ジョン13歳、晩秋。~少年から男になった日~
「あれほど豪胆な方なら、ご夫君も安心して留守を任せられるでしょうね。…何があっても敵に回すことだけは避けないと」
帰りの馬車で母がぽそりと呟いた。
コシチェ邸で開かれた茶会は大人達にとっても満足のいくものだったらしい。最後まで和やかで、帰り際には再会の約束までしていた。
「コメルシー夫人が?まさか」
初めて会ったマリー・コメルシー男爵夫人の印象は、控えめな聞き上手。貴族ではないウォルト家に対しても侮るところなく、かといって格上のコシチェ家を立てることは忘れないバランス感覚に長けた夫人だ。しかし母は他の感想も抱いたようで。
「語り口は穏やかですけどね、この母もコシチェ夫人もコロコロ転がされちゃったわ。一番口惜しいのは転がされても嫌な気分にならないことね」
船運業という荒くれ男の巣窟を束ねる母は、外では取り繕っているけれど気が強く負けず嫌いだ。それがあっさり敗北を認めたことに驚く。
「だって、聞いて欲しいし喋りたくなっちゃうんですもの。仕方ないじゃない」
ウォルト家にとってコメルシー家との繋がりは喉から手が出るほど欲しいものではなかった。しかし今日の茶会で、母が個人的に熱望する縁に変わったようだ。
「ふぅん。…その…娘の、、マドレーヌ様のほうは?」
話の流れで何の気なしに聞いた、ふうを装うも母親にはお見通しのようで。にやにや生温い視線が向けられる。後から考えれば、貰った組紐をこれ見よがしにぶら下げているのだから当然の反応だった。
「お顔立ちも愛らしいし気持ちの良い娘ね。頭も良いのでしょう?振る舞いを見たって、つい半年前まで平民だったなんて信じられないわ」
今日のマドレーヌ様は首元や腕がほんのり透ける白いレースのブラウスに淡いブルーグレーのスカート。色味だけなら地味だが、ふんわりした生地に淡いピンクの小花を散らしたスカートと髪色が華やかな印象で―――激しく胸が高鳴った。
ではなく。学院での学びの甲斐もあってか、立ち居振る舞いも美しかった。
「苦労するわよ?」
思い出して緩んだ頬が母の言葉でピシャリと打たれる。
「や、え、なん、なんでッ?!じゃなく!別に俺は何も!」
「わかりやすく動揺しないの」
向かいに座る俺を扇でパタパタ仰ぐ。その仕草で、どうやら自分は赤面しているらしいと知った。
「…わかってる。長男でもなければ貴族家のご令嬢と」
「違う違うそこじゃないわ」
「ふっ」
母の呆れた声と半眼の眼差しに、今まで気配を消していたはずの侍女が失笑した。くそう。
「ジョン。あなた、彼女から、異性と思われていないわよね」
「うッ」
「下手すると、モニカ様の付属品、くらいの認識かもしれないわね」
「ううッ」
「そもそも。異性を感じさせるようなアプローチだってしていないんでしょう?」
「ううう…」
母は言葉の刃で小気味良いくらいザクザク遠慮なく心を切り刻む。そうだ。身分どうの以前の問題、大問題だ。
「いちおう聞くけれど。彼女から、かっこいいとか素敵とか褒められたことは?」
「声が良い、とは褒められた」
「……」
沈黙が痛いし母の隣に座る侍女の肩が上下に揺れているのも居た堪れない。異性として眼中にないから出てくる言葉だということくらい、わかっていた。そうでもなけりゃ、あんなことがあった後でも普通の顔で接しないって。わかってはいるんだ。
「ジョン。あなたは昔から優秀で聞き分けが良くって、わたくしの自慢の息子よ」
黙りこくった俺を見て、母が優しい声音で話しかけてきた。
「でもね?恋愛の相手ってなると物足りないっていうか、ドキドキしないじゃない?」
「…これ普通、落ち込む息子を慰める流れだよね?」
「最後まで聞きなさいって。せっかく学院卒業まで時間があるのよ?強引過ぎるのは問題だけど、少しくらい攻めてみてもいいんじゃないかって話よ」
「え、でも、それじゃあ…せっかく立て直したってのにウォルト家に悪評が…」
数十年は前の話になるけれど、ウォルト家は嵐に遭って船と船員と積荷を失い、莫大な賠償金のために破産しかけた過去がある。当時から付き合いのあったコシチェ家の支援を受けてなんとか持ち堪えたが、過去を知る人々からは未だに信用が薄い。そこにもし、子供とはいえ醜聞が立てば、せっかく築いた信用が失われてしまうかもしれない。
「それくらい、この母がなんとかしてあげるわよ」
「…良いの、ですか?」
「勿論。少しくらい甘えて気を揉ませてくれなくっちゃ、親として寂しいじゃないの」




