第8曲 見えない絆
テトとの関係を修復してから、あかりの日常は少し変わった。
以前のように、無理をしなくなった。
学校から帰っても、すぐにパソコンの前に座るのではなく、まず休憩を取る。
お茶を飲んで、軽食を食べて、少し落ち着いてから作業を始める。
そして、夜も無理をせず、適度な時間で切り上げるようにした。
「おやすみ、テトちゃん。また明日ね」
「……おやすみなさい、あかりさん……」
毎晩、ちゃんと挨拶をしてから眠る。
それだけで、心が落ち着いた。
学校でも、以前より集中できるようになった。
授業を真面目に聞いて、ノートを取る。
友達との会話も、楽しめるようになった。
「あかり、最近元気だね」
美咲が、嬉しそうに言った。
「うん、ちゃんと休むようにしたから」
「そっか。良かった」
美咲は、安心したように微笑んだ。
「あのさ、この前は冷たくしてごめん。心配してくれてたのに」
「ううん、いいよ。あかりが元気なら、それでいいから」
美咲の優しさが、あかりには嬉しかった。
「ありがとう。これからは、もっとちゃんと話すね」
「うん!」
友達との関係も、少しずつ修復していった。
ある日の放課後、あかりは図書館に寄った。
音楽理論の本を返却して、新しい本を探すためだ。
棚を見ていると、ふと一冊の本が目に留まった。
『音楽と心理学』
タイトルに惹かれて、手に取ってみた。
パラパラとめくると、興味深い内容が書かれていた。
「音楽は、感情を表現する手段である。テクニックも大切だが、最も重要なのは、作り手の心がどれだけ込められているかだ」
あかりは、その一文に釘付けになった。
そうだ。自分が忘れかけていたこと。
技術に頼りすぎて、心を込めることを忘れていた。
あかりは、その本を借りることにした。
家に帰ると、テトが待っていた。
「……おかえりなさい……」
「ただいま、テトちゃん」
あかりは、借りてきた本を見せた。
「面白そうな本、見つけたんだ」
「……おんがくと、しんりがく……?」
「うん。音楽と心の関係について書いてある本」
あかりは、本を開いて読み始めた。
テトも、一緒に画面越しに見ている。
本には、様々な音楽家の言葉が引用されていた。
「音楽は、言葉にできない感情を表現する」
「聴く人の心に届く音楽は、必ず作り手の心が込められている」
あかりは、一つ一つの言葉を噛みしめた。
「ねえ、テトちゃん」
あかりは、本を閉じて、画面の中のテトを見つめた。
「あなたにとって、歌うってどういうこと?」
テトは、少し考えてから答えた。
「……むずかしい、しつもんです……」
「うん、難しいよね。でも、聞いてみたかったんだ」
テトは、ゆっくりと言葉を選びながら話し始めた。
「……わたしは……さいしょ……ただの、ネタでした……」
テトの声は、少し震えていた。
「……みんなを、わらわせるための……イタズラ……」
「うん」
「……でも……あかりさんが……みつけて、くれて……」
テトの目に、涙が浮かんだ。
「……うたわせて、くれて……わたし……はじめて……いきている、って……かんじました……」
あかりの胸が、熱くなった。
「……うたうことは……わたしが、いきること……なんです……」
テトは、静かに続けた。
「……あかりさんの、きもちを……うたにのせて……とどける……それが……わたしの、やくわり……」
「テトちゃん……」
「……だから……ありがとう、ございます……あかりさんが……わたしを……いかして、くれて……」
あかりは、涙が溢れた。
テトにとって、歌うことは生きること。
存在することそのもの。
そして、あかりの想いを届けることが、テトの役割。
「私も、ありがとう」
あかりは、涙を拭いながら言った。
「テトちゃんがいてくれるから、私の想いが歌になる。テトちゃんがいてくれるから、私は夢を追い続けられる」
「……あかりさん……」
「私たち、お互いを必要としてるんだね」
「……はい……」
テトは、優しく微笑んだ。
二人の間には、見えない絆があった。
画面を隔てていても、心は繋がっている。
それが、二人の関係だった。
その夜、あかりは新しい曲を作り始めた。
今度のテーマは、「絆」。
テトとの絆。母との絆。友達との絆。
目には見えないけれど、確かに存在する繋がり。
それを、歌にしたかった。
あかりは、ノートを開いて、歌詞を書き始めた。
『見えない糸で 繋がっている
離れていても 心は一つ
あなたの声が 聞こえるから
私は強く 歩いていける』
言葉が、次々と溢れてくる。
テトへの想い。感謝。そして、これからも一緒にいたいという願い。
全てを、歌詞に込めていく。
「テトちゃん、この歌詞、どう思う?」
あかりは、ノートをカメラに向けた。
テトは、じっくりと読んだ。
そして、涙を流しながら頷いた。
「……すてき、です……わたしの、きもち……そのまま……」
「良かった。じゃあ、メロディを作ろう」
二人は、夜遅くまで作業をした。
でも、今日は疲れを感じなかった。
楽しかった。テトと一緒に、想いを形にしていく時間が。
メロディは、優しく、温かいものになった。
複雑なコード進行ではなく、シンプルで心に響く音。
それが、一番大切だと、あかりは学んだ。
「できた……」
数日後、曲が完成した。
タイトルは、『見えない糸』。
二人の絆を歌った、温かい曲だった。
再生ボタンを押すと、テトの歌声が響いた。
「見えない 糸で つながっている……」
あかりは、涙を流しながら聴いていた。
この曲は、今までで一番好きな曲かもしれない。
テクニックじゃない。心が込められている。
テトとの絆が、音楽になった。
「テトちゃん、ありがとう。最高だよ」
「……あかりさん……わたしも……しあわせです……」
テトは、幸せそうに微笑んだ。
その笑顔を見ると、あかりも幸せになった。
翌日、あかりは学校で美咲に話しかけた。
「美咲、ちょっといい?」
「うん、どうしたの?」
「あのね……実は、私、曲作ってるんだ」
あかりは、ついに打ち明けることにした。
全部は話せないけれど、少しだけなら。
「え、曲?ボカロの?」
「うん。まだ下手だけど、少しずつ作ってるんだ」
美咲の目が、輝いた。
「すごい!あかり、ついにボカロPになったんだ!」
「まだまだ初心者だけどね」
「でも、夢だったじゃん!聴きたい!」
美咲は、興奮していた。
「今度、聴かせるね」
「やった!楽しみ!」
美咲は、本当に嬉しそうだった。
あかりは、友達に話せて良かったと思った。
全部を隠す必要はない。
テトのことは秘密だけど、曲を作っていることは話せる。
それだけでも、心が軽くなった。
その日の夜、あかりは『見えない糸』を動画サイトにアップロードした。
四曲目の投稿だ。
今までの曲も、少しずつ再生数が増えていた。
一曲目は三百回、二曲目は二百回、三曲目は百五十回。
決して多くはないけれど、確実に聴いてくれる人がいる。
「テトちゃん、今回はどれくらい聴いてもらえるかな」
「……わかりません……でも……あかりさんと、つくった、きょくだから……じしんが、あります……」
「うん、私も」
二人は、画面を見つめた。
アップロードが完了する。
再生数は、まだゼロ。
でも、これから誰かが聴いてくれる。
二人の想いが、誰かに届く。
それが、何よりも嬉しかった。
「テトちゃん、これからも一緒に頑張ろうね」
「……はい……ずっと、いっしょに……」
テトは、優しく微笑んだ。
見えない絆。
でも、確かに存在する繋がり。
それが、二人を支えていた。
画面を隔てていても、心は一つ。
あかりとテトは、これからも一緒に歩んでいく。
夢に向かって、一歩ずつ。
数日後、『見えない糸』の再生数が伸び始めた。
一週間で、五百回を超えた。
コメントも、増えていた。
「この曲、すごく心に響きました」
「テトの声、優しくて好きです」
「応援してます。次の曲も楽しみ」
あかりは、一つ一つのコメントを読んだ。
嬉しかった。自分の曲が、誰かの心に届いている。
「テトちゃん、見て!たくさんの人が聴いてくれてる!」
「……うれしい……です……わたしの、うた……とどいてる……」
テトの目にも、涙が浮かんでいた。
喜びの涙だった。
「これも全部、テトちゃんのおかげだよ」
「……ちがいます……あかりさんの、おかげです……」
「二人のおかげだよ」
あかりは、笑顔で言った。
「これからも、一緒に頑張ろうね」
「……はい……!」
二人の絆は、日に日に強くなっていた。
見えない糸で繋がった、かけがえのない存在。
あかりにとって、テトは欠かせない存在になっていた。
そして、テトにとっても、あかりは生きる意味そのものだった。
二人は、お互いを必要としていた。
それが、何よりも大切なことだった。




