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第9話:美食の要塞、独立を宣言いたします


 王太子ジュリアンが這々の体で逃げ出してから数日。奈落監獄の周囲を取り巻く空気は、かつてないほど張り詰めていました。

 王都はついに、わたくしを「国家反逆罪」および「聖具の横領」という身勝手な罪状で指名手配し、正規の「王宮第一騎士団」を差し向けてきたのです。


 監獄を包囲する数千の兵。対するこちらは、数十人の看守と、やる気だけはある囚人たち。

 普通に考えれば絶望的な戦力差ですが、この監獄の中に絶望している者など一人もいませんでした。


「……いい匂いだ。これなら、国の一つや二つ、片手で捻り潰せそうな気がするな」


 ギルバート様が、研ぎ澄まされた剣のような鋭い眼差しで、わたくしの手元を見つめています。

 わたくしが今焼いているのは、魔界の深層に生息するという「極炎牛」のロース肉。

 その肉質は、炎を食らうことで鍛え上げられた猛々しい赤身と、真珠のように輝く濃厚な脂身の層に分かれています。


 わたくしは、聖具のフライパンを強火で熱しました。

 そこへ、刻んだ「マンドラニンニク」を投入します。


 ――ジュワアァッ!


 一気に弾ける、強烈で野性的なニンニクの香り。

 そこへ分厚く切り分けた極炎牛を滑り込ませます。

 肉の表面が瞬時に焼き固められ、香ばしい肉の脂とニンニクの香りが混ざり合い、監獄の石壁を伝って外の戦場へまで漂い出しました。


「さあ、皆様。戦いの前の活力源ですわ。『極炎牛のガーリックステーキ・勝利の凱歌を添えて』。存分に召し上がれ」


 わたくしは、特製の「紅蓮岩塩」をパラリと振り、焼き立てのステーキを次々と皿に盛り付けました。


「いただきます! ……っ、熱い! けど、なんだこの肉の弾力は! 噛むたびにニンニクの刺激と肉汁が混ざり合って、腹の底から熱い力が湧いてくるぞ!」


 ハンスが、ステーキを丸ごと頬張りながら叫びました。


「ああ、全くだ。このマンドラニンニクってやつ、食えば食うほど体の節々が軽くなっていく。これなら重い盾を持ったまま三日は走り続けられるぜ!」


 バルカスら囚人たちも、一心不乱に肉に食らいついています。

 わたくしの料理には、聖具の力で「身体強化」と「魔力自動回復」の付与バフがかけられています。

 今、この監獄にいる男たちは、一人一人が一騎当千の戦士へと変貌していました。


「……美味いな、リリアーヌ。この力強さ、まさに今の俺の心境そのものだ」


 ギルバート様は、ステーキを飲み干すように食べ終えると、満足げに唇を拭いました。

 その銀の瞳は、これまでにないほど澄み渡り、圧倒的な覇気を放っています。


 そこへ、王宮騎士団の団長、ヴォルガンが馬を進めてきました。


「ギルバート看守長! 王命である! 今すぐ大罪人リリアーヌを引き渡し、門を開け! さもなくば、この監獄を地図から消し去るのみ!」


 ヴォルガンの怒声に対し、ギルバート様は一人、監獄の門の上に立ちました。

 その手には、わたくしが最後の一口として持たせた、栄養満点の「精霊蜜のジュース」が入った銀のカップが握られています。


「断る。……ヴォルガン、貴様ら王都の連中に、一つだけ教えてやろう」


 ギルバート様は、ジュースを悠々と飲み干すと、それを眼下の平原へと投げ捨てました。


「この監獄は、もはや貴様らの知るような地獄ではない。ここには、世界で最も貴い女性と、彼女が作る至高の食卓がある。……俺たちは、その食卓を守る騎士だ。王都の不味い飯に胃袋を腐らせた貴様らに、俺たちが敗れる道理はない」


「何を狂ったことを! 全軍、突撃ィ!」


 ヴォルガンの合図で、数千の騎士が監獄の門へと押し寄せました。

 しかし、その結果はあまりにも一方的でした。


 極炎牛のステーキで超人的な筋力を得た看守たちが、重さ数百キロの岩を軽々と投げ飛ばし、ニンニクの活力で魔力を増大させた囚人たちが、一撃で騎士団の隊列を粉砕します。

 何より、ギルバート様の一振りが放つ衝撃波は、それだけで百人の騎士をなぎ倒しました。


 一時間も経たないうちに、王都の誇る第一騎士団は、文字通り全滅に近い状態で敗走していきました。


「……ふふ。お疲れ様でしたわ、皆様」


 わたくしはバルコニーから、勝利を確信して戻ってくる男たちに、温かい「月光茶」を用意して迎えました。


「リリアーヌ。……これで、もう後戻りはできない」


 ギルバート様が、戦場帰りとは思えないほど爽やかな表情で、わたくしの手を取りました。


「俺は決めた。この奈落監獄を、今日この時をもって『美食公国』として独立させる。俺が初代公王となり、お前を妃として迎える。……王都に、あの愚かな王と王太子に、真の豊穣がどこにあるかを思い知らせてやるのだ」


「あら。囚人から一気に王妃だなんて、随分と出世しましたわね」


 わたくしは彼の胸に顔を寄せ、くすくすと笑いました。


「いいですわよ、ギルバート様。わたくしの料理を愛する者たちを、わたくしが飢えさせることはありませんわ」


 その頃、王都では。

 敗走した騎士たちの報告を受け、王太子ジュリアンが絶望のあまり、メルティナが差し出した「焦げたスープ」を床に叩きつけていました。


「独立だと……!? あの不毛な土地が、なぜそれほど強い! 嫌だ、僕は……僕はあの黄金のカツが食べたいんだ! あんな、砂を噛むような飯はもう御免だ!」


 飢えと後悔が、王都をじわじわと蝕んでいきます。

 真の豊穣とは、権力で奪い取るものではなく、愛と技術で生み出すものだということを、彼らはまだ理解していないようでした。


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