小さいおじさんの打出の小槌
竜神はまばゆい虹色のウロコに三本のカギ爪、体長は男性の背丈ほどあった。
小さな竜神の時は感じられなかった、背筋に這い上がるような冷たい霊気をまとっている。
「小さいおじさんの福袋の中でミニ神たちが合体して、こんなに大きくなったの? この竜がもし暴れたら、私の手には負えないよ」
「大丈夫ですよ天願さん。用意した樽酒はマス百杯分。これだけ酒量があれば竜神様も満足して、暴れるようなことはないしょう」
樽酒に巻き付いた竜神のご機嫌な様子を見て、もうスカートめくりなんて悪さはしないだろうと七海は思った。
「恵比寿よ、旧暦の一日と十五日に竜神に供物を供えれば、さらなる繁栄がもたらされる。それに受付カウンターの前に祭壇をもうけるのは良いアイデアだ。常に美女の受付嬢が近くに居れば、竜神も大人しくこの場所にとどまるだろう」
「小さいおじさん、旧暦の一日十五日って何があるの?」
「天願さん、旧暦の一日十五日は新月と満月です」
「あっ、満月の夜にお財布を振れば金運に恵まれるって噂、知っている」
片手で財布を振る仕草をする能天気な七海に、恵比寿青年は苦笑いを浮かべる。
「聖霊を素手でわし掴みできる霊力がありながら、おまじない程度の知識しか無いとは、君は本当に変わった人だ」
竜神を招く祭事が終わると、周囲で様子をうかがっていたMEGUMI社員がひとりふたりと竜神の樽酒に近づき、オブジェとして飾った酒マスにお賽銭を投げ、両手を合わせて拝みはじめた。
その様子を眺めていた七海のそばで、スマホを手にした恵比寿青年がうわずった声で話かける。
「大黒天様、竜神と関わりがある香港系貿易商社から、新たな商談交渉の連絡が入りました。これはビックプロジェクトになりそうです」
「ほう、さっそく竜神のご利益が発動したか。ところで恵比寿よ、もう昼一時過ぎで、ワシはとてもお腹が空いた」
「そうよ、小さいおじさん。お昼は浅草でエビフライ食べる予定だったね。恵比寿さん忙しそうだしお使いは済んだから、私たちここでお暇します」
仕事のスケジュールが分刻みで組まれている恵比寿青年が、午前中の予定を全て潰して、七海(本当は小さいおじさん)の指示に従い竜神のまつりごとを行ったのだ。
若社長のスケジュールを管理する社長秘書の女性が、背後から七海に無言の圧力をかける。
その社長秘書の彼女もこっそりお賽銭を投げていたので、仕事の邪魔はしたけど悪いことだとは思わない。
「せっかく大黒天様にご足労頂いたのに、何もお持てなしできず申し訳ありません。せめてこれで、美味しいものを買ってきてください」
恵比寿青年はとても名残惜しそうに小さいおじさんを見つめながら、Gifuto Tikextutoと書かれた封筒を七海に渡す。
「この商品券を使って、デパ地下で夕飯の材料を買えばいいのね」
「天願さん、帰りは迷わないように浅草まで地下鉄を利用してください」
そして恵比寿青年は社長秘書にせき立てられて何度も小さいおじさんを振り返りながら、建物の中へ消えてゆく。
この時ロビーにいたMEGUMI社員はもちろん小さいおじさんの姿は見えないので、若社長が彼女との別れを渋っているように見えた。
「あの子、社長にこびへつらう女子社員より、全然好感度高いぞ」
「あの祭壇は、社長の彼女が作らせたそうだ」
「広場を綺麗に掃除したり、着飾らない清楚な雰囲気の彼女だったな」
七海が建物から出ると、厳つい顔の警備員が「ありがとうございました」と頭を下げる。
本人のあずかり知らぬところで、七海は恵比寿青年の彼女認定されていた。
***
浅草駅前の洋食店。七海は生ビールのジョッキ片手に乾杯をする。
「ぷふぁーっ。炎天下で働いた後の生ビール、旨いっ」
「娘よ、エビフライをつまみに電気ブランで一杯、最高だな」
テーブルの上に大きなエビフライが立てられてお皿に盛られた、スカイツリーエビフライセットが運ばれてきた。
続いてハーフサイズの赤ワインボトルが目の前に置かれたのを見て、七海は顔色を変える。
「どうしよう、小さいおじさん。私ひとりしかいないのに、うっかり二人分お酒頼んじゃった」
「娘よ、酒を残してはいかんぞ。ヒック、神の口にした御神酒を飲めば、たちまち商売繁盛出世開運子孫繁栄五穀豊穣じゃ」
「ええっ、商売繁盛も出世開運もフリーターの私にはあまり関係ないし。それに独り身で天涯孤独の私に子孫繁栄って無い無い。あっ、このエビフライ美味しい」
七海と小さいおじさんの酒盛りは、女子がひとりで昼間からビール片手にグダをまいているようにしか見えない。
ほろ酔い加減の七海はそんな周囲の目も気にせず、大きな口を開けてエビフライをかじった。
「久しぶりにこんな大きなエビフライ食べる。はむっ、衣がサクサクで、エビの身も大きくてプリプリの食感で食べ応えがある。なんだか昭和の懐かしい味」
「昭和の味って、娘は確か平成生まれのはずだが? ふむぅ、この薫りは揚げ油にラードが加わって、衣に風味があるのだ」
「美味しいランチが食べられない恵比寿さんはかわいそう。まぁあの人は社長さんだから、洋食のエビフライより高級伊勢エビを食べ慣れているかも」
七海は一時間かけてスカイツリーエビフライセットと、生ビール中ジョッキ一杯と食前酒のブランディ小グラス一杯、赤ワインハーフボトルを飲み干して食事を終えた。
浅草という観光地なので、昼間から少し酔っ払っても許されそうな気がする。
「そういえば恵比寿さんから貰った商品券は、東京でしか使えないヤツだ。次はいつ東京に来るか分からないから、ここで全部買い物しちゃおう」
駅前のデパ地下に入った七海は、エスカレーター正面の精肉店の前で足が止まる。
コンビニや地元のスーパーではあまりお目にかかれない、眩いほどの肉の赤色と脂身の白のコントラストが美しい高級国産牛が並んでいた。
しかも店頭にはBBQグリルが設置され、大きな肉の塊がぐるぐる回り、周囲に香ばしく濃厚な肉の香りを漂わせる。
「娘よ、とても美味しそうなローストビーフだ」
「小さいおじさん、山盛りにした肉の上に半熟卵をのせたローストビーフ丼美味しいよね。でも私は、国産和牛ステーキをレアで焼いて、わさび醤油で頂きたい」
普段はお高すぎて手は出ないが、今七海は恵比寿青年から預かった商品券があり、そして酒に酔って判断力が鈍っていた。
「すみませーん、このA5和牛サーロイン2枚下さい」
商品券を全部使って和牛ステーキを買った七海の酔いが醒めて正気に戻ったのは、地元駅に到着してからだ。
「もしかしてこの商品券、何を買ったのか恵比寿さんに報告する必要がある?」
「それはもちろん、人から貰ったモノだから報告する必要があるぞ。ワシはローストビーフが食べたかったのに、娘はステーキ肉を買ったと恵比寿に報告しよう」
「恵比寿さんが興味あるのは小さいおじさんだし、私が食べたいモノ買ったら怒るかもしれない。こうなったら、恵比寿さんが夕食作りに来る前に証拠隠滅よ!!」
「娘よ、早まるな。お前の料理の腕で高級和牛ステーキを焼いて、素材を駄目にしたら目も当てられないぞ」
「大丈夫よ、小さいおじさん。今はスマホでググれば、料理方法を全部教えてくれる」
七海の能天気な返事に、小さいおじさんは不安を隠せない。
「大黒天であるワシをこれほど悩ませるとは、さすがというか、規格外の娘だ」
家に帰ってきた七海は、さっそくステーキの調理方法をスマホで検索する。
「小さいおじさん、秘技実伝ー失敗知らず、自宅で簡単にできる調理方法ーだって。あれ、材料の牛脂って、天ぷら油で代用してもイイよね」
「娘よ、無理しないで恵比寿が来るまで待とう」
「他のサイトを調べてみるよ。フランベで一手間かけてステーキがさらに美味しくなる。これ面白そう」
「素人がフランベはやめろ、家が火事になるぞ!!」
「小さいおじさん、とめないで。私どうしてもステーキを焼きたいの。えっと、常温に戻したステーキ肉をハンマーで叩く」
七海は小さいおじさんが止める声も聞かず、台所の引き出しから肉たたきハンマーを取り出す。
あんずさん愛用のハンマーで、よくストレス解消に肉を叩いていた。
七海が振り上げたハンマーを見て、小さいおじさんの目の色が変わり、ステーキ肉の乗ったまな板の上に飛び降りる。
「うわっ、危ないよ小さいおじさん。間違ってハンマーで叩くところだった」
「娘よ、それを見せてくれ。おおっ、このハンマーは大黒天の宝物、打ち出の小槌だ!!」
ステーキの上でピョンピョン跳び上げる小さいおじさんに、肉叩きハンマーを渡し、それに手が触れた瞬間。
小さいおじさんの体が七色に輝き、桜色の赤い頬に肉がついて丸顔になり、普通のおじさん体型だった手足にもっちりと贅肉がいてお腹が少し飛び出した。
最初ガリガリに痩せていた小さいおじさんは、普通のサラリーマン体型になり、そして太った不動産屋社長体型に変化した。
「おおっ、ワシの失われた霊力が蘇る……再びこの体に宿り始めた」
「いきなりメタボ体型になって、小さいおじさん、急に太りすぎじゃない?」
「ワシは太ったのではない、福をこの体に蓄えているのだ。どうだ娘、神としての貫禄が出てきただろう」
「でも急激な肥満は体に悪いよ。今日の夕飯はステーキやめて、シシャモと味噌汁にしよう」
「えーっ、せっかくワシが力を取り戻したというのに、娘は祝ってくれないのか? この打ち出の小槌は隠れ笠・隠れ蓑と同等のありがたい宝物で、打出の小槌を振れば願うモノが出現するぞ」
しかし七海は打出の小槌をふりふりする小さいおじさんを無視して、ステーキ肉を冷蔵庫に片付けようとした。
すると突然、玄関の扉が開く音と廊下をかける足音がして、台所に息を切らした恵比寿青年が現れる。
「大黒天様、そのお姿は……ああっ、変化の瞬間を拝めなかった」
「あれ、恵比寿さん。どうして家に来ているの、仕事はどうしたの?」
「大黒天様と別れた後、僕はやたらと胸騒ぎがして、いても経ってもいられず無事家に帰ったのか確認に来ました。すると天から光の柱がこの家に降りて、大黒天様の霊気が外まで溢れ出ていたのです」




