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第3話:汚れた厨房に、聖女の喝采を


 奈落監獄の最上階。そこは「特別室」とは名ばかりの、少しばかり窓が大きいだけの冷たい部屋でした。

 ですが、地下の独房に比べれば天国も同然です。何より、隣接する一室には古びた調理場がありました。


「……ここが、わたくしの新しい城ですわね」


 わたくし、リリアーヌは、埃の積まった厨房を見渡しました。

 錆びついた包丁、煤けた竈、そして鼻を突く饐えた臭い。

 食材の保管庫を覗けば、そこには萎びた「土トカゲの尻尾」と、芽の出た「呪いジャガイモ」が無造作に転がっています。


「ひどい……。これでは食材が泣いていますわ」


 わたくしの背後で、ギルバート看守長が腕を組んで立っていました。

 彼は相変わらずの鉄面皮ですが、その視線はわたくしが手に持っている聖具のフライパンを、じっと、追いかけています。


「言ったはずだ。ここは最果ての地。新鮮な食材など届かない。届くのは、王都で余った廃棄寸前の品か、この荒野で獲れた魔物の肉だけだ」


 ギルバート様の声には、自嘲の響きが含まれていました。

 彼は長年、この不毛な地で、砂の味しかしない食事を耐えてきたのです。


「素材が不毛なら、技術で補えばよろしいだけですわ。それに……」


 わたくしは、黄金に輝くフライパンを掲げました。

 

「わたくしの『女神の竈』は、不浄を払い、命を蘇らせる聖具。見ていなさいな」


 わたくしがフライパンの底をコン、と石の床に叩きつけると、柔らかな光の波紋が広がりました。

 魔法を封じるはずの監獄で、聖なる魔力が部屋中を駆け抜けます。

 一瞬にして床の埃が消え去り、錆びた道具は新品同様の輝きを取り戻しました。

 饐えた臭いまでもが消え、清涼な空気が満ちていきます。


「……なんだ、今のは。部屋そのものが浄化されたというのか」


 隣で見ていた若い看守——ハンスという名だそうです——が、驚きで顎が外れそうな顔をしています。


「料理は掃除に始まりますの。さて、本日のメインイベントに移りましょう」


 わたくしは聖具の収納から、二つの大きな卵を取り出しました。

 それは、夜空のように深い青色の殻を持つ「星霜鶏の卵」。

 そして、透き通るように白い「天空牛のミルク」です。


「これから、皆さんに『本当の朝食』というものを教えて差し上げますわ」


 まずはフライパンを適温に熱します。

 そこに天空牛のミルクから作った発酵バターを落とすと、シュワシュワと白い泡が立ち、甘く官能的な香りが立ち上りました。


 ボウルの中で星霜鶏の卵を割り入れ、細かく刻んだ「陽だまりハーブ」を混ぜ込みます。

 一気にフライパンへ流し込むと、ジューッという軽快な音が響きました。


「なんて鮮やかな手際だ……。お嬢さん、あんた、本当に公爵令嬢なのか? まるで宮廷料理長を見ているみたいだ」


 ハンスが感嘆の声を漏らします。

 わたくしは箸(の代わりに用意した細い菜箸)を使い、流れるような動作で卵をまとめました。

 表面はつやつやとした黄色、中はとろとろ。

 仕上げに、岩塩の結晶をパラリと振りかけます。


「さあ、お召し上がりなさい。『星霜卵のプレーンオムレツ・監獄の夜明け風』ですわ」


 二つの皿に盛り付けられたオムレツが、朝日を浴びて宝石のように輝きました。


「……いただきます」


 ギルバート様が、慎重にナイフを入れました。

 その瞬間、中から半熟の卵が溢れ出し、濃厚なソースのように皿に広がります。

 彼は一切れを口に運び、ゆっくりと目を閉じました。


「…………っ」


 ギルバート様の肩が、びくりと震えました。


「あ、あつい。舌の上で、卵が踊っているようだ……。バターの香りが鼻を抜けて、それから、今まで経験したことのない優しくて力強い味が、喉を通っていく」


 彼の無機質だった声に、体温が宿ります。

 銀の瞳を見開いて、彼は二口目、三口目と、まるで飢えた獣のようにフォークを動かしました。


「うわあぁっ! うめえ、うめえよこれ! なんだこれ、飲み物か!? 卵がふわっふわで、口の中で消えちゃうのに、旨味だけがずっと残ってる!」


 ハンスは皿を抱えるようにして、夢中で頬張っています。


「このハーブの爽やかな香りも最高だ! なんか、今まで溜まってた疲れが全部吹き飛んでいくみたいだ。なあ看守長、これ、本当にもう一口だけ分けてもらえません……」

「ならん。これは俺の分だ」


 ギルバート様が、ハンスを鋭い眼光で制しました。

 彼は皿に残った最後の一滴のソースまで、大切に、大切に拭い取るようにして食べ終えました。


「……リリアーヌ。貴様は、魔女か」

「失礼な。淑女と呼びなさいな」


 満足げに息をつく彼に、わたくしは不敵に微笑みました。


「……認めよう。俺の身体は、すでに貴様の料理なしでは生きていけなくなっている。この感覚、この高揚感。……砂を噛むような日々が、これほどまでに虚しかったと思い知らされるとはな」


 ギルバート様が立ち上がり、わたくしの手を取りました。

 彼の大きな掌は熱く、微かに震えています。


「俺は、王に報告する。リリアーヌ・フォン・アスタルは、国家にとって不可欠な『特殊能力者』であり、その身の安全は俺が……このギルバートが全面的に保証すると」


「あら。それは、わたくしをここから出さないという意味かしら?」


「そうだ。貴様をこの監獄という城から出すつもりはない。……誰にも、渡さない」


 その瞳に宿ったのは、義務感ではありません。

 一人の女性に対する、そしてその女性が作り出す魔法に対する、狂おしいほどの独占欲でした。


 ふふ、作戦通りですわ。

 胃袋を掌握した先にこそ、わたくしの真の自由と「ざまぁ」が待っているのですから。


 その時、独房の外から騒がしい足音が聞こえてきました。


「看守長! 報告します! 王都からの定期連絡が途絶えました! さらに、周辺の村々で原因不明の凶作が始まっているとの情報が!」


 わたくしは、優雅に紅茶を淹れながらその報告を聞いていました。

 わたくしという「真の聖女」を監獄へ追いやった代償が、ようやく王国に回り始めたようですわね。


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