第8話:断罪の再来と、黄金色の返礼
奈落監獄の正門が、かつてないほど激しく打ち鳴らされました。
地響きのような馬蹄の音と、鎧が擦れ合う騒音。それは視察などという生易しいものではなく、軍隊の進軍そのものでした。
「リリアーヌ! そこにいるのは分かっている! 今すぐ出てこい!」
監獄の広場に響き渡ったのは、聞き間違えようのない、傲慢で甲高い声。
わたくしの元婚約者、王太子ジュリアンでした。
わたくしは厨房で、調理の手を止めることなく薄く笑いました。
ちょうど今、下準備を終えたところです。
今日のメインディッシュは、わたくしを裏切った者たちへの「引導」にふさわしい、力強く、そして残酷なまでに魅力的な料理です。
「……リリアーヌ。あんな奴の呼びかけに応じる必要はない。俺が追い払ってこよう」
ギルバート様が、漆黒の外套を翻してわたくしの前に立ちました。
その背中からは、隠しきれない殺気が漏れ出しています。
「いいえ、看守長様。わたくしを『泥のような粥』にふさわしい悪女と断じた殿下ですもの。最後のご挨拶くらい、わたくしの流儀でして差し上げなくては」
わたくしは聖具の収納から、厚く切り分けた「雷轟猪のロース肉」を取り出しました。
雷の魔力を帯びたその肉は、焼くことで弾けるような食感を生みます。
そこに「陽だまり小麦」の細かな衣を纏わせ、熱した「銀実油」の中へ静かに沈めました。
――シュワワワッ!
心地よい高音が響き、瞬時に香ばしい、暴力的なまでに食欲をそそる香りが監獄全体へ広がっていきます。
わたくしはハンスに目配せをし、調理場の窓をすべて全開にさせました。
広場に立つジュリアン殿下と、その背後の王宮騎士団の動きが、ぴたりと止まったのが分かりました。
「な、なんだ……。この堪らなく芳醇な香りは……。腹に、直接響くような……」
ジュリアン殿下の震える声が聞こえてきます。
彼は今、王宮での深刻な食糧難により、満足な食事を数日摂っていないはずです。
痩せこけ、目の下に隈を作った彼の鼻孔に、揚げたてのカツの香りが突き刺さります。
わたくしは、黄金色に揚がった雷轟猪のカツを、ザクッ、ザクッという最高の音を立てて切り分けました。
溢れ出す肉汁。立ち上る熱い湯気。
そこに、数種類の野菜と果実を煮詰めた「深淵ソース」をたっぷりとかけます。
「皆様、お待たせいたしました。本日の昼食、『雷轟猪の黄金カツ・深淵ソースの極み』ですわ」
わたくしは、ギルバート様とハンス、そして他の看守たちの分を皿に盛り付け、最後に自分の分を手に取りました。
そして、あえて広場が見下ろせるバルコニーへと出たのです。
「リ、リリアーヌ! 貴様、そこで何を食べている!」
見上げたジュリアン殿下は、よだれを垂らしそうな情けない顔で叫びました。
「あら、殿下。ご覧の通り、わたくしの慎ましい食事ですわ。追放された身ですから、このような『脂っこいもの』しか用意できませんの。……皆様、冷めないうちに召し上がれ」
わたくしの合図で、ギルバート様たちが一斉にカツを口に運びました。
「――っ、熱い! だが、この衣のサクサク感はどうだ。噛んだ瞬間に、猪の肉汁が口の中で暴れ回るようだ!」
ギルバート様が、これまでにないほど興奮した様子で感想を漏らします。
「本当ですよ、姐さん! このソースの酸味と甘みが、肉の脂と絡まって……あぁ、もう、噛むのを止めたくないくらい美味いっ!」
ハンスも頬を膨らませ、幸せそうに叫びました。
「おい、それを……それを僕にも寄越せ! 王太子である僕の命令だ! リリアーヌ、その汚らしい監獄から今すぐ戻り、僕のためにそれを作れ!」
ジュリアン殿下が、我慢の限界といった様子で階段を駆け上がろうとしました。
ですが、その行く手を阻んだのは、監獄の囚人たちでした。
カレーやプリンで活力を取り戻し、わたくしを「女神」と崇める凶悪犯たちが、武器を手にせずとも、その圧倒的な威圧感で殿下を包囲します。
「……殿下。ここはわたくしの城ですわ」
わたくしは、最後の一切れのカツをジュリアン殿下の目の前で、ゆっくりと、美味しそうに口に運びました。
ザクッ、という音が静まり返った広場に響きます。
「……っ、ああ……」
ジュリアン殿下はその場に膝をつきました。
わたくしの口の中に広がる至福の味。
対して、彼がここ数日口にしてきたのは、味がしないどころか吐き気を催すような、魔力の枯渇した不味いパンだけ。
「殿下、わたくしを追い出し、メルティナ様を選んだのはあなたですわ。……不味い食事に耐えながら、永遠に後悔し続けるのが、あなたにふさわしい罰ですのよ」
「リリアーヌ……っ、頼む、一口……一口だけでいいんだ……!」
王太子が、地べたを這い回るようにして懇願します。
その背後で、王宮騎士団の面々も、カツの香りに戦意を喪失し、ガタガタと震えていました。
「ジュリアン。……これ以上、俺の女に見苦しい姿を晒すなら、首を撥ねるぞ」
ギルバート様が、カツを食べ終えた満足感と共に、冷徹な殺気を放ちました。
彼はわたくしの腰を力強く引き寄せ、ジュリアン殿下を完全に見下しました。
「彼女は、奈落監獄の王妃となる。……王都のゴミ溜めへ帰るがいい。不味い飯に、飢え死ぬのがお似合いだ」
ジュリアン殿下は、絶望の叫びを上げながら、騎士たちに抱えられて退散していきました。
その背中を見送りながら、わたくしはギルバート様の腕の中で、デザートには何を作ろうかと、楽しい計画を立てるのでした。




