カタリナ14歳、秋。~人生の転機~
「夢を見ているようだわ」
カタリナ・メッセンは日の当たらない自室で、まだ木の香りの残る箱をそっと開けた。中には整然と並ぶ色とりどりの絵の具と大小の絵筆。真新しいそれは空にかかる虹のように、どんな宝石よりも輝いてみえる。それは画材が高価であることは勿論だけれど、己が初めて他者に認められた証であったからだろう。贈り主の名前が入ったカードを指でそっとなぞる。
― 良いことだけがありますように―
添えられたメッセージは短いけれど、どこまでも優しい願いが込められていた。
*****
「素晴らしいわメッセン様!近いうちに我が家へ来ていただきたいのだけれど、ご都合はいかがかしら?」
画材を進呈するからと言われ、請われるがままにマドレーヌの肖像画を幾つか描きあげ、モニカに渡したのは10日ほど前。無論、当人には秘密のためモデルをお願いすることなど出来ず、校内で見かけると目で追い具に観察して描き上げた。
ランチタイムの幸せそうな笑顔。友人とおしゃべりする時の屈託ない笑顔。授業中にみせる真剣な眼差しや思案顔。くるくる変わる表情を遠くからずっと見続けるうちに、カタリナの胸にどろどろした感情が宿る。
―もしも、裕福な家に生まれていたら
―もしも、美しい容姿に生まれていたら
―もしも、賢く理知的に生まれていたら
自分も彼女のように、ありのままに自然体でいても愛されたのだろうか。
自分も彼女のように、幸福に満ちた人生を歩めたのだろうか。
富も家柄も美しさも賢さも才能も強さも。彼女は全てを持っていて、自分には何もない。
嫉み。憎悪。怨嗟。悲しみ。そんな自分は醜い醜い醜い。嫌いだ嫌いだ嫌いだ。綯い交ぜになった感情は太い縄となって胸を締め上げ、カタリナの喉を締め付ける。カハ、カハ。聞いたことのない掠れた音が喉から飛び出し、ぐらりと世界が暗転した。
「落ち着いて?大丈夫よ」
沈みゆく意識を掬い上げたのは、柔らかな手の温もりと清亮な声。
「ゆっくり、息を吐いて。ゆっくり。そう。上手ね」
導かれるままに体が動き、やがて視界が開ける。そうして一番に飛び込んで来たのは心配そうにこちらを覗き込む菫色の瞳。カタリナが一方的に憎悪を募らせていた少女だった。
「苦しくはありませんか?そう、よかった。まずはゆっくり休んで。後は良いことだけありますように」
カタリナを教師に預けて教室を後にしたマドレーヌの言葉が、胸に巣食った負の感情を溶かしていく。
「おんなじ言葉…」
贈り主もきっと、この言葉に救われたのだ。そして今度は、カタリナを救うためにこの言葉をカードに添えてくれた。
「やらなくては。きっと、やり遂げてみせるわ」
カタリナの世界が、色を取り戻しつつあった。




