弁財天の魂(マブイ)3
小さな無人駅を出ると車が二,三台停められる小さい広場があり、線路沿いの道と海側へ続く道に分かれる。
海に続く道は左右を防風林に囲まれ、昼間なのに通行人が見当たらない。
七海が小さいおじさんと話をしている間に、真琴は海へと続く道を戦力疾走で駆けてゆく。
「待って、真琴ちゃん。こんな知らない場所ではぐれたら大変」
七海は慌てて重たいキャリーケースを引きずりながら、真琴の後を追う。
海の方向から聞こえるのは、波の音と昭和歌謡風の女性の歌声。
「なんだかテレビのサスペンスドラマに使われそうな、哀愁のある歌声ね。高校生の真琴ちゃんが歌うには大人すぎるかな」
「そんなことない、昭和歌謡アイドルは年齢が若かった。百江ちゃんなんか十五才デビューであの名曲を歌ったぞ」
「へぇ、小さいおじさんは歌も詳しいんだ。真琴ちゃんはヒップホップより昭和歌謡の方が似合いそう」
真琴を追いかけながら、ここまでは七海と小さいおじさんは会話をする余裕があった。
磯の香りが漂い、更に波の音も歌声も大きくなって、海へと続く道がひらける。
目の前に青い海とうろこ雲が広がる秋の空、風が優しくそよぎ白波が砂浜に打ち寄せる。
左右に続く白い砂浜を眺め、歓喜の声をあげようとした七海は、はたと気がつく。
「うっ、白くて綺麗な砂浜だけど……道路がない!!」
「娘よ、右の砂浜に真琴の足跡がついている。早くあれを追いかけるのだ」
「でも重さ二十キロのキャリーケースを引きずって歩かなくちゃいけない」
堅いアスファルトならキャリーケースを引いて運べるが、砂の上では車輪がめり込んでしまう。
「その大きなカバンはここに置いてゆけば良い」
「砂浜って同じ景色で全然目印が無から、キャリーケースを置いた場所が分からなくなる」
「それならカバンを担ぐしかないぞ。娘よ、早くしないと弁財天を見失ってしまう」
昭和歌謡風の女性の歌声は、息づかいが聞こえそうなくらい近くに聞こえた。
全ての原因がこの砂浜の先にある。
声が出ないと泣いていた真琴や、真琴の声を取り戻すために、忙しい仕事の合間を縫って小さいおじさんにご利益ご飯を作っていた恵比寿青年。
七海は意を決してキャリーケースを持ち上げると頭の上にのせ、よろめきながら真琴の足跡を追いかけはじめた。
***
この歌に聞き覚えがある。
「ああ、思い出した。私が小さい頃によく歌った、とても懐かしい歌」
七海の強力な霊能力のおかげで奇跡的に真琴の魂の場所が分かり、ここまでたどりついたが、自分の魂がどんな形をしているのか分からなかった。
「確かに私の魂はここにあるはずなのに、砂浜が広すぎて探せない」
砂浜に転がるピンクの貝殻、それとも打ち上げられた小石、もしかしたら海の底に沈んでいるかもしれない。
同じ場所を何度も歩き回り、真琴は途方に暮れ砂浜にしゃがみ込む。
砂浜の向こうから、キャリーケースを頭の上にのせてこちらに歩いてくる七海の姿が見える。
「ぜぇはぁ、ぜぇはぁ、や、やっと真琴ちゃんに追いついた」
「う、うわぁあーーん、七海さーーんっ。私の魂はどこを探しても見つからないの。もしかしたら海の中に沈んでいるかもしれない」
真琴に抱きつかれた七海は、思わず頭の上にのせていたキャリーケースを放り投げてしまう。
ガコンッと鈍い音がして、キャリーケースは砂の上ではなく、砂に埋もれた大きな岩に当たり角がへこんだ。
「泣かないで真琴ちゃん。私と小さいおじさんと三人で探せば魂は見つかるよ。って小さいおじさん、なにグッタリしているの!!」
「お腹が空いて、力が、出ない。ワシはお供え物がなければ神通力が使えないのだ」
泣きじゃくる真琴と空腹でへろへろの小さいおじさんを抱えて、七海は途方に暮れる。
昭和歌謡風の歌声は、足下から大音量で聞こえるのだ。
「とにかく真琴ちゃんの魂のある場所は特定できたから、地図アプリで印をつけよう。あれ、スマホの充電が切れている、キャリーケースから充電器を出さなくちゃ」
七海は真琴を抱きつかせたまま、白い砂に埋もれた岩の上に落ちたキャリーケースに近づく。
「まだ二回しか使ってないのに派手に壊れちゃった。せめて砂の上に落ちたら良かったのに。あれ、この緑色の岩って人工物?」
岩に触れた七海は全身が総毛立ち、砂を払うと岩の表面に文字が現れる。
ーー見つけた、これだーー
七海は抱きついていた真琴を突き放すと、突然素手で砂を掘り始めた。
「七海さん、急にどうしたの?」
「足元から歌が聞こえたから変だと思ったの。この岩に真琴ちゃんの魂の欠片がある」
盛り上がった砂の中に埋もれた緑の岩は明らかに人工物のモニュメントで、七海はそれを掘り起こそうとしている。
「待って七海さん、キャリーケースに洗面器入れてたでしょ。それで砂を掻き出そう」
それから七海と真琴は、洗面器をシャベル代わりにして砂山を掘る。
全身砂まみれになりながら、二十分かけて砂に埋もれたモニュメントを掘り起こした。
砂の中から現れた緑の大理石は、表面に文字が刻まれている。
『唐津大五郎先生 作詞家生活四十周年 記念碑
-虹とシャム猫のラプソディ- 歌手:大滝マサ江』
「この人は地元出身の作詞家先生なのね。もしかして電車の中で聞こえた昭和歌謡? でも大滝マサ江って歌手は聞いたことないけど」
予想外の重労働に疲れた七海は、砂の上に大の字に寝転ぶ。
その隣で真琴は何度も大理石の表面に触れると、武者震いするように体を震わせた。
「嘘っ、信じられない。『大滝マサ江』って再デビューする前の『大空さくら』の芸名よ」
「えっ、大空さくらって演歌歌手でしょ。若い頃、歌謡曲歌っていたの?」
「大空さくらは十代の頃、アイドル歌手の妹分で売り出したけど挫折して、演歌歌手に転向したの」
「それって今の真琴ちゃんの状況とよく似ている。真琴ちゃんの魂の欠片は、この歌をとても気に入っているのね」
「そういえば私の魂の欠片はどこに……」
真琴が言いかけたところで七海は砂の上から体を起こす。
掘り起こしたモニュメントの周囲は小さな砂山が出来て、その一部が不自然に崩れている。
「私砂を掘るのに夢中になって、真琴ちゃんの魂を砂山に埋めたみたい」
「えっ、魂を砂に埋めちゃったって、七海さんそんなこと出来るの?」
「探しに来た魂を砂に埋めるとは、全く娘には呆れるのぉ」
「真琴ちゃんの魂が、砂山から出てきたところで掴まえる。私、セミ獲りが得意だから大丈夫よ」
七海は唇に指を当てて静かにと合図すると、崩れかけた砂山にそろりと忍び寄り……。
突然海風が強くなり、砂が巻き上がる。
まるで七海を拒むかのように視界がさえぎられるが、七海は眼ではなく気配で不思議なモノを視る。
「さすが真琴ちゃんの魂の欠片はじゃじゃ馬ね。私の貴重な休みを潰して九州まで探しに来たんだから、大人しく掴まってよ!!」
小さな砂の竜巻に囲まれた七海は吹き飛ばされないように足を踏ん張り、その中心に手を突っ込むとツルツルで弾力のある、ゆで卵のような丸い不思議なモノを手の中に捉えた。
これをどうすればいいのか、本能的に理解して体が動く。
「真琴ちゃん、口を開けて、捕まえた魂を飲み込んで!!」
ためらう暇は無い。
七海の砂まみれの魂の欠片を、手のひらで真琴の口の中に押し込むと、吐き出さないように口をふさぐ。
欠けた魂は、再び元の器になじんでゆく。
まるで薄曇りの夕暮れから快晴の朝へ、磨りガラスに覆われた視界が開けるように、真琴の意識が覚醒する。
「もうそろそろ良いかな。真琴ちゃんどんな感じ?」
七海が真琴の塞いだ口を解放すると、真琴は飲み込んだ砂を吐き出しながら、激しく咳き込んだ。
「ゲホゲホッ、ちょっと七海さん、乱暴すぎるよ。塞がれた口の中が砂まみれで、ジャリジャリする」
「真琴ちゃんのしゃがれ声が治っているよ。これが真琴ちゃんの本当の声!!」
七海は不思議そうに真琴を見つめる。
自分と同じ砂まみれなのに、魂を取り戻した真琴の姿は美しく、超絶美少女を通り過ぎて女神そのものだ。
「ねえ歌って、真琴ちゃん」
モニュメントから聞こえる大滝マサ江の歌声にハモるように、真琴は歌い出した。
昭和歌謡風の曲を少し今風にアレンジして、自然に体が動くのかダンスを踊りながら息を切らせず、波の音に負けない声量と抜群の歌唱力で真琴は歌う。
真琴の全身から放たれたオーラは天女の羽衣のように見えて、魂が歓喜で震える。
「凄いよ、小さいおじさん。真琴ちゃんの歌は、私が今まで聞いたどんな歌より素晴らしい」
「弁財天の歌声に圧倒されて、風も波音もやんだぞ。うおおん、ワシの涙腺は決壊した」
七海の肩に乗った小さいおじさんは、真琴の歌声に感動で涙を流し号泣している。
足元の砂にぽたぽたと水のしずくが落ちて、雨でも降ったのかと上を向こうとしたら、七海の頬も涙で濡れている。
だけど服も手も全身砂だらけで、涙をぬぐう事が出来ない。
そんな七海の目の前に、真っ白なハンカチが差し出された。
「これで顔を拭いてください。さすがです天願さん。ついに真琴は弁財天の力を取り戻した」
振り返るとそこには、少し髪が乱れて肩で息をしている恵比寿青年が立っていた。
「恵比寿さん、どうしてここにいるの?」
「昼過ぎの便で福岡に到着して、車で直接ここに向かったのです。ああ、大黒天様も真琴の歌に感動してお泣きになっている」
「それじゃあ恵比寿さんも、真琴ちゃんの魂がここにあるって知っていたのね」
「いいえ、僕は大黒天様にお渡ししたスマホの位置情報から、この場所を知りました。大黒天様の身の安全のため渡したスマホが実際役に立つとは思いませんでした」
さらりと重大発言をする恵比寿青年に、七海の涙はピタリと止まった。
それってつまり、小さいおじさんを連れ歩く七海の行動は、恵比寿青年に監視されているのだ。
「ちょっと待って恵比寿さん、いくら小さいおじさんが大好きだからって、それじゃまるでストーカーだし、私のプライバシーも……」
途中まで言いかけて七海は押し黙る。
歌い終えた真琴は恵比寿青年に駆け寄る。
目の前で長身美青年の恵比寿と超絶美少女真琴がひしと抱き合う姿は、親族の情を超えた愛情、完璧な男女の愛の形に見えた。




