第3話 屍を超えて
10年前。富士山が突然噴火した。それだけなら、ずっとマシだった。
溢れ出る溶岩、富士山の土から生い茂る木々――だが、そのすべてがアリジゴク化し、周囲の動植物を次々と取り込んでいった。
「こっち!」
大人たちに連れられ、幼い子どもたちは優先的に大型トラックへと集団避難させられた。
しかし、僕が乗っていたトラックは、アリジゴク化した木に襲われ横転してしまった。
「っ! どうしよう……⁉︎」
当時の僕には、何の能力もなかった。周りの子どもたちも同様だ。能力がある子は、ファイターたちに先んじて救出されていた。
「ここは俺が食い止める! 君たちは急いで逃げろ!」
絶望的な状況に、ペーターさんが駆けつけてくれたおかげで、僕たちは何とか逃れることができた。
だが、振り返った僕は目の当たりにしてしまった。触手と化した木の枝が、ペーターさんの腹部を貫いている様子を。
「……!」
「ねぇ、フラットくん! あそこ!」
仲の良かった女の子が指差す先――そこには、僕の母さんが怪我した腕を押さえながら立っていた。
「母さん! その腕……!」
「大丈夫よ、フラット。母さんは戦わなくちゃいけないの。我慢、できる?」
母さんはファイターだった。たとえそうだとしても、怪我を負いながら戦うなんて納得がいかなかった。
「ダメだよ! 母さんも逃げて! 僕も――」
「愛しているわ、フラット」
母さんは僕をぎゅっと抱きしめ、涙を流していた。きっと、もう会えないと悟っていたのだろう。
「……え?」
僕の手から、生温かい液体がぽたぽたと零れ落ちる。恐る恐る手を見ると、真っ赤な血が指の隙間から地面へ滴っていた。
――母さんの背中中央に、触手が深々と突き刺さっていた。
「……母さん……?」
「私の、可愛いボウヤ。最期まで、守ってあげなくちゃいけないのよ……」
母さんは最後の力を振り絞り、アリジゴクの群れの中へと飛び出していった。
僕はただ、呆然とその背中を見送るしかなかった。次第に、僕や友達のもとへアリジゴクが迫ってくる。
「フラット、なんとかしてよ〜!」
「このままじゃ、みんな食べられちゃうよ!」
幸い、僕は1人ぼっちだったため、取り残されることはなかった。だが、固まっていた友達は次々と食われ、その悲鳴さえも、僕の耳にはただの通過音のように響いた。
「……母さん……」
僕は血に染まった手をじっと見つめた。母さんが最後に注いでくれた愛情が、その手に宿っているような気がして、思わずその血を口に含んでしまった。
「……ッッッ⁉︎」
心臓が今にも爆発しそうなほど鼓動が高鳴る。視界がグラグラと揺れ、猛烈な吐き気が襲った。すると、気がつけば全身に水色のオーラがまとわりついていた。
「……みんな、ごめんね……!」
何も守れなかった悔しさと悲しみが、僕を押しつぶしそうになる。しかし、その思いが力となり、気がつくと周囲のアリジゴクを次々と討伐していた。
「これ……僕が……?」
自分でも信じられなかった。そして同時に、後悔が込み上げた。
「えっ……?」
制御できなかった力は、消化されなかった仲間までもも容赦なく殺し、四肢をバラバラにしてしまったのだ。
「……僕が……? あ、あ、あ、あァァァァァァ……!」
燃え盛る故郷――全てとともに、僕の絶叫は闇に消えていった。
「おい! 生き残りだ! 急げ!」
僕を発見し、保護してくれた大人たちのおかげで、僕は救われた。だが、深い傷を負った僕は、あの惨劇の生存者であることを公にできないようにされた。
それでも、僕の傷は癒えず、ずっと病院のベッドで過ごす日々が続いた。
――そんなある日のこと。
「……?」
僕の隣のベッドに、虎獣人と人間のハーフの少年が入ってきた。
それが、ナックルさんとの運命的な出会いだった。
「……母さん……」
「お前も、富士山の被害者か?」
看護師たちが去ると同時に、ナックルさんが僕に話しかけた。傷ついた心が警戒して、僕は布団に身を潜めた。
「……聞いてくれなくてもいい。ここからは俺の独り言だ」
そんな僕に対し、ナックルさんは続けた。
「俺も、富士山の惨事の被害者だ。親も友達も失って、残ったのは親父の血から受け継いだこの能力だけ……」
「……え?」
感情を失っていた僕に、初めて希望が差し込んだ。同じ境遇でここに来たナックルさんが、僕の運命を変えてくれる気がした。
重い布団から顔を上げ、涙をこぼしながら、僕はようやく答えを見つけたかのようだった。
「おいおい、なんで泣いてんだよ?」
「僕も……同じだから……!」
「同じか。だったら、約束しよう。あの日のことは、どんなことがあっても秘密だ」
僕たちはそう誓った。もう人生を空白にさせないために――逃げず、向き合うための約束を。
そこから、僕とナックルさんの日々が始まった。無駄に過ぎた空白の日々が、少しずつ埋まっていく。
その幸せは、今もなお続いている。
僕は自分の境遇をすべて語った。ただ、ファイターの血を受け継ぐという禁忌の存在だと知ったのは、今になってわかった。
「……クラリオ、か。久しい名前だな」
「あぁ。政府に操られた、伝説のファイター……だよな」
「政府に……?」
「おい、どういうことだ。なんで政府が関わってくるんだよ?」
ファイターはファイターだろ? 国民を守る存在だと思えば無関係ではないかもしれないが、「操られた」という言葉が引っかかる。
「実は……配信者じゃないプロとしてファイターをやっていると、嫌でも政府が干渉してくるんだ。なにせ、アリジゴクの存在で人々が外に出なくなれば、経済にも悪影響を及ぼすからな。そう考えると、ファイターは良い駒にしか過ぎないんだ」
「駒……駒って――」
「んだよ、そりゃあ⁉︎」
声の大きさは違えど、ナックルさんと同じ憤りが僕の中にも湧いた。
母さんが「駒」と呼ばれるなんて、絶対に許せない。絶対に……
「まあ、落ち着けよ。俺は、そうさせないためにここにいる。俺もかつては同じだったからな」
「あ……」
僕は、秩序を守るその力があるからこそ、嘘かどうかさえも見抜ける。
ペーターさんの言葉は嘘ではない。真実かどうかは別として、半ば感情論だが、その思いだけは本物だ。
「……やる。ここで、ファイターになる!」
「お、おいフラット。本気か?」
僕は本気だ。今こそ、自分の罪、この能力、そして守りたいものに向き合う時だ。
――それが、僕にできる唯一の償いだから。
「うん、もう決めた。ナックルさんもやろう。ファイターを守るために!」
「ファイターを守る……そうだな、そうするしかねぇな!」
やっと見つけた、あの日を超える答え。僕はあの日よりも先へ進むしかない。ここでチャンスを逃したら、僕はただ逃げるだけになる。だから――
「ペーターさん、一緒にやらせてください!」
「もちろん。一緒にやってくれ。君もな」
「あぁ! 親父が駒だなんて、ゼッテェ許さねぇ!」
「……ッシャア! 俺様初の後輩だぜ!」
僕とナックルさんだけの世界は、ペーターさんとロアリングが加わって、少しずつ明るさを取り戻した。
「それじゃあ、写真撮ろうぜ! ほら、集まれ、集まれ!」
「えぇぇ、ちょ、ちょっと⁉︎」
ロアリングが無理矢理僕たちをまとめ、立体映像に僕たちを収めると、すかさずシャッターを切った。
「おいおい! いきなり撮られると困るって!」
「まだポーズも笑顔もしてないのに!」
「感情だけで動くなって言っただろう。しかも、1人だけちゃんとポーズ取ってるのも……」
「まあ、いいだろ! これで自然に見えるだろ!」
いや、全然自然とは言えない。ペーターさんを含め、皆戸惑っているのに、ロアリングだけが笑ってポーズをとっているから浮いてる。
こういうのは、みんなで笑ってポーズをとったほうが自然なのではないかなぁ。
「いいだろ、これで! 早速オフィスに飾ろうぜ!」
「飾るなら、まだいいか」
ちょっとおかしい面もあるが、僕たちはこの場所が好きだ。この気持ちに正直になろう。たくさんの屍を越えて、今度こそ守るから。どうか、安らかに。