七海と小さな竜神2
恵比寿青年はスキップを踏みそうな足取りで小さいおじさんと七海を建物へ案内すると、ロビーの受付嬢が深々と頭を下げ、恵比寿青年は軽く片手を挙げて目配せをする。
建物の中は全面鏡張りの壁とリゾートホテルを思わせる大量の観葉植物が生い茂り、ロビーのソファーで休憩していたMEGUMI社員は、若社長の姿を見ると慌てて席を立つ。
恵比寿青年は七海と小さいおじさんをそこへ案内した。
「大黒天様、この暑い中お疲れさまです。今すぐ飲み物を準備させましょう」
「小さいおじさんはずっと私の背負われているから、全然疲れてないよ。相変わらす恵比寿さんは小さいおじさんしか見てないのね」
やっと休憩できると喜んだ七海はどっかりとソファーに座り、体をひねって背中のリュックを恵比寿青年の方に向けた。
「恵比寿さん、私今手が塞がっているから、リュックの中にある書類を出してください」
「天願さん、わざわざ届けに来てくれてありがとう。封筒の中に書類があるのをすっかり失念して、会社中探しまわっていたんだ」
「私こそ色々愚痴ったけど、封筒に書かれた説明のおかげで借金地獄から抜け出せたから、これは恩返しのつもり。でも恵比寿さんに小さいおじさんは渡さないよ」
七海の返事に恵比寿青年は苦笑いすると、ソファーに腰掛けた七海に覆い被さるように、リュックから書類を取り出そうとした。
それは端から見ると、彼女に後ろから抱きつくバカップルに見える。
「し、失礼します恵比寿社長。お飲み物をお持ちしました」
「わざわざありがとう。大黒天様、アイスコーヒー冷たい紅茶、どちらが良いですか?」
「ワシは朝コーヒーを飲んだから、あいすてぃーが良い。ガムシュロは四個だ」
「それなら私はアイスコーヒーブラック……あれっ、飲み物が二つしか運ばれていないけど?」
ソファーに座るのは、七海と小さいおじさんと恵比寿青年。
だけど普通の人に小さいおじさんの姿は見えないので、飲み物は二人分しかない。
恵比寿青年はいそいそとガムシュロを開けてアイスティをかき混ぜ、七海の目の前に置く。
それが飲み物を運んできた社員には、若社長が七海のために飲み物を用意しているように見えた。
「恵比寿社長が、千葉の彼女の家に通い詰めているって噂があったけど、アレがその彼女か?」
「いやぁ、若社長があんな垢抜けない地味な女とつきあっているなんて、信じられない!!」
「顔は朝ドラの女優みたいに可愛いけど、見た感じまだ学生だよな」
小さいおじさんにベタ惚れの恵比寿青年と、暑さと疲れでバテバテの七海は、社賃たちに激しく誤解されているのに全く気づかなかった。
***
両手でミニ竜を掴んだままの七海は、行儀悪くグラスに顔を近づけストローでコーヒーを飲み干す。
「ふぅ、生き返る。暑い中歩いてきたから、アイスコーヒーが冷たくて美味しい」
「恵比寿よ、このあいすてぃーは風味があって、紅茶の渋みが無くとても喉ごしが良い」
「大黒天様に喜んでいただけるなんて光栄です。これは僕のお気に入りのドイツ製紅茶です」
でも小さいおじさんのアイスティはグラスの底にガムシュロが沈殿していて、あんなに甘くして味が分かるのかと七海は思った。
「お待たせしました、恵比寿社長。言われた通り、ウイスキーを買ってきました」
すると七海の背後からドスのきいた声が聞こえ、思わず後ろを振り返ると、黒スーツの女性秘書が全身ずぶ濡れで立っていた。
恵比寿青年が窓のブラインドを開けると、さっきまで快晴だったのに、外はゲリラ豪雨に襲われていた。
「朝テレビで今日の天気は一日快晴って言ってたのに、天気予報が外れた?」
「娘よ、これは竜神の怒りだ。仲間を連れ去られた竜神が怒り狂い、雨雲を生み出ている」
「大黒天様のおっしゃる通り、ウェザーニュースの雨雲レーダーでは、この辺に雨雲は表示されません」
次の瞬間、窓の外に白い稲光がひかり、続いて不気味な雷の音が鳴り響く。
「もし娘が外に出たら、竜神たちは娘を狙って雷を落とすかもしれない」
「ひえっ、このゲリラ豪雨って私のせいなの? だってミニ竜はこの建物の中に入りたがっていたよ。恵比寿さん、どうして建物の周囲にミニ竜が住み着いているの」
七海がそう言うと、握り締めていたミニ竜が答えるようにパタパタ後ろのしっぽを左右に振る。
恵比寿青年はミニ竜に顔を近づけると、マジマジと観察する。
しかし周囲の人々にミニ竜は見えないので、若社長が彼女の胸元を凝視しているようにしか見えなかった。
「この建物を覆い尽くす巨大な樹木は、高さ1メートルの植栽でした。それが半年前、突然竜神が現れて建物の周囲に住み着くと、瞬く間に植栽がビルも覆うほどに成長したのです」
「どこからか現れた? そうじゃない、ミニ竜はこの地の呼ばれたって言っている」
「恵比寿にも分かると思うが、これは大陸の竜神だ」
「大黒天様のおっしゃる通りです。建物の三階から七階は香港系貿易商社のテナントになる予定で、竜神はその企業と契約をした頃に姿を現しました」
「それなら他のミニ竜も建物の中に入れてあげれば良いじゃない。竜がこの建物の中に入れないのは、恵比寿さんが何かしているんでしょ」
七海が公園と思ったのは建物の植栽で、その中をさんざん迷ってこの建物にたどり着いた。
人を迷わせるなんて技ができるのは、神人の恵比寿青年しかいない。
「実は……竜神は女性を狙って突風を起こすので、僕は竜が建物の中に入らないように結界を張りました」
恵比寿青年が言いにくそうに口ごもり、それを見て七海は理解した。
「女性を狙う突風って、もしかしてスカートめくり? 竜神なのにすることは小学生男子と一緒ね!!」
「竜神の名誉のために言うが、女子の驚く様子を面白がってイタズラしたと思う。それからこの細長い銀色の建物は、竜神は昇りたがる形をしている」
恵比寿青年は困った様子で答えると、小さいおじさんはぴょんとソファーから飛び降りてロビーの中を歩き出す。
「恵比寿よ、この鏡張りの壁は竜神の霊気を跳ね返すし、偽物の観葉植物も良くない。龍神が居心地良く過ごせる空間にする必要がある」
「しかし大黒天様、竜神は一匹ではありません。建物の周囲に居る八匹の竜が中で暴れたら、大変なことになります」
「竜神を大人しくさせるなんて簡単なこと、たらふく酒を飲ませて酔い潰せばいい。試しにコンビニで買わせた酒を飲ませてみろ」
小さいおじさんの指示に従い、恵比寿青年はウイスキーの蓋を開け、七海が飲み終えたアイスコーヒーのグラスに注ぐ。
するとミニ竜はアルコールの香りに反応して、銀色のウロコを逆立てると激しくのたうつ。
「娘よ、竜神を捕まえた手を離せ。この御神酒なら小さき竜神も満足するだろう」
「ミニ竜が頭からウイスキーの中に突っ込んだ。うわっ、すごい飲みっぷり」
貪るようにウイスキーを飲んでいた竜神のウロコが、銀色から赤に染まる。
それは竜神を見ることができない普通の人間にも、不思議な現象としてあらわれた。
ウイスキーの中の氷が不自然に転がり、生ぬるい吐息が混ざったようなアルコールの香りがロビー中にに漂う。
「お酒を飲んで満足したみたい、ミニ竜は酔いつぶれて寝ちゃった?」
七海は尻尾を引っ張ってグラスの中から出すと、ミニ竜は七海の腕にブレスレットのように巻き付いて、大人しく動かなくなった。




