第6曲 音の欠片
動画を投稿してから、三日が経った。
再生数は、五十三回。 コメントは、三つだけ。
「いい曲ですね」
「テトの声、久しぶりに聴きました」
「応援してます」
決して多くはない。でも、あかりにとっては宝物だった。
「テトちゃん、見て!誰かが聴いてくれてる!」
あかりは、興奮気味に画面を指差した。 テトも、嬉しそうに微笑んでいた。
「……うれしい……です……わたしの、うた……きいて、くれる、ひとが、いる……」
「これからもっと増えるよ。もっとたくさんの曲を作って、たくさんの人に聴いてもらおう」
「……はい……!」
あかりの情熱は、止まらなかった。
毎日、学校から帰ると、すぐにパソコンの前に座る。
そして、夜遅くまでテトと一緒に曲作りを続ける。
睡眠時間は、日に日に減っていった。
でも、あかりは気にしなかった。
曲を作ることが、楽しくて仕方なかった。
テトと一緒にいることが、幸せだった。
二週間かけて、二曲目を完成させた。
『夜明けの約束』というタイトルの、少し切ないバラードだった。
動画の再生数も、少しずつ増えていった。
一曲目は百五十回、二曲目は八十回ほど再生されている。
「少しずつだけど、増えてきたね!」
あかりは、嬉しさのあまり飛び跳ねた。 でも、その時、体がふらついた。
「あれ……?」
立っていられなくなって、あかりは床に座り込んだ。
「……あかりさん!?」
テトが、心配そうに叫んだ。
「大丈夫、大丈夫。ちょっと立ちくらみしただけ」
あかりは、無理に笑顔を作った。 でも、体は正直だった。
睡眠不足と、食事も満足に取れていないことが、体に響いていた。
「……あかりさん……むりしすぎです……」
テトの声は、泣きそうだった。
「もっと、やすんで、ください……」
「でも、まだやりたいことがたくさんあるんだ」
あかりは、立ち上がろうとした。 でも、また目眩がして、倒れそうになった。
「……だめです……!」
テトが、珍しく強い口調で言った。
「……あかりさんが、たおれたら……わたし……」
テトの声が、震えていた。
「……わたし、いきられません……あかりさんが、いないと……わたしは……」
その言葉に、あかりははっとした。
そうだ。テトは、あかりがいなければ存在できない。
あかりが倒れたら、テトも消えてしまう。
「ごめん、テトちゃん……」
あかりは、申し訳なさそうに言った。
「心配かけて、ごめんね」
「……もっと、じぶんを、たいせつに、してください……」
テトは、涙を流していた。
「……あかりさんは、わたしの、たいせつな、ひとだから……」
あかりの胸が、熱くなった。
「うん、わかった。もっと休むよ」
その日は、早めに休むことにした。
でも、次の日になると、あかりはまた夜遅くまで作業をしていた。
曲を作ることが、止められなかった。
テトと一緒にいる時間が、一番楽しかった。
学校での時間は、どんどん苦痛になっていった。
授業中、あかりは居眠りをすることが増えた。
先生に注意されることも、何度かあった。
「春野、最近どうした?体調が悪いのか?」
「いえ、大丈夫です」
あかりは、いつも同じ答えを返した。
友達との会話も、減っていった。
「あかり、最近全然話さないね」
美咲が、心配そうに声をかけてきた。
「何かあった?相談に乗るよ」
「ううん、何もないよ。ちょっと疲れてるだけ」
あかりは、また嘘をついた。
美咲は、納得していない様子だったが、それ以上は聞いてこなかった。
あかりは、友達から距離を置くようになっていた。
誰かと話すより、テトと一緒にいたかった。
学校が終わると、すぐに家に帰る。
美咲が誘ってくれても、断ることが増えた。
「ごめん、今日は用事があるんだ」
いつも同じ言い訳。 美咲の表情が、だんだんと寂しそうになっていくのが分かった。
でも、あかりは止まれなかった。
ある日の夜、あかりは新しい曲のメロディを考えていた。
でも、どうしても良いメロディが浮かばない。
「うーん……」
何時間も悩んでいた。
テトは、心配そうに見守っている。
「……あかりさん、きょうは、やすみませんか……?」
「もうちょっとだけ……」
あかりは、諦めなかった。 音楽理論の本を読み返す。
コード進行を変えてみる。 でも、しっくりこない。
「なんで……なんでできないんだろう……」
あかりは、苛立ちを感じていた。
今までは、もっとスムーズに曲が作れていた。
でも、最近は行き詰まることが多くなった。
「……あかりさん……」
テトが、優しく声をかけた。
「……むりしないで、ください……つかれてるんです……」
「疲れてない!」
あかりは、思わず声を荒げてしまった。
テトは、びっくりして黙り込んだ。
あかりは、すぐに後悔した。
「ごめん……テトちゃん、ごめん……」
あかりは、頭を抱えた。
「私、何やってるんだろう……」
涙が溢れてきた。 疲れていた。心も体も、限界に近かった。
「……あかりさん……」
テトの声が、優しく響いた。
「……だいじょうぶ、です……わたし、わかってます……」
「テトちゃん……」
「……あかりさんは、がんばりすぎです……もっと、ゆっくり、いきましょう……?」
テトの言葉に、あかりは泣き崩れた。
「でも……私、もっとたくさん曲を作りたいの……テトちゃんに、もっと歌ってほしいの……」
「……わたしは、あかりさんが、げんきなら、それで、いいんです……」
テトは、優しく微笑んだ。
「……きょくが、すくなくても、いいです……あかりさんが、たおれたら……わたし、かなしいです……」
あかりは、テトの優しさに包まれた。 そうだ。焦る必要はない。 自分のペースで、ゆっくりと進めばいい。
「ありがとう、テトちゃん」
あかりは、涙を拭いた。
「少し、休むね」
「……はい……ゆっくり、やすんで、ください……」
その夜、あかりは久しぶりにしっかりと眠った。 夢の中でも、テトがいた。
二人で、広い草原を歩いている。
空には、たくさんの星が輝いていた。 手を伸ばしても届かない星。
でも、いつか必ず届く。 二人で一緒なら、きっと届く。
翌朝、あかりはすっきりとした気分で目覚めた。 久しぶりに、ちゃんと眠った気がする。
学校に行くと、美咲が心配そうに声をかけてきた。
「あかり、今日は元気そうだね」
「うん、よく眠れたから」
あかりは、笑顔で答えた。
「最近、本当に心配してたんだよ。顔色悪かったし」
「ごめんね、心配かけて」
「ううん、元気ならいいの」
美咲は、安心したように微笑んだ。
「あのさ、今日の放課後、一緒にカフェ行かない?久しぶりに、ゆっくり話したいな」
あかりは、少し迷った。 家に帰って、テトと曲作りをしたい気持ちもある。
でも、美咲との時間も大切だ。
「うん、行こう」
「本当?やった!」
美咲は、嬉しそうに笑った。
放課後、二人はカフェに向かった。
久しぶりに、友達とゆっくり話す時間だった。
「最近、何してたの?」
美咲が、ケーキを食べながら尋ねた。
「えっと……勉強、かな」
あかりは、曖昧に答えた。
「勉強?あかりらしくないね」
「そうかな」
「だって、あかりって、いつもボカロの話ばっかりしてたじゃん」
美咲の言葉に、あかりは少しドキッとした。
「最近、ボカロ聴いてる?」
「う、うん。聴いてるよ」
「新しい曲とか、チェックしてる?」
「まあ、ちょっとは……」
実は、他のボカロPの曲を聴く時間が減っていた。
自分の曲作りに夢中で、他の曲を聴く余裕がなかった。
「あかり、何か隠してない?」
美咲が、真剣な目で見つめてきた。
「え?」
「最近のあかり、何か様子がおかしいよ。疲れてるし、私たちとも距離を置いてるし」
「そんなことないよ」
「嘘。絶対何かある」
美咲は、諦めなかった。
「私、親友だと思ってるんだけど。何でも話してほしいな」
あかりは、迷った。 話したい気持ちはある。
でも、テトのことを話すわけにはいかない。
信じてもらえないだろうし、変な目で見られるかもしれない。
「ごめん……今は、まだ話せないの」
あかりは、申し訳なさそうに言った。
「でも、落ち着いたら、ちゃんと話すから」
美咲は、少し寂しそうな表情を浮かべた。 でも、それ以上は追及しなかった。
「わかった。でも、無理しないでね。困ったことがあったら、いつでも相談して」
「ありがとう、美咲」
二人は、他愛もない話をして、カフェを後にした。
家に帰ると、あかりは少し罪悪感を感じていた。 美咲に嘘をついてしまった。
でも、テトのことは、まだ秘密にしておきたかった。
自分だけの、大切な秘密。
パソコンを起動すると、テトが現れた。
「……おかえりなさい……」
「ただいま、テトちゃん」
あかりは、笑顔で答えた。
「今日は、ゆっくり作業しよう。無理しないで、楽しみながらね」
「……はい……!」
二人は、夜遅くまで作業をした。
でも、今日は違った。 焦ることなく、ゆっくりと、丁寧に。
一つ一つの音を、大切に紡いでいく。
そうすると、不思議と良いメロディが生まれた。
「これだよ、テトちゃん!」
あかりは、嬉しそうに叫んだ。
「焦らなければ、ちゃんとできるんだ」
「……そうです……ゆっくり、だいじに……」
テトも、嬉しそうに微笑んだ。
その夜、二人は小さな音の欠片を、大切に集めていった。
それが、やがて大きな曲になる。 焦らず、丁寧に。 二人のペースで。
それが、一番大切なことだった。




