フルン25歳、晩秋。~紳士倶楽部〜
「やあ。久しいね」
癖のある金髪を無造作に束ねた男は王立学院の紋が入った金の懐中時計を卓上に放り出した。王立学院マスターコースの卒業時、上位10名の成績優秀者にしか授けられない懐中時計も男にとってはこの店に入るための通行証に過ぎない。金の鎖がうねり、じゃらりと横たわる様は蛇にも似て、柔和な笑顔の奥に冷たい心根を隠した男にはよく似合っている。
「フルンか。珍しいこともあるものだな、明日は雪か」
王都の一角、古びたレンガ造りのその店に店名はなく、ただ“紳士倶楽部”と言い習わされている。金の懐中時計を授かった人間しか入店出来ない会員制のバー。栄華が約束された者の集う店にフルン・スュトラッチが初めて足を踏み入れたのは、ある人物に会うためだ。時計の針が2周ばかりした頃、漸く現れた彼にウイスキーボトルとグラスを持って歩み寄る。
「少し話があってね。きみにとっても興味を引かれることだと思うよ」
ポンと軽やかな音を立ててコルクを抜き、充分に熟成した薫香を放つ琥珀色の液体を注いで差し出した。
*****
「なるほど。彼女は何と?」
「“怪文書とデマは政治の華”と。ショックを受けた様子はなかったよ」
―― 随分とわたくしのことを高く買っていただけたようで光栄ですわぁ。
取って付けたご令嬢言葉に優雅な微笑。すぅっと細めた目はぞくりとするほど冷たく、静かな怒りが感じられた。
『即刻、対処しよう』
『いいえ、せっかくですもの。エンディングは素晴らしいものにしたいわ』
『ストーリーテラーは君が?』
『いいえ?』
―― 素敵な物語は吟遊詩人に歌わせてこそ、でしょう?
フルン・スュトラッチの脳裏を、あの声が、あの獰猛な笑顔が埋め尽くす。元気で善意と幸福に満ちたお人好しだとは思っていた。けれど、その内側に自らと同じ気質を飼って、飼い慣らしていると知り。稲妻に撃たれたような打ち震えるほどの感動といったら!
「ほう。デビュー前の年齢でそれとは恐れ入るな」
「そう。すごく可愛い顔してて」
「…ん?」
「あの美しさ。気高さ。あれこそが本物というのだろうね」
「…んん?」
「あの輝きを知って仕舞えば、どうして手離すことができるだろう」
「…んんん?」
「ただ傍に居たいなんてとんだ欺瞞だ」
王都警固隊、コイツです。
「今すぐ攫ってしまえたらどれだけ幸せか」
王都警固隊、大急ぎで!
うっとりと、或いは切なげに。滔々と語り出す美形男のご乱心ぶりに、同席者の口数は減り表情は段々と険しくなる。
前王妃の初めてのご懐妊によって量産された年代の中にあって、最も優秀で顔も血統も最上級の、選ばれし男、それがフルン・スュトラッチだ。いつも飄々とした態度を崩さず、何事にも心を動かされない。それがフルン・スュトラッチだった筈だ。それが今やどうだ。
「落ち着けフルン。考えてもみろ、13歳の女の子にとって10以上も上の男なんてオッサンもいいところだ」
当代きってのモテ男はヤバかった。
これまで割り切った人付き合いしかしてこなかったツケがここで顕在化したようだ。自分の、恐らく初めての恋心、というかタールのようにべったりとした執着心に振り回されている。
「安心してよ。ぼくは彼女とどうこうなる積もりはないし、その資格もない」
「教師と学院生なんて格好の醜聞だしな」
「それだけなら教師を辞めれば済むけれど。言ったろう?彼女は本物だって。ニセモノのぼくじゃなく、彼女こそ、彼女に流れる血こそが、スュトラッチ家の本物なんだよ」
「まさか」
絶句する同席人に応えず、ただ、ぐいとグラスを空ける。だが恍惚に満ちた表情は、それが事実だと雄弁に告げていた。同席人は自らもウイスキーをぐいと煽り、ふぅと息を吐いた。
「……なぜ私にそれを話した?」
「きみは昔からぼくが嫌いだろう?ぼくがちょっかい出してる人間を手元に置くって考えつくくらいには」
「…彼女の件は、単純に、能力を買ったまでだ」
「うん、そうだ。そうだね。かわいい妹をよろしく頼むよナウル」




