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マドレーヌ13歳、秋。~図書館の精霊~

「くッ……くくっ!はははは!」

「んふっ!うふふふふふふっ!」


 図書館員の休憩室。扉をきっちり閉めたのを確認し、二人はイタズラに成功した子供のように顔を見合わせて笑声をあげた。


「あー可笑(おか)しいったら。ありがとうございました、ええっと」


「ああ、っと、私は…」


「精霊様でしょう?知識の精霊様ですか?」


 言い淀むのを見てニッコリ微笑んでそう言ってやると、青年もふっと笑った。


「いいえ、図書館の精霊です。“知の泉に浴して生の糧とする同志”を守護する者ですよ」


「あら。ニスコスですね」


 ニスコスは古代の思想家で、「学びこそ人を人たらしめる」の言葉が広く知られている。そこだけ聞けば気難しそうだが、後世に書かれた弟子たちの書物に拠れば随分と朗らかな人であったらしい。意訳すれば「知らないことを知るとハッピーだよね」「知的好奇心って何歳になっても人生を楽しくさせてくれるよね」というふうな緩さが実に好ましい。


「よくご存じで。哲学はお好きですか?」


「父がファンなんです。事あるごとに(そらん)じるので、わたしもすっかり覚えちゃいました」


 実父は恐らく田舎の文学青年だったのだろう、若い頃は小難しい本ばかり読んでいたらしい。そのおかげで今は田舎の生き字引きに進化して、村人一同に何かと重宝されている。


「お父上はさぞかし博学な方なのですね。―おっと、レディを立たせたままで失礼しました。そちらにどうぞお掛けください。いまお茶をお持ちしますから」


「あ、いえ。すぐお暇しますのでお気遣いなく」


「さっきの彼と鉢合わせると()()ですから。少しゆっくりしていってください」


「あ、そうですね。じゃあお言葉に甘えます、ありがとうございます」


 休憩室にはちらほら人影があり、軽食を摂る人、お茶を飲む人、本を読む人、みな思い思いに時を過ごしている。物静かな人ばかりで先程の騒動が嘘のようだ。


「“消憂薬(しょうゆうやく)”とは参りませんが」


「ウショウ茶!好きです、嬉しい。これならきっと“三杯飲めば真理に通じ”ます」


 青年が手ずから淹れたお茶から広がる、こっくり甘く爽やかな香り。山野に自生するウショウという木を煎じたものだとすぐにわかった。疲労回復から病気予防、胃腸や肌を整えてくれるなど薬効も幅広く、その上気分を落ち着かせてくれる優れものだ。


 古代の詩人リバイの言葉とともに勧められたそれに、同じくリバイの酒酔い詩の一節をもじって返す。酒を()()()と称するあたりから透けてみえる通り、リバイは酒好きで有名なのだが、実は当時の王に仕える薬医でもあったという。


「バラの花びらもブレンドしているのですね。とてもいい香り」


「実は私が初めて作ったブレンド茶でして。よかったら感想をお聞かせ頂いても?」


 青年の瞳がキラキラ輝く。紅茶とコーヒーが主流な上流階級社会では薬草茶を語れる相手がいないのだろう。参考にはならないと思いますが、と前置きしてマドレーヌは思いつくままを声にしていく。


「華やかで、お気持ちの細やかな方。苦いものやピリリとした刺激がお嫌いで。もしかしたら、お体もあまり丈夫ではなくて…精霊様の、大切な女性(かた)なのですね」


 バラ以外にも幾つもの薬草がブレンドされている。体にはいいけれど香りや味にクセのある飲みにくいものも多く、どうすれば美味しく飲めるか、どうすれば飲んでくれるか、苦心の末に辿り着いたに違いない。薬効は高いが穏やかな味わいに仕上がっている。婦人に良いとされる薬草もブレンドされているので、きっと相手は女性だろう。


「心のこもった絶妙なバランスだと思います。きっと、きっとお気に召してくださるかと」


「…そう、ですか。そう言っていただけて自信がつきました」


 青年はほんのり笑い、自身でもお茶を飲んだ。そっと伏せた長い睫毛の奥に宿る感情は読めない。ただ、この優しい人はとても強い人だと思った。


「そういえば、先ほどの彼はいつもあの様な振る舞いを?」


「あー、わたしは今日が初対面なので…えっと…」


 すっかり忘れていたが不埒者に絡まれたのだった。馬鹿正直に初対面と言ってしまったが、考えてみれば、度々の事に堪えかねてならまだしも、まだ何もされていないのに攻撃準備を進めていた自分の方が狼藉者だ。出禁にされては不味い。ここは丸っと話した方が得策だ。


「あの方の香水がひどく(いや)()()()だったもので、気分が悪くなってしまって…」


「香水?」


 青年はキョトンと目を見開き、首を傾げる。すぐ側に立たれたマドレーヌとは違い、青年が駆けつけたのはチャラ男が蹲った後だったので匂いが届かなかったのだろう。


「ええ。甘ったるいニセモノの花みたいなのにケモノっぽいにおいです」


「なるほどそれは向こうが悪い」


 想像したらしい青年の顔が歪む。本来なら昼間に強烈な香りをさせるのはマナー違反なのだが、不心得者は図書館に限らずどこにでも居るものだ。


「でしょう?それが近づいて来るものだから、もうイラッとしちゃいました」


「実にお見事でした。方向もタイミングもばっちりの鈍器落とし」


 硬い背表紙を外側に向けて揃えてから本をなぎ払ったのもちゃんと見られていた。ということは、この青年は騒ぎになるだいぶ前から見ていたらしい。


「精霊様も巧みな言葉選びでした。これでもうすっかり悪人ですね、あの人」


 青年の言い回しでは、あの男は気に入った少女の気を引くために本をわざと床に落とした。その乱暴な振る舞いに少女は驚きと恐怖のあまり休息が必要なほど気分が悪くなってしまった。ように周囲には聞こえるだろう。

 けれど、断定的な言葉は使っていないので万が一咎められたとしても言い訳がつく。


「神聖な図書館で軟派な行いをする輩には良い薬です。よく言うでしょう?“良薬口に苦し”って」


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