私が愛したアホ
「足音を立てないでよ?」
後ろをついて歩くナッツに小声で注意を促した。
ナッツは何も答えず、ただ私の顔を見つめながらニコッと笑った。
広くて薄暗い工場の中を、ネズミのように二人、歩いていく。
私の名は劇場加奈子、腕利きの国際スパイだ。
後ろをついて歩くのは私の相棒、ナッツ。50歳の背の低い、色白のおじさんだ。彼は組織の誰からも、そして私からも『アホ』と呼ばれる唯一無二のスパイである。
今日は敵国の兵器工場に二人で忍び込んだ。もちろん監視カメラの死角は私が調査済みだ。
ここで製造されているという『理想兵器』の破壊が私たちのミッションだ。警戒が厚く、並の者にはインポッシブルなミッションである。
「Dare da!」
ほうら、見張りに見つかった。
でも、大丈夫。
ナッツがいるから大丈夫。
「こんにちは!」
ナッツがもみ手をしながらゆっくりと突撃していった。
見張りがマシンガンをぶっ放してきた。
でも、大丈夫。
ナッツのアホさは規格外だ。
撃たれたことに気づかず、笑っている。
「ひゃあ! なんだ、コイツ!?」
見張りの兵士が恐怖に逃げ出した。
私はナッツにまた注意喚起する。
「油断しないで? 応援を連れてくるわよ?」
「応援ありがとう」
ナッツが穴だらけの顔でにっこり笑った。
すぐにやって来た。
10人以上、駆けつけて、それぞれが手に持った武器をすぐにぶっ放してきた。
ナッツが欽ちゃんみたいなポーズで走り、飛んだ。
どかーん!
弾丸が後ろにあったミサイルに当たり、爆発が起きる。
爆発を背に、ナッツは笑顔で欽ちゃんのように飛んでいた。両手でピースしている。
逆光に照らされたナッツの物凄い笑顔を見て、兵士たちが竦み上がる。
「こ……、コイツ、鬼神か!?」
また一斉に乱射してきたが、アホに常識とか物理法則は通じない。
「仲良くしましょう!」
ナッツがそう言うと、兵士たちは全員泣きながらナッツと握手をし、戦争は終わった。平和が戻ってきた。
その隙に私は紅茶を飲んだ。
私の仕事はナッツに注意を喚起することなのだ。それだけだ。
やがて理想兵器とやらの全貌が見えてきた。
「あれか!」
私が大声でそう言うと、新たな見張りの兵士たちがこっちを向き、襲いかかってきた。
でも、大丈夫。
ナッツには誰も勝てない。
あっという間にナッツは後ろ手に縛られ、笑顔で連行されていった。
えーと……
それじゃ、私、帰ります。
──とか言って油断させといて、ナッツ! やっておしまい!
どーん!
理想兵器は大破した。
ナッツの屁で爆発したのだ。
任務完了──
世界じゅうの猫を絶滅させるという恐ろしい兵器は、こうして私の手によって発射されることなく終わりを迎えたのだ。
愛してるよ、ナッツ。
私の相棒。