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神恋  作者: 有栖川美羽
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旅立ちの姫君

静寂が辺りを包み、七分咲き程度まで開花した桜の樹を月明かりが照らしつけている。

美しく、心地よいはずの空気が、森を駆ける少女にはひどく冷たく感じられる。

樹の香り、葉擦れの音、柔らかな風……五感が感じ取るものはどれも暖かく胸に落ちるのだが、十五年間の人生で研ぎ澄まされた第六感が、郷そのものを覆うような負の感情を鋭く察知し、足を早めるよう命じている。それに応えるように少女は歩みを進め、広大な敷地を誇る日本家屋を視界の片隅に収めた。

神司家の__城。

そう呼ばれる建物が近づいて来た。

生まれてからずっと、暮らしてきた故郷が。否、故郷と呼ぶには少し狭すぎるであろう建物が。少女にとっては冷たい監獄にすら思える我が家が……

そこから漂う感情を感じ取った彼女__神司真無美は、急かされるかのように足袋を履いた足を再び、森の中へと滑らせた。纏った袴の裾が走るのには邪魔になるが、気にしている暇は無かった。



風が襖を揺らす。淡い光が廊下から溢れてきた。

「遅いな」

低く、冷たい声が響く。初老の男だ。威厳と自信に胸を張る、一族の長の声。

「ええ……9時と、指定されたのは真無美様のはずですのに……」

穏やかな、年若い男の声が続く。見かけの割に落ち着いた雰囲気の男は先程の男の付き人だろうか。

「ああ……アレは、そういう女だからな」

クッ、と喉元で笑いながら、皮肉を込め呟く声は初老の男のものだ。

「失礼します。遅れて申し訳ありません」

女が入って来た。部屋の空気は酷く冷たく、肌寒い位になった。

しかし、それと同時に甘美な空気も溢れている。何も知らない者がこの場に来れば、縁談でもしているかのように見えるだろう。

それほどまでに、美しく妖艶な少女と青年。そして、多少の老いを感じさせながらもかつての美しさが見てとれ、今尚年相応の美しさを纏う男が集まっているのだ。

美しく甘美ながらも、冷たい……異様な光景だった。

「私は、ここを出ます。先日、一般高校への編入手続をしてきました」

少女が、初めに口を開いた。高校生という年齢からは想像もつかないほどに落ち着いた声音で。

「やはり……そうでしたか。私はいつ真無美様がそう仰るかと思っておりましたよ……隆大様も、そうでしょう?」

青年は、ゆっくりと感情の読めない口調で答えた。口元こそ微笑の形を作ってはいるものの、目は冷たい。美しい仮面を纏いながらも、その内面に隠れる感情を露わにさせることはなく、人を観察することと、己を封じ込めることに長けた、優秀な男だった。

「ああ……わかってはいた。だがな、真無美。よく聞け。お前は、一族で一番の力を持つ者だ。そして、俺が死ねば……当主となる者でもある。そんなお前がここを出るなど、許されるわけなかろう」

隆大と呼ばれた男は目前に佇む美しく可憐な少女を威圧するかのように言葉を紡いだ。一つひとつの言葉がひどく重く感じられる。

「貴方がたが……何と言おうと、私はここを出ます。それに……先程隆大様が言われたように、私は一族で一番の力があります。隆大様や、雪人さん……いいえ、たとえ一族の者全員が私を止めようとしても、無駄です」

真無美は、早口にまくしたてるように呟く。鋭い目つきから、彼女の決意が見て取れた。

「生意気な事を言うことになったものだな……それでもだ。俺達一族は、お前が産まれたときから許婚を選び、お前の将来を考えてきたんだ。それを今更、裏切ると言うのか?」

挑発するような、試すような……そして、嘲笑するかのような声音で隆大は問いかけた。

「裏切るだなんて……そんなつもりは一切ありません。隆大様にはお世話になりましたし、雪人さんには幼い頃より相手をして頂いた恩があります。しかし、私はこの一族の方針が嫌なのです。私の両親もそうでした……そして、そのせいで亡くなった。私は、許婚など無しに、普通の少女のように暮らしたいだけです。そのほうがいずれ、一族全体に対しても良いものとなるでしょう」

隆大も雪人も、驚いた。

彼らを圧倒する気迫がそこにはあった。

それは、正しく……次に一族を担う者の纏う雰囲気。

誰もが見惚れ、憧れ、恐れ、そして……どんなに求めようとも決して届くはずのない者。


月明かりが、照らしつけた。

まるで、彼女の旅立ちを祝福するかのように……。

「それでは」

窓からの月光に浮かぶ微笑は、美しいながらに冷酷だ。

「またお逢いする日まで……失礼します」

音も無く、襖は閉まった。

部屋に残された二人は、ただ、ただ呆然と襖を眺めていた……先刻まで確かにそこに居た、誰もが圧倒される雰囲気を纏う少女の気配を探すかのように。

「よろしかったのですか?」

雪人が、口を開く。

「ああ……今は。な……しばらくは泳がせておいて、いずれは、連れ戻す」

不気味な程に美しい弧を描いた口元でフッ、と笑いながら隆大は答える。美しい顔が、徐々に歪んでいく。

「相変わらず……悪趣味な方ですね」

「それは褒め言葉か?雪人」

主に対する恐れも無しに皮肉を呟く雪人に隆大も負けじと返す。

「いえ……そう捉えていただけたのなら、それでよろしいかと」

「それより、お前はよかったのか?アレに惚れていたんだろ?」

諦めることなく皮肉を放つ世話役に、主は最大級の爆弾を投下させた。

問われた付き人は、答えることもなく美しい顔を片側に引きつらせていた。


微妙な位置から部屋に明かりを注いでいた月が傾き、部屋が再び闇に包まれる。

そこに先程までの凍てついた空気は存在しなかったが、一族の頂点に立つ者の胸の内には次代を担う少女を連れ戻す為の策略が、たてられはじめていた。


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