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魅力の世界と衝動

作者: 洛煉

 道路に面したワンルームマンションの6階の一室。ベランダに面したガラス戸に寄りかかりながら、私は青く澄み切った空を見ていた。休日の昼下がりの出来事。

 マフラーを改造したバイクが爆音を立てながら、下の道路を走り去っていく。完全に過ぎ去って行ったと同時に、私の腹がぐぅーと音を立てた。

 そういえば今日は、朝から何も食べてない。

 「・・・ご飯を作ろうかな」

 おもむろに私は立ち上がり、台所へ向かう。流し台の下の戸を開けるとカップ麺があった。お腹の足しになれば良いや・・・と思いカップ麺を作る。はっきり言って、これを作ることさえ面倒くさい。お腹なんて減らなければいいのに、なんて思ったりする。

 「はぁ・・・」

 溜め息だけが、口から零れる。やかんでお湯を作るので暫く沸騰するまで、時間がかかる。それまでソファーに座り、無造作につけたテレビを見ることにした。

 テレビの音は、ただのBGM。私は、内容なんて聞いていない。

 私は時計を見た。丁度、2時を指したあたりで、平日の今頃なら現地を回っている頃だろうか・・・営業の仕事をしていた。

 「こんにちは。お忙しい所、すみません。私は・・・」

 無意識に出た言葉は、いつもの基本営業トーク。私は、今の仕事に悩んでいた。何もかも上手くいかない。自分なりに考えて工夫してみた。でも、駄目だった。じゃあ、これならどうだ。でも・・・・

 上司や先輩はただ「頑張れ」と言う。優しい先輩たち。時には怒られることもあったが、正論なので何も言い返せない。でも、ただ正論を突き付けられるので、心が痛かった。出来ない自分を責めた。やらない自分に鞭を打った。でも、成果は上がらない。そのうちすべてが虚無に感じられるようになった。



 平日の朝、私は7時に目を覚ます。いつものようにシャワーを浴びて、スーツに着替え、食事を済まし、化粧をする。家を出て15分程度の道のりを歩き9時には出勤する。会社に着くと、上司・先輩・同僚と一人一人に大きな声で明るく元気に朝の挨拶をする。それが終わったら、出勤簿に印鑑を押して、適当な人を見つけて営業トークなどロールプレイングをする。

 11時になると朝礼。一人一人、営業部全員の前で前日の成績を言う。そして、上司の話と続き、最後は係別に朝礼をする。それが終わると地図を渡され営業準備と昼飯だ。1時過ぎには、会社を車で出て、2時に現地到着。打ち合わせをして、いざ出陣。夕方5時ごろに中間報告をしに車に戻り、休憩をした後、また夜8時まで必死で地図を回る。

 夜8時過ぎた頃、くたくたになって車に戻る。それから終了報告をして、会社に帰る。会社に帰りつくと、もう夜10時を回っていることもしばしばある。それから、地図などを直したりして、夕礼と明日の準備をし、深夜0時を時計が指す頃にやっとマンションに帰り着く。帰る途中のコンビニで買った弁当をつついて、そのままベットにバタンと沈む。一日の終了だ。平日はこれの繰り返し。

 今日のように休みの日は、部屋の掃除と1週間たまった洗濯物を洗う。洗濯機を回している間に1週間分の食事を買出しに行く。それで大体、一日終わってしまう。そんな毎日。

 

 

 今頃は、毎日が朦朧としていて、自分が何を考えているのかがよくわからなくなっていた。ほんの小さなことでも感情が溢れた。ドラマを見て泣いて、小説を読んでは泣いて、最後にはニュースを見て泣いた。もう何が悲しくて、涙しているのかわからなかった。笑うことはどんなことだったのか忘れた。

 「疲れた」

 何に? そう尋ねられてもわからない。ただ疲れた。今、理由を聞かれても自分でもよくわかっていないので「わからない」としか答えることは出来ない。自分が何を話しているのかさえ、よくわからなくなってきていたから・・・

 なぜ自分がここにいるのか? と思った。何もかもつまらない事に思えた。



 上司の言葉が頭を過ぎった。

 「お前たちは、ゴールが見えていない! 目の先の成績はどうでもいい、気にすることではない。ただ、ゴールを見ていれば、おのずと結果はついて来る」

 本当に? 私は、上司の言葉を信じてゴールを目指した。私のゴールとは、「毎日きちっと取れる営業マン」である。しかし上司には、「そのつもりだった」としか見えなかったに違いない。

 中々成績の上がらない私に、上司は怒った。

 「ゴールが見えていないだろう! 成績を見ればわかる」

 やはり、成績ではないか・・・と、その時は思った。上司は言った。

 「意識が足りない。下手な鉄砲でも数を打てば当たる。意識で行動は変わる」

 私はその日から必死に、会社に報いろうと現地を走り回った。少なくても会社がこなせと言われた最低ラインの倍はこなしてやろうと思った。しかし結果は、訪問件数が増えた程度しか変わらなかった。

 「取れませんでした」

 「だったら、先輩の技を盗め。そしたら取れるようになる」と、上司は言った。しかし先輩は「私たちのを丸々盗んでも取れないよ。貴方らしくしなきゃ」と言った。

 私らしいってなんだろう? 一晩考えた。私の取り柄って何? 真面目で一直線で、責任感が強い所? 色々考えた。そして、現地でそれを実践してみた。

 結果は・・・「今日も0件です」と先輩・上司に報告した。



 「なぜ、私は取れないんでしょうか?」

 先輩にすがる思いで聞いてみた。

 「貴方のトークは、不自然なんだよ。自然に回覧板をお隣に渡しにいく感じで言えばいいんだよ」

 そう教えられた。基本営業トークは憶えていた。それを自然に言うとは? 回覧板をお隣に渡しに行く感じって・・・私は、しているつもりなんだけどな・・・と思っていても先輩が私のロールプレイングを見て言っているのだから、不自然なのだろう。

 ある男性の先輩には、同行しているときに「すべてがなっていない」と言われた。ショックだった。たくさん、本当にたくさん練習したのに、すべてを否定された感じだった。

 一人で現地を回っているときは、何度も泣きそうになった。酷い断られ方が続くと嫌でも涙が溢れる。つらいとき、悲しいとき、そういうとき私は、空を見る。どんな空でも良いのだ。上さえ見ていれば、涙は零れないから。営業の現地で泣くわけには行かない。目を腫らし、必死の形相で、訪問した暁には変な人が来たと通報されてしまう。

 どんなに精神状態がボロボロでも、最低訪問件数をこなさないと車に帰れない。先輩に報告出来ない。

 そのうち訪問するのが義務的に感じられるようになった。「どうせ断られえる」「絶対断られる」「怖い」「怒られる」「辛い」「悔しい」。

 先輩には「頑張れ! 今日は絶対取れる」と言われる。苦痛で仕方なかった。その言葉の裏返し、「必ず取って来い」と言われているような気がした。営業時間が終わり車にとぼとぼ帰る。電灯もちらほらしかない真っ暗な道路。重い溜め息。車に帰りたくない。先輩に「今日0件でした」なんて言えない。会社に帰りたくない。怖い、どうしようだけが、頭の半分を占める。

 「嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ」

 車に乗って報告をする。会社に帰って夕礼をする。

 「今日は0件です」

 「なんで取れなかったの?」

 優しい口調で主任は問う。私は、決まりきった言い訳を言う。いつものことだ。そういうしかないのだ。決められた言い分を「自分の意識不足です」「自分が笑えなかったから」自分の・・・自分の・・・自分のすべてを否定する。それでも主任はいつものように尋問を続ける。

 「何が出来なかったの?」「なせ?」「どうして?」と。

 私は言う。「すべて私が悪いのです」と。

 そして・・・

 最後に言う言葉は・・・「必ず明日は取ってきます」。



 ある休日、私は布団を干していた。布団が落ちそうになり、私は咄嗟にベランダの手すりから体を乗り出した。下には、二車線の道路があった。ふっと魔が差した。


 このまま、落ちてしまえば楽になれるだろうか?


 リアルに自分が落ちていく様子が目に浮かんだ。とても下の世界が魅力的な世界に見えた。私は、ここから逃げ出せる、と。もう苦しまなくていいんだよ、と言われている気がした。信じられない位の喜びさえ感じた。



 私はここにいる。私は、しばらくしてその会社を辞めた。尤もらしい嘘をついて。言い訳はしたくなかった。「これはすべて自分の所為だ」と言った。

 ・・・いや、違う。これは私のプライドが許さなかったから建前で言ったのだ。無駄にプライドが私は高い。私が会社を辞めることを告げに行った時、先輩たちに正論で責められ、引き止められた。正論で引き止められたら、何も言い返せない。もうこれ以上自分が傷つきたくなかったから、私は尤もらしい言い訳をして、嘘をついて「これはすべて自分の所為だ」と言った。

 本当は、「先輩たちの優しさが重圧だった」「ノルマがないなんて嘘だ。すべてがノルマなのだからノルマではないのだ」「会社だから仕方ないとはいえ、成績を求められるのが苦痛だった」と言いたかった。確かに、私の忍耐と努力が足りなかったと言えば、そうだろう。でも、私は私が可愛かった。自分に甘チャンで、これ以上自分が傷つきたくなかったから逃げ出した。


 上司に「辞める」ということを宣告しに行った日の会話はこんな感じだったと思われる。朦朧としていたのではっきりとした記憶はないが、上司に「これからの人生も逃げ続けるのか?」と聞かれた。私は、上司を見つめたまま「はい」と答えた。

 上司は「このまま我慢して続けるのと、飛び降りて死ぬのとどっちがいい?」と聞かれたので、私は迷わず「今なら飛び降りて死ねます」と答えた。現にそんな気持ちだった素直に言ったまでだ。上司はきっぱり「じゃあ、死ね」と言った。私はこの言葉に「はい」と答えた。あまり考えてなかったのは事実で、上司が「死ね」と言ったので、ここは素直にこの会社(ビルの8階にある)の外に出て飛び降りたっていいと思ったからそう答えたに過ぎない。飛び降りることに対して怖いなどと一片も思わなかった。それどころか、「それもそうだな」と思った。


 上司に大きく溜め息を吐かれたあと「書類を書いて、退社しろ」と言われたので、私は退社の手続きの書類を書き、会社を辞めた。


 会社を辞めた後、私はワンルームマンションを引き払い、自宅に帰ってきた。今はあのとき程の自殺願望はないが、虚無感は変わらない。まだ、何もしたくないと思っている。親は、「早く再就職しろ」と急かす。

 でも確実に、会社を辞めてからも焦燥感だけが募っていくのを感じている。私は、これでいいのか? と常に問われている気がする。

 「早く再就職しろ!」

 という親の言葉が、「早く家にお金を入れろ。ただのプーでいるつもりか? 何を考えているんだ、こいつは!」と言われている気がする。


 どうしよう・・・どうしよう・・・・それだけで、行動に移せない。割り切れない。他人とおしゃべりなんてしたくない。無理やりなら明るく振舞える。でも、怖い。怖い。怖い。働くのが怖い・・・他人が怖い・・・


私はずっと叫び続けている。

・・・・・助けて・・・・・

と。




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― 新着の感想 ―
[一言] 辛すぎる・・・ こういう経験が自分にもあるが、どうしようもない心理だと思う。
[一言] まだ、生きていますよね…? どうか生きていて… 頑張っているのに「頑張れ」は辛いですね。 「頑張り屋だよね」 そう言われるのが自分の存在価値だと思っていませんか? でも、自分のためだけに頑…
2008/09/14 06:39 真宵 永良
[一言] ミクシーかた来た世界遺産腐乱脳でございます。・・・ノンフィクションですか、やはり現実は辛いですね(苦笑)
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