七海と怪しい浄水器業者
そして二日後。
今日は居酒屋バイトは無いので自宅に直帰できる。
夏も後半、日没が早くなり帰り道はずいぶんと薄暗くなった。
自販機で買った缶コーヒーを抱えて涼みながら、小さいおじさんは七海に話しかける。
「娘よ、今日の夕飯は何だと思う? 最近脂っこい洋食が続いたから、はさっぱりしたものが食べたいのぉ」
「脂っこいモノ……。そういえば私この時期に体調を崩すけど、今年は全然夏バテしなかった。もしかして恵比寿さんの料理を食べてスタミナがついたかも」
坂を上りきって家の前に来ると、普段は銀色のハイブリット車がある場所に薄汚れた白の軽トラが停まっていた。
そして玄関前に立っている作業着の小太り男性を見た七海は、気まずそうな顔をする。
「七海さん、こんばんは。浄水器のフィルター交換に来ました」
「こ、こんばんは、純星素水サービスさん。すみません、今は浄水器を使ってないのでフィルター交換は必要ありません」
「七海さんは確か、先月も先々月もフィルター交換をさぼっている。それに使用していない浄水器はきちんとメンテナンスをしないと壊れるぞ!!」
七海に断られた作業服の男はいきなり語尾が荒くなり、浄水器のメンテナンスをするから家にあがらせろと言う。
「今お金が無くて、フィルター交換もメンテナンスも払えません」
「手持ちの金が無くても、フィルター代もメンテナンス料金はクレジット払いで受け付ける」
すると七海と作業服の男のやりとりを聞いていた小さいおじさんが、ポケットの中から出てくると七海の指を引っ張った。
「いたたっ、ちょっと小さいおじさん、こんな時にイタズラはやめて」
「娘よ、早くこの男から離れろ。其奴から貧乏神の気配を感じる」
「まさか貧乏神って、そんなの家に入れたら大変。小さいおじさんの神通力とかでなんとかならない?」
「無理を言うでない。ワシは箸より重たいモノは持ち上げられない非力な神だ」
「なにひとりでブツブツ呟いて薄気味悪い。早く俺を家の中に入れろ」
家の前で十分近く押し問答している間に、周囲はすっかり暗くなっていた。
いらついた作業服の男が七海に詰め寄ると、突然まぶしすぎるライトに照らされる。
正面から光を浴びた男は目つぶし状態になり、七海は目を細めながら背後をふり返ると、家の正面に停まった銀色のハイブリット車がヘッドライトのハイビームをこちらに向けていた。
「こんばんは天願さん。道が渋滞して、来るのが遅くなってしまった」
「ちょうどいいところに来たわ、恵比寿さん。一昨日話した浄水器の業者さんが、フィルター交換に来てるの」
買い物袋を下げて車からおりてきた長身の男を見て、浄水器業者は七海から離れる。
「今月はフィルター交換するお金が無いと断わっているのに、業者さん帰ってくれないの」
「あの邪魔な浄水器の業者ならちょうどいい。僕も聞きたいことがあるから、どうぞ家の中に入ってください」
「ちょっと待って恵比寿さん。なに勝手なこと言っているの!!」
七海が焦っていると恵比寿青年はあのアルカイックスマイルを浮かべながら、早く玄関を開けてくれと言う。
浄水器業者はこのチャンスを逃すまいと恵比寿青年にヘコヘコと頭を下げながら、家の中に入ってきた。
台所に通された浄水器業者の背中をながめながら、七海は大きなため息をつく。
フィルター交換代だけで毎月一万円、とてもじゃないが今の七海はこの浄水器を使い続けられない。
こうなったら勝手に浄水器業者を家の中に入れた恵比寿青年に責任を取ってもらおうと考えていると、彼がとんでもないことを言い出した。
「この浄水器だけど、冷蔵庫の横にあって邪魔だから、移動させるか撤去して欲しい」
「恵比寿さん、なに勝手なことをいっているの!! 撤去って浄水器を処分するつもり?」
七海は五十万円もする浄水器をカードローンで購入して、毎月その支払いに苦労しているのに、それを恵比寿青年は撤去したいと言ったのだ。
恵比寿青年の発言に、浄水器業者も慌てて説得する。
「純星素水浄水器を撤去するなんてとんでもない。これは汚染された水道水を綺麗な純星素水によみがえらせる素晴らしい浄水器です。それに特殊な浄水器なので、撤去するには専門業者三人の人手が必要です」
「どうして女性ひとり暮らしの家に、設置に専門業者三人も必要とする大がかりな業務用浄水器があるのかな?」
「この地域の汚染された水道水は、パワーのある業務用浄水器で浄化しなくてはならない。そして我が社が開発した特殊なフィルターは、水道水の中に含まれた毒素を取り除き純星素水にするのです」
「おかしいな、この浄水器は日本製じゃない。イギリス製だ。しかも製造メーカーの商品カタログだと、フィルターは四ヶ月交換になっている」
そう言って恵比寿青年が鞄の中から出したのは、七海が渡した浄水器の説明書では無く、英語で書かれた浄水器のカタログ。
黄色い付箋の貼られたページを開くと、浄水器業者が持っているフィルターと全く同じフィルターが載っている。
「天願さん、このカタログにはフィルター価格は50ドル、四ヶ月交換と書かれている」
「50ドルって……約五千円? でも同じフィルターがひと月交換で一万円っておかしいよ」
「それに僕はこの家で何度も料理を作ったけど、水の味がおかしいと感じたことは無い。水道水が汚染されているというのなら調べてもらおう。ただしオモチャみたいな水質検査ではなく、役所に連絡して徹底検査を頼む」
話を聞いていた浄水器業者は顔色を変え、慌てて七海の方を向き直り早口で謝りだした。
「七海様、申し訳ありません。自分は上司の指示でフィルター交換をしただけです。お詫びに次回のフィルター交換は無料で行わせていただきます」
「えっ、フィルターが無料になるなら、浄水器を使い続けてもいいじゃない」
能天気な返事をした七海に、恵比寿青年は額に手を当てて呆れたように天を仰ぐ。
「天願さん、君はまだよく分かっていないみたいだ。毎月フィルター交換をさせられて、一年で十万円以上余計に代金を払わされたのに、まだ詐欺まがいの浄水器を使い続けるのか?」
恵比寿青年に言われても、七海は判断に困る。
浄水器はすでに購入済みだし、四ヶ月に一回のフィルター交換代金ならなんとかなりそうだ。
「娘よ、恵比寿のいう通りだ。この浄水器業者を、損切りするのだ」
「でもまだ浄水器代金のローンも払い終わってないよ。それに小さいおじさん、損切りってなに?」
「天願さん、大黒天様はこの浄水器を手放せと言っているのです」
「ええっ、ちょっと待って。浄水器五十万円にフィルター交換十回で十万円、今まで六十万円もつぎ込んでいるのに手放すなんて出来ないよ」
七海がうろたえている間に、浄水器業者は忍び足で台所から出て行こうとすると、目の前で扉が自動ドアのようにピシャリと閉まる。
驚いて扉の前で尻もちをつく男の頭の上に、小さいおじさんがぴょこんと乗っかっている。
「天願さん、君はお人好し過ぎるぞ!! 君は祖母あんずさんの病を治すために、奇跡を信じて純星素水浄水器を購入したはずだ。しかしこれは只の業務用浄水器で、毒素を取り除く効果なんて無い」
それに、と話を続けながら恵比寿青年は浄水器業者に向き直る。
「あなたは上司の指示と言ったが、会社HPに顔写真が掲載されていますよ。社長が作業服姿でフィルター交換するなんて、よっぽど人手不足ですね」
恵比寿青年は手に持ったスマホをタップすると、髪の毛をオールバックに固め金ボタンのダブルのスーツを着た、作業服の男とそっくりな顔をした社長の姿が写っていた。
ここまで説得されて、七海はやっと自分が騙されていたと気づいたのだ。
「浄水器業者さん、フィルター代のサービスなんて必要ありません。この邪魔な浄水器を引き取ってください」
「ああ、僕からも一言。浄水器社長さん、水道水に毒素が含まれていると書かれた、純星素水の詐欺まがいの資料は僕の手元にある。これを役所の公衆衛生課と消費者センターに持ち込んでもいいが、浄水器をそちらが買い取ってくれるなら資料はお返ししよう」