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ココ14歳、夏。~彼と彼女の事情〜

「どうか悪く思わないで。お父様のお立場では貴女を叱らないわけにはいかないの」


 競馬場で行われた公開演習で両家の許可も得ていない男女の逢引きの手助けをしてしまった事をお父様からは叱られてしまったけれど、ずっと欲しかった上等な裁ち鋏を貰ったのでした。

 長く掛かったので心配したのか、その後でお部屋にお母様がいらっしゃって、カタラーナ伯爵家から嫡女クレマの思いつきに巻き込んでしまった事を詫びられ、また、デライト侯爵家とも関係が悪化していないどころか良い方向での進展があった事を匂わせる手紙が届いたのだと教えられました。そうして、家族皆でカタラーナ家に招待された事もまた。


「わかってますお母様。軽率なことをしたと反省しています」


 書斎に呼ばれて受けた叱責は決して頭ごなしではなく、むしろ貴族家の嫡男に嫁ぎゆくゆくは女主人となるのだからと、()()()()をもっと大きな視点から見るように指導してくれたのです。自分の行いの軽率さと恐ろしさもまた同時に、血の気が引くほどに思い知ったのでした

 クレマ様からご相談いただいた時、想い合う恋人同士の間を取り持って差し上げたいと思ったのは事実。けれどそこに独りよがりの思いはなかったか?と問われ、ハッとしました。貴族の婚姻は政治的な意味合いが強く、それがない場合は家柄・財力・美貌・若さでお相手を選びます。そこには当人の、特に女性側の想いなんてありません。ムラング家とキーバー家の婚約だって、言ってしまえば“煩わしさがない”以上の理由はないのです。ですから愛し愛された男女の恋物語を聞いて、お願いをされて、まるで自分もその登場人物の一人になったような浮かれた心があったのだと、その時に初めて自覚したのでした。


「今回は偶々良いようになったけれど、もしもそうでなかったなら、皆が路頭に迷うことになっていたのだから、お父様からお叱りを受けるのは当然のこと。いいえ、お優しいくらいです」


 あのような大勢の目のある場で婚約関係でもない未婚の男女が親しくする事自体が醜聞の種。加えて、もしもカタラーナ家がクレマ様の縁談を進めていたなら大いに体面を失った事でしょう。その矛先がムラング家や、キーバー家にだって及んだかもしれません。たった一つの考えなしの行動が家族だけでなく、使用人にも領民にも――。


 *****


「こういう店は得意ではなかった?」


「い、いいえ。でも、初めてで…緊張しています」


 お父上であるムラング男爵の許可を得て身軽な服装で訪れたのは、幼馴染の姿を最後に見ることになったあの店。彼らみたいな酔っ払いは滅多に居ないけれど王都の一等地にある高級なカフェやレストランとは違って雑多な賑わいがあって、そこそこ良い酒や料理を出してくれる、中流階級者の集い場だ。


「そうか、男はよく来るけれどご令嬢は来ないか。でも、料理の味は悪くないんだ。私だけでなく、他の人間もそう言っている」


 先日の定例のお茶会で、婚約者のココの様子がおかしかった。その時は何も言わなかったけれど、帰り際、使用人にこっそりと聞けば、公開演習の時の一件でムラング家のみならずキーバー家に対しても申し訳がないと思って気が塞いでいるのだという。だから今日は気楽に話せるように誘ったのだけれど、慣れない雰囲気に身の置き場がないのか、そわそわしている。



 ―本当なら、料理を摘みながらとも思ったが。



 紅茶とコーヒーがそれぞれの前に運ばれて来て、店員が背を向けたのを確認して唾を飲み込みゆっくり息を吐いた。


「ココの行動力に感謝している。同時に、私を信じてくれた事に対して、とても嬉しく思っている。あの時も今回の件も」


「―――え?」


 いつも通りスプーン2杯分の砂糖を紅茶にさらさら落とし、丁寧な所作で混ぜるその手がぴたりと止まる。まん丸な目が私だけを映す。


「親友でもあった幼馴染の悪行を隠さず教えてくれた事。公開演習の件も、隠そうと思えば隠せた謀を私にすっかり打ち明けてくれた事。どちらも私という人間を信じてくれたのだと思ったのだけれど、違ったかな?」


「いえ、いいえ。きっとエーブレス様ならわかってくださると思ったから」


 慌てて首を横に振って答える少女。彼女が自分の婚約者で、ゆくゆくは妻になるのだと思えば心が弾む。


「良かった。勘違いじゃなくて、真実、ココに信頼されているのならこれほど嬉しい事はない」


「あの…、お怒りでは、ございませんか?」


「いいや?」


「では、失望など…」


「どうしてその必要が?」


 揺れる瞳から不安を取り払ってやれるのが、他の誰でもなく自分しか居ないのだと思えば、言いようのない充足感が全身を包む。


「だって……」


「私は、ココから話をすっかり聞いて、その上で承知したんだ。結果に対する責任は私にあるし、それに」


 料理が運ばれて、会話が途切れる。注文したのは豆と色々な肉を深い鍋でぐつぐつ煮たシチューで、ここの名物料理でもある。なんでも店主の故郷の家庭の味らしい。豆がスープを吸って汁気のなくなったところでパン粉をかけてオーブンで焼くのだけれど、これがまた旨いのだ。試しに取り分けて勧めてみれば、ココも気に入ったようで頬も口元もゆるゆる弧を描き丸くなる。


「先日の事だけれど、ターキッシュ様も同じ表情をしておられたよ。初めての味で気に入ったって」


「まさか、お会いしたのですか?ここ、ええと、こうしたお店で?」


「ああ!そこで、暫定的ではあるけれど、お2人の関係を兄上様に認めていただいたと聞いたよ」


「ええ?」


 無意識に飛び出た大きな声が遠くへ行ってしまわぬようにとでも思ったか、両手で口を塞ぐ仕草が可愛らしい。


「隣りにあって恥じない人間になることが条件だと、それくらいはしてみせろと覚悟を問われたのだから、何としてもやり遂げなければならないと前向きに励んでおられるそうだ。私に礼を言われたけれど、これはココのお手柄だ」


 ぱちぱちと瞬きが多くなる。驚き過ぎたせいか、まだ口は手で隠したままで。ちょっとした仕草の一つ一つに高揚感を覚える。


「私は。もし私が相談を受けていたら、決して首を縦に振らなかったろう。私は考え過ぎのきらいがあって、どうにも愚図なんだ」


「いいえ違います!エーブレス様は思慮深い方です!」


 その声は今日を含めて今までで一番の大声だったけれど、今度は恥ずかしがる様子はない。それもまた、気分が良かった。


「ありがとう。良かったら、食べながら話をしよう」


 ココをどうにかして笑顔にしたいと思って、ずっと考えていた。考えて考えて、まるで良い案が浮かばずにいたところ、ターキッシュ・デライト様から手紙が届いた。会って話がしたいというので、あまり貴族が来ない、さりとて下品でもないこの店を選んだ。そこでカタラーナ伯爵家のご嫡女クレマ様と進展があったことやご自身の想いなどをお聞きして、その素直さに危なっかしさを感じたものだ。それと同時に、ああ、この御方はしっかりとした女性に導かれれば素晴らしい御仁になるのだろうとも、思った。彼はこの庶民的なシチューにおずおずと手を伸ばして恐る恐る一口味わった後で大きく頷き、こう言ったのだ。


『ソーセージにぶつ切りの鴨肉、これは豚肉か。この味わいの深さはきっとそれぞれ単独では出し得ないし、豆が沢山入ることで調和しているのかもしれないな。私もこうならねば』


 以前の彼ならば、庶民の料理なんて目に触れる事も汚らわしいと罵っただろうし、ソーセージや豚や豆なんて食べなかったろう。けれど今や、豆を食べては調和の大切さに思いを馳せるお人になった。そうして。


『誰かのために出来ることがあるのは素晴らしい美点で、誰かのために何かをしたいと望むのが愛なのだと思う』


 はにかみながらも真剣な眼差しで語る彼は、大貴族にふさわしい凛とした強さを感じさせた。愛というものが人を強くするならば。



 ―私も、深く愛せば強くなれるか?



 だから、婚約者を愛してみようと決めた。“婚約者だから”ではなく“愛おしい人だから”と考えてみれば、おいしいものを食べようとか、気晴らしに散歩をしてはどうだろうとか、今まで悩んでいたのが嘘みたいにすらすら浮かんで来た。



「もし時間が許すなら、この後は少し歩かないか?遅咲きの薔薇が見頃を迎えているんだ」


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