第7話:鉄仮面を溶かす、禁断の黄金プリン
監獄の夜は、静寂と冷気に包まれるのが常でした。
ですが、わたくしの調理場だけは、窓から漏れる琥珀色の光と、胸を締め付けるような甘い香りに満たされています。
「……リリアーヌ。それは、いつ出来上がるのだ」
ギルバート様が、調理台のすぐ横の椅子に腰掛け、じっとわたくしの手元を見つめています。
昼間のカスティエル伯爵を追い払った時の鋭い殺気はどこへやら、今の彼は、美味しいものを待つ大型犬のような、どこか無防備な空気を纏っていました。
「そんなに急かさないでくださいまし。デザートにおいて『待つ時間』は、最も重要なスパイスの一つですわよ」
わたくしは、聖具の収納から、ひんやりと冷えた陶器の器を取り出しました。
中に入っているのは、数時間前から冷やし固めておいた特製プリンです。
材料には、これまでも登場した「星霜鶏の卵」の黄身だけを贅沢に使い、濃厚な「天空牛のミルク」と、森の奥深くでしか採取できない「水晶蜜」をたっぷりと加えました。
さらに、仕上げとして上からかけるのは、真っ黒な「黒火砂糖」を極限まで煮詰めて作ったキャラメルソースです。
「さあ、お待たせいたしました。わたくし流『禁断の黄金プリン・星屑の雫を添えて』ですわ」
わたくしが器をひっくり返して型から外すと、ぷるん、と官能的な音を立ててプリンが姿を現しました。
宝石のように輝く黄金色の肌に、漆黒のキャラメルソースが、まるでドレスの裾のように美しく流れ落ちます。
「……なんだ、この輝きは。食べるのが惜しいほどだな」
ギルバート様が、銀のスプーンを手に取りました。
彼は慎重に、まるで壊れ物を扱うようにスプーンを入れます。
吸い付くような弾力がありながらも、スプーンは抵抗なくその中へと沈んでいきました。
一口、彼がそれを口に含みます。
その瞬間、ギルバート様の端正な顔立ちが、劇的に崩れました。
「…………っ、……ああ」
言葉にならない感嘆の漏息。
彼はそのまま目をつむり、じっとその余韻に浸っています。
「濃厚だ。……舌の上に乗せた瞬間、体温でとろりと溶けて、卵とミルクの濃密なコクが口いっぱいに広がる。それなのに、キャラメルのほろ苦さが後味をキリリと引き締めて、すぐに次の一口が欲しくなる」
「ふふ、お気に召したようで何よりですわ」
「……リリアーヌ。貴様は、恐ろしい女だな。こんなものを毎日食べさせられては、俺はもう、他の誰が作った食事も受け付けないどころか、貴様がいない世界を想像することすら苦痛になる」
ギルバート様が、スプーンを置いてわたくしの手首を掴みました。
その熱い体温が、肌を通じて伝わってきます。
「姐さーん! 俺の分もありますよね!?」
空気を読まない明るい声と共に、ハンスがひょっこりと顔を出しました。
背後には、仕事を終えた数人の看守たちも期待の眼差しで控えています。
「こら、ハンス。看守長様のお邪魔をしてはダメよ」
「だって、この匂いを嗅いで素通りできる奴なんて、この監獄に一人もいませんって! なあ、みんな!」
「ああ、全くだ! 今夜の巡回は、この甘い香りのせいでみんな足元がフラフラなんだぜ」
ベテラン看守たちが笑いながら口々に言います。
わたくしは苦笑しながら、彼らの分の器も並べました。
「はいはい、皆様の分も冷やしてありますわ。召し上がれ」
「「「いただきます!」」」
看守たちが一斉にプリンを口に運びます。
「うおおおっ! うめええ! なんだよこれ、飲み物か!? 噛まなくていいのに、味がめちゃくちゃ濃いぜ!」
「このキャラメルの苦味が最高だ。疲れがスーッと溶けていくみたいだよ」
「お嬢さん、あんたは監獄の女神だ……。これさえあれば、一生ここで働いてもいい!」
男たちが、プリン一つで子供のようにはしゃいでいます。
その光景を、ギルバート様は一人、冷ややかな、それでいて激しい独占欲の混じった目で見つめていました。
「……ハンス。全員、食べ終えたら速やかに立ち去れ」
「ひえっ、看守長、目が怖いですよ! 分かりましたよ、すぐ消えますって!」
ハンスたちは器をピカピカに舐める勢いで平らげると、逃げるように去っていきました。
再び二人きりになった調理場。
ギルバート様は、最後の一口を惜しむように食べ終えると、わたくしをじっと見つめました。
「リリアーヌ。先ほどのカスティエルの言葉……王太子が貴様を呼び戻そうとしているという話だが」
「ええ。ですが、お断りいたしましたわ」
「……俺は、不安なのだ。貴様のこの料理の腕、そして美しさは、監獄に閉じ込めておくにはあまりにも惜しい。いつか王都が、あるいは他国が、貴様を力ずくで奪いに来るのではないかと」
ギルバート様が立ち上がり、わたくしとの距離を詰めます。
逃げ場のない調理台の角。彼は両手をわたくしの脇につき、閉じ込めるような体勢になりました。
「リリアーヌ。俺は貴様を、囚人としてではなく、俺の妻としてこの監獄に留めたいと思っている」
「あら。それは、求婚と受け取ってもよろしいのかしら?」
「そうだ。俺の全財産、全権力、そしてこの命をかけて貴様を守る。……俺に、一生、貴様の料理を食べる権利をくれないか」
銀の瞳に宿っているのは、飢え。
それは食事に対する飢えだけでなく、わたくしという存在そのものに対する、渇望でした。
「……ふふ。看守長様、そんなに怖がらないで。わたくしも、不味い飯しかない王都に帰るつもりなんて、毛頭ございませんわ」
わたくしは彼の胸元にそっと手を置き、微笑みました。
「わたくしの料理を、一番美味しく食べてくださるのはあなた。……その特権、簡単には手放しませんことよ?」
ギルバート様が、安堵したように深く息を吐き、わたくしの額に優しく口づけを落としました。
その頃、王都の宮廷では。
メルティナが必死に焼いたという、外側が焦げて中が半生の不気味なパイを前にして、王太子ジュリアンが絶叫していました。
「こんなものが食べられるか! あの不気味なカレーとかいうやつの香りが、忘れられないんだ! リリアーヌを……リリアーヌを今すぐ連れてこい!」
自業自得、という言葉がこれほど似合う状況もありませんわね。
わたくしたちの愛の巣となった監獄には、今夜も幸せなデザートの香りが漂い続けています。




