏んだ。


「恵比寿さん達、今日はどこを観光したんだろう。せっかく九州まで行ったんだから、修復中の熊本城も見たかった」

「のう娘よ、ワシはお腹が空いたぞ。今夜はコンビニおでんがいいな」

「そういえば真琴ちゃんの喉が治って、恵比寿さんの願いが叶ったから、我が家にご飯を作りに来る必要無いんだ」


 今日から気軽なひとり暮らし(小さいおじさん付き)に戻るだけなのに、自転車のペダルが重く感じた。

 住宅街に入ると、どこから夕食のカレーの匂いがして、七海は少し切なくなる。

 薄暗い夕暮れ、上り坂途中から自転車を押して登ると、家の前に白いハイブリット車が停められているのをみつける。

 玄関の明かりと仏間の雨戸が開け放たれ、家の中に人に気配がする。

 片側しか開かない門をくぐると、玄関前に可愛らしいピンクの電動アシスト自転車が置かれていた。


「大黒天様、おかえりなさい。それと天願さんも」

「七海 ねーね、今日の夕御飯は、私が準備した手巻き寿司だよ」

「なんと、弁財天の作ったご飯とは、楽しみだ!!」

「……どうして恵比寿さん、それに真琴ちゃんまでいるの?」


 七海のポシェットから小さいおじさんが飛び出してゆくのを、七海は玄関前に突っ立ったまま呆然とみている。


「どうしてって、僕は大黒天様に頼まれた福岡土産を届けにきただけです」

「七海 ねーね、私せっかく喉が良くなったのに、空気の悪い東京には住みたくない。だからここに住まわせてください」


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