願掛け御飯
恵比寿青年のハイブリット車の前に、古雑誌の束が無造作に置かれていた。
「恵比寿さんの車なら古雑誌をたくさん運べるでしょ。帰りながらリサイクルセンターまで持って行って、と小さいおじさんが言いました」
「大黒天様がそんなこと言うわけないだろ。君は僕の車を資源回収車扱いするのか?」
アルカイックスマイルを消して真顔で睨む恵比寿青年に、七海は満面の笑みを返す。
「我が家に出入りしたかったら、大掃除の手伝いもお願いします。か弱い女子ひとりの力仕事は大変で、男手が欲しかったの」
「へぇ、どこにか弱い女子がいるのか教えて欲しいね」
嫌みを言われても、七海はひるまない。
すると恵比寿青年は諦めたように大きなため息をついて、車の後部トランクを開ける。
見た目以上に広いトランクに七海は喜びながら、せっせと古雑誌の束を詰め込んだ。
「リサイクルセンターは国道を左に折れて、二つ目の信号を右……四つ目の信号だったかな?」
「君の説明は面倒だから、地図アプリで探して行くよ。それなら僕も頼みがある、天願さんの帰宅時間を知りたいからアドレスを交換しよう」
(ちょっと待って。アドレス交換するなんて、超絶イケメンにナンパされているみたい。)
七海は思わず相手を見上げるが、全然甘い雰囲気は無くつまらなそうな顔をしている。
「私はまだ貴方を信用していないよ。明日は夜居酒屋バイトが入っているし、小さいおじさんも連れて行くから晩御飯はいらないわ」
「明日は朝五時半に朝食を作りに来るから、合図をしたら玄関の鍵を開けてくれ」
「えっ、明日も来るの、しかも朝五時半っ!! 朝は忙しいから、私が適当にご飯を作って小さいおじさんに食べさせます」
うんざり顔の七海を、恵比寿青年は真顔で見返す。
「僕は大黒天様のために、毎日朝食と夕食を作りに来る」
「ちょっと待って、私はダブルワークで深夜十二時半に帰宅、寝るのはだいたい深夜一時半。そもそも女性ひとり暮らしの家に朝五時半に押しかけるなんて、非常識だと思わないの?」
言い返された恵比寿青年は不思議そうな顔をする。
「これは願掛けのお百度参りのようなものだ。大黒天様をお招きしたい僕の願いを叶えるために、身を削って仕えてこそ奇跡がもたらされる」
「小さいおじさんは我が家の居候だし、貴方の都合より私の都合が最優先よ。朝七時に玄関を開ける、それでいいでしょ」
「僕も会社に出かけなくてはならないから、朝七時では遅い。それなら朝六時に訪問する」
「朝六時なんて早すぎる、まだラジオ体操も始まっていないよ」
そして二人の激しい駆け引きが続いたが、恵比寿青年のスマホから何度も呼び出し音が聞こえてくると、彼は譲歩して朝六時四十分に玄関を開けることになった。
「天願さん、僕は段取りよく料理をしたいから、台所をきれいに片付けてください。足下に酒瓶が転がっているなんて、女性が住んでいるとは思えない」
「あれは酒瓶じゃなくて、みりん瓶です!!」
七海の言い訳など聞かず、恵比寿青年は古雑誌を詰め込んだハイブリット車に乗り込むと、猛スピードで走り去った。
これから毎日、朝食と夕食を作りに恵比寿青年が来るのだ。
七海は重たい足どりで家に戻ると、食事を終えた小さいおじさんは座布団の上で寝転がっていた。
「ワシの食事は済んだから、残りは娘が食べて片付けるがよい。今日からゲームの新イベントが始まるから、早くスマホを貸してくれ」
「小さいおじさんは気楽でいいわね。明日から恵比寿さんが毎日来るってことは、寝転がりながら服を着替えたり、朝食食べながらテレビの芸能ニュースを見ることが出来なくなる。ああっ面倒くさいっ」
七海は冷めた鰻丼をむしゃむしゃ食べながら、先ほどの揉め事を思い出して大きなため息をつく。
「娘は恵比寿を見て、なんとも思わないのか? あれほどの美形は珍しい、恵比寿と目を合わせば老若男女がアイツの虜になるぞ」
「恵比寿さん、顔はものすごく良いよ。でも私のダメ親父も顔は良くてフェロモン出まくりの色男だから、男は顔じゃないというか、美形見ても時めかないのよね」
ジゴロで女癖の悪い父親を持つ七海は、見目麗しい恵比寿青年に対して憧れの感情を持たなかった。
***
宣言通り、朝から恵比寿青年は小さいおじさんの朝食を作りに来た。
仏間のちゃぶ台の上に真っ白なテーブルクロスが掛けられて、恵比寿青年が持参した高級洋食器が並べられる。
生ハムと野菜のマリネサラダと白身魚のムニエル・バジルソース添え、冷たいヴィシソワーズと焼きたてクロワッサン。
朝食を作る時間が限られているので、恵比寿青年は下ごしらえを済ませた状態で料理を持ちこんだ。
「大黒天様のために朝四時起きでクロワッサンを焼きました。生ハムを薄く削いで脂身の少ない柔らかそうな部分を切り分けましょう」
恵比寿青年の持ち込んだエスプレッソメーカーから、豆からひいた香ばしいコーヒーの香りが漂う。
レストランのモーニングでも、ここまで凝らないだろう。
「嬉しいのぉ、朝から豪華メニューだ。それじゃあワシは冷たいスープをいただこう」
戸惑い顔の七海にかまわず、恵比寿青年は喜色満面の良い笑顔で小さいおじさんの料理を給仕する。
小さいおじさんは、縁に金の文様が入ったお皿にそそがれた真っ白なスープを、スプーンですくって飲むと満足そうにうなずいた。
「さすがは恵比寿。このヴィシソワーズ、ジャガイモの冷たいスープは口当たりがとてもなめらかで、スープが喉の奥にスルリと落ちてゆく。娘の作るインスタント粉末を溶かすスープとは全然違う」
「それは小さいおじさんが、粉末スープをしっかり混ぜないから塊が残るの。それにヴィシソワーズなんて、庶民の朝食には出てこないよ。」
「大黒天様に喜んで頂けて、僕も料理の作りがいがあります。この白身魚のムニエルもどうぞ、全て骨を取り除いてるので安心して食べられます」
小さいおじさんの美味しそうな食事を眺めていたいけど、七海も仕事に行く準備をしなくてはならない。
それは恵比寿青年も同じで、何度も壁の時計を確認した後、名残惜しそうに立ち上がった。
「僕はこれから仕事に行って参ります。大黒天様も一緒に連れて行ければ、千客万来・商売繁盛なのに」
「恵比寿さん、急がないとお仕事に遅刻しますよ」
立ち去りがたい恵比寿青年を七海は茶化すが、彼は見事な作り笑いを浮かべながら答える。
「天願さん、台所のテーブルの上に郵便物の山やレトルト食品があって、料理を置けません。明日までにテーブルの上を片付けてください」
「今日は深夜まで居酒屋バイトがあるから、帰ってから掃除なんて無理。うわっ、私も時間が無い!!」
この時七海は気づかなかった。
七海と恵比寿青年以外、普通の人には小さいおじさんの姿が見えないという事を。
しばらくするとハイブランドスーツで身を固めたイケメンセレブ青年が、ひとり暮らしのフリーター女子の家に通っていると、ご近所で噂になった。