表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

【アップ】男山教会2022年9月4日礼拝説教

初めまして、天川裕司です。

ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。

また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。

どうぞよろしくお願い致します。

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬


【アメーバブログ】

https://blog.ameba.jp/ucs/top.do


【男山教会ホームページ】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【YouTube】(不思議のパルプンテ)

https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos


【ノート】

https://note.com/unique_panda3782


【カクヨム】

https://kakuyomu.jp/my/works


【YouTubeドラマにつきまして】

無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、

お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。

基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。

創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪

出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬

でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、

どうぞよろしくお願いします(^^♪




【本日のメッセージ】

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=zFKiv_kYde8&feature=youtu.be


【ブログ】

https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12763511301.html

(ブログを見てくださると聖書を閲覧できます)



前奏

招詞 イザヤ書55章8~11節

詩 編 歌 119番(37節)

開 会 祈祷

主 の 祈り

十戒・祈祷

子ども説教

子どもと親のカテキズム問96

「喜びと感謝をもって」

こどもさんびか

うたいましょう[改126(1節)]

牧 会 祈祷

聖書

使徒言行録13章29~37節(新P239)

詩編16編7~11節(旧P846)

説教

「朽ち果てることのない方~イエスの復活と神の約束」

宮武輝彦

祈 祷

讃 美 歌 154番(1節)

使 徒 信条

感謝のささげもの・祈祷

頌 栄  539番

祝 祷

執り成しの祈祷

報 告



讃美歌~♬


讃 美 歌 154番

https://www.youtube.com/watch?v=GpKoOiwD5rE


1)地よ 声たかく 告げ知らせよ

   きょうイェス君は よみがえれり

   いのちの君は あまつ園に

   われらを召して 入れたまえり


 2)とこよのひかり てりかがやく

   みくらにいます 君を仰がん

   あめより漏るる かちうたにぞ

   地なるわれらも 声をあわせん


 3)あめよ よろこべ つちよ うたえ

   ものみなともに ほめたたえよ

   イエス君きょうぞ よみがえれる

   ああかぎりなき さかえの日よ



2022年9月4日 礼拝説教 中心聖句

 

 つまり、神はイエスを復活させて、わたしたちの子孫のためにその約束を果たしてくださったのです。それは詩編…にも、…書いてあるとおりです。

使徒言行録13章33節     

                        

  あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず 命の道を教えてくださいます。わたしは御顔を仰いで満ち足り…ます。

詩編16編10,11節  


はじめに

復活の主の御力により、記念礼拝を迎える今日、新たな歩みに備えたい。

「(そして、)わたしたち(パウロとバルナバ)も、先祖(父祖たち)に(予め)与えられた(結ばれた、立てられた)約束について、あなたがたに福音を告げ知らせています」と、使徒パウロは、説教の基本的立場を明らかにする。それは、ユダヤ人にとって、本来、決して新奇な教えではなく、むしろ、油注がれたお方:メシア(キリスト)を待ち望む者たちにとって、救いの歴史において示された神の約束(恵みの契約)と誓いの実現(成就)。それは、イエスの「死者の中からの復活」とその証人たちの存在において証しされ、同時に、詩編のメシア預言において確証される。パウロは「つまり(なぜなら)、神はイエスを復活させて、わたしたち子孫のためにその約束を果たしてくださった(完全に満たされたから)」と、イエスの復活において成し遂げられた、神の真実を明らかにする。それは、ほかならない、「わたしたち

子孫のため」である。実に「肉による子供が神の子供なのではなく、約束に従って生まれる子供が、子孫と見なされる」(ローマ9章8節、ヨハネ1章13節)。

「それは詩編の第二編にも、『あなたはわたし子、わたしは今日あなたを産んだ』と書いてあるとおり」とは、パウロの告げる福音の権威は、ただ、神の言葉から来るのであり、キリストの御人格と御業(十字架と復活:謙遜と高挙:着座)は、神の約束(御言葉)の実現においてのみ、正しく認識されることを確証する。「今日」「あなたはわたしの子」(君こそわが子)として「生んだ」とは、血肉のつながりではなく(養子)、ただ、永遠の神の独り子であるお方が、この地上の「生」において、まことの神の独り子として、まことのメシア職(預言者・祭司・王)を果たされることの宣言。それは、洗礼者ヨハネからの受洗と山上の変貌における御父からの命令(預言者)において(マタイ3章17節・17章5節、マルコ1章11節・9章7節、ルカ3章22節、ペトロ二1章17節)また、十字架の上でその身を献げられたこと(祭司)において(ヘブライ4章15節、5章2,3節、7章28節)、そして、十字架の死から、三日目に復活され、天に挙げられたこと(王)において(ルカ24章51節、使徒1章9節、エフェソ2章6節)最も特別な仕方で明らかにされた(ローマ1章4節)、永遠の神の御子の受肉と臨在の中に、「わたしたちはその栄光を見た」のであり、「それは父の独り子としての栄光であって、恵みの真理に満ちていた(満ちている)」(ヨハネ1章14節)。

「また(さらに)、イエスを死者(死んでいる者たち)の中から復活させ、もはや朽ち果てることがないようになさった」ことについても、「わたしは、ダビデに約束した 聖なる、確かな祝福をあなたたちに与える」(イザヤ55章3節)、「あなたは、あなたの聖なる者を 朽ち果てるままにしてはおかれない」(詩編16編10節)、ダビデの死は「朽ち果て」、イエスの復活は、「朽ち果てない」と告げられる。

終わりに

使徒ペトロも、聖霊降臨の日、詩編16編の御言葉によって、主イエスの復活を確証した。主イエスの復活を見た「今日」、わたしたちの救われた「今日」、これから救われるべき人々の「今日」があることを信じ、まことの福音を伝えたい。



(Mynote)


二〇二二年九月四日(日曜日)

(子供説教)

「子供と親のカテキズム 問96」

『喜びと感謝をもって』

「国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり、と言う結びの言葉は、何を意味していますか」

祈りが確かに聞かれる事はいつも良いものだけを与えてくださる恵みの神様にこそあります。ですから神様の子供である私たちは、喜びと感謝を持って神様の栄光をほめたたえるのです。

(公同礼拝)

『使徒行伝』(第一三章二九〜三七節)

『詩篇』(第一六篇七〜一一節)

説教題「朽ち果てる事のない方〜イエスの復活と神の約束」

イエス様は神様により甦らされ、人々の救い主として永遠に語り継がれ、皆と共に居られる。「神がイエスを死人の中から甦らせて、いつまでも朽ち果てることのないものとされた事について…」(『使徒行伝』第一三章三四節)。

主ご自身がいつでも教会にて共に居り、いつでも人々を迎え入れて下さる。

使徒達によりなされた福音は全て、神様が人々に与えられた信仰の下にてなされた事。パウロの伝道も神様の御心に適った信仰だった。

イエスキリストと私達が結び付いて居るとはどう言う事か?これをしっかり考えねば成らない。教会は我々貧しい人々にとって信仰の礎と成る為に建てられたもの。信仰とは、キリストが我々に託された大いなる慰めであり救いである。

「あなた方に福音を告げ知らせて居る」

教会でなされる事・伝道の全てがこの福音ニュースを伝える事にも繋がる。良きものの訪れを全世界の人々に知らせる為に福音伝道がなされて行く。キリスト教の大事は何ですか?と言う疑問に、御言葉はその一言で表す。説教とは、神様から人々にその時々で与えられる良き知らせ・ニュースである。人々はその良き知らせ(ニュース)に耳を傾ける必要がある。救われる為に。神様が予め人々との間に立てられた救いの約束、律法等を全て含め。聖書の内容を全て含め。

決してパウロの教えは新規の教えではなく、神様が予めご用意された人々への救いのニュースを基にしたもの。人間的な主観をベースにした福音ではない。説教メッセージは全て、私達がどうやって救いに結び付けるか?を具体的に表したものである。その事が神様と個人の間で成就されて行く。神様の言葉が私達に適用されて居る。御言葉が人々の人生に生きて行く。生きた石にされる事が大事。これが適用。御言葉が我々の生活・人生に適用される形で聴かねば成らない。でなければ救われない、と言う覚悟で聴かねば成らない。神様と自分が結び付けられる事、これを念頭・心に置き、御言葉を聴く事が大事。生きた信仰を持つ事が必ず大事。

「なぜなら神様がイエスを復活させて…」このように聴く事が大事で、その理由を表す形で御言葉が夫々に在り、それは神様に依り人々が救われる為。肉による繋がりではなく、約束・聖霊による繋がりが人々を生かして行く。人々は、肉によってではなく、神様に依って生まれたのである。

『詩篇』の第二篇も参照の事。

「おまえはわたしの子だ。きょう、わたしはおまえを生んだ。」(『詩篇』第二篇七節)

「今日、私はお前を生んだ」と言う詔が大事で、これは「今日」詰りニュースであり、リアルタイムの事に在る。この「今日」は現代の一分一秒に相当する。

宗教に専心して居ても、人の世では邪教・偶像礼拝をしてしまう事がある。

『マタイによる福音書』(第三章)も参照の事。

「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」(『マタイによる福音書』第三章一七節)

『ヘブル人への手紙』(第七章の二八節)も参照。

「律法は、弱さを身に負う人間を立てて大祭司とするが、律法の後にきた誓いの御言は、永遠に全うされた御子を立てて、大祭司としたのである」(『ヘブル人への手紙』第七章二八節)

御子が天に上げられ、王として世界を統べる為。

『ルカによる福音書』(第二四章五〇節)

「イエスは彼らをベタニヤの近くまで連れて行き、手をあげて彼らを祝福された。祝福しておられるうちに、彼らを離れて、〔天にあげられた。〕」

ここには御子が(天に)上げられた時の事が明記されて居る。御子が天に上げられて、御子は王として働かれる事になった。

『使徒行伝』(第一章九節以降)

「こう言い終わると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった。イエスの上って行かれる時、彼らが天を見つめていると、見よ、白い衣を着た二人の人が、彼らのそばに立っていて言った、『ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなた方を離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなた方が見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう。』」

イエス様は天に上げられたのである。それからイエス様は今もって常に天の王座に就いて居られる。

『ローマ人への手紙』(第一章二〜四節)

「この福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中であらかじめ約束されたものであって、御子に関するものである。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。これが私たちの主イエス・キリストである。」

私達はこの神様に依るイエス・キリストを通した栄光を既に見て知って居る。イエス様を信じる者達は、死の恐怖から既に解放されて居る。心情的に人は死を恐れていろいろ想像するが、それがもう必要無い。神様は信仰に生きる(生かされる)全ての人々を、朽ち果てる者のままにして置かない。栄光に朽ち果てない体が、イエス・キリストにより我々に与えられて居る。



思記〜『家の記』より〜


聖書を読んでその内容が自分にとって都合が悪いと思う理由は、自分が完全じゃないからである。当り前の事だ。例えば十戒の教えを、おそらく人は生涯を懸けて全て守れない。必ず破る日が来る。その時がもう来て居り、それを知った人も居る筈だ。だから人には悔い改めが必要であり、その連続で生活して行く・生かされて行く事が大事である。悔い改めの連続の人生を送れば、自分を律するだけで、他人を責める事など到底出来ない。イエス様の前で、神様の前で、自分は一体何程のものなのか。こんな何程のものを「お前は高価で尊い」(※)と神様は愛され、イエス様は教えられ、信仰の道を与えて下さった。信仰の道とは救いに在る。イエス・キリストに依る救いである。十字架に掛かられた、人の罪を全て許す機会を与えて下さった、その救いである。俺は涙する。涙しながらまた今日明日、罪を犯す。この罪からどうでも逃れたい。しかし又罪を犯す。悔い改める。祈る。そしてこの罪からどうでも脱したい。そう祈り願いながら又罪を犯す。この連続であるから、悔い改めの連続に成る。この様な経験を、多くのクリスチャンもして来たのではなかろうか。でも他人の事より、罪の点では自分の事である。先ず自分を律し、信仰の前にどれだけ正直に在る事が出来るか。これは神様とイエス様の前でどれだけ正直に在る事が出来るか、信仰者として在る事が出来るか。これに相当するだろうか。これに自信の在る者は居るか。俺は不動の罪が自分に在る様に、自信が全く無い。ただ唯一在るのは、もしかしたら救われるかも、いやどうでも救われたい!…と言うこんな頼り無い期待・純粋な命の声である。そしてこれ迄に書いた事に戻りながら、どうでも神様に依る救いに与りたい。神様の下へ辿りたい。愛する隣人と共に辿りたい。

(※)『イザヤ書』(第四三章三〜五節)

「私はあなたの神、主である、イスラエルの聖者、あなたの救い主である。私はエジプトを与えてあなたの贖い代とし、エチオピアとセバをあなたの代わりとする。あなたは我が目に尊く、重んぜられるもの、私はあなたを愛するが故に、あなたの代わりに人を与え、あなたの命の代わりに民を与える。恐れるな、私はあなたと共に居る。私は、あなたの子孫を東から来させ、西からあなたを集める。」

『イザヤ書』(第四三章八〜九節)

目があっても盲(目しい)のような民、耳があっても聾(耳しい)のような民を連れ出せ。国々はみな相つどい、もろもろの民は集まれ。」

『イザヤ書』(第四三章一〇〜一三節)

「主は言われる、『あなた方はわが証人、私が選んだ我がしもべである。それ故、あなた方は知って、私を信じ、私が主であることを悟ることができる。私より前に造られた神はなく、私より後にもない。ただ私のみ主である。私の他に救う者はいない。私は先に告げ、かつ救い、かつ聞かせた。あなた方の内には、他の神はなかった。あなた方はわが証人である』と主は言われる。『私は神である、今より後も私は主である。我が手から救い出し得る者はない。私が行えば、誰が、これを留めることができよう』」。


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/



Table Caffe〜


榎本保郎牧師 ミニ説教19 「イエス・キリストを身近に」

https://www.youtube.com/watch?v=MCyjy8BuIIw


「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは」

https://www.youtube.com/watch?v=lbm8N7ZZRMY


スペシャルWEB配信 無観客ライフ・ライン、世の光のつどい

https://www.youtube.com/watch?v=WtWo_wXvLAI


ハーベスト・タイム・ミニストリーズ

https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin


不思議のパルプンテ

https://www.youtube.com/@不思議のパルプンテ/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)





少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ