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小さいおじさんと温泉旅館

 弁財天の声を取り戻した真琴を、恵比寿青年は力一杯抱きしめる。


「本当に良かった、真琴の美しい声が砂浜中に響き渡るのを聞いたよ」

「ありがとう桂一 にーに。私の声が悪くなったのを、一番心配してくれたのがにーにだった。でももう大丈夫、私は自分の歌を見つけたの」

「僕は百日願掛けに失敗して、全然役に立たなかった。真琴のまぶいは大黒天様が探し出してくれたんだね」

「えっ、大黒天様はお腹が空いたって文句言うばかりで何もしてないよ。七海さんが私のまぶいを砂から掘り起こして、無理矢理口の中に突っ込んで飲み込ませたの」


 そういって真琴は笑いながら恵比寿青年を見上げる。

 従妹の久しぶりに聞く、透き通るように澄んだ高い声。

 真琴の進学先を東京の高校に薦めた恵比寿青年は、都会の空気が喉を痛めたと思い責任を感じていた。

 真琴の不調の原因を見つけたのは、大黒天では無くフリーター女子の天願七海で、は『まぶい抜ぎ』という霊障だった。

 それだけでも驚きなのに、天願七海はわずか半日で真琴の抜け落ちたまぶいを探し出す。


「そうか、天願さんが真琴のまぶいを見つけたのか」

  

 恵比寿青年は従妹のつややかな長い黒髪についた砂を払いながら、少し離れた場所に立つ七海に視線を移した。

 ハンカチで涙を拭いている七海に、小さいおじさんが声をかける。


「グフグフッ、娘よ、ワシにもハンカチを貸してくれ」

「肩が濡れて冷たいと思ったら、小さいおじさんの涙なのね。これで涙を拭いて、うわっ、鼻をかんだら私が使えないよ」


 小さいおじさんは、七海から渡されたハンカチで思いっきり鼻をかむ。

 七海と小さいおじさんが騒いでいると、ふと視線を感じ、恵比寿青年がなにかモノ言いたげに見つめている。


「まさか恵比寿さん、小さいおじさんが鼻をかんだハンカチを欲しがっている? このハンカチは洗って返そう」


 すっかり恵比寿青年を小さいおじさんのストーカー認定した七海は、こちらに向かって歩く恵比寿青年から隠すように、小さいおじさんをポシェットの中に入れる。


「真琴から話を聞きました。真琴のまぶいを探したのは、天願さんだったのですね」

「真琴ちゃんの魂の欠片が私たちを呼びよせたの。近くまで来たら魂の歌声も大きくなったから、場所はすぐ分かったわ」

「天願さん、君はとんでもないことを言っている。九州の海岸に落ちた魂の欠片を千葉で霊視して、この海岸から五十キロ先の福岡で魂の欠片の歌を聞いた」

「最初真琴ちゃんは歌が聞こえなかったみたいだけど、小さいおじさんには聞こえていたよ」

「だからそれは人間では無い、神だから聞こえたのです」


 まるで問い詰めるように恵比寿青年に言われて、七海は少し不機嫌になる。

 その時小さいおじさんが、ポシェットのチャックを自分で開けて顔を出した。


「のう恵比寿よ、詳しい話は後でゆっくり聞かせてやる。ワシは腹が減って縮んでしまいそうだ」

「そういえば私も、朝空港でサンドイッチ食べただけで、ものすごくお腹が空いた」

「真琴も天願さんも全身砂まみれで、飲食店に入るのは難しい。宿で着替えてから食事を取りましょう」


 恵比寿青年はスマホを確認しながら、七海のひしゃげたキャリーケースを軽々と片手で持ち上げると、陸の方へ向かって歩き出す。

 砂浜を取り囲む防風林の向こう側に整備された駐車場があり、黒塗りの高級車とワゴン車が停まっている。


「あれ、もしかして砂浜を歩かなくても、防風林沿いに道があったの?」

「どうやらワシらはずいぶんと遠回りして、ここにたどり着いたのだな。前も竜神に惑わされたが、今回もまぶいに惑わされたか」


 小さいおじさんの呟きを聞きながら、七海はよりよろと立ち上がると、その腕を真琴が組む。

 

「七海 ねーね、ありがとう」

「えっ、真琴ちゃん。ねーねってお姉さんの意味だよね」


 七海が聞き返すと、真琴は照れくさそうに頬を赤らめながらこくんと頷いた。

 駐車場に待っていたのは黒塗りの高級車は、恵比寿青年の会社MEGUMIグループの福岡支店が手配したそうだ。

 ここまで案内した支店の社員たちは、MEGUMIグループの次期後継者と噂される若社長と、神がかった超絶美少女の姿になぜか万歳三唱を始める。

 車に案内された真琴と七海は、ブルーシートの敷かれた後部座席に座り、恵比寿青年は助手席に乗った。

 黒塗りの高級車は、海岸道路を抜けて遠くに山々が連なる山道を走る。 


「大黒天様リクエストの温泉旅館を予約しました。緑の美しい山奥の宿で、大黒天様と水いらずで温泉を楽しめるなんて、とても楽しみです」

「せっかくの温泉なら、ワシは恵比寿より、若くて可愛い弁財天と入りたいぞ」

「大黒天様、残念ですが宿に混浴風呂はありません」

「普通の人間にワシの姿は見えないから、女風呂に入っても大丈……ぎゃあ、痛い痛い!!」


 話を聞いていた七海は、小さいおじさんの頭を摘まんで持ち上げる。


「神様のくせに女湯に入りたいなんて、まるでスケベ親父じゃない」

「ワシはお腹が空いても我慢したのだ。ささやかなワガママぐらい許されても良いではないか」

「どこがささやかなワガママよ、絶対に、女湯には入れないから!!」


 後部座席で七海と小さいおじさんは口げんかを始める。

 しかも車を運転する地元支店社員は小さいおじさんの声が聞こえないので、七海が恵比寿青年のことをスケベ親父といっているように聞こえる。

 恵比寿青年は大きく咳払いするとスマホでどこかに連絡を入れ、後部座席に話しかける。


「大黒天様が他の温泉客に迷惑をかけないように、内風呂付き部屋に変更しました。これでゆっくりと温泉につかってください。それから天願さんは大黒天様監視のため、僕らと一緒の部屋です」

「内風呂付きの温泉旅館って凄い……えっ、私と恵比寿さんが同室」

「天願さん落ち着いて、車内であまり大声を出さないで。内風呂付きのファミリー部屋だから、真琴も同室ですよ」


 思いっきり勘違いした七海は、顔を真っ赤にする。

 七海は恵比寿青年に自宅の合い鍵を渡すほど信用しているが、男女の仲っぽいことを考えたことが無かった。 

(そうよ、ストーカー気質の恵比寿さんの毒牙から小さいおじさんを守るために、私がしっかり監視しなくちゃ)



 ***


 車を走らせること一時間、隠れ宿のような温泉旅館に到着する。

 これまで七海が高校のバレー部合宿や大学のスキー合宿で泊まった旅館とは全然違う。

 趣のある洗練された和洋建築の旅館は、中に通されると床は分厚い赤絨毯に年代物の調度品がセンス良く飾られている。

 受付のカウンターに置かれたランプは本物のアールヌーヴォで、ロビーに置かれたソファーは皮の手触りがとんでもなく良い。

 海外セレブとか政治家がお忍びで訪れるような、格式の高い高級旅館。

 男性ひとりと女性ふたりの組み合わせだが、恵比寿青年と真琴は兄妹のように顔が似ているし、七海は真琴のつきそいと思われたのだろう。

 品の良い女将さんに案内され、長い渡り廊下を歩きたどり着いた部屋で、七海は思わず驚きの声をあげる。

 

「ええっ、内風呂があるファミリータイプと思ったら、貴賓室クラスのお部屋じゃない!! ここって一室おいくら万円するの?」


 通された部屋は洋風の応接室で、照明がアンティークなシャンデリア、天板に繊細な百合の花が描かれた八人掛けのダイニングテーブルがある。

 部屋が左右に別れ、右はダブルとセミダブルのベッドが置かれた寝室、左は障子で仕切られた広い和室で床の間に達筆すぎる掛け軸の飾られていた。

 和室の向こう側は山の深い緑、半屋外の露天風呂が設置されて、七海と小さいおじさんは大騒ぎしながら部屋の中を見学して回る。


「おお凄い、源泉掛け流しのお湯に、五,六人ゆったりつかれる大きな岩風呂だ」

「洋室のドアに鍵かかかるから、私こっちの部屋で寝るね。真琴ちゃんはどうする?」

「私も七海 ねーねと同じ部屋がいい。早くお風呂に入りたいから、桂一 にーには一時間くらい外を散歩していて」


 高級旅館に慣れているらしい真琴は、さっさと荷物の整理をして館内着の浴衣に着替えていた。


「それでは大黒天様、ふたりが温泉に入っている間、僕と一緒に食事をしましょう」


 恵比寿青年と一緒に大人しく部屋を出て行こうとする小さいおじさんを、七海は見逃さない。


「ちょっと待って、小さいおじさんが女風呂に逃げたら、恵比寿さんじゃ捕まえられない」

「清らかな大黒天様が、僕の目を盗んで女湯に逃げるなんてありえない。それに天願さんが食事を与えなかったから、大黒天様はとてもお腹を空かしていらっしゃる」

「だって停車駅は無人でキヨスクもないし、小さいおじさんはわたしのお菓子をバクバク食べていたから、それほどお腹すいてないよ」

「ふたりとも、ワシを奪い合って争わないでくれっ」


 小さいおじさんに激甘すぎる恵比寿青年に、真琴が呆れて声をかけた。


「そんなに女湯に入りたいなら、ここは白濁湯だから肩までつかれば体は見えないし、私が大黒天様と一緒に温泉に入ってあげる」

「やったぁ、恵比寿都の食事は無しだ。ワシは弁財天と温泉に入るぞ」


 小躍りして喜ぶ小さいおじさんと、明らかにショックを受ける恵比寿青年。


「大黒天様は、あれほど尽くした僕よりも、真琴を選ぶのですね」

「恵比寿さん、なに血迷ったことを言っているの。一緒に温泉に入るなら、若くてピチピチの可愛い真琴ちゃんを選ぶに決まっているよ」

「ふぉーほっほっ、せっかくだ、娘も一緒に温泉に入っても良いぞ」


 調子に乗った小さいおじさんが、いらぬ一言をいう。


「やっぱりお年頃の真琴ちゃんと、スケベ親父の小さいおじさんは一緒に入っちゃダメ。若い女でいいなら私が一緒に温泉に入ってあげる」

「娘と弁財天では、お肌のハリが違……ああっ、痛い痛い」


 それから恵比寿青年は部屋から追い出され、真琴の後に七海と小さいおじさんが温泉に入ることになったが、熱いお湯が苦手な真琴はわずか五分で湯船から出てしまう。


「ふわぁ、極楽極楽。この温泉に入れただけでも、遠くに来た価値あるわ」

「娘よ、もう少しお湯を薄めて、弁財天も温泉に入ってくれるように誘ってくれないか?」

「源泉掛け流しなのに、お湯を薄めたらもったいないよ」


 七海と小さいおじさんは、それから一時間近く長湯した。

 ふたりが風呂から上がると、ダイニングテーブルの上に食事が用意されている。


「大黒天様、海鮮料理と肉料理、両方用意させて頂きました」

「おおっ、でかしたぞ恵比寿。ワシは海鮮料理がいい」

「では大黒天様は海鮮料理ですね。残りは天願さんどうぞ」

「地元の和牛料理なんて贅沢すぎる。はむっ、小さいおじさん、この薔薇色のお肉とても美味しいよ」


 部屋には板前がひとり、その場で魚をおろしたり肉を炙って料理を出すが、顔色が悪い。

 客は三人だが、料理は四人分。

 手前に置かれた一人分の料理が余って、しかも客達は誰も座っていない席に向かって話しかけている。


「どうぞごゆっくり、お召し上がりください。そ、それでは失礼します」


 料理を終えた板前が青白い顔で貴賓室から出ると、宿の女将が待ち構えて、部屋で見たことは口外しないように言われる。

 その日の夜、板前は遠距離恋愛中の彼女に結婚OKの連絡をもらうが、それはまた別の話。


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