伯爵家の末っ子のワガママに巻き込まれるまで、後少し
なーろっぱの娼館のお話なので、広い心でお願いします。
今日は夫の親族のお嬢様達と、親睦を兼ねたお茶会だった。
「皆さんとても可愛らしくて、お腹の子が女の子ならあんな風になるのかしら、なんて」
夫婦の馴れ初めを聞かせてほしいと言われて、「恥ずかしいから、秘密です」なんて誤魔化したけれど、話せる訳がない。
第一、夫の相手が何故私になったのか、今でも分からない。
(本当に、どうしてこうなったのかしら)
また、出会った日までの事を考えてみた。
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中々に私の人生は波乱万丈だと思う。
準男爵の家に長子として生を受け、良い御縁に巡り会えるようにと令嬢教育を受けた。
家庭教師は余り笑わない女性で、厳しくはあったが理不尽な叱られ方はされなかった。
勉強は嫌いでは無いが、正直どこまで役に立つのやらと思っていた。
「済まない。売られてくれ」
確かに家族であった筈の父親から、花街の店に売り飛ばされるまでは。
どうやら不渡りを出して、家財のみならず屋敷を売り出しても、不足分にまだ足りないらしく。
準男爵家の令嬢という看板を背負ったままなら、補って尚余る金額にはなると、周りに助けを求める間もなく店に放り込まれた。
父親だったはずの男が爵位を無くしてしまう前にと、随分慌ただしく店に出された記憶がある。
質の悪くない店だったお陰で、怪我を負うような扱いをされなかったのは、かなりの幸運だったと今なら思う。
当時は十代も半ばを過ぎた頃だった。成人を迎えたばかりで、まだ酒の匂いにも酔いを覚えてしまう有様で、先輩の言い回しや忠告を必死に頭に叩き込む日々だった。
身体を使う事にも慣れた頃、ふと、令嬢教育というものを思い出して、その時の上客に詩歌を諳んじてみせた。
それが受けて、一時は店の三番目まで売り上げが伸びた。そうすれば必然、自分にも小遣いを貰ったりだとかの恩恵が。
成程、教育というものは確かに役に立つものであったのだ。こんな店に来て無垢な少女だった頃の疑問が解けるとは、何とも皮肉な事だ。
自分を買い戻す為の金額は途方もないけれど、それでも少しずつ貯金を増やしていけたのは、教育を受けた恩恵であるのだろう。
店には、生まれ持った美貌と、すぐに過ぎる若さだけで売れる娘もいる。けれど、長く稼ぐにはそれだけでは足りないし、そんな娘達は数年過ぎると、別の店に更に売り下げられていった。
私ももう、十代の若さなんて持っていない。先輩に頼み込んでまで教えてもらった手管と、二十四歳を過ぎたこの身体。詰め込んだ教育と知識と経験が、今持てる全てである。
今夜は、長く店で見かける騎士様が、同僚の方々だろうか、十人に足りない位の人数を連れて来られた。
常連の騎士様は中隊長殿だと、指名の女達は鼻が高そうにしていた。部下達も一緒にと約束があったそうだから、彼等も騎士様なのだろう。
そう考えてみて見れば確かに、共に来た皆様は私服でも分かる素晴らしい身体つきで、店の女達もついつい目で追ってしまっている。
店内からは見えない控えの部屋だが、逆に店内はしっかり見えるので、やれ黒髪の男が渋くて良いだの、金髪の若者が美形だの好き勝手に品定めをしている。
確かに騎士様達は鑑賞に耐えるが、買って貰えなければそれだけだ。
人数は揃えてある店なのに、常連の指名した二人の女以外は、騎士様の席に声すら掛けてもらえない。
酌の手伝いにでも呼んでもらえれば、まだ切っ掛けを作る事も出来るのに。
暫くして交代の時間になり、通路から店に入った途端、売り出してやっと半年経つ娘に声を掛けられた。
「姐さん、やっちゃったの。紺の席のダンナ、怒らせちゃったぁ」
この店では、別の席の客同士の視線を遮ると同時に、席を見分けやすくする為、色別の布で区切っている。
紺の席に座る今夜の客は若い娘が好物で、長くても半年で次の娘へと変える。他の店でも同じ様にしている事で、この店の男手達が時々横の繋がりから噂を仕入れてくる。
目の前にいる娘にも飽きてきて機嫌が悪くなり、八つ当たりをされたのだろう。
「怒らせちゃったじゃなくて、機嫌の取り方か、話の反らし方でも身につけておきなさいよ。最悪飲み潰し方でも良いわ。でなきゃ、格下の店に下げ渡されるわよ。」
こんな会話も、新しい娘が来る度にしている気がする。自分だって過去に姐さん達にされたのだ。
格下の店に下げ渡される時には、更に借金か身請け金が足される仕組みで、底なし沼の様に抜けられなくなる。
「そんな事言わないので、お願い!少しの時間だけ代わってよ」
この娘はあの客が、女は二十歳を過ぎたら年増だと怒るのを知らないらしい。私が行っても悪化するのは分かっているが、常連に変わりなく、放ってもおけない。
思わず苦笑いが浮かぶが、念の為、店の男手に声をかけておくようにヒラヒラと手で合図して、紺の席に向かった。
「旦那さん、久し振りに私にもお酌をさせて下さいな。お声も聞かせてくれなくて、もうずうっと私を見てくれないのだもの、妬いちゃうわ」
喜んで貰えないと分かっているのに媚を売るのは、正直堪えるが仕方ない。
機嫌を持ち直してくれる奇跡を願いながら、痛々しくならない程度に若い娘ぶって、笑顔を振り撒く。
私がこの客に指名されていたのは、もう五年以上昔だ。私も古株になりつつある等と考えたのがいけないのか、派手に酒を掛けられてしまった。
「お客様、困ります。女達は当店の財産ですので、無体をなさるなら今夜はお引き取りを」
間を置かず一階を取り仕切る副店長が現れて、怒れる客を数人で囲んで退店させにかかった。
男手を頼んで正解だったが、これでは私に客もつかないだろう。
周りの席に、騒がせたお詫びの声をかけつつ頭を下げて、裏に下がろうと歩き出した。
久々に腹が立ち、意地でも笑顔はやめてやらない、と歩きながら思った。
控えに続く通路の側に、先程若い娘の話題に登っていた騎士の青年が立ち止まっていて、こちらの騒ぎを見ていたのに気付いた。
ばっちり視線が合ってしまい、少々の気不味さに笑顔が苦笑いに変わってしまった。
青年も内心どうあれ、同じ様に苦笑いをして、更に声もかけてきた。
「お姉さん、災難でしたね。折角の美人が勿体ないや。ハンカチでもと思ったんだけど、生憎、こっちに使っちゃって」
そんな事を言いながら片手を見せてくる。
成程、指にハンカチらしき布が巻いてあるし、こんな酒濡れの女にも優しくしてくれる気持ちはあるようだ。
先程の客の態度に、若さが無くて何が悪いのかと悔しく思ったこともあり、つい立ち止まって言葉を返してしまった。
「あら、勿体ないなんて酷いわ。瑞々しさが増して、女振りがあがったでしょう?」
(どうせこの青年も、年上と見てとれる私を買ってはくれないし)
側を通ろうと近くに来ていたのをいい事に、そんな投げ遣りな気分で、濡れて浮き出た身体の線を見やすいように、片足を少し内側に引いて胸を張ってみる。
すると、青年の視線が身体を舐めていくのを見て、おや、と期待にも満たないが悪くない感情が湧いた。
しっかり見てくれる相手がいるみたいだし、私はまだやっていけると思った時、青年の声と口調が変わった。
「そうだね。……とっても魅力的だと思うよ」
私を店の店員としてではなく、欲を覚える女だとはっきり示す、低くなった、声。
更に向こうから距離を詰めてきて、両手をとられた。持ち上げる力はあまり込められていないので、加減は知っていそうだ。
爽やかそうな青年の皮を脱いだ男は、少し頭を下げて、顔を近付ける。
(キラキラした金髪じゃあ無かったのね。少し茶色味があるし、金茶色っていうのかしら)
近付いたのを良いことに、造形と表情を気取られない早さで観察する。瞳は緑か?明るさが足りなくて、そこまではっきりしない。
こっちが素なのか、浮かんでいる楽しそうな表情に何故か、懐いている犬でも見ている気分になった。
この男は当たりだと勘が告げた気がして、自分の笑顔が切り替わる。
「あら。私、貴方より少しお姉さんだと思うけれど、良いのかしら?」
若い娘でなくていいのか、念の為に少し挑発して様子見。
可愛げなんて、歳若さと一緒にとっくに無くなった。
「ちっとも。」
返答の第一声で、捕まえたのを確信したが、続く内容に、妙な納得感が湧いた。
「爪を割っちゃって、痛いんだよ。頭を洗ってくれる?それから、背中も」
成程、甘えたいらしい。犬かと過ったのはこれが理由か。
この男、家族に可愛がってくれる兄か姉でもいるんじゃないだろうか。甘える事に抵抗が無いらしく、照れや躊躇も全く見えない。
男の中には、格好がつかないと思うのか、甘え下手も中々に多いのだ。騎士様なんて男所帯なら尚の事。
布を持ってきてくれた副店長に、「良い部屋は残ってる?」なんて聞きながら、しっかりとした重さを感じさせる財布を取り出して見せる。
「今からですと、三階の大きな浴槽付きのお部屋が整って御座います。直にお湯をお使いに?」
金の匂いに、副店長は高額な部屋をここぞと勧める。
男は勧められるまま部屋を決めると、当然の顔をして、指名料込みの部屋代、しかも丸一日の居続けと色を付けての支払いをした。
酒を飲み交わしてもいないのに、夜明けまでどころか一日中の居続けだなんて、流石の副店長も笑顔に困惑が混ざっている。
常連の騎士様のお連れで、前金一括払い。身元確かな相手なのが後押しになり、結局、男の要望は全て通した。
男はこちらに向き直ると、自分の上着を当然の様に私の肩に掛けてきた。
酒を吸ってしまうと思うが、副店長の持ってきた布を更に頭に掛け、周りから見えない様にされた。
副店長がそのままで構わないと合図したので、素直に親切という事にして受け入れておく。
まさか、一晩過ごす事に決めたから、独占欲が湧いた訳でもあるまい。
「先に部屋で待っていてね。連れに美人を捕まえたって自慢してくるから。そこの君は湯を急ぎで入れておいて。案内は要らないよ」
「畏まりましてございます。三階、二番目の扉にどうぞ。お部屋は眺めも良う御座いますので、ごゆるりと。」
上機嫌に、やけに慣れた様子で要求を告げて、男は席に戻っていった。
「ありゃあ、いいとこのボンボンだなァ。あの手合いはワガママだ。自分の要求が通るのが当然だと思っていやがる。……金払いはすこぶる付きだがな」
素に戻った副店長が裏方を急かしながら、薄っすらと疲れた笑顔を浮かべたのを、珍しいと思いながらぼんやりと見てしまった。
「おら、お前も部屋で大仕事だ。騎士連中は体力あるぜぇ?気張れよ」
見られて気不味かったのか、誤魔化す様にニンマリと発破をかけて、副店長は仕事に戻った。
「……日が変わるまでに寝かせて貰えるかしらね?」
誰ともなしに呟きつつ、私も階段を登り始めた。
気を取り直して、浴槽の湯が裏方達の手によって張り終わったのを確認すると、一人になった部屋で考えた。
(とりあえずお風呂よね。私も身体が冷えてきたし、一緒に入れるなら有難いわ。)
借りた上着と被っていた布は、洗って貰う為に先程の裏方へと渡してしまったから、濡れた服が体温をじわじわ下げていく。
顔色が悪くなる前に男が部屋に来てくれないなら、化粧を直したい。時間はまだ有るだろうか。
――コンッコンッコンッ
弾みを付けたようなノックが、部屋に響いた。時間は無かったらしい。
「どうぞ、中に居るわ」
律儀に返事を待ってから男が部屋に入って来た。ぐるりと中に視線を巡らせてから、にっこりと笑って私を見たまま、後ろ手でゆっくり扉を閉めた。
「お待たせ。とりあえず、濡れたままだと風邪を引くし、お風呂にしよう。どっちの扉?」
気が急いているのか、余程楽しみなのか、脱衣所に行く前からボタンを片手で外し始めた。
男に近い方の扉が御不浄なので、間違えて入っても興醒めするだろうと、脱衣所の扉を開けた。
「こっちがお風呂」
続けて浴室の扉を開けながら、呼び掛けようとして、そういえば名乗ってもいないと思い当たった。
「ねぇ、何て貴方を呼んだら良いかしら?私はターシャって呼んでね」
温く湿った空気が触れて、少し鳥肌が立った。早く温まりたい。
「そういえば名乗ってもいなかったな」
言われて初めて思い当たったかの様に、一瞬間を置いてから男が名乗った。
「クリスって呼んで。職場でもそう呼ばれてる」
偽名でもなく、素直に愛称であろう呼び名を教えてくれて、私のいる脱衣所に入って来た。
身嗜みを整える所でもあるので、ここだけは明かりがしっかりとあり、一階では暗い緑に見えた瞳の色が、オリーブグリーンだと分かった。
クリスは上裸になり、私の頭へと手を伸ばしてきた。そのまま髪飾りを外してくれて、思ったより丁寧に棚に置いた。
(成程、装飾品の扱いにも慣れているのね。副店長が見るに、ボンボンって言ってたものね)
髪紐も解いてくれるようなので、好きにさせながらクリスの身体をしっかり見る。
(やっぱり鍛えているのね。鎖骨が綺麗で好みだわ。傷跡はそこまで酷いものがなくて良かった)
流石に、引き攣れて酷くなる程の傷跡は間近で見た事が無いので、ホッとした。
髪も下ろして、クリスは衣装にも取り掛かった。先程の髪飾りと同じ様に優しい手つきが、この先を予告しているようで、期待が持てる。
(このまま優しくしてくれるなら、今夜は穏やかに眠れるかもしれないわね)
そんな風に、甘やかなベッドでの夜を想像しながら、私は目を閉じたのだった。
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尚、そんな期待は捨てて、蹴ってでも躾けろと、私はその夜の私に教えたいと強く思っている。
胎動を感じて、お腹を撫でながら、でも、と思う。
(そうね。これも幸せなのかもしれないわね。ちょっと強引ではあったけれど、約束を守って結婚までしてくれたもの)
少女の頃暮らした屋敷よりも、ちょっと、いや、かなり大きな屋敷で、編み物をしながらそろそろ帰宅する夫を待つ。
外から何やら騒がしい物音と共に、声が聞こえる。
こんなにのんびりするなんて、そう、夫が帰ってきたら無理なのだから。
お月様の男性視点で、余りにクリスが暴君だったので(笑)。
ターシャちゃんは真面目にお仕事しただけなのに、可哀想。この先クリスに捕まって逃げられません。
クリスは愛妻家ではあるのですが、基本的にワガママなので、決めたら覆しません。
ターシャ
準男爵家出身。前向きな苦労性。
クリス
伯爵家の末っ子四男。騎士爵を自力で勝ち取った。




