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小さいおじさんの酒盛り

 小さいおじさんの問いかけに、少女は顔を曇らせて左右に首を振る。


「今は喉を壊しているから、アイドルグループのバックダンサーをつとめているけど、ダンスは私より上手な子がいっぱいいるの」

「えっ、アイドルグループって、マコちゃん芸能人と会ったことあるの?」


 七海はミーハー根性丸出しで真琴に聞き返すと、彼女はアニメ主題歌でブレイクしたアイドルグループの妹分メンバーだった。


「真琴は見目が良いから、歌えなくてもルックスで売り出したいと言われたらしい」

「でも私は、歌で勝負したいの!!」


 そう言い切った少女の瞳には、強い意志が感じられる。


「マコちゃんたちは、どんな曲を歌っているの?」

「えっと……ジャンルはヒップホップ」

「ヒップホップって格好いい!! それじゃあ床の上をぐるぐる回るチェアーができるんだ」

「それはブレイクダンス。でも他のメンバーは子供の頃からダンスを習っていて……私だけが場違いみたいな」


 真琴は暗い顔をしながらスマホを操作して、女の子たちが激しい音楽に合わせてダンスを踊る動画を七海に見せた。

 三十人近い大人数の中で、最前列で踊る完璧な美貌の少女が真琴だ。

 

「なんだか青春って感じで素敵。マコちゃんのダンスはちょっと大人しいけど、リズム感があって良いよ」 

「顔で目立っても……意味ない。私は歌をうたいたいの」


 そう言うと真琴は話疲れた様子で押し黙り、壁際に座ってスマホをいじり出す。

 恵比寿青年も仕方ないという表情で、七海に目配せをした。

 

「えっと、私仕事に戻るね。恵比寿さん、注文が決まったらテーブルの上のブザーを押して。っと、店長どうしたんですか?」


 個室を出ようとした七海は、入り口で作務衣姿の居酒屋店長と鉢合わせする。


「お客さん、いらっしゃいませ。七海の彼氏が来ているなら、俺に挨拶をさせてくれよ」

「もう、店長ったら勘違いし、恵比寿さんは彼氏じゃありません」


 がっしりとした体格で頭を短い角刈りにした三十代後半の居酒屋店長は、鋭い視線で恵比寿青年を上から下まで見定めると、笑顔を浮かべた。


「こちらに天願さんが大変お世話になっているようです。僕はこういった者で」

「お人好しの七海が変な男に騙されていないか心配したけど、ちゃんとした人のようで安心した」


 恵比寿青年がスーツの胸ポケットから名刺を取り出して店長に渡すと、受け取った名刺の肩書きを見てくぐもった声を上げた。

 

「僕も料理が趣味で、天願さんからこちらの料理は地域一番だと自慢されていたので、是非一度こちらの料理を食べてみたいと思っていました」


 恵比寿青年は相手に警戒心を持たせない、見事なアルカイックスマイルを浮かべながら居酒屋店長に話しかける。

 それから数種類の料理を注文すると、居酒屋店長は夢見心地のようにふわふわしながら厨房に入っていった。


「あの頑固な店長をいっぱつでメロメロにするなんて、恵比寿さん凄いな」

にーにに笑いかけられたら、誰でも惚れちゃうよ」

「恵比寿天の加護を持つ僕の笑顔を見て、眉をしかめたのは天願さんぐらいだよ」


 七海は美形のダメ親父を見慣れているので、イケメンの笑顔は逆に警戒心を抱くのだ。




 その後、個室を出た七海をバイト女子大生が待ちかねていた。


「ねぇ七海さん、超かっこいい彼氏とどこで知り合ったの?」

「恵比寿さんは毎日家にご飯を作りに来るだけで、私の彼氏じゃないよ」

「今店長が、七海さんの彼氏は有名な会社の社長さんだって話してました。七海さん、将来玉の輿じゃないですか!!」


 昨日まで彼氏の話をマシンガントークしていたバイト女子大生が、恵比寿青年のことを根掘り葉堀り聞いてきた。

 恵比寿青年が貢いでいるのは小さいおじさんだが、普通の人間に小さいおじさんは見えないので、必然的に七海の家に恵比寿青年が通っているように思われる。



 ***



 恵比寿青年のアルカイックスマイルに魅入られた居酒屋店長は、注文の料理を自分で個室に運んできた。

 ふっくらと柔らかそうな金目鯛の白身に、白ワインとサフランで煮込まれた黄金色のスープがかぐわしい香りを放つブイヤベース。

 和風居酒屋とは思えない料理に、恵比寿青年は思わず口元をほころばせる。


「これは美味しい、金目鯛の旨味たっぷりのスープですね」

「全然魚臭くなくて、お魚も野菜も柔らかく煮込まれて美味しい」

「料理に使うサフランは近所のハーブ園から分けてもらっているので、薫りがとても上品です。社長さん、食事と一緒に酒はどうですか」


 居酒屋店長は料理を褒められて気をよくした様子で、メニューを開きながら酒の説明すると、小さいおじさんが突然目の色を輝かせてメニューの上にはりついた。


「恵比寿よ、どの酒が美味しいかのぉ? ワシは普段娘のバイトの付き添いだから、酒は飲めんのだ」

「大黒天様、僕は真琴を迎えるために車で来たので、酒は飲みません」

「決めたぞ、ワシは特撰吟醸と書かれたこの酒が飲みたい!!」


 小さいおじさんは打ち出の小槌を振り回しながら、弾んだ声で恵比寿青年におねだりをする。 

 恵比寿青年が小さいおじさんに逆らえるはずもなく、メニュー上段に載っている高そうな酒を指さした。

 

「こちらは色々と珍しい酒を扱っているのですね。それでは寒梅をもらいましょう。僕は車で来ているので酒は飲めませんが、店長さん一杯どうですか」

「寒梅を選ぶとは、さすが恵比寿社長、お目が高い」

「それと、グラスは三つお願いします」


 すっかり恵比寿社長呼びになっていた店長は、一人分多いグラスに首をかしげるが下手な詮索はしない。


「ところで恵比寿社長は、七海と何処で知り合ったんですか?」

「僕は天願さんの御祖母の知人(小さいおじさん)の紹介で、彼女と出会いました。とても立派な御祖母だったそうですね」

「天願の婆さんは少し不思議な人で、若い頃は女優みたいに美人で地元でも評判でしたよ。七海もそこそこ美人だけど性格がおっちょこちょいで騙されやすくて、宝の持ち腐れですね」


 七海は店でも色々とやらかしているらしく、店長の言葉に恵比寿青年は「よく分かります」と答えた。

 恵比寿青年が店長と話している間に、乾杯を待ちきれない小さいおじさんはグラスの中に頭を突っ込んで酒を飲み始める。

 すると神の口にした酒の芳醇な香りが個室からあふれ出て、居酒屋店内中に漂いだし、酔っ払った小さいおじさんは打ち出の小槌を振り回しながら踊り始める。

 さらに酒の匂いは強くなると、薫りに釣られた常連客が、ひとりふたりと個室をのぞき込んだ。


「この部屋から、すげえ酒の良い薫りのするぞ」

「七海ちゃんの彼氏が挨拶に来たって? おおっ、俳優みたいにかっこいい兄ちゃんだな」


 赤ら顔の常連客に声をかけられた恵比寿青年が微笑むと、常連客たちはさらに顔を赤くする。


「よし、今日は祝杯を挙げるぞぉ。出張の土産に買った泡盛を飲んでくれ!!」

「俺は山梨にブドウ狩りに行ったついでに手に入れたワインがあるぞ」

「今日取引先からウォッカを貰ったよ。珍しい酒だから、これで乾杯しよう!!」


 これも大黒天のご利益なのか、差し入れの泡盛やらワインやら、様々な種類のアルコールが運ばれてくる。


「恵比寿よ、今日は無礼講だ。全部の酒を飲みまくるぞぉ!!」

「いいえ、僕は真琴を迎えに来ただけなので水で……うっ、ゲホゲホッ。大黒天様、僕のグラスの水と酒を入れ替えましたね!!」

「恵比寿よ、ワシの酒が、ヒック、飲めないというのかぁ?」

「それじゃあ、恵比寿社長の未来を祝して、かんぱぁーーい!!」


 大黒天の酒精の影響を受けた店長と常連客は、ハイテンションで盛り上がる。



 

 座敷の団体客の料理を片付けた七海が時計を見ると、午後十時を回っていた。

 すると個室から困り顔で真琴が出てくる。

 

「どうしよう七海さん。桂一 にーにと大黒天様が、酔っ払って寝ちゃった」

「えっ、恵比寿さんったら車で来てるのにお酒を飲んだの? 店長も顔真っ赤で、何やっているんですか!!」

「酔わせれば本性が出るかと思ったが、こいつは本当にいい男だ。ハハハッ、きっと七海を幸せにしてくれるぞ」


 酔っ払って顔を真っ赤にした居酒屋店長は少し涙ぐみながら七海の肩を叩いたけど、全然嬉しくない。


「だから私と恵比寿さんは、そういう関係じゃないよ」

 

 テーブルの上につっぷした恵比寿青年と、空瓶を抱きしめたまま寝転んでいる小さいおじさん。

 空の寒梅の一升瓶に、アルコール四十度の泡盛とウォッカ、大量のビール瓶がテーブルの上に転がっている。


「起きてよ恵比寿さん。マコちゃんを迎えに来たのに、自分が酔いつぶれてどうするの」


 七海は乱暴に恵比寿青年の肩を揺するが、酔い潰れた恵比寿青年はうめき声を上げるだけだ。


「酔ったら車の運転できないし。マコちゃん、タクシーを呼ぼうか?」

「でもここから東京中野の家まで、とても遠いよ。タクシー代金いくらぐらいするかな」

「東京中野って、恵比寿さんは毎日そんな遠くから、小さいおじさんに会うために通っているの?」


 思わず大声を出してしまった七海に、居酒屋店長は怪訝そうな顔をした。


「これから中野まで帰らなくても、車は店の駐車場に停めておくから、七海の家に恵比寿社長と妹さんを泊めればいいじゃないか」

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